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よくわかる小沢氏側の主張 『控訴方針決定に対する声明文』 [小沢一郎]

 

こんな大事な声明文を山形新聞、一切触れず。 

 

『 控訴方針決定に対する声明文 』

新しい政策研究会(新政研)一同

平成24年 5月10日

 

声  明

 

 4月26日に東京地裁で決定した「無罪」判決を不服として、昨日、3人の指定弁護士が控訴した。

 いたずらに裁判を長引かせ、我が新政研の会長であり、この国の最も重要な政治リーダーである小沢一郎衆議院議員の政治活動を妨害しようとするものであり、到底許されるものではない。強く抗議するものである。

 検察審査会の起訴議決は、法廷での事実確認を要請するものだ。判決は無罪である。裁判で無罪判決が出た以上、「推定無罪」の原則はより強く尊重されなければならない。従って、小沢一郎衆議院議員は現在、その政治活動に何の制約も受けないことをまず確認しておく。

 そもそも、検察が2年間に亘る執拗な捜査にもかかわらず、証拠が無く起訴できなかった事件であり、この裁判の元となった東京第五検察審査会の起訴議決自体が、検察当局の捜査報告書の捏造という犯罪によって提起されたものである。既にインターネット上で広く国民が知るところとなった「捏造捜査報告書」を、指定弁護士も当初から入手していたのであり、指定弁護士は、検察が何故このような重大な組織的犯罪を犯さなければならなかったのかを、まず検証すべきであった。

 また、指定弁護士に対して控訴権が付与されているかについては、明文規定がない。明文規定の無い手続きによって活動の自由を奪い、刑罰を科すことは、基本的人権を保障する日本国憲法第31条に違反する。

 弁護士法第一条は、「弁護士は基本的人権を擁護し、社会的正義を実現することを使命とする」と高らかに宣言している。指定弁護士であっても弁護士としてこの崇高な使命を負っていることに変わりはない。ましてや、政治主導で「国民の生活が第一。」の政治を実現しようとする主権者の代表、とりわけそのリーダーである小沢会長の活動を更に妨害する権利が無いことは明らかであり、その責任は重い。

 小沢裁判とは一体何であったのか。

 政権交代を目前にして代表の座から小沢会長を引き摺り下ろした西松建設事件は、結局、ダミー団体ではないと検察側証人が法廷で証言し、「訴因変更」という姑息な手段で検察は裁判から撤退。事実上裁判自体が無くなった。

 そして、陸山会事件は担当した検事が法廷で「検察の妄想」による壮大な虚構と証言したように、捜査当局による「でっち上げ」である。

 検察のでっち上げだから、証拠が無く、起訴出来なかった。

 だから検察は捜査報告書の捏造という大犯罪を犯してまで、検察審査会を悪用した。

 また秘書裁判において、裁判所は、証拠が無いにもかかわらず、推認に次ぐ推認という到底許されない方法で石川知裕衆議院議員議員らに有罪を言い渡し、裁判が続いている。

 2009年3月3日からこの3年と2ヶ月余り、前述した検察と司法の暴走に、マスコミはメディアスクラムを組んで協力し、それを、改革を阻む政治勢力が利用してきたことも決して忘れてはならない。

 これは、明らかに政治弾圧である。

 世界の歴史を振り返れば、真の改革者は常に不当な弾圧を受けてきた。インド独立の父であるガンジーは、独立運動を理由として度々投獄されたが、決して屈することなく粘り強い運動を続け、賢明なる民衆を率いて、祖国を宗主国からの独立へと導いた。

 我々新政研は、不当な政治弾圧に決して屈することなく、これからも、小沢一郎会長の下に一致結束し、民主党政権が政権交代で国民に約束した「国民の生活が第一。」の政治を実現するために、全力を尽くしていくことをここに宣言する。

 

平成24年5月10日

 

 

新しい政策研究会(新政研)一同

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

http://www.shinseiken.jp/index.html

 

 

 

 

 

 

 

 

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あたりまえにもどるだけ [小沢一郎]

  

 いくらか光が差し始めたかと思わされたのも束の間、やっぱりの控訴決定。
 
≪表面は「政治とカネ」の問題で刑事事件と思わされているが、本質は政権交代による統治構造の変革を阻止する勢力の仕掛けである事を国民は見抜かなければならない。これは事件ではなく国民主権に対する挑戦なのである。≫」(田中良紹 の「国会探検」http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/05/post_299.html#more
 
暗鬱な気持ちになる。しかし、絶望へと向かう道とは思わない。「陰極まれば、陽生ず」、そのための陰極まらせる動き。深いところでの地殻変動が始まっているのかもしれない。希望へと向けて。その思いが、マドモアゼル愛さんの「愛の日記」5月1日付けを読んだときから次第にふくらんでいる。
 

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平成24年度入園式挨拶 [幼稚園]

 毎年のことですので、今日行われた入園式の挨拶をアップしておきます。
 
   *   *   *   *   * 
 
本幼稚園入園のみなさん、そして保護者の皆さん、おめでとうございます。そして一緒にお祝いしてくださるご来賓のみなさん、ほんとうにありがとうございます。
 
みなさんのスタートを祝福するように、すばらしい青空の朝を迎えました。今日のこの日を待って春がやってきてくれました。
 
昨年の三月十一日以来、地震や放射能といった、不安な雲はいまだに深く重く垂れ込めたまま、今年の冬も長く厳しい冬でした。そうした中でも必ず巡って来てくれる春の訪れは、私たちみんなの気持をほんとうにうれしく浮き立たせてくれます。
 
本幼稚園は、途中入園の十一名も入れて三十八名のお友だちを加え、六年ぶりに百名を超す子どもたちで新しいスタートを切ることになります。
 

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追悼・吉本隆明さん(5) 「ほんたうのほんたう」の到達点 [吉本隆明]

1回目を読んだ友人が「何を書いているのかわからない」と言っていると、別の友人を通して聞こえてきた。私が40年近く前この地に戻ってから行動を共にすることの多かったごく親しい友人の言葉だ。考えてみて、吉本のことなどこの地で話題にしたことは一度もなかったことに気づいた。そもそも、学生時代吉本を知ってからだれかと吉本について語り合ったことなどあったろうか。

25年前東京品川のウォーター・フロントにある倉庫で行われた「いま、吉本隆明25時―24時間講演と討論」と題するイベントに、もう吉本とのつきあいも卒業、その前に一度生の話を聞いておきたい、そんな気持ちで参加した。そこで何が話されたかはあまり記憶にない。当時引退中の都はるみさんが中上健次さんと一緒に出てきて、アカペラでアンコ椿を熱唱してくれたのを聴いて、来てよかった、得したと思った。終わって帰途、みんなひとりづつで、誰も何の会話もなくただ黙々と駅に向かう様子がなにか異様だった。私もその中のひとりだった。吉本という人はこういう人たちに支持されているんだなあとあらためて思ったことだった。
 

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吉本隆明による「宮沢賢治論」 [吉本隆明]

毎年辞令交付式の後、1時間ぐらい時間を与えられて話すことになっています。先ごろ卒園文集に寄せた「モモ」について語ろうと思っていたのですが、このところ吉本にはまってしまっているので、この題になりました。そのレジュメです。今日の午前に語ってきたところです。

≪≫内は「賢治文学におけるユートピア」(『国文学』昭和53年2月号)と『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫)からの引用です。

   *   *   *   *   *

 吉本隆明による「宮沢賢治論」

ほんとうの<善意>とは

「よだかの星」

(一たい僕ぼくは、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂けてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちていたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。)


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<追悼・吉本隆明さん(4)> 「どうみても、20世紀、世界で最大、最高の思想家である」 [吉本隆明]

「自ら学ぶ」という自立的行為を取り戻すために、「教えられ、学ばされる」学校という制度を乗り越えてゆかねばならないという、イワン・イリイチの『脱学校の社会』はかつて本気で読んだ本だった。そのせいかどうか、子供の不登校で苦労させられた。子供は親のホンネを生きるものだと思い知らされた・・・、というのは余談で、そのイリイチの紹介者で知られる山本哲士氏は、吉本を「どうみても、20世紀、世界で最大、最高の思想家である」として、次のように言っている。
 
≪吉本思想は、フーコーやラカンよりも、高度である、かつて吉本さん自身が明言したように、サルトルなんぞよりはるかに深い。20世紀、世界最高峰の思想である、それを日本語で読めるわたしたちは、知的にすごい財産をもっている、しあわせである、それがまだまだ活かされていない。20世紀最高の思想が、21世紀において、本格的にいかされよう、それはこれからだ。≫
 

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<追悼・吉本隆明さん(3)> 宮沢賢治と<大衆の原像> [吉本隆明]

吉本隆明、井上ひさし、ますむらひろし、この3人が存在することで、置賜には宮沢賢治がよく似合います。
 
川西町小松生まれの井上ひさしにとって、賢治はあこがれの人でした。賢治の生涯を描いた伝記劇『イーハトーボの劇列車』や、架空インタビュー『宮澤賢治に聞く』といった作品があります。「コーガイニモ/ホーシャノーニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ」という井上版「雨ニモマケズ」も作っています。25年前小松で始めた「遅筆堂文庫生活者大学校」の第二回目のテーマは宮沢賢治でした。
 
米沢に生まれ高校まで米沢で育った漫画家ますむらひろし。米沢市内を走る漫画のバスでおなじみです。猫で描いた賢治の世界、昭和60年公開の映画『銀河鉄道の夜』は100万人動員の大ヒットでした。今年の夏には映画『グスコーブドリの伝記』が全国公開されることになっており、再び大ブレークが期待されます。
 
置賜でこのふたりに先駆けたのが吉本隆明でした。 
 

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<追悼・吉本隆明さん(2)> 「苦しいときに、吾妻連峰の山肌をおもいうかべた」 [吉本隆明]

吉本隆明という名前をはじめて知ったのは、中核派バリバリの先輩が書いたアジビラでだった。理解するにはほど遠い文章だったが、その中に「吉本の米沢時代」という言葉が出てきて、気になりつつ「まさか吉本が米沢に関係あるなんて・・・」の気持ちが勝っていた。吉本が確かに米沢に住んでいたことが、「らしい」から確信に変わったのは、吉本を本気で読み出してまもなくだったと思う。「エリアンの手記と詩」の中に次の文章を見出したときだった。
 
 ≪僕の居る盆地の街は東北と西南の方位に街を両断する大路が走っている そのひとつの片隅に駅があるのだ≫

 次の文もあった。
 

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<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になった [吉本隆明]

 ネットで好悪入り乱れた吉本に対する評価を読んでいるうち、あらためて吉本への自分なりの思いを整理したい気持ちになって書いた。

 

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 <追悼・吉本隆明さん>  あなたのおかげで大人になった

 

訃報を知ったのは亡くなった3月16日午後9時のNHKニュースだった。翌日の山形新聞には1面と社会面とに大きく取り上げられた。訃報そのものには、そういうときが来たかということでさほどの驚きはなかったのだが、世の中の扱い方に驚いた。いつの間にか世の中にここまで認められる存在になっていたのか。関わった自分の昔を思い、いささか晴れがましい気持ちにもなった。 

 


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吉本隆明さん、ありがとうございました。 [吉本隆明]

先ほど9時のニュースで吉本さんの訃報を聞いた。今日の午前2時13分とのこと。実は今日は私の母親の満2年の命日だった。母親の父親、つまり祖父の命日も3月16日。祖父が亡くなったのは昭和13年だったと思うので、75回目の命日か。

最近昔のことを思い起こさせられることが多く、目の前に昭和43年から44年のノートがあった。その最初のページに吉本の言葉が書き連ねてある。今あらためて読み返した。
 

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