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中沢新一氏公開講座「神話の思考 国家の思考」 [思想]

このブログを私の書き覚えのようなつもりで書いているのですが、毎日何人かの方に訪れていただいているようなので、また昔のものを正気煥発板から掘り起こしておきます。

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 投稿日 : 2002/03/01(Fri) 01:23
投稿者 : めい
タイトル: 中沢新一氏公開講座「神話の思考 国家の思考」

昨晩、山形の東北芸工大で、中沢新一客員教授の公開講座があり、「神話の思考 国家の思考」というテーマに引かれ聴いて来ました。
東北芸工大では、赤坂憲雄教授を中心に「東北学」が提唱されています。中沢氏によると、その「東北学」とは、「日本や日本人に対して異を唱える視点」「国家相対化の視点」を探ろうとする学問であるとのことで、中沢氏の講義も「国家を持たない人々の長い歴史をたどることで、国家がどういう視点から生まれ、それを々受け入れていったか」を考えてみようというものでした。

中沢氏は「東北」を、日本の「東北地方」だけでなく、アイヌ民族からアリューシャン諸島を経てアラスカエスキモーそして北米大陸のインディアンまで広がる文化圏を対象に考えます。その文化圏は、カリフォルニアで発見された縄文土器と酷似した土器が発見されたことから、「縄文文化」として括られ、その特徴として、
1. 国家をつくらなかった。
2. 熊と鮭を主な獲物とする豊かな資源に恵まれ、発達した貯蔵技術によって富の蓄積があって階層化社会があった。
とされます。
では、階層化社会であったにもかかわらず、そこから支配者としての「王」が出てくることはなく、したがって「国家」が生まれなかったのはなぜか。氏は人類学者フランツ・ボアズが報告した北米インディアン、ツィムシアン族の祭祀に注目します。
ツィムシアン族は、夏の間はそれぞれの地縁共同体ごとのテリトリーに分散して、漁労・狩猟・採集の世俗的生活を送ります。しかし冬は一転、祭式の季節になるのです。秘密の結社が組織され、そこには夏の世俗的階層とはまったく別の聖的な階層があります。そこで象徴的なのが「人食い」と呼ばれるイニシエーション(加入儀式)で、全身口の「人食い霊」と一体化して、「人間を食べる」のです。この儀式によって、夏の「人間が動物を殺して食べた」ことが御破算になってしまう仕掛けです。またこの儀式によって、世俗的生活の中で育ったアイデンテティ、エゴや人格が巨大なものの中に呑み込まれてしまい、自然と共にある「真の自己」「裸になった自分」に向き合うにことになります。それは、「人間は自然を勝手にしてはいけない」「人間は宇宙の中で特権的存在ではない」ことを自覚することであり、「より深い認識」の獲得です。中沢氏は、仏教の思想はこの人食い思想の延長上にあり、この考えがアジアの思想の根源であると語られました。
さて、冬の祭祀のリーダーは、夏の到来と共にその支配力を失います。一方夏の地縁共同体を司る首長は、決して君臨しようとはしません。権力を自分の得になるように用いる事は決してありません。村人のためになることをすることが神様に喜ばれる事であり、村の平和を保つことができる人が首長の資格を持つのです。冬のリーダーと夏のリーダーが混同される事なく併存することが「王が発生しない」理由であり、したがって「国家」も発生しなかった。そのことで人間と自然の安定した循環システムが保障されてきた、そしてそれが「縄文人の知恵」だった。
アパッチ族の酋長ジェロニモは、白人との戦いの中で部族の連合を図ろうとした。しかし、自然と人間との安定した調和こそを至上とするインディアンの感覚は、部族連合の先にある危険を察知し、どうしてもそれを許さない。「国家」をつくることができなかったインディアンは、無法な白人騎兵隊の前に蹴散らされざるを得なかった。
「部族連合の先にある危険」、それは自然のコントロールを逸脱して物欲の限りを求めて増殖する「国家」という権力機構であり、「資本主義」であった。グローバル資本主義を乗りこえることができるかどうか、それこそが「東北学」の大きなテーマであろう、と見事に締めくくられたのでした。

ベストドレッサー賞も受賞されたという中沢氏、折口信夫やアイヌに伝わる興味深い神話なども援用しながらの多彩できらびやかな講義、聴衆はすっかり魅了され大きな拍手。終了後、氏の周りには若い学生たちの大きな輪ができていました。うーん。これでやられたんじゃあたまらない。東北を「反国家」「反天皇」の拠点にされかねない。

投稿日 : 2002/03/02(Sat) 02:44
投稿者 : トモケン
タイトル: Re: 中沢新一氏公開講座「神話の思考 国家の思考」

めい様

中沢新一氏の公開講座におけるツィムシアン族のお話、大変面白く感じました。
日本人がアイデンティティーを取り戻そうとするとき、そしてもし世界中の違った文化、文明を背景に持ち暮らす人々がその独自性を愛し、大切にして行きたいと願うならば、私たちとしましても少なくとも今現在よりは「土人」に戻らないといけないのかな、などと思います。
小林よしのり氏のゴーマニズム宣言がこのところ話題になっておりますが、氏の心の底にはそうした思いがあるのではないかと思えてきました。

戦争論2・第一章で小林氏は「アメリカよ驕るな!グローバリズムはついに破綻した!」と仰られています。そこで小林氏が本当に言いたかったことは、「世界中がアメリカ化したら、文化的にのっぺらぼうになってしまってつまらないじゃないか」ということのように思います。
たとえ西欧文明に比べ合理性や便利さに劣るものだとしても、地球上の様々な地域でそれなりに育まれてきた「文化」がグローバリズムによって忘れ去られるのはやる瀬無いということを、小林氏は訴えたいのではないかなと思います。

イスラムの教えが原理主義過激派によって世界中に押し付けられる心配を私はここの掲示板に書きましたが、しかしそんなことが現実になるとも考えられません。その前に全世界中が欧米化し、地球環境がどんどん悪化したら人類は滅亡してしまいます。だから小林氏は急いでいるのかな、と私は想像致します。「日本人にとって、そして他の文化圏の人々にとって、最高に幸せな事は何かを考えましょう。アメリカの一国覇権主義は許さないという前提で」というのが小林氏の気持ちではないかなあ、などと思いました。

 
投稿日 : 2002/03/02(Sat) 08:25
投稿者 : めい
タイトル: とりあえず

20年ぐらい前、中沢氏の「チベットのモーツアルト」によるデビューは、浅田彰氏のベストセラー「逃走論」と同じ頃でした。お二人ともポスト・モダンの旗手としてもてはやされたのを思い出します。当時ひとつのファッションになりました。両著とも結構面白く読んだ記憶がありますが、中沢氏がチベット僧のもとで修行したということへの関心のほか、今の自分には何も残ってはいませんでした。

このたび氏の話を聴きながら、天皇を戴く今の日本をどう考えるのだろうかを思っていました。感じ取られるのは、坂上田村麻呂による蝦夷征伐、その征伐された側に立つ視点です。この視点には、サヨク感覚が容易に共鳴してしまいます。「東北学」はこの流れの中にあります。この「東北学」を東北電力が強力に後押ししているようです。「東北ルネッサンス」と題する、「東北学」のリーダーである赤坂教授と五木寛之、井上ひさし、高橋克彦、高橋富雄、谷川健一、中沢新一、山折哲雄各氏との対談が、新潟を含む東北の県庁所在地で3月から9月まで、東北電力の主催で開催されます。山形は9月23日、井上ひさし氏で、テーマは「ふたたび吉里吉里へ」。反国家、反天皇、反秩序の言葉がばらまかれる事になります。東北に住むわれわれにとって、この感覚の広がりにどう対峙してゆくかが、もう思想的にはとっくに清算された左翼思想に対するよりもずっと大きな課題と、この度の講義を聴きながら考えさせられたところでした。今の流れにまかせれば、東北ではわれわれが孤立しかねません。

>日本人がアイデンティティーを取り戻そうとするとき、そしてもし世界中の違った文化、文明を>背景に持ち暮らす人々がその独自性を愛し、大切にして行きたいと願うならば、私たちとしまし>ても少なくとも今現在よりは「土人」に戻らないといけないのかな、などと思います。
>小林よしのり氏のゴーマニズム宣言がこのところ話題になっておりますが、氏の心の底にはそうした思いがあるのではないかと思えてきました。

そう思います。「理屈じゃない、ドトーのごとく!」というところにたまらなく共感してしまうのです。この度の脱会も打算のゆえとは思えません。身を捨てる思いを持つことのできる人と思います。「土人」の感覚を持った人です。それに対して「東北学」には、ポスト・モダンの果てに「土人」の感覚の在り処にたどりつきながら、その周りでウロウロすることしかできない情けなさを感じます。われわれの最大の武器は、自らを「自然」に食べさせてしまうことも厭わない「土人」性なのかもしれないと思いだしているところです。


 


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