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良寛さんと直江兼続公 [直江兼続]

4月前半、17日間病院のベッドで過ごすというかつてない経験をした。あわただしくなくゆっくり本を読むことができた。ほんとうに読みたい本というのがわかった気がした。ずっと本棚に積みっぱなしだった渡邊三省氏の『人間良寛』を読んだ。等身大の良寛さんが伝わってきた。南陽鷹の会で編集中の「出羽(いでは)まんだら里山暦」に、良寛さんの季節に関わる歌を引用させていただくことにした。そのあと鈴木由紀子さんの『直江兼続とお船』を読んでいて、お船の出家後の名と良寛さんの最後を看取った女性の名が共に「貞心尼」であることに気づいた。それに、良寛さんと深く関わったもう一人の女性維経(馨)尼が命を賭けて尽くした寺が、直江家が断絶したあと破却されて米沢から与板へ戻った徳昌寺であった。良寛さんは六十歳を過ぎてから米沢を訪れている。その目的は何であったのか。川内芳夫氏の『良寛―米沢道中の目的は何であったか』はもっぱら鷹山公だけで、このことについての言及はない。私には二人の女性との関わりを考えたほうが良寛さんらしいと思えるのだが。

以下は「里山暦」の内容とそこに引用させていただいた良寛さんの和歌。それとあとがきで書いた文。

   *   *   *   *   *
 

4、5月   熊野大社と宮内

 花ぐもの四方の山べにはた馳む春の心ぞおきどころなき

 いざ子ども山べに行かむすみれ見にあすさへちらばいかにとかせむ

6、7月   祈りの里   (白鷹虚空蔵尊・草木塔・市神様・宥明上人・・・)

 五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田すずしく風わたるなり

 くさのいほに足さしのべてをやまだのかわずのこゑをきかくしよしも

8、9月   滝の里 

 夏草は心のままにしげりけりわれいほりせむこれのいほりに

 あきの野の尾花にまじるをみなへし月の光に写しても見ん

10、11月  東北の関が原

 秋風になびく山路のすすきの穂見つゝ来にけり君が家べに

 よあらしにふりくるものは雨ならでのきばにつもる落葉なりけり

12、1月  作谷沢まんだらと四鷹山トレッキング

 山かげのまきの板屋に音はせねど雪のふる日は空にしるけり

 み山べの雪ふりつもる夕ぐれはわが心さへ消ぬべくおもほゆ

2、3月    くにのまほろば置賜と宮内六名木

 天が下にみつる玉より黄金より春のはじめの君がおとづれ 

 降り積みし高嶺のみ雪それながら天つみ空は霞みそめけり

(あとがき)

この里に手まりつきつき子供らと
    遊ぶ春日は暮れずともよし  良寛

◎里山の詩人 良寛(宝暦8年1758~天保2年1831)

 良寛は直江城のあった越後与板にほど近い出雲崎で生まれ、修行時代、漂泊時代をのぞき生涯の大半をふるさとの里山ですごし、多くの漢詩、和歌を残しました。雪国越後の季節感覚はわたしたちにも親しいものです。(参考:渡邊三省著『人間良寛』)

偶然なのかどうか、良寛の最後を看取った四〇才年下の女弟子と兼続の妻お船の出家後の名が同じ「貞心尼」です。さらには、直江家が絶えた後破却され、米沢から与板に戻った直江家の菩提寺徳昌寺は、良寛とは深く心を通わせあったもう一人の女性維経尼が生涯を懸けて尽くした寺でした。良寛は六十歳を過ぎてから米沢を訪れていますが、あるいはこれらのことと関わりがあったのかもしれません。


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