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<追悼 井上ひさしさん> 「きらめく星座」観劇記  「生真面目」の復権 [井上ひさし]

井上ひさしさんが亡くなりました。昭和57年の夏、小松の学校の体育館で講演された時からのご縁があります。いや、さかのぼれば学生時代「手鎖心中」を読んだときからといえるかもしれません。その時、井上さんが小松生れであることはまったく知りませんでしたが。


井上さん関わりでいろいろ書いていました。

まず、昭和60年11月16日の「週刊置賜」に書いた「きらめく星座」の観劇記です。


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「きらめく星座」観劇記

「生真面目」の復権

        

開幕の十数分前、劇の舞台となる昭和15年当時の流行歌のメロディが静かに流れ出した。この音楽に誘われて、会場の中にまでひきずりこんでいた普段の暮しの気分が、演劇を観てるのだという気分へと変わっていくのを感じた。そのとき、これが「文化」というものか、ふとそんな気がした。「文化」を「東京」と言い換えてもよかったかもしれない、そんな雰囲気が漂った。子供の頃、東京からの汽車を見て、この線路がず-つと東京まで続いているんだなあと思った時の感慨に似ていたといえなくもない。そして、われわれ置賜人のために井上ひさし氏が果たしてくれつつある役割といったことも頭をかすめたのだった。さて、幕が開く。

 

名古屋章粉する傷痍軍人小笠原源次郎の登場と共に舞台は俄然盛り上がっでくる。当時のハイカラ最先端のレコード屋オデオン堂と帝国陸軍軍人(であった)小笠原源次郎の対立のドラマは、作者でありまたこの劇を演出した井上ひさし氏の内部の葛藤も垣間見せながらわれわれ観る者にいろんな問いかけを発しつつ迫ってきた。
観客が一様に固唾を呑んで視つめる場面が第一幕の終盤であった。当時としては重罪に価する脱走兵であるオデオン堂の息子正一を追う憲兵が、正一のものと見られる帽子を見つけて、オデオン堂の入婿源次郎につめ寄る。

「あなたなら帝国陸軍軍人の名誉にかけても嘘をおっしゃらんでしょう。小笠原正一砲兵一等兵はどこにいますか。」

この場面のすぐ前で、その晩に限り正一をかくまうことを了承している源次郎は、家族と憲兵との狭間で葛藤する。そして緊張の葛藤の末、
「帽子を拾っていただいてすまんです。」と帽子が自分のものであることを表明する。」
「自分は帝国陸軍軍人でありました。そして精神はいまでも帝国陸軍軍人であります。この手牒に戦陣訓が載っておりますが、そこにこうあります。『諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ』と。自分はこれを座右の銘としておる。・・・義弟はきておりません。」

憲兵の去った後、源次郎は深く肩をおとして言う。
「生まれてはじめて陛下にたいして嘘をついてしまった・・・。」

劇全体からすれば、この場面は本来「愚かで忌わしき軍国主義の時代、真面目で心優しき故に順応する源次郎の哀れさ、滑稽さを描いた場面」とでもいえようか。ところがこの場面を観て感じたのは決して哀れさ滑稽さではなかった。むしろ感動的ですらあったのだ。他の登場人物に比べての人間としての源次郎の上等さが際立って印象づけられることになったのだ。これは一体どういうわけなのだろうか。

あるいは私ひとりの勝手な思いこみであって、それを土台にあれこれ言うのもどうか、という気がしないでもないのだが、いずれ感想は個人的なものなのだ、と開き直って言えば、あそこで描かれた源次郎は、あの状況下だからああなのだという相対的な人間像なのではなくて、いつの時代にも通用する絶対的人間像なのではないだろうか。それゆえに、あの場面は源次郎その人で完結してしまい、作者(=演出家)が意図していたかもしれない「戦争という状況」にまで関心が及んでゆかない。そして、その意図がどうあれ、源次郎をああいう形で描いてしまうところに、われわれにとって親しい井上ひさし氏の本領を見るような気がするのだ。

と、こんなことを考えていた折も折、我が意を得た次の様な文章の紹介記事に新聞で出合った。
「今日の小学校では、真面目であることがいじめられる原因になることが少なくない。真面目で物事にも熱心な子どもは『マジ』というからかいと軽蔑の言葉で呼ばれる。真面目であることが、からかいや軽蔑の対象となった社会は、かつてこの地球上になかったのではないか。なるほどユーモアやエスプリが、真面目を笑いの対象とすることはあった。しかし、それは真面目すぎるために気がきかないなど、他の欠陥があったからで、真面目そのものが否定されることはなかったのではないか」

つまり、源次郎のなにに感動したかといえば、あの「生真面目さ」にだったのではなかったか。いまや教育現場ではいじめの対象にさえなっているという「生真面目さ」。そうしたいまの時代の中で、源次郎の「生真面目さ」もあるいは茶化されかかっていたのかもしれない。しかし、それを茶化しきれずに逆に感動的にしてしまうところに、井上ひさし氏の「生真面目さ」を見た、といったら考えすぎだろうか。考えすぎついでにさらに言えば、あの「生真面目さ」はかなりの程度東北的である。いま「東北の時代」になりつつあるとしたら、その東北を東北たらしめるのはあの「生真面目さ」を措いて外にない。その意味で、東北の「生真面目」のシンボル的存在である宮沢賢治の「星めぐりの歌」が劇中歌として大切そうに披露されたのは、この舞台にとってなんと象徴的であったことか。

いずれにせよ、置賜が生んだ井上ひさしという大きな存在からの大量のメッセージを、われわれに伝えてくれていった「きらめく星座」の舞台でした。

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めい

酷評がありました。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51820977.html

ララビアータ
田島正樹の哲学的断想

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2009年05月17日
井上ひさし『きらめく星座』

 天王洲の銀河劇場で、井上ひさしの『きらめく星座』を観た(こまつ座・ホリプロ 栗山民也演出)。井上ひさしの作品を実際に通して観たのは初めて。
 今回じっくり観て「これが演劇か?」とあきれた。
 演技や演出については、特に言うべきことはない。どれもうまいというわけでも奇抜というわけでもないが、まあそれなりに努力はしているのだろう。この台本では、どのように努力しようといたしかたがないだろう。
 人物造形はやりきれないほど類型的で、紙芝居のようにどれも薄っぺらく、ウソくさい。社会的背景もげんなりするくらいステレオタイプ的な描き方で、リアリティも生活臭もまるでない。要するに、クリシェしか言わない人のたわごとを聞かされているようで、演劇の精神にことごとく反するものばかりで、しまいには腹が立ってきた。

 これを見て、実際に当時の戦争を経験した人々はどう感じるのだろう? 私は当時が実際どうであったかを語る資格はないが、こんなものではなかったということは、はっきり断言できる。およそ、人間の社会である限り、こんなものであるはずがない。軍人も庶民も男も女も、人間である以上、こんなものであるわけがない。
 井上ひさしの劇が〈嘘〉なのは、それが〈今〉を感じさせない点にはっきり現れる。観客は、「当時は、そんなものだったのだろう」と漠然と感じ、「あんな世の中でなくてよかった」と安堵するだろうが、それがそもそも嘘の嘘たる証拠なのである。もしそれが、当時のなにがしかの真実を浮き彫りにできているものであったなら、観客は決して「当時は、今と違ってひどい時代だったのだな」などとは感じるはずがない。むしろ、「当時も今も、本質的に全く同じだったのだ!」と感じて戦慄を覚えるはずである。たとえば、大西巨人の作品を読めば、誰でもそう感じる。これが一流と四流との違いだ。カフカの作品を読んで、「当時のプラハはひどかったのだ!」などと思うトンマな読者は、いるはずがない。「軍国日本」と「民主日本」の違いを強調するそのことだけで、そんなものは存在価値があやしいことがわかるのである。
 出だしから、セリフが妙に説明的なので、わざと前衛的「異化効果」でも目指しているのかなと思ったら、要するに井上ひさしにはテンから演劇的セリフ回しの才能が欠けているにすぎぬことが、すぐわかった。どのセリフも、まるで三流学者の書いた歴史教科書のように響き、登場人物の間の会話で間接的にドラマの人間関係が浮かび上がることもなければ、セリフの意味の多重的含蓄が示されることもない。つまり、登場人物の何気ない一言の深い含蓄を味わうような経験がないということだ。
 滑稽さを狙ったところも、わざとらしく安手の笑いを取ろうとする意図があまりにも見え透いているために、下手な芸人のネタを見せられているようで、一度も笑えなかった。たとえば、蓄音器の中に隠れた脱走兵(正一)がごまかそうとしてその中でレコードの物まねで歌う場面で、どうして笑えるだろう? 井上ひさしは、観客の知性を見くびっているとしか思えない。
 どうにも笑えないコントの合間に、通俗センチメンタリズムと安手のイデオロギー(人生論)の説教が、交互にさし挟まっている。
 せっかく身ごもった女(みさを)が、世の中が真っ暗だというだけで(はたして本当に「真っ暗」か?)、子供を下ろそうとするというのもばかばかしい話だが、それに対して、宇宙の中に地球や生命や人類が誕生したのが「まことにまれな奇跡」だ、という通俗科学読み物風の説教を聞くだけで、気持ちが変わるなどというメロドラマにもうんざりする。宇宙や生命の話が全部真実だとしても、それが主人公や我々観客にとって何の関係があるのか? たとえば、これから死のうとしている人に向かって、そんな話に何の説得力があろうか? 所詮そんな話は、ドストエフスキーが「二二んが四」と呼んで軽蔑したものにすぎないではないか?
 そういえば、脱走兵の正一は、いろいろ転職を繰り返した後、上海航路の汽船の中で日本の軍人や民間人がさらす狂態をつぶさに見て、つくづく日本人が嫌になり、絶望の余り憲兵のところへ出頭して刑に服そうとする。この安直な展開には、呆れてものが言えない。逃亡兵が絶望するにしても、もっと別の絶望があるだろう。「スパイ」や脱走兵に対する敵意や警戒心は、官憲よりも庶民感情自体の中に一層厳しく存在したはずである。
 井上ひさしには、脱走や逃亡生活がいかなるものなのかの想像力もなければ、軍法会議や受刑者の立場へのリアルな実感も欠けている。悪い奴は、上層軍人かひとにぎりの戦争成り金だけで、陽気で無邪気な一般庶民はみな被害者にすぎないかのようである。滑稽味を出そうとして、わざとそうしているつもりなのかもしれないが、現実の軍・警察の官僚組織や「あぶれ者」に対する地域社会の庶民の過酷さに対するリアルな目が欠けた所で、いくら軽味を出そうとしても、おふざけが過ぎたドタバタが残るばかりである。昔のドリフターズのように、当人たちだけ妙に明るくはしゃいでいるが、ちっとも面白くはない。要するに、井上ひさしは人生を見くびっているのだ。

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この田島先生、ごく最近、山形新聞に書いておられました。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/2013-10-01.html

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山形新聞(9月28日)のコラム「ことばの杜へ」に、投稿した。 

「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生した。」    坂口安吾「堕落論」

「堕落論」と聞けば、戦後無頼派、デカダンの類と誤解されかねないが、坂口安吾(1906~1955)の論旨は、いたって健全な良識を語って揺るがない。時流に乗ってさっそく看板を書き変えたペンキも乾かぬ内に、またぞろ旗をふってひと儲けを狙う連中に対して、安吾の舌鋒は鋭い。要するに、生活する人間の基本を見据えて、中身のないお題目や道徳的たわごとの空疎さを、暴き出してしまうのだ。

別のエセー(「青春論」)では、宮本武蔵の剣法を、「試合に先立って常に細心の用意をしている」が「いよいよ試合に臨むと、更に計算をはみ出したところに最後の活を求めている」と実践的な即興性を強調する。「五輪書」に見られるような、もったいぶった人生論など歯牙にもかけず、生き死を決する現場の人間の真実に目を注ぐ。安吾の言う「淪落」とか「堕落」とは、道徳的決まり文句や世間体から自由な、臨機の即興のことなのだ。

笛や太鼓で戦争を囃し立てたあげく、我が国は根元から路を誤った。安吾自身が認めているように、戦争の中にも、夢や陶酔や美さえもなかったわけではないが、そこには何より真実が欠けていた。端的に言えば、嘘と欺瞞で満ちていた。戦後の焼け跡においてはじめて、生活の実相を見つめるリアリズムがよみがえったのだ。

宴のあとの如き廃墟の瓦礫の中から立ち上がった人々に、安吾の醒めた批評精神はさわやかな勇気を与えたものである。お偉方たちの賢しらな御託宣や建前を信用してはならず、各人の生存の真実に思考の基礎をおかねばならないのだ。東京五輪を巡る、昨今の醜悪・愚劣この上ない狂騒に対しても、それは幾ばくかの鎮静効果をもたらし得るかもしれない。

by めい (2013-10-13 04:12) 

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