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助かった! [副島隆彦]

今朝起きてすぐ東京消防庁レスキュー隊の会見の様子を見た。これまで出てきた人たちとまるで面構えが違っていた。胸が熱くなった。そして副島重掲板の副島先生の報告を読んだ。

「助かった」ことを知った。

 

17日の時点でわかっていたのだとのこと。円安への転換、仙谷の副官房長官起用はリンクしていたのだ。このままでは日本は「属国からの自立―独立」の大切なチャンスを逃す。立ち上がるべき秋(とき)だ。何をすればいいのか。

 

大東亜戦争の死者、兵員230万名、民間人80万名 合わせて310万名、この犠牲の上に日本の戦後はあった。夢のように65年有余を過ごしてきた。今さら何事もなく3.11以前の暮らしに戻れるとは思わないほうがいい。3.11地震と大津波、そしてその後の原発の恐怖は、日本独立運動開始のきっかけを与えてくれた天の配剤と考えたい。このたびの震災の数万に及ぶ犠牲者の無念の思いを「日本の独立」によって晴らしたい。副島先生には「民間戦略家」として、その流れをつくる役割が与えられていると確信した。

 以下、副島報告です。

(転載はじめ)

[295]強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。  投稿者:副島隆彦  投稿日:2011-03-20 06:39:11     

 

副島隆彦です。 今は、2011年3月20日 午前12時10分です。 すなわち、19日から20日に変わったばかりです。

 

 私は、福島第一原発から8キロメートルのところまで行きつけました。

下の、「292」番で、アルル君が、私からの電話連絡を、緊急の報告文にして載せたとおりです。

 

 私は、この原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h であることを、自分の目で目視し、確認しました。

 

 ですから、3月11日から、日本民族に襲い掛かった危機である巨大惨事の大事故は、大きなところでは終息に向かうと確信しました。 地震・津波の惨事よりも、放射能汚染と、被曝が、日本国民すべての体に襲い掛かることが、ものすごく恐ろしいことでした。この巨大な日本民族の存亡の危機から、私たちは、何とか逃れることができました。

 

 学問道場の、会員のみなさん、喜んで下さい。もうこれ以上の放射能の飛散は、ありません。微量の放射能の拡散には、私たちは、健康のままあ、耐えて行けます。全国の空に広がっている、こんな微量の2~10マイクルシーベルト毎時(2~10μSv/h)の 放射能なんか、私たちは、がぶがぶ食べて、慣れきってゆけばいい。いちいち、微量の放射能の飛散になど、もう、私たちは、怯(おび)えてはいけない。 私は、自分の体で現地まで到達し、このことを確信しました。

 

 私と弟子の勇敢な石井利明(いしいとしあき)君は、無事、郡山市(福島第一原発から、真西に55キロの地点にある 大きな都市。新幹線が停まる) のホテルに帰着しました。

 

 副島隆彦は、弟子の石井君と、 19日、早朝から、動き出して、死ぬ覚悟で、福島第一原発を目指しました。 放射線量(ほうしゃせんりょう)250ミリシーベルト毎時( 250mSv/h)までは、突き進む、と私は密かに決めていました。

 

 私は、自分が言い出した、福島第一原発の4つの事故原子炉に向かう一般国民の決死隊の運動を推進するために、(副島隆彦です。このあと、激しいし睡魔が来て、今、午前3時に起きました。)

 

 自分が責任者として、事故現場の状況を把握するために、原発の現場に向かいました。事故原発の現地までの到達して、真実を把握するまでの経緯を、ぼろぼろに疲れ切っていますが、報告します。

 

 私、副島隆彦が、福島第一原発の巨大事故を、3月12日の午後6時に、日本民族の存亡に関わる重大事だと判断したのは、それは、飛散して空中に広がる強い放射能が、事故現場から200キロメートル離れている東京(および首都圏)まで、到達することがあると、500万人ぐらいの日本人の幼児、子供、青少年、とくに少女たちが、甲状腺異常や、白血病に罹(かか)って死亡する、という大凶事になると考えたからです。私は、この一週間、このことを考えると、全身が震えていました。

 

 そして、私は、自分の 現地視察で、この事態は、避けられて、この凶悪事故は回避されたのだ、と鋭く、判断しました。私自身が持つ、予言者と、霊能者と 占い師・呪(まじな)い師としての、才能によってです。

 

 16日に、アメリカ政府が派遣した原発事故の調査団34名、とIAEA(アイ・エイ・エ・イー・エイ、国際原子力委員会)の調査団12人は、この真実を、17日の夜には確認したようだ。 フランス政府派遣のの検査官たちはまだ知らないようだ。

 

 私は、自分の体を現地に投入することで、自分で放射能汚染と被曝のモルモットになる覚悟で、真実を知りました。それが、私が、19日の午後1時43分に、富岡町(とみおかまち)まで到達して、福島第一原発から8キロの地点で、現認確認した事実です。 

 

 このことを、弟子のアルル君に、携帯電話で伝えて、急いで、学問道場の重たい掲示板に書き込んでもらいました。それが、重掲の午後3時27分の報告文です。

 

 ここに行き着くまでに、事故原発(4基)から30キロ地点で、完全な放射能防護服を着て車両を運転して、事故現場から全速力で走ってくる車などとすれ違いました。20キロ地点でも、まるで、月光仮面のような、イスラム教徒のブルカのような別の防護服を着た乗員を載せた警察の車が、すれ違って行きました。私たちは、それらの厳しい任務を帯びた緊急車両からは、まったく規制されませんでした。

 

 私たちは、チャーターしたタクシーで、どんどん東に東に向かい、事故原発から丁度30キロ地点にある大滝根山(おおたきねやま、1192メートル)が、「ここが、NHKが、映像を送り続けている、あの4基の原発を映し出している高性能の望遠テレビ・カメラの設置場所だろう」と感づきました。

 

 そこには、自衛隊の電波通信塔があります。私は遠くからその大滝根山の全貌の写真も取りました。その山を目指しましたが、途中で通行止めになっていて、中腹以上には行けませんでした。それで、そのあたりの行政区分である滝根町(たきねちょう)を通過して、さらに東を目指しました。

 

 次の川内村(かわうちむら)は、30キロ圏から、20キロ圏にまで差し掛かっています。地図帳で確認しながら、進みました。あたりは過疎の村で、住居が散在していましたが、避難地区に指定されているので、次第に人影はなくなってゆきました。30キロ地点で、熊本県警から派遣された警察官に、制止されましたが、決して、「それ以上、行ってはゆけない」とは言われませんでした。

 

 「現地調査の為に来た」と言ったら、なんと、あっけなく通してくれました。ですから、そこから先は、富岡町(とみおかちょう)でした。そこは、福島第一原発のある大熊町(おおくまちょう)の南隣で、そこから10キロ南の海岸線に、福島第2原発があります。

 

 富岡川の渓谷に沿って原発専用道路を走り抜けたら、突如、渓谷に架けられた大橋が現れて、その向こうに、福島第一原発そのものが遠景として出現しました。私たあちは、オウ、と感嘆しました。それを、望遠レンズ付きの高性能カメラで、撮影しました。地点は、原発から8キロの地点です。

 

 ここでも、月光仮面のようなサングラスをかけた防護服を着た乗員の車両が通り過ぎました。私と石井君は、これらのすべてのポイントを、手持ちのガイガーカウンターで、放射能の線量を計測して、写真に収めました。それらを、石井君が、どんどん、私のこの文の途中、途中に張り込んで載せるでしょう。

 

 私たちは、「もうこれ以上は、緊急車両ではない普通の国民では、現場に接近できないだろう」と判断して、この8キロ地点から、南に向かって、被災地である いわき市を目指しました。やがて、30キロ圏の外側に出ました。いわき市の平(たいら)という商業地区を通り過ぎて、海沿いに向かいました。

 

 そこには、延々と、海沿いに 自動車と家の残骸が散乱し、多くの漁船までが、陸地に横たわっている、例の光景でした。そこから海沿いに、北上して、再び、原発を目指しました。道路は応急で復旧しており、風向明媚(ふうこうめいび)の景勝地(けいしょうち)を激しく破壊しているなかを、どんどん北に向かいました。

 

 第2原発から20キロ、第一原発から30キロの地点の、久ノ浜(ひさのはま)の不明昨(ふみょうさく)という地点で、警察の検問があり、ここで通行止めでした。3人の、ここも福岡警察からの派遣の警官たちが緊急車両以外の通行を封鎖していました。

 

 多くの被災者は、避難場所か、親戚の家に、避難していますから、30キロ圏から内側は、ほとんど蛻(もぬけ)の殻(から)で、あたり一面は、ガラーンとしていました。そこから、南に向かい、小名浜(おなはま)の大きな漁港に行きました。

 

 ここでは、遠洋航海用の、おそらく500トン・クラスの大型漁船が、何十隻も、あたり一面に、護岸や、波止場のコンクリートの護岸の上にまで、乗りあげている例の異様な光景でした。 日没と共に、暗くなりましたので、私たちは、目的を達成したとして、国道49号線沿いに、郡山(こおりやま)市まで約70キロメートル引き返し、途中で電話予約したホテルに到着しました。

 

 前日から、この19日の現地調査の朝までは、「自分は、放射能汚染で被曝しても構わない。それでも原発事故の現地で、行けるとことまで行く」と決心していました。それでも、100ミリシーベルト毎時(100mSv/h)の数値が、自分のガイガー・カウンターにあらわれて、激しく、ガーガー鳴るようだと、同行してくれた弟子の石井君を守るために、現地から、即座に退却するという計画でした。

 

 この事故現場の50キロ圏の現地入りが、出来たのは、ガイガー・カウンター(15万円)を私が数年前から所持していたからです。この「放射能に対してガーガー音がする計測器」が有ったので、現地で出会って、事情を話して、チャーターした地元の郡山の最大手の西条(にしじょう)タクシーの運転手の**さんを、説得できなかったでしょう。

 

 「原発の近くまでは、ものすごく危険だから行かないよ」と、誰でもが言うことを、彼も初めは言っていました。それを、少しずつ説得して、原発の事故現場の近くまで接近できたのは、やはり所持したガイガー・カウンターがあったからです。車を走らせながら、試標(サンプル)となっている、これも持参したラジウム鉱石で、「ほら、このように、健康浴場のラジウム温泉のラジウムでも、80マイクロシーベルト毎時( 80mSv/h ぐらいの数値が出ているでしょう。

 

 だから、この辺の 8マイクロシーベルト毎時なんか、ちっとも怖くない。私は、このラジウム鉱石をベッドで抱いて寝ている」と、運転手を説得しながら、どんどん原発まで近寄ってゆくことが出来ました。

 

 普通の車は、あたり一帯で、ガソリン不足で、悲惨な感じになっていました。巨大地震が襲った3月11日の午後2時46分から、1週間がたっていました。ガソリン不足は、東京でも深刻でした。スタンドの前には、どこも数百台の車が並んでいました。

 

 ひどいところでは、おそらく10時間以上も待つしかない、という場所が、東日本の被災地のほとんどで見られた光景です。ですから、私と一緒に来てくれた弟子の石井君の車を使って、行くわけには、ゆかないのです。普通の車両だと満タン状態で、300キロぐらいしか走れません。

 

それに対して、タクシーは、LPガス(液化プロパンガス、石油から作る)だと、満タンにして80リットルで、500キロぐらい走行できる。タクシー業界は、一般自動車が、ガソリン不足で、今も、ひどく苦しんでいるのと違って、それぞれの地区のタクシー業界で、LPガスの供給量を、強靭(きょうじん)に 確保している。さすがわ、プロウの 輸送業界である。

 

 原発から周囲50キロの地域は、多くの人が避難していて、生活基盤(ライフライン)が壊れていますから、途中でガソリンが無くなることは、その車と共に立ち往生して、移動・活動の死を意味します。それで、タクシーをチャーターすることにしたのです。

 

 いくつもの幸運(検問所を、上手に越えられたことを始め)に恵まれて、原発から8キロの地点まで行って、目撃できました。そして、放射能の数値を計測できました。このガイガーカウンターが無かったら、とても原発まで、前進できなかったでしょう。

 

 私は、今度の凶悪な原発事故は、終息に向かうと確信しました。消防と 自衛隊による放水による使用済み核燃料プールへの給水と、電源盤を設置してECCS(イー・シー・シー・エス、緊急の炉心冷却装置、エマージェンシー・コア・クールダウン・システム)を回復する東電やほかの電力会社の電気工事人たちの頑張りで、危機は19日に、峠を越しました。

 

 もう、核分裂の進行も、メルトダウン(炉心溶融)の進行も、再臨界(さいりんかい)も、水蒸気爆発も起きないでしょう。日本国民は、存亡の危機から救われました。

 

 私は、巨大事故原発の現場まで来て、そのことを体で確信しました。なにごとも現地までまできて、実際に自分の体で調べないと分かりませ。もっと早く、あと2日、はやく、現地に入(はい)るべきだと、あとで反省しました。

 

 しかし国会議員たちを説得して、現地視察をすることの重要性を分かってもらうことと、防護服を手に入れようと手を尽くすことで、私は、17日、18日の 丸2日間を、使ってしまいました。しかし、この準備期間も仕方がなかった。

 

 東京にまで、飛散して、空から襲ってくる「目に見えない凶悪な物質」である放射能( レイディオ・アクテビィティ。それに対して、放射線=ラジエイション や、中性子や、プルトニウムの微粒子は、事故の現場でほとんど消滅する)の拡散ぐらい怖いものはない。

 

 福島第一原発から200キロ離れた地点にある東京にまで、1986年のチェルノブイリ事故と同じような、強度の放射能が降り注ぐようだと、本当に、特に幼児・子供と少女たち、数百万人が、ひどい病気を抱える。チェルノブイリ事故では、ウクライナから、さらにベラルーシ(白ロシア)に、まで、300キロも強度の放射能が飛散した。

 

 それで、事故から10年たって、何千人ものたくさんの少女たちが、喉(のど)と首のあたりを手術して、肥大した甲状腺を切除手術するという、悲惨極まりない最悪の凶悪事となるところであった。日本国民は、すんでのところで、救われた。 

 

 この事故を起こすに至った、東電幹部たち(は、その歴代の幹部たちを含めて)の責任は、どうせ、このあと厳しく追及される。「15メートルもの高さの津波が、堤防を越えてくることには、備えと対策が考えられなかった。1000年に一度の大災害だ」という言い訳(責任逃れ)ではどうせ済まない。

 

 今度の放射の漏れの事故の 恐怖 の凶悪事は、戦争が始まる ことよりも恐るべきものだった。国家間の戦争は、人間が起こすことだから、なんとかなる。戦争は、職業的な戦闘員(兵士)たちが多く死ぬだけだ。それに対して、今度の原発事故は、すべての人間に、放射能漏れによる 核汚染と被曝(ひばく)が、襲い掛かる、という、人間世界にとっての最悪の事態だった。

 

 「民間人の国家戦略家」をずっと自称してきた私としても、この異常事態には、本当に参った。この1週間、本当に悩み苦しんだ。そして、この凶悪事は、すんでのところで回避され、やがて過ぎ去ってゆく。日本国民は、地獄の淵から救われた。

 

 放射能汚染は、福島県の現地だけで、事故原発の周囲、20キロぐらいの範囲で、大きな悲劇として今後も続いて行く。福島第一原発のある大熊町(おおまちょう)の北隣りの双葉町(ふたばちょう、原発から丁度10キロ以内)は、行政機能ともども、埼玉県のおおみや市に、19日から移動してきた。

 

 この町の人口が1万5千人ぐらいの町だが、そのう今後も放射能の汚染が続いても、現地に居残ると決めた老人たち半数を残して、3千人ぐらいが、さいたまアリーナに、“原発避難民“となって集団で移動してきつつある。この巨大スポーツ施設は、被災者一万人を収容できる。そして、このあと、大きな災害対策の問題が続いて行く。大地震の余震(よしん)は、まだ日本全土で、恐怖されている。

 

 福島県は、日本国内だけでなく、世界中から、「放射能で汚染された県」という偏見と、「風評被害」で、これからも苦しんで行く。 福島産の魚貝類と、米・野菜・果物は、売れなくなる恐れがある。そのことが、今後、ものすごく怖いことだ。 

 

 私は、今、福島県の現地にいて、「この原発事故から、福島県は、すぐに立ち直らなければいけない」と、強く思った。 「福島県が、今も、味わっている、そして、これからも長く味合うことになる、 放射能漏れは、たいしたことないのだ」 と、私は、まず自分が、急いで、言い始めることが、大事だと、今、強く感じている。 空中や雨の中に飛散している放射能の、2.5マイクロシーベルト毎時ぐらいは、人間の生存と、生活にとって、どうということないのだと、私は、敢(あえ)て断言する。

 

 私が、時々、抱いて寝ているラジウム鉱石は、88マイクロシーベルト毎時(88μSv/h)も ある。 だから、2~10マイクロ(μ)シーベルト毎時 ぐらいの放射能は、幼児や少女であっても、普通に背負って、健康に生きて行ける 数値なのだと、私たち、日本人は、今後は、居直って、生きて行く国民になるべきだ。

 

 そうしないと、日本国民全員が、今度の原発事故で、「日本人は、放射能汚染された国民だ、民族だ。日本は放射能で汚れた国だ」と世界から言われ続けることになる。私たち日本人は、強くならなければ生きて行けない。

 

今も大地震の余震が、全国各地で、続いている。震度3ぐらいは平気だ。 震度4でも5でも、6でも、家は壊れないと日本人は皆で、分かったののだから、もうそれを恐怖しないで、平然と生きて行ける民族、国民にならなければならない。 

 

 今度の大地震の 激甚被害 は、岩手・宮城・福島(ほとんどはこの東北3県だ)だ。福島県の人たちは、今も、平然として生きている。震度6でも木造の家でも、ほとんど何事もないように耐えている。津波の被害も海岸線の住宅や港湾に対して凄(すご)い。しかし、地震と津波の自然災害にも、私たちは、平然と耐えてゆくしかない。

 

 たとえ今度の津波の死者は3万人を超えるだろうが、この事実を平然と乗り越えて行くしかない。だが、放射能の拡散による数百万人の若い国民への重大な健康被害(発病)という恐るべき ‘人災’凶事に対しては、私たちは、本気で、「原発による発電を、徐々に減らしてゆく」という選択をしてゆくしかない。

 

 アメリカ合衆国に 日本( 政府、大企業・金融機関、そして金持ちの個人)が貸し付けている1千兆円のうちの 「200兆円ぐらいを、すぐに返してくれ。復興資金として、どうしても必要なのだ」と、アメリカに要求しなければならない。

 

 ところが、ヒラリーと仙谷由人が、さっさと、17日に、「日本政府は、アメリカ政府に対して、日本が保有する米国債を売却しない。その代りに、アメリカは、日本に、最高度の核技術の大支援を与える」という密約が成立したようだ。 それで、仙谷由人は、突如、官房副長官となって、復帰した。

 

 それと、G7(ジー・セブン)による、為替市場での「円買いドル売り」の各国の中央銀行による協調介入が行われた。これらの動きは、すべて連携されている。

 

 アメリカの最高度の政治権力と金融財閥たちは、17日に、福島第一原発の危機は去った、と知った。 私、副島隆彦が、福島の現地で、19日に、自分の体を使って、現地投入して、体感と霊能者としての能力で、この真実を知った。どうしても、このことは公然と書いておかなければならない。私は、日本の国家戦略家として、先に、先に、事態を読んで、予測してゆくしかないのだ。

 

 強度の放射能による東京(首都圏)汚染と言う巨大な凶事の、地獄の淵から、寸(すん)でのところで、 とりあえず逃げ延びた日本国と日本民族  万歳。 苦難は、これからも続いて行くが、それでも私たちは、雄々(おおおお)しく、生き延び続けなければならない。 私も、生き伸び続ける自信が湧いてきました。福島の現地で、淡々と生きている福島県人の強さに、一番、大切なことを、私は、自分の体で学びました。 

 

地獄の淵から逃れた、日本国、万歳。   副島隆彦拝  

(転載おわり)

 


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めい

123さんという方から「副島先生は勘違いされています。安心なんかまだできません。」というメールをいただいた。。本文には「副島先生は単位を良く理解されていません勘違いです武田邦彦先生の見解を見てくださいhttp://takedanet.com/ 」とあった。

次のように返信を差し上げた。

メールありがとうございます。

<私は、この原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h) であることを、自分の目で目視し、確認しました。>

<「原発の近くまでは、ものすごく危険だから行かないよ」と、誰でもが言うことを、彼も初めは言っていました。それを、少しずつ説得して、原発の事故現場の近くまで接近できたのは、やはり所持したガイガー・カウンターがあったからです。車を走らせながら、試標(サンプル)となっている、これも持参したラジウム鉱石で、「ほら、このように、健康浴場のラジウム温泉のラジウムでも、80マイクロシーベルト毎時( 80mSv/h) ぐらいの数値が出ているでしょう。>

たしかに「ミリ」と「マイクロ」の混同があります。ここは「μ」とすべきを「m」にしてしまったのではないでしょうか。

また、8キロ地点15マイクロシーベルト毎時は、131.4ミリシーベルト/年間になりますね。

<学問道場の、会員のみなさん、喜んで下さい。もうこれ以上の放射能の飛散は、ありません。微量の放射能の拡散には、私たちは、健康のままあ、耐えて行けます。全国の空に広がっている、こんな微量の2~10マイクルシーベルト毎時(2~10μSv/h)の 放射能なんか、私たちは、がぶがぶ食べて、慣れきってゆけばいい。いちいち、微量の放射能の飛散になど、もう、私たちは、怯(おび)えてはいけない。 私は、自分の体で現地まで到達し、このことを確信しました。>

「2~10マイクルシーベルト毎時」は、17~87.6ミリシ―ベルト/年間です。

私も重掲板で知って、武田邦彦先生のブログをずっと見てきました。
武田先生は、

<一般人が年間に被爆しても大丈夫な量は1ミリシーベルトとされていますから、1000÷160=6時間となり、福島原発の北側30キロにいる人は7時間だけそこにいたら一般人が1年間で浴びていいという。基準値を超えることになります。

これがなんで健康に影響がない数値といえるのでしょうか? 東大の専門家は何を考えているのでしょうか?

それは現在の基準がおかしいと心の中で思っていることと、本当のことをいうとパニックになる可能性があるので、東大の先生のような社会の主導者は本当のことは言わなくてもよいという気持ちがあると推定されます.

例えば、放射線の作業者は年間で50ミリシーベルトの放射線暴露が認められています(一般人の50倍)。また、一度に強い放射線を浴びたときより、弱い放射線を7時間浴びた時の方がダメージが小さいという知見もあるからです。>(原発 緊急情報(14))http://takedanet.com/2011/03/14_9fe6.html

と言われています。つまり「一般人が年間に被爆しても大丈夫な量は1ミリシーベルト」「放射線の作業者は年間で50ミリシーベルトの放射線暴露が認められています」とのこと。17~87.6ミリシ―ベルト/年間は放射線作業者の基準の2倍以内です。

<副島隆彦は、弟子の石井君と、 19日、早朝から、動き出して、死ぬ覚悟で、福島第一原発を目指しました。 放射線量(ほうしゃせんりょう)250ミリシーベルト毎時( 250mSv/h)までは、突き進む、と私は密かに決めていました。>

この覚悟からすると、15マイクロシーベルトはごく小さい数字に思われたのでしょう。

計算等に間違いがありましたらご指摘願います。

ただ、飯山一郎さんが警告を発しておられます。転載しておきます。

(転載はじめ)

◆2011/03/20(日) 副島センセが安全宣言! (爆)
福島原発から8キロの地点で,副島隆彦が“啓示”をうけ,従来の自説を撤回した!
どんな“啓示”をうけたのか?
まずは,副島の“現場からの報告”.
これは,[悪い意味] で読んでみる「価値」がある.↓

 私は、この原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h) であることを、自分の目で目視し、確認しました。
 ですから、3月11日から、日本民族に襲い掛かった危機である巨大惨事の大事故は、大きなところでは終息に向かうと確信しました。
地震・津波の惨事よりも、放射能汚染と、被曝が、日本国民すべての体に襲い掛かることが、ものすごく恐ろしいことでした。
この巨大な日本民族の存亡の危機から、私たちは、何とか逃れることができました。

 学問道場の、会員のみなさん、喜んで下さい。もうこれ以上の放射能の飛散は、ありません。微量の放射能の拡散には、私たちは、健康のままあ、耐えて行けます。全国の空に広がっている、こんな微量の2~10マイクルシーベルト毎時(2~10μSv/h)の放射能なんか、私たちは、がぶがぶ食べて、慣れきってゆけばいい。いちいち、微量の放射能の飛散になど、もう、私たちは、怯(おび)えてはいけない。 私は、自分の体で現地まで到達し、このことを確信しました。

(途中省略)

 私は、今度の凶悪な原発事故は、終息に向かうと確信しました。
 もう、核分裂の進行も、メルトダウン(炉心溶融)の進行も、再臨界(さいりんかい)も、水蒸気爆発も起きないでしょう。日本国民は、存亡の危機から救われました。

 私は、巨大事故原発の現場まで来て、そのことを体で確信しました。
なにごとも現地までまできて、実際に自分の体で調べないと分かりません。

(途中省略)
私、副島隆彦が、福島の現地で、19日に、自分の体を使って、現地投入して、体感と霊能者としての能力で、この真実を知った。
どうしても、このことは公然と書いておかなければならない。
私は、日本の国家戦略家として、先に、先に、事態を読んで、予測してゆくしかないのだ。

 強度の放射能による東京(首都圏)汚染と言う巨大な凶事の、地獄の淵から、寸(すん)でのところで、 とりあえず逃げ延びた日本国と日本民族 万歳。
苦難は、これからも続いて行くが、それでも私たちは、雄々(おおおお)しく、生き延び続けなければならない。私も、生き伸び続ける自信が湧いてきました。
福島の現地で、淡々と生きている福島県人の強さに、一番、大切なことを、私は、自分の体で学びました。

 地獄の淵から逃れた、日本国、万歳。   副島隆彦拝


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もう一度,副島の文章を確認しよう.
>原発事故地から、8キロの地点で、自分のガイガー・カウンターで計測して、
>放射能の線量(せんりょう)が、わずか、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h)
>であることを、自分の目で目視し、確認しました。 →【A】
>ですから、3月11日から、日本民族に襲い掛かった危機である巨大惨事の
>大事故は、大きなところでは終息に向かうと確信しました。 →【B】

副島の【A】→【B】という推理は,短絡的も短絡的,完全に短絡(ショート)している!
副島の短絡ぶりを少しだけ解説しよう.
1.副島は,福島原発から8kmの地点で,放射線の微量な線量を計測した.
2.ある「一刻」,ある「一点」で計測したデータで,すべてを判断する.
3.副島の目に見えるのは放射線だけで,「放射能の拡散!」は無視!
4.副島は完全に勘違いしている! 間違っている! と言いたいが…,
5.副島が「霊能者としての能力で,この真実を知った」と言っている以上…,
6.言っても無駄・無理・無意味.…すでに宗教の領域なのだから.

副島隆彦真理教.誕生の瞬間!である.

◆2011/03/20(日) 植草センセも楽観論! (爆)
あの植草一秀が,あの決死の放水作業を見て,あの悲観論から,この楽観論へと
バージョン・ダウン(軌道修正)しつつあるようだ.
放水作業により使用済み燃料プール等の水位が増大し、冷却効果が観察され
始めているように判断される。
今後、電源復旧作業が順調に進み、1号炉から4号炉までの冷却システムが
回復すれば、事態は収束に向かう.
事態は最悪の状況を回避する方向に転回しつつある….
副島隆彦と植草一秀の“軌道修正”によって,ネットの空気も一気に楽観一色!
テレビからも,原発事故や津波災害の報道が消えてゆき,何もなかった人たちは,
何もなかったような感覚に戻ってきている.
呑気でEネ!

(転載おわり)

確かに油断はできません。
123さんの御判断を重掲板にお書きいただければと思います。もし必要ならば、私が代わって書くことも吝かではありません。私にも責任がありますので。


by めい (2011-03-21 10:03) 

めい

気になる警告です。メモっておきます。拡散が防止につながることもあると思いつつ。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-8585.html


   *   *   *   *   *

岐阜の核融合炉と『君の名は。』

3月7日より岐阜県土岐市下石町にある核融合炉で、重水素を用いた実験が開始されるという。実験では大量の中性子線と放射性トリチウムが発生するため、安全性について疑問視されている施設だ。

私がこのニュースを聞いて連想したのは、去年に公開された『君の名は。』というアニメ映画である。この映画は岐阜県の架空の田舎町を舞台としており、隕石が落ちて町が壊滅するという内容のものだ。

この映画『君の名は。』は中国でも話題となっていたので私も見たのだが、私の感想はこのアニメ映画はまたいつもの災害予告ではないのかというものであった。

というのも、日本のアニメ映画はジブリの『崖の上のポニョ』が3.11の津波を連想させるなど、時に災害を予告する内容のものが公開されることがあるからだ。

核融合炉施設がなぜ岐阜の田舎町に建設されたのかとの疑問、そして施設のある下石町という地名がアニメの岐阜県への隕石落下というシナリオを連想させたのである。

例え映画のように隕石が落下しなくても、核融合施設に某国のミサイル攻撃や大地震などの災害が発生した場合には、やはり町は放射能汚染で壊滅的損害を受けるだろう。

日本は広島・長崎と二度の被爆国である上に、福島の原発事故と数度にわたる原子力被害を受けてきた。また最近では、多額の税金を無駄使いした高速増殖炉もんじゅの失敗と廃炉が決定的となったばかりだ。

それでもなお原子力の実験を繰り返すというのは、もはや愚かさを通り過ぎてデーモニッシュな悪意さえ感じてくる。

将来に残すべき最も価値がある遺産は美しい国土と、清らかな水と、奇麗な空気だ。

かけがえのない国土・水・空気を汚してまで、強行するほど価値のある科学実験などありはしない。

野崎晃市(42)

by めい (2017-03-06 06:52) 

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