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「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 [日本の独立]

8月6日、たまたまNHKで「原爆投下 活かされなかった極秘情報」を見た。
広島も長崎も、諜報レベルではB29襲来情報を掴んでいたにもかかわらず、空襲警報が発令されなかったことをおそらくはじめてNHKが報道した。

「これまで想定外の奇襲攻撃とされてきた広島、長崎への原爆投下。しかし実際は、アメリカの電波を傍受することで、軍は原爆投下をめぐる動きを事前に察知していたことが明らかになった。」

原爆投下の2ヶ月前から、諜報機関はテニアン島における特殊任務機の動きをキャッチ、しかし軍は、危険が迫っていることを知りながら何の手も打たなかったのだ。

テニアン島からのコールサインをキャッチしていた当時の諜報部員、太田新生さん。
「悔しいったらありゃしない。分かっていたんだから。何か努力の跡があればあきらめがつくが、全然使った形跡がない。だからよけい悔しい」

大村基地の戦闘機部隊で出撃命令を待っていた本田稔さん。
「66年経ってはじめて知った。出撃命令さえ出してくれていたら、長崎は決して爆撃されなかった。それだけは確信している。5時間もあれば十分対応できたはず。これが日本の姿ですかね。これからもまた起こるんじゃあないですか。」

さらに、特殊諜報部員だった長谷川良治さんによると、8月11日諜報記録をはじめとするすべての証拠隠滅の命令が下され、終戦の15日まで徹底した焼却処分が行われたという。

番組の中で「原爆についての情報がありながら、なぜ知らされなかったのか―――原爆投下後66年、はじめて明かされる真実。」とあったが、「なぜ知らされなかったか」の答えが用意されていたわけではない。しかし、その答えはすでに鬼塚英昭氏によって今からちょうど3年前に提示されていた。「原爆の秘密」の国内編と国外編の2冊の本だ。

「ソヴィエトが参戦しようが、しまいが、原爆は確実に広島と長崎に落とされることになっていた。すべては、原爆で金を儲けようとする悪しき集団がなせる行為であった、・・・そのためにスティムソン陸軍長官が指揮をとり、大統領、国務長官、科学者、軍人たちを動かした。それだけでは原爆は製造しても投下できない。それゆえに、どうしても落とされる側の協力が必要であった。」(「国外編」P.297)

「原爆投下は『スペクタクル』でなければならなかったのである。そのためには、広島市民にとっては申し訳ない限りなのだが、・・・無警告でなされねばならなかったのだ。」(「国内編」p.98)

広島には原爆投下が近づくにつれ、数万の軍人が入るようになり、そのため広島市民への食糧供給が底をつくほどの状況になったという。その軍人達は何の意味もない穴掘り作業に従事させられ、その多くは原爆によって命を奪われていった。犠牲者が多いほど衝撃度の高い「スペクタル」の実現のために。それを演出したのは、本土侵攻に備えて創設されたという第2総軍の最高司令官畑俊六。鬼塚氏の追及はあくまで執拗である。

NHKが鬼塚氏のこの二冊を知らなかったはずはない。この時期、いったいどこに向かおうとしているのだろうか、NHKは。そしてこの日本は。

 


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めい

阿修羅板から、あっしらさんの問題提起とそれへのコメントいくつか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/396.html

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自国の支配層によって三たびも“核の人体実験”に投げ込まれた日本国民:NHK「原爆投下 活かされなかった情報」
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/396.html
投稿者 あっしら 日時 2011 年 8 月 09 日 01:04:32: Mo7ApAlflbQ6s

まずは、番組に登場し鮮烈な印象を受けた88歳の旧日本陸軍航空隊搭乗員本田 稔さんの話を取り上げたい。

本田さんは、かねてより、大村飛行隊の「紫電改」搭乗員だったことから長崎への原爆投下を防ぎ切れなかったことで、強い自責と自戒の念を持ち続けてきたという。

本田さんは、昭和20年8月6日に兵庫県から長崎に向け飛行しているとき、広島への原爆投下に遭遇したという希有な体験を次のように語っている。

「原爆炸裂のきのこ雲を目撃し、機体が一気に吹き飛ばされしばらく操縦不能になって500mほど降下した。ようやく体勢を立て直したら、今見たばかりの広島の街がなくなっていた。頭がおかしくなった。現実かどうか見当がつかなかった」

本田さんは、高度1万mまで上昇できる「紫電改なら、難しいことは難しいけれどB29を撃墜したり追い払うこともできる」、「出撃命令さえ出していれば、絶対、長崎は爆撃されていない。僕は確信しています。それだけは」と語ったあと、参謀本部が5時間前には(長崎への)原爆投下の情報を掴んでいたことをNHKの担当者から聞くと、

「なんで命令を出さないんや。(しばらく沈黙)これが日本の姿なんですかね~。こんなこと、また起きるんじゃないですか?こんなこと許しとったら・・・」

1945年夏に“核”をめぐって「活かされなかった情報」は、2011年春に起きた福島第一の原発事故で、SPEEDIをはじめとする放射性物質の漏出・拡散に関する情報が秘匿され、その情報を知ったうえで住民に対応しているはずの政府や自治体が、被曝を減らすような避難誘導や広域住民の被曝を少なくする防護策に活かすことさえしなかった現在の現実に直結する。

日本国民は、この66年間に三たび、自分たちの支配層から“核の人体実験”に投げ込まれるという想像を絶する酷い仕打ちを受けたのである。

本田 稔さんへのNHKの取材がいつ行われたかわからないが、3.11以前の取材であれば、それこそ“地獄への予言”ということになり、身震いを起こすほど怖い話である。

■ 自己の原爆観への衝撃と参謀本部が不作為で通したワケ

私がこれまで抱いてきた原爆投下に関する思いは、「日本の戦争指導者は、中立国に在留している外交官(含む武官)や金融家もいたのだから、米国の原爆開発情報はそれなりに知っていたはず。しかし、高高度で飛来する長距離重爆撃機B29に対しては、高射砲も届かず、1万mまでの上昇能力を有する戦闘機は払底していたから迎撃もできず、情報戦においてもめくらに近い情況だったため、広島と長崎で20万人を超える犠牲者を出すハメになった。米国は、非欧州系の日本人を標的に原爆の威力を実証することで戦後世界で優位に立てると踏み、勝利(日本降伏)にとってことさら必要とは思われない原爆投下を敢行した」というものだった。

2001年の「9.11同時多発テロ」は世界に多大な影響を与えるとてつもない“陰謀”だったが、究極は米国民が追及しなければならない問題である。
「真珠湾奇襲攻撃」をめぐる“陰謀”も、日本国民が追求すべきテーマを含むが、見逃し陰謀は米国連邦政府の不作為のことだから、3千人近い犠牲者を政府に強いられた米国民が追究すべき課題である。

私に対する「陰謀論者」批判もあるなかで、このように“陰謀”を書いたのは、陰謀論好きでそれなりに妄想をめぐらせる自分であることを予め知ってもらうと同時に、原爆投下に関しては、この番組を見たことで、陰謀論も排除しないで考えてきた自分の想像力があまりに貧困であったことを思い知らされたことを伝えたいからである。

広島原爆投下の少し前のB29による“偵察飛行”は有名で、そのため空襲警報も出されていたが、“偵察飛行”のB29が飛び去ったことで、原爆が投下されるちょっと前の8時頃に空襲警報が解除されたという経緯も、日本軍の情報収集力の欠如に由来すると考えてきた。

ところが、50年近く持ち続けてきたこれらの観念が、NHKのたった一つの番組でみごとに吹っ飛んでしまった。

数に還元できる話ではないが、それ以降の戦争行為で十万を超える殺戮があるとしても、それ自体では2千7百人ほどの犠牲であった「9.11」を凌駕する「陰謀論」が成立してしまう内容が放送されたのである。

NHKは「活かされなかった情報」という気を遣った表現をしているが、番組を見なくとも、紹介した本田さんの言葉でわかるように、「広島や長崎の住民を無防備のまま、まもなく炸裂するはずの原爆のもとに放置した“人体実験”」といえる暴挙なのである。

えぐい言い方をすると、不作為で住民を原爆にさらすと判断した参謀本部上層部は、“人体実験”のために「情報を活かした」のである。

“人体実験”と先走って書いたが、番組を見ながら、そして、見終わったあとも、参謀本部は、「なんのために、国民の被害を少しでも軽減する策をとらなかったのか?」をあれこれ考えた。

なけなしであるはずの紫電改など高性能戦闘機を迎撃に発進させなかったことは、“その後の戦局”を考えてのことという言い訳を受け容れ、涙ながらに許容しよう。

しかし、住民が防空壕やコンクリート建造物の地下などに待避できる空襲警報は、発令する手間だけで“物質的負担や継戦阻害はゼロ”である。
実際に、広島でも午前8時頃まで警報は出ていたし、日本の主要都市が次々と襲われた無差別都市爆撃でも空襲警報は出されている。

このことから、管区司令部に連絡して空襲警報を発令させることさえしなかった参謀本部の対応は、一切の言い訳を許さないまったくもって理不尽な国家犯罪だと断ずる。

守るべき国民、愛すべき同胞を見殺しにするような策をなぜ採ったのか?という問いには、私の想像力からはあまり多くの答えは出てこない。

A.残虐非道な新型爆弾でとてつもない数の同胞を殺戮した米国への憎悪と復讐心を継戦のバネにする。

B.戦争を継続する物質的条件はないが降伏に踏み出すきっかけがないから、原子爆弾の惨禍を支配層が直視することで降伏へ向かうよう被害が大きくなるようにした。

C.日本も原爆の開発に励んだ経験があり、今後の世界で重要な軍事技術になるはずの原子爆弾の威力をこの目で確認したい

D.Cと同じ話だが、自分たちのためではなく、戦後処理を考慮して米国のために威力を目一杯実証できるようにした。731部隊の石井中将などと同じ発想。

この四つ、実質は三つである。

広島や長崎の住民の安全を考慮した対応をするほど参謀本部はヒマではなかったという話はあり得ないと考えリストアップしなかった。
また、原発事故で政府が言い訳に使った「パニック回避」説も、日々空襲に見舞われていた当時の日本の現実を考えると無効である。

Aは、広島原爆投下後、陸軍が、投下された爆弾が原爆であることを他の権力者に認めず、被害も小さく見せる策動をしていることから却下する。

Bは、陸軍は本土決戦に最後の望みを託しており、番組でも紹介されているが、原爆はとてつもない惨禍をもたらすものだが、投下可能な数はしれていると強気を崩していないのでやはり却下である。

残るはCとDだが、Bを却下したロジックから米国への貢納説であるDは消え、Cの“自分たちが原爆の威力を知りたかった”という動機に落ち着かざるをえない。

番組では、昭和18年春、東条英機陸相(首相)が、兵器開発担当者に米国の原爆開発動向を説明しつつ原爆の保有が戦争の行方を決するという考え方を披瀝し、「原子爆弾の開発を航空本部が中心になって促進を図れ」と号令し、理化学研究所の仁科グループが原爆の開発に動き始めたことが紹介されている。

日本の原爆開発は天皇の意思で中止になったという説もあるが、この番組では、昭和20年6月に資材の枯渇から開発中止になった経緯を史料の文章で示している。
開発断念は、表向き、放射性ウランの分離はできない、そして米国もできないはずだというものだった。

(遠心分離器で原爆がつくれるだけのウラン235を抽出しようとしたら安定的継続的に使える膨大な電力が必要だから、他の多くの産業活動を停めない限り当時の日本ではムリだっただろう)

先日の書き込みで「東電OL殺人事件」の著者である佐野 眞一氏の「3・11が我々に示したものを、すぐに、また閉じようとするような精神の劣悪な劣化は“精神の瓦礫”である。国民にはいいひとがいるが、それを支配する層というか、政官業というか、政治家・官僚・経済人の振る舞いが変わらないことに怒りを感じる」という言葉を紹介したが、参謀本部や現在の政府機構と本田 稔さんを比較すると、佐野氏の思いがさらに痛いほどわかる。

私はかつてこの阿修羅で「敗戦責任論」を主張したが、NHKが放送したこの番組の内容が広く認知されても政治的騒動にならないまま過ぎていくのなら、日本にいい未来はないだろうと心底から思う。

今日の衆議院予算委員会で防衛・外交に関する集中審議が行われていたようだが、「日米同盟」の深化や理解を求めるより、この問題をどう考えどう総括するのかのほうが国防の本義にとってより重要な話だと思う。

■ 番組内容でみる原爆投下に「活かされなかった情報」の経緯

この投稿のため、録画を見ながら書き起こしをしているので、コピペなどに利用できる便もあると思われるので経緯をまとめる。NHKの番組に一部情報を付加している。
基本的にビデオの内容を文字にしたものなので、ビデオを見た(見る)方はことさら読まれる必要はないと思う。

昭和19年7月のサイパン陥落(テニアンは8月陥落)後、日本のほぼ全土が長距離爆撃機B29の出撃範囲に入った。(サイパン陥落が東条退陣の契機となる)

昭和20年3月15日の東京大空襲から日本各地で無差別爆撃が繰り返されるようになった。
この事態に対処するため、参謀本部2部(情報)は杉並区内にあった古い洋館の老人ホームに「陸軍特種情報部」を置き無線傍受を中心とした対米諜報任務を強化した。

B29のモールス信号を傍受するのが任務で、暗号部分はわからないままだったが、徐々にグアム、サイパン、テニアンを基地にしているB29飛行部隊の概要を知るようになる。
それは、平文で出されるコールサインの分析によるもので、どの島から何機出撃したのか、日本での行き先はどこなのかも推測できるようになった。

[コールサイン分類]
● V400番台:サイパン
● V500番台:グアム
● V700番台:テニアン

6月になると、テニアンを発信元として、これまで聞いたことがないV600番台のコールサインを傍受するようになった。

参謀本部2部で対米諜報活動の責任者で「特種情報部」も統括していた堀 栄三少佐は、16年前に死ぬまで原爆投下を防げなかったことを悔やんでいたという。
そして、死ぬ2、3年前に、肉声でことのいきさつをテープに吹き込んでいた。

「600番台のコールサインを持つ正体不明の部隊は、番号を丹念に拾っていくと12~13機ほどしかいない。他の戦隊は100機以上あったのに、これはおかしい小さすぎると思った。それが契機となり、その小さな部隊を「特殊任務機」と命名し、動向を探るため通信部隊を増強した」

7月16日:米国がニューメキシコ州でプルトニウム型原爆の実験に成功し、その情報は断片的に参謀本部に入っていたが原爆だと認めるものは誰もいなかったという。

(陸軍は、6月の原爆開発断念の根拠から米国が開発できたことを認めるわけにはいかない。テニアンには、広島に投下されるウラン型原爆リトルボーイが7月初旬に運び込まれている。7月16日のプルトニウム型原爆の実験が行われる前にすでに原爆は存在していたのである。これはドイツが製造した原爆が運び込まれたものと推定している。)

8月6日午前3時:陸軍特種情報部がV600番台のコールサインを傍受。「特殊任務機」が日本に向かっていることを確認。

堀少佐談:「8月6日V600番台のコールサインが短い電波を出した。その電波はワシントン向けだった。それでもこちらはまだわからない。どういう電波やら中身は全然わからない。硫黄島の米軍基地に無線電話で「我ら目標に進行中」と話している」

8月6日未明から広島周囲の西宮・今治・宇部がB29に空襲された。

(米国は、原爆の威力をできるだけきちんと知りたいと考え、原爆の標的と考えていた都市を爆撃しないようにしてきた。標的とした都市は、広島・小倉・長崎である)

8月6日午前7時過ぎ:1機のB29が気象偵察のため進入。

堀少佐談:「午前7時20分ごろ、豊後水道から広島に入ってきた飛行機がある。B29です。豊後水道から来た飛行機が電波を出したら、それはだいたい気象偵察だった」

(公開されている米軍の原爆投下作戦命令書にも、まず気象偵察、V675のコールサインを出してエノラゲイに指示すると書かれている)

堀少佐談:「これが広島の上空を通って、また短い電波を出した。これがやっぱり600番台。これはただごとじゃない。これは特殊任務機が近づいてきたとわかったわけですね」

しかし、この情報が、参謀本部から広島の司令部に伝えられることはなかった。
広島の司令部は、「特殊任務機」が飛来している真っ只中に警戒態勢を解除した。
(未明からの連続空襲で疲労もしていたという)

午前8時頃:広島の空襲警報解除。

陸軍特種情報部の少尉だった長谷川良治さん(88)は、B29の情報を集める担当だったが、広島原爆投下のあと、自分たちが上げた情報が活かされなかったことで悔しがる上官の姿を見ていた。
長谷川さんは、「上官は、自分の意見を聞いてもらえなかった、残念だという顔がありありと見えていました。これだけ日本が攻められているのに、判断が鈍いということかわからないけど、参謀本部の他の方々には通じなかった」と、上官の様子を語った。

8月7日:陸軍は広島壊滅の報を受けても、それが原子爆弾だとは他の組織には認めようとしなかった。東郷外相が事実確認を迫ったが、陸軍は、米国は原子爆弾とか言っているけれど、非常に力の強い普通の爆弾と思われると説明したという。
ところが、参謀本部は内部では原子爆弾だと認めていた。

8月8日:杉並の陸軍特種情報部の中庭で、参謀本部による表彰式が行われ、原爆機のコールサインを突き止めた功績が認められた。参謀本部の人間は、V600番台のコールサインを出したB29は原子爆弾を積んでいたとし、「これがもっとも恐ろしい原子爆弾を積んでいる飛行機だ」と説明したという。

8月9日未明:再びV600番台(675)のコールサインを傍受。

それを傍受していた特種情報部の中尉だった太田新生さん(90)が語る。「広島に原爆を落としたB29が使っていた特別な電波と同じ電波を使って、テニアンの飛行場から、通信内容はわからないけど電波が出されたとき、普通ではないと感じて非常な不安を感じた。同じものが、近く、どこだかわからないけれど、数時間後に日本国内のどこかに落とされる危険大・・・」

8月9日午前9時:長崎に原爆を投下するボックスカーが九州に接近。豊後水道から小倉に向かったが視界が悪かったため、島原半島を横断して長崎に向かった。

このような情報が陸軍中枢にも伝わっていた事実が防衛省防衛研究所戦史部で見つかったという。
当時の参謀総長梅津 美治郎に情報を伝える側近だった井上 忠男中佐の「備忘録」に、「特殊爆弾 V675 通信上、事前に察知 長崎爆撃5時間前」という走り書きがあった。

※ 梅津氏は極東軍事裁判で終身刑を受け獄中死。1978年に靖国神社に合祀。

8月9日:ソ連参戦もわかったこの日、朝から「最高戦争指導者会議」が宮中で開かれ、ポツダム宣言受諾の可否をめぐって議論が行われていた。

6月9日午前11時2分:空襲警報も発令されないままの長崎に原爆投下

特種情報部の中尉だった太田さんは、その事実に、「なぜ、活かされなかったのか納得できないよ。惜しいったらありゃしない。分かっていたんだから、何か努力してくれていたら、だめだったとあきらめられるかもしれないけど、(情報)を全然使った形跡がないからよけい悔しいです」と憤慨していた。

広島の原爆投下に関して貴重な証言を残していた参謀本部2部の堀少佐は、長崎原爆投下に関しては寡黙を通し、手帳に次のようなメモを残しているだけだという。

「コールサインを8月9日も同様にキャッチしたが処置なし。あとの祭りとなる」

※ 広島原爆投下に関する証言者の話

広島で爆心地からわずか700mで原爆を体験しながら無事だった岡ヨシエさんは、学徒動員で広島城に置かれていた中国地方軍司令部で手伝いをしていて、コンクリートで遮蔽された壕のなかにいたことで助かったという。

岡さんは、「あのとき、空襲警報さえ出ていればと、今も悔やんでいる。警報が早めに出ていて地下壕や防空壕に入っていたら、あれほどたくさんの人が死なずにすんだではなかったのか、たくさんの人が助かったのではと思った」と語った。

自分が地下壕にいたとき、同級生60名は、近くの広場での朝礼に出ていて全員死亡したという。

岡さんは、「同級生の看病をしていたとき、母親があまりのむごさに、ほんとに変わり果てた我が娘を抱いて泣かれたんですけど、そのとき、「お母さん泣かないで、私はお国のお役に立って死んでいくのですから」と言いながら焼けただれた顔で、それでも、安らかな顔で死んでいった」と語った。

Gataroさんが、「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」(http://www.asyura2.com/10/warb7/msg/843.html)に、番組内容をアップされているので、放送をご覧になっていないかたは是非ともご覧いただきたい。

※ 最後に

NHKはこの土曜と日曜(6・7日)に実に見応えのあるドキュメンタリーや科学情報の番組を連発で放送した。
ドキュメンタリーWAVE「内部被曝に迫る」、フランステレビジョンとの国際共同制作「ヒロシマの黒い太陽」、コズミックフロント「迫りくる太陽の異変」そして、今回取り上げた「原爆投下 活かされなかった情報」のどれもたいへん内容が濃い番組だった。

それらの番組も、遭遇する機会があったら是非ともご覧いただきたい。
「内部被曝に迫る」については、簡単な関連投稿をするつもりです。

◎コメント欄から

01. 2011年8月09日 03:20:50: j8DlsR41DQ
広島に朝8時に落とすように米軍に日本側が要請したという某作家の話を読んだことがあるが、。政府に反目する第二総軍を皆殺しに殺す為に。まあトンでもないので信じてはないが。
日本人もたちが悪いのがいる。上にね。だから此れだけ成功した。それとも上は日本人ではないのが多いのだろうか。わからんね。調べられんよね。


広島で政府が人体実験をするためにに空襲警報をださずに朝の朝礼時に原発を投下させたのが、福島で避難させずに4000万人を被曝させたのと同じだというのは納得できるものがありますが。

ただ在日反日の噂がネットで言われてるnhkが放映したのは陰謀でしょう。放送は100パーセント何かに偏るもの。公平なマスコミは存在しない。で日本廃止、天皇制廃止のために、世界統一のために在日を使い世界政府がこの数年、反日反政府日本廃止キャンペーンを継続してきた。

ciaが主導してる、配下の読売裏部門とか某○協会などによる明治天皇替え玉説の大キャンペーンであり『これは根拠がない謀略』、某作家などに書かせている可能性がある日本軍金塊説や原爆説だと想像します。『信じてはないが』一連の暴露というか捏造というのか不明ですが、根拠が薄い伝聞に近いものが次々とでてきてるのは裏がある作為と感じとれます。阿修羅さんの、この時期になんで連続してでて、利益があるのは日本滅亡させて喜ぶ世界政府。

100年前から日本上層部は世界政府の走狗。多分外国人だからか。これも確証はないが。

ウイキリークス暴露で世界中の政府と国家を廃止させようとしてる。

やつらがよく使うショックドクトリンです。福島の不作為も同じ。世界政府の命令とうりしている。もともと缶は赤で世界政府の走狗との噂がありますす。これだけ政府が国民を被曝させて殺せば政府廃止、日本国廃止もすんなり決まる。

問題を起こし、反応をみて、都合がいい対策を導入する。

福島で4000万人を缶が不作為で被曝させて、放射能恐怖キャンペーンを在日が大々的に行ない、ころあいをみて政府廃止して日本解体の解決手段を提示する。恐怖にかられている国民はどんな変な都合が悪いことでも了承するものです。で、天皇制廃止と日本廃止が完成。

これは永いアジェンダで日本上層部の多くが了承してるものと思われる。某泉さんとか某整形塾とか。日本上層部はすでに日本人の意識はないのでしょう。在日も多いし。三島はそれを日本が無くなることを知らされて絶望して自殺した。

多分2012年から動きがあるだろう。もっと人が減らされたら現実化する。世界の一地方の田舎になった元日本は人口減少と生活水準の低下で苦しむ可能性。
19. 2011年8月09日 22:56:42: vdTZNC5yCw
C.日本も原爆の開発に励んだ経験があり、今後の世界で重要な軍事技術になるはずの原子爆弾の威力をこの目で確認したい
このような欲求は、知的探究心に欠ける私には、合点が行かない動機でもあります。

先のコメント諸氏が展開されている精緻な分析に、私の大雑把なコメントを付けてしまい恐縮ですが、番組を観た感想を素直に言えば、原爆の威力をこの目で確認したかったのは、日本軍他上層部ではなく、米国であり、その要請があったからこそ迎撃しなかったということでしょう。

敗戦濃厚な事態で知的好奇心云々、将来の兵器開発云々の夢想にふけるでしょうか。

そもそも大日本帝国は、開戦前から、「どう終戦するか」を議論していました。
どう勝利するかではなく、どう終戦するかが了解事項だった程、国力に差がありました。

ですから原爆投下前の逼迫した状況下でも、さまざまなルートを通じて、終戦条件を打診していたのではないでしょうか。

その終戦条件に、米国が出した答えが、莫大な予算を掛けて開発した「新型兵器」の実証実験と、歴史的意義、さらにそれが米国民にとって善行であると認識させ、今後の戦争遂行において、アメリカの正義の名の下の殺戮に対しては、相手国は反省し恭順の意を表すという実例を示す必要性があったのではないでしょうか。

日本は核のモルモットにされたのでは無く、アメリカ国民が世界中で殺戮行為を行う際の、逡巡を断ち切る実例として、「そうだ、日本のように、大戦争をしてアメリカのいう民主主義を伝道すれば、後の世には喜ばれるんだ」という意識をアメリカ国民およびアメリカ兵が持つための動機付けの重要な核に使われたのではないでしょうか。

20. 2011年8月09日 23:24:03: i7CGvypOTw
>>18
> 貴君は「真珠湾の真実」を盲信して、米軍は日本軍の真珠湾攻撃を分かっていたと言っていたではないか。
「真珠湾の真実」を盲信しては居ません。盲信ではなく、確信しています。
「米軍は日本軍の真珠湾攻撃を分かっていた」と云ったことはありません。
真珠湾攻撃はルーズベルトの仕掛けた罠であり、それを真珠湾の米海軍は全く知らなかったのです。
文章は正確に書いて下さい。記憶力には感心しますが。

> それがここではNHKのでっち上げになるのはどういう事なのか?

真珠湾攻撃はルーズベルトの仕掛けた罠であることと、NHKの作った大嘘番組は直接の関係はありません。
強いて関係を挙げるならば、ルーズベルトやNHKは公然と嘘を吐くのが得意である、と言うことでしょう。

>>19
> ですから原爆投下前の逼迫した状況下でも、さまざまなルートを通じて、終戦条件を打診していたのではないでしょうか。

アメリカは日本がソ連を通じて終戦条件を打診していたのを知っていました。
しかし、ソ連は満州や千島列島と北海道を手に入れるまで、アメリカは原爆の完成と投下が終わるまで、日本の降伏を認めない政策を取りました。
>>06に書いた「原爆を投下するまで日本を降伏させるな 鳥居民著」に詳しく書かれています。
23. 2011年8月10日 00:57:52: B3FrSkvLWQ
この番組やこのコメント欄には、私の知らなかったことが数多くあり、勉強になった。
 ただ基本的認識として、当時の軍部政府は国体の護持(そこには当然自分たちの護持も含む)が最大の責務であり、国民の生命財産など歯牙にもかけていなかった。兵士は1銭5厘の赤紙でいくらでも集められたし、実際南方や満州で使い捨てられた。沖縄の民衆も棄民されたのであり、広島、長崎もその延長線上にあると考える。
 番組を観る限り、少なくとも長崎の原爆投下は分かっていたのだが、恐らく当時軍部政府は広島の原爆やソ連の満州侵攻(前日に対日戦布告)等敗戦必至の状態で、しかも終戦交渉は頓挫し、パニックあるいはアパシー状態にあったのではないか。そういう時「長崎原爆予想」はマイナーな情報でしかなく、無視されたのではないか?彼らの使命関心はあくまで国体の護持にあり、国民の生命財産などは2の次3の次に過ぎなかったのだから。
いま政府の使命関心はどこにあるのだろうか?「国体」なる言葉は無論死語になっているが、別の言葉に置き換えることは可能なようだ。国民を無益に被曝させた彼らはかつての軍部政府となんら変わっていないと言ってよい。

25. あっしら 2011年8月10日 01:48:01: Mo7ApAlflbQ6s : FOFJ3ucx7c

vdTZNC5yCwさん、コメントありがとうございます。

>番組を観た感想を素直に言えば、原爆の威力をこの目で確認したかったのは、日本軍
>他上層部ではなく、米国であり、その要請があったからこそ迎撃しなかったというこ
>とでしょう。
>敗戦濃厚な事態で知的好奇心云々、将来の兵器開発云々の夢想にふけるでしょうか。

私自身も投稿のなかでは否定しましたが、Cの米軍の意向に沿った「放置プレイ」かも、という思いは捨て切れていません。

ただ、参謀本部の高級幕僚であれば、敗戦間際のあの時点でも「将来の兵器云々の夢想」にふけるような悪魔崇拝者(知性崇拝者程度の意味)の持ち主がいても不思議ではないと思っています。

無条件降伏でも、これまでの歴史から、日本の軍隊(自分の陸軍)が消滅してしまうとは思ってもいなかったはずです。

>その終戦条件に、米国が出した答えが、莫大な予算を掛けて開発した「新型兵器」の
>実証実験と、歴史的意義、さらにそれが米国民にとって善行であると認識させ、今後
>の戦争遂行において、アメリカの正義の名の下の殺戮に対しては、相手国は反省し
>恭順の意を表すという実例を示す必要性があったのではないでしょうか。

精神的な意義付けはともかく、「新型兵器」の実証実験を邪魔せず成功させるという密約があった可能性は否定できません。

ただ、たとえそういう密約があったとしても、空襲警報の発令は、「将来の兵器開発云々の夢想にふける」よりも行いやすいことだと思います。






by めい (2011-08-10 05:53) 

めい

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html

◎1983年8月6日(朝日新聞)
原爆投下、市民殺りくが目的
米学者、極秘文書で確認


原子爆弾が広島に投下されてから6日で38年。これについて米最高首脳はこれまで「軍事目的に限定して使った」(トルーマン大統領回顧録)としてきたが、実は「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認、近く出版する本で発表する。また広島、長崎に「米人捕虜がいる」と英国情報部などが警告したのにもかかわらず、米政府はこれを無視したという。(パロアルト<米カリフォルニア州>菊地特派員)

スタンフォード大歴史学部のバートン・バーンスタイン教授は、原子爆弾が日本に投下されたとき、まだ小学生で、辺りの人々が「これで戦争が終わった」と喜んでいるのを記憶している。しかし、スタンフォード大で歴史学を専攻するうち、なぜ人々が原爆投下を単純に受け取っているか、について疑問を持ったという。あのころドイツが降伏し、日本だけが世界を相手に戦っていたのになぜ原爆を使わなければいけなかったか、についてである。この疑問を解明するため米軍事外交文書を研究するうち、“歴史の偽り”を発見したという。
同教授が入手した極秘文書によると、1945年7月31日、原爆投下についてスチムソン米陸軍長官を囲んで最高会議が開かれた。その際ノーベル賞学者のE・ロレンス博士(サイクロトロンの発明者)は「科学者としては原爆を直接日本に投下したくない。まず米国の砂漠などで世界の代表者を呼び、公開の場でその威力を見せるべきだ」と主張した。しかし、他のメンバーたちは「もし原爆が不発だったら世界の笑いものになる。ともかく日本へ投下しよう」と主張して決定を見たという。
投下地点の選定については、「軍事施設のみという科学者の主張に米軍側が強く反対し、結局、民間人を大量に殺りくすることが決定された」としている。
人類初の原爆は“効果半径”約1.8キロ。同教授の入手した米空軍史(部外秘)によれば、「その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ」との命令が出ている。投下時間は午前8時15分。「これは工場労働者が仕事を始め、市民の子どもたちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさにそこを狙ったのだ」と同教授。
しかしトルーマン大統領はその回顧録で「原爆は非戦闘員の婦人、子どもを避けて、軍事基地だけに限定して使った」と書いている。
この広島原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡した。この事実は1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという。同教授によれば、それは、原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視したからだという。
米戦略空軍司令部の極秘電報(45年7月30日付)によると同司令部は長崎には米人捕虜収容所があることを確認、ワシントンに打電した。しかし投下は強行された。結局、長崎の原爆は目標を少しずれたため、約1400人の米人捕虜は助かった。
同教授はトルーマン大統領の内政、外交政策について研究を続けるうちに、あるときふと、「広島で米兵捕虜も爆死しているのではないか?」という疑問を抱き、政府や軍に当たったが答えは得られなかったという。
しかしその後、ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由について同教授は「米国民の大半が支持した原爆投下で米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないか」と語り、「一般市民はもちろん、味方の軍人まで犠牲にしても平気な“戦争の狂気”を告発したい」といっている。
バーンスタイン教授はこれらの新発見を基に近く「核軍縮への道」(仮題)という著書を出版するが、「米外交文書の公開は軍事機密に関しては特に厳しい。1978年に資料要求したものが最近やっと数点入手できたほどだ」と語っている。

(注)原爆の投下目標として検討された都市は東京など16都市があり、最後に広島、小倉、長崎の3目標に絞られた。8月9日の第1目標は小倉だったが、天候その他の条件が悪いときは長崎に投下すると決まっていた。


◎『広島原爆』著者に聞く 『大量殺戮が目的』と状況証拠を積み重ね

広島への原爆投下の目標地点、爆発高度、そして時刻は、誰が、いつ、どのように決めたのか──。現代史の“空白”の1つとも言える、その意思決定までのプロセスを徹底的に追跡した。
「原爆関係の本は国内で2000冊以上出ているが、そのほとんどが被災の嘆き。それはそれでいいが、50年以上たったのに、それだけではだめだと思った」
諏訪澄さん(72)は、本書をまとめたきっかけを話す。
中でもこだわったのは「投下時間は、なぜ午前8時15分だったのか」という一点。原爆について書かれた優れたノンフィクションを読んでも、どこにもその理由が記されていない。
「なぜ、午前8時15分に決まったのか」。4年ほど前から、その「答え」を見つけるため、関連書物を読みあさり、アメリカ国立公文書館に足を運び、著名な研究者や、原爆投下に使われた爆撃機「エノラ・ゲイ」のティベッツ機長らに直接インタビューした。<いわば『空白』部分への固執──それが、この小論の方法論になった>と記している。
結局、この問いに直接答える資料や証言は得られなかったが、米大統領の特命諮問機関の議事録に残っていた<可能な限り多数の住民に、深刻な心理的効果を与える>という原爆の目的にかかわる文言に注目。広島市が編纂した『広島原爆戦災誌』の、8時15分には多くの学校や官公庁の朝礼が屋外で行われていたという記録などと照らし合わせ、「状況証拠を積み重ねた仮説だが、一般市民の大量殺戮を目的として8時15分という時間を選んだとしか思えない」と結論づけた。
その上で、「私の検証作業は、まだ荒削りのものだが、それでも原爆使用決定・作戦立案の過程を追跡すると、『戦争の早期終結のため使った』というアメリカ側の説明が虚構であると分かる」と言う。
そして「攻撃側と被災側の双方を明らかにしないと全体像は見えないのに、この半世紀、アメリカ側についての検証は不十分だった」と指摘。「なぜ8時15分だったのかという、ごく単純な問い掛けをしてこなかった日本人は、私を含めて原爆投下を道義的に許せないものとは本当に思っていないのではないか」と問題提起をしている。原書房、2200円。(森村陽子)(中日新聞 2003/08/17)


by めい (2011-08-14 00:06) 

めい

原爆攻撃の罪でのアメリカ裁判。「人類に対する犯罪に時効はない。」
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-0a06.html

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広島と長崎: 第二次世界大戦時の原爆攻撃の罪でのアメリカ裁判を示唆するロシア下院議長

公開日時: 2014年12月26日 11:59
編集日時: 2014年12月27日 10:32
RT


第二次大戦(1938-1945)で、原爆を投下された後の広島(RIA Novosti)

人類に対する時効の無い犯罪の可能性がある、1945年のアメリカ軍による広島と長崎への原爆攻撃にたいする国際的調査を始めたいとロシア下院議長は考えている。

“来年はニュルンベルク裁判70周年で、広島と長崎という二つの民間都市に対する最初で唯一の核爆撃の70周年でもある。これらの出来事に私が触れるのは偶然ではない。人類に対する犯罪に時効はないのだから、この話題を弁護士や国際法専門家と議論すべきだと思う”とセルゲイ・ナルイシキン議長はロシア歴史協会幹部会で語った。

広島と長崎への核攻撃は、満州におけるソ連軍の勝利で日本の敗北は事実上決まっていたのだから、純軍事的な立場から到底正当化できないことをロシア議会議長は想起した。

“二つの平和な都市への爆撃は、何万人もの日本人一般市民の死をもたらした純然たる脅迫行為だ。来年アメリカをこの問題に立ち帰らせよう”とナルイシキン議長は述べた。

広島と長崎の原爆攻撃は、1945年8月初めに行われ、大半が一般市民の、150,000人から、250,000人の死者をもたらした。アメリカ当局は、この威力の誇示が日本の降伏を早め、アメリカ軍に多数の死傷者をもたらす可能性があった日本本土上陸作戦を不要にしたと述べている。同時に、二度の爆撃、特に広島爆撃は、根本的に、人の道に外れた、 敵国の一般市民に対する大量破壊兵器の使用を禁じた条約の精神に違反するとして、世界の人権コミュニティーによって、何度も非難されてきた。

放射性降下物が、広島と長崎の子供達を傷つけ、一部の人々に様々な病気を引き起こし、それ以外の人々対しても、高額な医療検査や、絶えざる健康不安をもたらしている、今日も続く原爆問題を、日本の当局者や世界の人権活動家達は提起している。

記事原文のurl:http://rt.com/politics/217787-naryshkin-russia-hiroshima-trial/

by めい (2015-01-04 08:04) 

めい

《情報操作の対象外である集団から、情報操作を認識することは比較的容易であり、多くの場合は双方に対する信頼性の低下という形で表れる。》
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/410.html

情報操作についての重要な記事を見つけたので、どこにメモしようかと迷ったのですが、ここに貼付けておきます。

スタートはここからです。
http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/625.html

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旧ソ連共産党の手法を例に挙げる。なお、これらの手法はソ連共産党に限らず、どのようなグループにおいても用いられ得る。

匿名の権威(ロシア語:Анонимный авторитет)
「消息(信頼すべき)筋によれば…」等のフレーズで始まり、記事の内容に権威を与えることを目的とする。この「筋」の名前は決して明かされることは無い。

日常会話(Будничный рассказ)
暴力、殺人等、人々が否定的に受け取る情報をあたかも日常会話のように記述し、心理的習熟効果を発生させ、反応を麻痺させる。

ハンガー・ストライキ(Голодовка)
本来は抗議手段であるが、現代のハンガー・ストライキはマスコミと密接に連携して行われる。

泥棒捕り(Держи вора)
何らかの事件に対して批判・責任を問われる筈の人物が、他者に先駆けて事件を批判し、国民の怒りを他方向に向けさせる。

撹乱(Забалтывание)
大量の誹謗中傷を流し、事件そのものに対する関心を低下させる。いわゆる情報ノイズ。(管理人注:やっているのはHungarian Black Intelligenceやその下請け)

感情共鳴(Эмоциональный резонанс)
デモや集会等における群集の扇動。群集を理性ではなく、感情レベルで反応させる。

感情整列(эмоциональная подстройка)
一定のシチュエーションを用意して、群集の感情を均一化させる。

ブーメラン効果(Эффект бумеранга)
国家権力により弾圧・迫害されることで、「自由の闘士」というイメージを作り出し、官営マスコミの報道を逆用する。

ハレーション効果(Эффект ореола)
政治家、芸能人等の著名人の横に並ぶことで自分の信用を高める。

一次効果(Эффект первичности)
最初に発信された情報は、後発の情報よりも優先され、信用されやすいという原理に基づく。

プレゼンス効果(Эффект присутствия)
事件現場から発信される情報は、人々に現実のものと受け取られやすい。臨場感を演出するために、しばしば、やらせが行われる。

管理人注:自ら事故現場まで足を運び,庶民の味方であるように装う(平凡化)。 

情報封鎖(Информационная блокада)
軍事行動や刑事事件の際に情報の流通を制限又は停止させる(報道協定など)。情報支配と密接に関係しており、当局の一方的な情報が流される。中国・北朝鮮・ビルマ・イラクでは、国全体に情報封鎖がされている。またサウジアラビアは外国メディアの内政取材を一切許さない。

仲介者の利用(Использование медиаторов)
集団に対して情報操作を行うために、その集団のオピニオン・リーダーに狙いを定めて工作する。しばしば、オピニオン・リーダーは金品等で買収されることもある。

分類表(Классификаторы)
決まりきった単語、フレーズを使用することで、事件がどのようなものなのか分類してしまう。

コメント(Комментарии)
人々を一定の方向に誘導するために、事件に対する解釈を付け加える。

事実確認(Констатация факта)
一面的な事実を提示して、世論を誘導する。

虚偽類似(Ложная аналогия)
世論操作に都合の良い「原因-結果」の因果関係を作り出す。

フィードバック(Обратная связь)
予め特定の結論が得られるような質問を作成しておき、一般の視聴者の回答を受けて、視聴者全体の意見に偽装する。テレビの電話投票やネット投票等。

側面迂回(Обход с фланга)
主題とは無関係な記事の正確性を期して、記事全体の信憑性を高める。真実に紛れれば嘘の信憑性は高まる。

注意転換(Отвлечение внимания)
スローガン等を駆使して、世論の注意を別の方向に向けさせる。

事件の目撃者(Очевидцы" события)
事件の目撃者を証言させ、感情共鳴を引き起こすことを目的とする。目撃者は、しばしば、プロの俳優であることがある。

歴史の書き換え(Переписывание истории)
国家、民族全体に対する長期的な情報操作。

観点の偏り(Перспектива)
紛争の報道において、どちらか一方の主張のみを取り上げ、他者の立場を無視する。いわゆるスピン。

反復(Повторение)
同じフレーズを反復して、人々の記憶に刻み込ませる。嘘も百回言えば真実となる(ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉)。

すり替え(Подмена)
否定的な意味を有する言葉を受け入れ易い言葉に置き換える婉曲的手法。たとえば、テロリストはレジスタンスとなり、略奪行為は抗議デモと報道される

半真実(Полуправда)
虚偽の中に一面的な真実を織り交ぜ、記事全体を真実に見せかける。

コントラストの原理(Принцип контраста)
心理的に対照的な刺激を受けると、人間の知覚や認識に対比効果が出る。

観測気球(Пробные шары)
世論の反応を見るため、試験的な報道を流す。

心理的ショック(Психологический шок)
感情共鳴のピークを利用する。生々しい戦災や事件現場の映像が利用される。

格付け(Рейтингование)
例えば、選挙の立候補者の能力や当選の可能性等の格付けを行い、世論を誘導する。

センセーショナリズム(Сенсационность)又は緊急性(срочность)
緊急性を有する事件・事故の報道において、報道を一方的に飲み込ませる。

アクセントの転移(Смещение акцентов)
事実を改編することなく、強調点を転移して事実の意味を変えてしまう。

連想の創出(Создание ассоциаций)
隠喩、比喩を駆使して、敵対者に否定的な印象を与える。

情報の波の創出(Создание информационной волны)
情報の一次波を起こし、不特定多数による大規模な二次波を発生させる。いわゆるブログの炎上。

問題の創出(Создание проблемы)
記事のテーマを指向的に選別して、強調したい問題を提起する。

脅威の創出(Создание угрозы)
敵対者(反対意見)の危険性を強調して、よりましな(当局に好都合な)選択肢を選ばせる。

社会的同意(Социальное одобрение)
社会全体が報道の中の意見に同意しているような印象を与える。逆の手法(社会全体がその意見に不同意)は、社会的不同意。

癒着提案(Сросшиеся предложения)
互いに無関係な情報から一定の意味のある文章を作り上げる。これらの情報は個別的には事実であるが、組み合わせの結果、読者に誤った印象を与える。

予告打撃(Упреждающий удар)
世論の否定的反応を引き起こす政策を採る際、情報を事前にリークし、決定採択時までに世論の関心を低下させる。

毒入りサンドウィッチ(Ядовитый сэндвич)
序文と結論に否定的報道をおいて、肯定的な報道を挟み込み、肯定的な報道の意義を低下させる。逆の手法(肯定的報道で否定的報道を挟み込む)は、砂糖入りサンドウィッチ(Сахарный сэндвич)と呼ばれる。

対処

情報操作に対しては、様々な対抗手段がある。

情報源との意識的遮断
テレビ、新聞等即時性の高い媒体の閲覧を一時的に停止し、書籍のみに目を向けるようにする。停止中は、物事の観察力が向上するが、時事問題に疎くなるという短所がある。
専門的情報源の閲覧
専門的な問題に関しては、その分野の専門家の著作等を読んだ方が良い。ただし、その専門家自身が既に情報操作の影響を受けている可能性もある。

危険性

危険性は大きく分けて情報操作の直接的な影響によるものと間接的な影響によるものに分けられる。

直接の影響

情報操作により誤った結論が導かれ、それに基づいて対象者が行動するというのは、情報操作の一番顕著な影響であり、危険性である。特定集団の利益になるため、情報操作が行われる場合は、より多数の集団の損失を伴うことが多く、情報の検証が欠かせない。しかし情報操作により、常に操作側の意図している通りに対象者が行動するわけではない。対象者の信頼が低い場合、情報操作を常に疑われるため、意図する方向と逆に行動する場合がある。

操作側にも情報操作の危険性が存在する。情報操作に成功したと認識された場合、実際には失敗していても情報操作を続けようとする可能性が高い。現実と内容の乖離が続くと、情報操作側が、操作しているはずの情報を事実だと認識し、行動するようになる場合がある。最終的には、客観的な事実を陰謀や党派的な主張、あるいは差別など主観的な論理から批判するようになる。

間接の影響

情報操作の成功、失敗に関わらず、後の検証で情報操作が発覚した場合には、一般的に操作側に対する信頼性が低下する。失った信頼性を取り戻すのは容易でなく、再度の発覚後は回復に必要な時間は大幅に増加する。このため、常に情報操作を行うのではなく、必要な時だけ行い、それ以外は避けて真実を報道し続けることが最も効果的な情報操作である。

情報操作の対象外である集団から、情報操作を認識することは比較的容易であり、多くの場合は双方に対する信頼性の低下という形で表れる。(以上はWikiより解説・編集)

by めい (2015-02-12 05:47) 

めい

《不思議なのは、オバマが日本への原爆投下に際し、謝罪の意向を示したところ、日本サイドがその必要はないと、止めたことがあったと、スノーデン氏は語っているというのです。》

マドモアゼル愛さんの「愛の日記」です。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?mode=view&no=1

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■ 3月10日、、11日、、 New! 2015年03月11日(WED)

3月の10日と11日は、日本にとって忘れられない日です。

昨日の10日は東京大空襲がありました。11日は震災4年目となります。

大空襲では10万人が、震災では数万人が亡くなっています。

10日の大空襲では、まず、下町を円周状に爆弾を落とし、ドーナッツ状の円周内から人々が逃げられらなくしました。

それから、人が脱出できなくなった円周内を焼き尽くす焼夷弾を落としたのです。

狙いは、武器弾薬でも化学工場でも軍事工場でもない、人間の虐殺が目的でした。

そして一夜にして10万人が焼死しました。あきらかな悪意がそこには見られます。戦争行為とは異なる内容であり、決して許されるものではありません。

さらに日本はその後2回の原子爆弾を投下され、再び10万人単位での焼死者を出したのです。

そして終戦。日本は二度と戦争をしない、、、と誓ったのですが、それでは問題があるという昨今の流れになりつつあります。

不思議なのは、オバマが日本への原爆投下に際し、謝罪の意向を示したところ、日本サイドがその必要はないと、止めたことがあったと、スノーデン氏は語っているというのです。

ありそうなことです。沖縄からの米軍撤退に難色を示したのも、日本サイドであるという見方もあります。

米軍がいる、、、そのおかげで自分らが良い思いができる、、、と、そう思っている人が日本にいるとしたら、本当に悲しいことです。

政治とは一体何なのでしょう。権力とは、そんなものでいいのでしょうか。

今の日本人の多くは、戦争を回避し、これまでの平和な日本の歴史に誇りを持っている人が多いのではないでしょうか。

大体、日本が戦争に巻き込まれたとしたら、あっという間にテロにやられます。原発が一体何基あるのでしょう。攻められたらあっという間におしまいです。

水源に毒を入れられても、大都市は機能しなくなります。

もはや、本気で戦争などできる時代とは違うのです。それでもやりたいというのは、目的が他にあることの証明ではないでしょうか。

近代の戦争のほとんどは経済行為、すなわち金儲けです。そのために人が何人死のうが、大地が荒れ果てようが構わない、というのは、もう筋が通らない話しです。

大きな時代の流れは、対立ではなくて、融合に向かっています。エネルギーが原発経由などとは、もうすぐ笑い話しとなり、フリーエネルギーがあっという間に浸透する時代が訪れます。

フリーエネルギーなんて夢物語りだ、という意見がまだ多いのですが、それはむしろ現実を知らない血迷いです。本気で取り組めば、あっという間にフリーでエネルギーを得る道は達成するでしょう。

高速道路を作り、ビル群を作り、鉄道を敷き詰め、電柱をくまなく張り巡らした、、、あの努力の数パーセントの力を振り向ければ、あっという間に実現できるはずです。

しかし、まだ戦争で儲けたい、、、人をだましてでも権力を得たい、、いくら長生きの知識や方法を独り占めしたとしても、せいぜい、100歳が限界でしょう。

みんなでやり方を変え、みんなで新しい時代を築いた方が絶対に得なのです。

一部の金持ち、権力者は、これまでの勝負での勝者でいいので、次はもっと面白いことをした方がよいと思うのです。

権威を増したり、人々を奴隷化する道とは別の、本当に心から尊敬されるような方向転換を図る方向です。

勝者が正しい目標を持てば、官僚も新たな目的が与えられ、活気づきます。企業も正しい目的の手足となるなら、夢が出てきます。

みんなですべてやり直し、、、一人も脱落者を出すことなく次の時代へ行こうとするのが、これからの神の道だと思います。

宇宙はそうやってできているような気がします。余分なものは何ひとつないこの宇宙。私もあなたも偉い人も普通の人もひどく落ちぶれてしまっている人も、本当は大差ないことがわかると、これからの道が見えてきます。

幸福も不幸も大差ないという価値が見えてくる時代には、誰もが、自分なりに参加しながら生きられる。

ひとつの命から出てきた皆は、それぞれの役柄を背負っているものの、大差なし。

皆で演じるひとつの芝居。ただ、参加意識は重要。貧乏、、、やってやろうじゃないの、、、。

振られ役、、、やってやろうじゃないの。

誰もが自分の役柄に居直れたら、芝居だから何をやっても面白い。複雑な感情がこれほど磨かれる世界は地球以外になし。

宇宙人はきっと垂涎の思いで、一見、愚かにも見える地球人を羨んでいるはず。

ほんとうにすごい世界に私たちは生まれてしまったものであります。

だから一人一人が輝いてくると面白いことになるわけです。

なのに、心配だとか、、、将来が不安だとか、、、孤独が怖いとか、、、つまらない役で踏みとどまろうとする人が多いから、時代がなかなか動かない。

動かないから、強制的な力が段々と加わる、、、すると人はそれを恐れる、、、本当は時代の力が私たちを助けようとして働いているのに、それを恐れる、、、

勘違いしやすい人類。強制的な不幸と思える事柄は、きっと神の手が直接介入し始めた、、、のだと思えば、怖いものはなくなるはず。

今のあなたのお役は何でしょう、、、将来不安の役ですか。その役は人数的にちょっと大過ぎるので、強制的に役柄を変えられるケースが出てくるようです。

ともかく、何があっても、一応、ウエルカムと迎えるようにすれば、芝居はきっと面白くなってきます。

by めい (2015-03-12 04:52) 

めい

《ことはパラドックスまで達している。日本のプレス、文学でのこのテーマの取り上げられ方は、誰がこの爆弾を落としたのかという点が欠如している。原子爆弾が米国で作られたという記述が一切ない。単に原爆の事実が書かれているだけだ。この爆弾がどこかから飛んできたような感じさえうける。》
http://jp.sputniknews.com/japan/20150531/401478.html

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米国が日本人の記憶から 消そうとする犯罪 © Sputnik/ Ovchinnikov
日本
2015年05月31日 16:42(アップデート 2015年05月31日 17:17) 短縮 URL
1074240
1945年5月31日、トゥルーマン米大統領は日本への原爆投下の決定を採った。今日大多数の専門家らは、戦争の終焉に米国が日本に対して行った原爆攻撃を必要ではなかったとの考えを示している。これは米国が自国の力を誇示するための行為だった。原爆が投下された当時、日本政府は戦争終結の手段を模索していたことから、米国による新型兵器の威嚇は全く意味を成さない残忍な行為でしかなかった。
広島、長崎への原爆投下は20万人以上の日本人の命を奪った。これに世界中が大きなショックを受けた。なぜなら人類はかつて、こんなことは経験したことがなかったからだ。米国は日本の2つの都市に原爆を投下したことに対し、結局何の謝罪も行なっていない。とはいえこれは、十分に軍事犯罪に値する行為だ。日本のほうもこの問いを前に推し進めることはない。その理由についてロシア科学アカデミー日本調査センターのヴァレリー・キスタノフ所長は、この問いは戦後に出来上がった日米の戦略的協力関係にはそぐわないからとの見方を示し、次のように語っている。

「 ことはパラドックスまで達している。日本のプレス、文学でのこのテーマの取り上げられ方は、誰がこの爆弾を落としたのかという点が欠如している。原子爆弾が米国で作られたという記述が一切ない。単に原爆の事実が書かれているだけだ。この爆弾がどこかから飛んできたような感じさえうける。そのわけは明瞭だ。戦後の日本は長きにわたり、事実上米国の占領下にあり、経済も依存していた。西側の戦後復興のためにマーシャル・プランが編まれたが、これに似たプログラムが米国によって日本のためにも策定されていた。日本経済に奇跡が起きたのもこのプログラムに負うところが大きい。米国側からすれば、これは当然、欲得のないものではなかった。ソ連は勝利を収め、第2次世界大戦を終結させたが、世界には新たな戦争が展開されていた。こんどはこれは「冷たい」戦争だったが、それでも長くひきずる、出費のかさむことにかけては引けをとるものではなかった。米国が必要としたのは第2次大戦後の廃墟から日本を代表とするアジアに「反共の防波堤」を早急に築くことだった。この目的で米国は日本をかつての敵国からアジア太平洋地域における主たる戦略的パートナーに仕立て上げたのだ。こんな条件下ではもう、日本の政治家は誰が原爆を落としたのかを指し示すこともできなかったのだ。」

原爆の悲劇を忘れまいとする様々な行事が行なわれているにもかかわらず、日本人の意識からは次第に誰がこの犯罪を行なったかという点が消えつつある。これはもちろんのこと日米関係に便宜を図って行なわれている。米国は未だに経済、政治、安全保障、プロパガンダといった側面で日本に一定の影響力を持ち続けている。

by めい (2015-05-31 21:37) 

めい

なぜ日本は、米国に原爆投下に対する謝罪を求めないのか?
http://jp.sputniknews.com/japan/20150803/690527.html

2015年08月03日 22:44(アップデート 2015年08月03日 22:56) 短縮
1945年8月6日に広島、そして8月9日に長崎に、米軍が原爆を投下してから、今年で70年になる。両市の市長は、米国に対し謝罪を求めているが、日本政府は、そうした謝罪の必要性はないと考えているようだ。

当時広島と長崎では、何十万もの人々が亡くなった。そしてその後も長い間、さらに何十万もの人々が、放射線障害に苦しみ亡くなっていった。そうした犠牲者の大部分は、一般市民だった。この事は、人島と長崎への原爆投下が、戦争犯罪である事を意味している。しかし米国は、日本国民に謝罪をしてこなかった。そして日本当局も、日本のマスコミも、そうした謝罪を求めていないようだ。ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのワレーリイ・キスタノフ所長は「そもそも、原爆投下というテーマに対するアプローチが、とても奇妙だ」と考えている。彼は、ラジオ・スプートニク記者の取材に対し、次のように述べたー

「このテーマに対する日本のマスコミのアプローチは、とても一面的だ。なぜ米国が、ああした野蛮な戦争遂行手段に頼ったのだろうかという原因究明の試みは、事実上なされなかった。反対に、日本のマスコミや政治家達は、あらゆる方法でこの事実を避けているが、その中には、たくさんの人々の命を奪った非人間的行為をしたのは誰かについて、単に口をつぐもうとの試みが見て取れる。
原爆投下については、それがどの国によって製造されたのかといった言及はなく、抽象的に述べられている。つまり米国という名は、直接出てこないのだ。その理由は簡単だ、米国は現在、日本政府の主な軍事的政治的同盟国だからだ。そればかりか日本は、米国の核兵器に苦しんだ経験を持ちながら、現在米国の所謂『核の傘』の下にある。米国は、多くの日本人にとって、中国の脅威が増している中、日本の安全を保障してくれる唯一の国と受け止められている。日本国内で中国の軍事的脅威というテーゼが誇張され、日米安全保障条約に期待が集まっている今、日本の政治家達は、原子爆弾投下に対する米国の責任という尖鋭的問題を避けて通るのだろう。」

米国政府の公式的な立場は、広島と長崎への原爆投下は、日本の無条件降伏を早め、日本本土が決戦場となる事で米国兵や日本の一般人の多くの命が失われないよう、ああした決断をしたというものだ。しかし米国の歴史家、例えば日系米人学者であるハセガワ・ツヨシ氏は「日本が無条件降伏をしたのは原爆投下ではなく、ソ連の思いもかけない対日参戦だ」と考えている。つまり、米国の専門家も、非人間的な広島・長崎への原爆投下が軍事的に必要不可欠なものでなかったことを認めているという事だ。

おまけに内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露した資料によれば、2009年オバマ大統領は、広島を訪れ、日本国民に公式的に謝罪するつもりだった。この件についてオバマ大統領は、電話で藪中三十二(やぶなか みとじ)外務事務次官〈当時〉と討議した。それ以外に、当時のヒラリー国務長官の指示で米国は、日本に公式書簡を送り、その中で、原爆投下に対しオバマ大統領が謝罪する意向を伝えた。しかし、それに対し薮中外務事務次官は「そうした行為は時期尚早だ」として米国側の謝罪の考えを断念させた。薮中氏の意見によれば、広島の平和式典にオバマ大統領が出席し、米国人によるあの野蛮な行為を日本人に改めて思い出させることは、米国との軍事同盟に反対する勢力の手に切り札を与えてしまう恐れがある、との事だった。現在安倍首相は、日本の安全の重要な保証国として米国との同盟の強化に期待をかけている。それゆえ、米国が原爆投下について日本に公式に謝罪するという問題が、近い将来、提起される事はないだろうと思われる。

by めい (2015-08-04 03:45) 

めい

米国は広島・長崎について日本に謝罪するべきか?
http://jp.sputniknews.com/japan/20150804/691141.html
2015年08月04日 02:20(アップデート 2015年08月04日 02:39)

数十万人が犠牲となった広島・長崎原爆から70年という、悲しむべき記念日が到来する。原爆を投下した米国はいまだに日本の民衆に謝っていない。ところで、謝ることは必要なのか。

スプートニクはこの質問を著名な日本のブロガーでジャーナリストの鳥越俊太郎氏に向けてみた。

ロシア極東で広島・長崎への原爆投下による犠牲者追悼行事行われる
「原爆投下というのは広島では一発の爆弾で15万人が死んでます。長崎では一発の爆弾で7万人が死んでます。その後もたくさんの人が死んでいますから数はもっと増えてますが、しかし、たった一発の爆弾で15万人を殺害するというのは、集団虐殺、人道に対する罪と認定してもいいと思います。つまりドイツがアウシュヴィッツでユダヤ人に対してしたことと同じようなことを米国は日本に対してやったわけです。」

「もちろん戦争ですからお互いに殺し合いをしているわけですが、なにも戦闘にかかわっていない一般市民、女性、子ども、老人など、銃砲も何も持っていない一般市民が瞬間的に15万人も殺された、これは人道に対する罪、要するに正義に反する行為です。これは当然謝罪しなければいけないわけです。ですが日本は戦争で米国に負けましたので、極東裁判で日本が裁かれただけで、米国を裁くところはどこもなかった。それから米国とソ連の冷戦が始まり、ソ連も核兵器をつくりました。そういうなかで、米国は、核兵器を使ったことを謝罪するというチャンスはなかった。彼らはそれを認めたくないから、「日本が最初にパールハーバーを攻撃して始まった戦争を終わらせるために原爆を使った」と言ってます。「日本人の命と米国人将兵の命、何十万という命が、この原爆のために助かったんだ」という言い方をずっとしています。だから、「原爆を使ったことは正しかった」というのが米国政府の、米国人の認識です。ですが、日本も中国などで悪いことを一杯してますけども、ここまで残酷なことはやってない。一発の爆弾で15万人の、戦闘員でもない一般市民を殺害するようなことは、どこの国もやっていない。
だから本当は、米国はオランダのハーグにある国際刑事裁判所で裁かれるべきですが、刑事裁判所ができたのはずっと後ですから、前にさかのぼって裁くということはできないので、原子爆弾の投下については今までどこも裁いたことがない。米国政府も米国民もそれについて謝罪したことはないし、未だにそれは正しいことをやったんだと思っている」

なぜ日本は、米国に原爆投下に対する謝罪を求めないのか?
スプートニク:ネット上のある英文記事によれば、2009年、米国のオバマ大統領は、広島の追悼式典に参加して、日本人に対し原爆投下を謝ろうとしたが、日本政府はそれをしないように呼びかけたという。オバマ氏が謝れば、日米軍事同盟の敵方に切り札を与えてしまう、というのである。米国の謝罪は日本政府にとって必用なのか?

「オバマ大統領が「謝罪する」と言ったというのははじめて聞きました。そんなことはないです、絶対に。米国大統領が原爆投下について日本国民に謝罪するなんてことは絶対にやりません。米国国内からものすごい反対がある。米国国民は原爆投下は正しかった、正義の手段だったと思っているのに、大統領が日本に行って日本国民に謝罪するとなったら米国中が大騒ぎになる。それはできないだろう。日本政府が反対したという前に、米国国内でそれは認められないだろう。オバマ大統領はそのようなことは言っていないと思う」

by めい (2015-08-04 03:47) 

めい

たしかに世の中の原爆に対する視点が変化しつつあるのを感じます。
「14万人虐殺したのは誰なんだ」!

   *   *   *   *   *

227 名前:かんた 2015/08/07 (Fri) 05:08:37
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15478331
host:*.telefonica.de
私はドイツ在住、

今日は、こちらでも大々的に、広島にロックオンしてました。
すべての報道が、それを前提に動いているような感じです。

その報道を観た友人のドイツ人やイタリア人、その他のヨーロッパ人も口を揃えて、
あの原爆投下を非難しています。

あれが何のための投下か、もうこちらではみんな知ってます。
知らないのは日本人だけです。

戦争を終わらせるために不可欠なものだったとか、
日本人ですらそう思っている人が多いというのが悲しすぎます。
まさに洗脳です。

でも、もう世界は知っています。
そう実感したのが、今日の収穫です。

もう我々は、騙されてはいけません。
それを世界が知った以上、できるだけ早急なる日本人の覚醒を
こころより願ってます。

by めい (2015-08-07 06:08) 

めい

《一番の問題は米国がいまだに日本に謝罪も悔いもしていないことだ。広島・長崎原爆について責任を有する人々は、安眠し、良心も痛まなかった。これが一番恐ろしいことだ。》

   *   *   *   *   *

米国、広島・長崎原爆という残虐行為で国際法廷に問われるか? © Flickr/ Thilo Hilberer
2015年08月06日 22:06(アップデート 2015年08月06日 22:12)
http://jp.sputniknews.com/japan/20150806/708042.html

ロシア議会下院のナルィシュキン議長がモスクワ国立国際関係大学で開かれた原爆投下70周年をテーマとする円卓会議で、広島・長崎原爆に関する国際軍事法廷を開く必要がある、と述べた。著名な政治学者で元駐日大使、アレクサンドル・パノフ氏はこれに次のようにコメントしている。

「議論の余地なく、これは非人道的な兵器使用である。それも、故意に市民を狙ったものだ。何しろ広島・長崎には重要な軍事施設はなかったのだから。言ってみればこれは、第二大戦中のドイツによる化学兵器使用にも勝る残虐行為だった。ドイツのガスは兵士に対して使用されたのだから。それでもガス攻撃は非人道的行為とされている。結果化学兵器は禁止され、今や廃絶されつつある。

日本人は広島と長崎への原爆投下に対する米国からの謝罪を待っている
日本への原爆使用に軍事的必要性はなかった。原爆投下の決定が下る前夜、7人の最高級米国将官のうち6人までが、軍事的必要性はなく、倫理的観点から野蛮きわまる反人道行為となる、と主張した。原爆ののち、日本の最高軍事委員会は開催されなかった。爆発現場を調査した日本の軍人たちは、破壊は甚大だが、それは1945年3月に米国が東京の大部分を爆撃し、焼き尽くし、10万人の市民を死なせた一件と同程度だ、とした。これもまた、絶対的に非人道的で、全く無根拠な行動だった。なぜなら東京には軍需工場や軍部はなかったのだ。しかし、のちの経過をみても、広島・長崎原爆は日本に降伏を決意させることはなかった。ソ連が参戦してはじめて、8月9日朝11時、最高指導部の会合が召集され、鈴木首相は、ソ連が参戦しては、日本の状況は全く絶望的だと明言し、降伏条件を飲むことを主張したのだ。
一番の問題は米国がいまだに日本に謝罪も悔いもしていないことだ。広島・長崎原爆について責任を有する人々は、安眠し、良心も痛まなかった。これが一番恐ろしいことだ。広島・長崎壊滅のあとにはほかの犯罪も続いたのだから。ベトナムで米国がナパーム弾で平和な村を焼き払った様子、ダイオキシンで森林・畑を根絶やしにし、人々が苦しめられた様子を我々は知っている。そのあとには恐るべきユーゴスラヴィア空爆があった。

もちろん、原爆を決定し、または実行した人は、現存しない。しかし、広島・長崎について法廷を開く意味があるとすれば、それは、その行為自体を裁くことにあろう。それは今後、同じような正確の悪行を防止するのに必要なことだ。また、米国が市民に対しこの非人道的で全く野蛮な行動をとったことを謝罪し、悔いることが、非常に重要だ。ちなみに1945年時点で既に存在した国際法に、軍事行動による損害からなるべく市民を守るように、との要求は規定されている。

国連、「広島の悲劇は軍縮の必要性を語っている」
むろん、広島・長崎に関する法廷が国連安保理の決定で開かれることは想像しにくい。米国がそれを阻止するだろう。今年5月、G7サミットのあと、日本は、広島訪問を提案したが、米国は拒否した。最近まで米国はハイレベルの広島・長崎訪問を避けていた。なぜなら心の奥底で、彼らは理解しているからだ。なんという恐ろしい犯罪を仕出かしてしまったのか、と。しかし悔いることは予定していない。その行動を見る限り、何ら良心の呵責も無いようだ。彼らは自分用に、都合のいい言い分を考案した。広島・長崎原爆は戦争を早期に終わらせ、米国の兵士らの命を救ったのだ、というのだ。しかし現実には、空虚な言い分である。
法廷開設は米国が否決するだろうから、現状では、政治家、社会活動家、学者、記者らからなる国際社会法廷の開設が可能なだけだ。こうした人らが集まり、問題を討議し、独自の判決を下す、というものだ。それは非常に大きな意義をもつだろう。もしかすると、法的拘束力ある国際法廷の開設を判決として出すかもしれない」

by めい (2015-08-07 06:14) 

めい

広島、長崎に原爆を落とし、ソ連軍の占領から日本を救ってやったというのも事実ではない。広島、長崎は一般の市民を殺戮した蛮行だった。 © Sputnik
オピニオン
2015年08月08日 17:07(アップデート 2015年08月09日 03:05)
アンドレイ イワノフ
http://jp.sputniknews.com/opinion/20150808/714736.html

米国の雑誌「フォーリン・ポリシー(外交政策)」にロシア出身の歴史学者セルゲイ・ラドチェンコ氏の論文、Did Hiroshima Save Japan From Soviet Occupation?(「広島は日本をソ連の占領から救ったか?」)が発表された。論文には、1945年8月、スターリンが北海道占領を断念したのは、米国が広島、長崎に落とした原子爆弾に驚いたからでは全く無く、米国との連合関係を維持しようとしていたからだということが説得力を持って証明されている。

ところが、スターリンが原爆投下に恐れをなしたという発想が支持されているのは西側の専門家社会に限らない。この発想に対してどうやらラドチェンコ氏は戦いを挑んでいるのだが、実はこれは日本の専門家らの間でも支持されている発想なのだ。たとえば国際政治学者として有名な青山学院大学の袴田茂樹名誉教授もやはり、西側と見解を同じくしている。

なぜ日本は、米国に原爆投下に対する謝罪を求めないのか?
「スターリンはポツダム会談のときに、米国のトルーマン大統領から米国が強力な特殊兵器を完成したという情報を入手しました。スターリンは予め得ていた情報からすぐにそれが原子爆弾だと理解しましたが、わざと動揺しないポーズをしたことはよく知られています。ポツダム会談の後、スターリンは米国に対して北海道の半分も要求し、ロシア(ソ連)の占領下におく提案をしましたが、米国はそれに対し、強く抵抗し、認めなかった。
スターリンが最終的には北海道の占領を放棄したのは日本に対する好意ではなく、ドイツと日本の敗北後、ソ連は米国を最も恐れたからです。したがって北海道を占領する、ないしはソ連の影響下に置くことを断念した最大の理由は、米国との衝突を恐れたからと言えます。ポツダム会談後に、広島、長崎への原爆投下という事件が起きたわけですが、これに関連して、今日までロシアと米国の歴史認識が対立しています。

ロシアは、ルーズベルト大統領の要請によってソ連は対日戦に参加し、ソ連が参戦したために日本は降伏したのだと主張しています。それに対して米国は、確かにルーズベルトはソ連の対日参戦を要請したが、しかし米国が広島、長崎に原爆を落としたから、日本は降伏したのだと主張をしています。この歴史解釈をめぐっては、ロシアと米国の見解は今でも対立しています。」

日本人は広島と長崎への原爆投下に対する米国からの謝罪を待っている
歴史の容易ではないこの1頁に対して、ロシアはどういった見解をもっているかについて、ラジオ「スプートニク」は有名な日本専門の学者でモスクワ国際関係大学で教鞭をとるドミトリー・ストレリツォフ教授にインタビューを行なった。ストレリツォフ氏は、露日の学者らが共同で両国関係史についての膨大な学術論文を書くというプロジェクトでロシア側を束ね、牽引している。この論文集はロシア語ですでに出版されており、近々、日本語版も出される。
「原爆投下の都合の良い解釈は、米国が戦後の世界秩序の特殊条件下で必要としたことに立脚している。米国には真珠湾攻撃を行った日本を罰せねばならなかったし、米国人の生命を救わねばならなかったというものだが、これはもちろん『冷戦』であり、核を使ってソ連を恐喝していたのだ。

つまりこれは割合よく知られた話で、我々の史学史では論議が尽くされており、目新しいものは何もない。広島、長崎の原爆投下がスターリンの北海道占領計画にどのように影響したかということについては、私の知る限り、この問題は原爆投下の時点では最終的には解決されていなかった。これが決まったのはだいたい1945年8月の中ごろだった。スターリンからトルーマンに送られた書簡とそれに対するトルーマンからの返事が残されている。

だが原爆投下はこの書簡には何も関係していない。なぜならこの時点では原爆の結果は何も分かっておらず、原爆の破壊力は完全には明らかにされていなかったからだ。これだけの短い時間では核兵器の恐ろしさを十分に評価することも、恐れおののいて、米国の前でしり込みすることも不可能だ。」
Q:だがやはり、スターリンには北海道占領計画はあったのだとすれば、何がそれを放棄させたのだろうか?

「スターリンはトルーマンにあてた手紙でソ連軍がクリル諸島および北海道の一部の占領に参加できるよう頼んだ話は知られている。スターリンがこうした頼みの根拠に使ったのはソ連国民の世論だった。もしソ連が日本占領で何の分け前ももらえないとすれば、国民は気分を害するというものだ。

だがトルーマンは返信に、おそらく8月19日だったと思うが、クリル諸島占領にソ連軍の参戦は支持したが、日本軍の武装解除および北海道の占領にソ連軍が加わることは断固として拒否した。そしてこれをもってこの問題の討議は終了し、その後連合国間でこの件についての理解不足などは一切生じていない。だがスターリンが北海道占領をあきらめたのは米国に驚愕してのことではない。おそらく北海道占領に参加させてくれという依頼自体が米国を触診したことだったのだろう。

実際、スターリンは日本に占領区域を獲得できるとは本気であてにしていなかった。交渉を行なう際には当事者間ではこうした駆け引きが行なわれるものだ。実際自分に必要な分をしっかり確保するために、あてにしているよりもずっと多く、ずっとシリアスな条件を最初から突きつけてくるというやり方だ。このため、この際の取引はソ連がクリル諸島を占領区域として捕るぞ、ということを最終的に決定付けるためのものだったと思う。スターリンは北海道の一部をソ連が占領できるとは本気であてにしていなかったのだ。」

では実際、スターリンが米国の前でおじけづいたというテーゼは何を根拠にしているのだろうか? 8月末にはソ連の専門家らにも原爆の威力が明らかになったところで、こんな爆弾を「空飛ぶ城砦」の異名を持つほど重く、小回りの聞かないB29に乗っけてソ連領の標的にまで運ぶのが容易いことではないことは米国には分かっていたはずだ。なぜなら1946年の8月までにはソ連軍は、ドイツや満州の上空戦で鍛え抜かれた強力な空挺部隊とおびただしい数の秀逸なパイロット団を有していたからだ。
一方で米軍の「威力」についてはソ連内では全く評価されていなかった。なぜなら1944年12月、ナチス軍の注意をそらし、アルデンヌ高地にいた米英部隊への突破を許さないため、ドイツでの緊急進撃に師団を投入したことをソ連は忘れていなかったからだ。ほとんど壊滅状態にあった独軍を前におじけづくような米英軍にソ連を脅かすことなどできようか? 無理な話だ。このためスターリンが恐怖心から北海道占領計画を断念したとするのは笑止千万であり、米国が親切心をだして、わざわざ広島、長崎に原爆を落とし、ソ連軍の占領から日本を救ってやったというのも事実ではない。広島、長崎は一般の市民を殺戮した蛮行だった。この犯罪は戦争法廷で裁かれるべきものなのだ。

by めい (2015-08-09 04:04) 

めい

《原爆投下攻撃前の対日津波爆弾攻撃を日本人が自然災害と誤解したことが、2011年の3.11事件につながった》

   *   *   *   *   *

新ベンチャー革命2015年8月8日 No.1180
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/35162702.html

タイトル:広島・長崎への原爆攻撃の首謀者は、日本人からの復讐恐怖症に悩まされてきた:2011年の3.11大津波は核兵器利用のハックアタックを疑え!

1.今の日本を乗っ取っている米戦争屋の中のネオコンが1945年の対日原爆投下の首謀者と知れ!

 今年は戦後70年の節目ですが、広島・長崎原爆投下から70年が経ったことを意味します。

 日本のマスコミの原爆関連番組は例年通りで、いつものお涙ちょうだいモノです。なぜなら、日本のマスコミは、日本を乗っ取っている米国戦争屋の完全監視下にあるからです。

 彼ら米戦争屋は配下の米軍を日本に駐留させていますが、その隠された目的は、日本人の反米化と、対・在日米軍向けのテロを何よりも警戒しているからです。

 本ブログでは、日本を乗っ取っている米戦争屋の中の好戦派・ネオコンが対日原爆投下の首謀者であるとみなしています。

なお、上記、米国戦争屋(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)およびそのロボット・悪徳ペンタゴンまたは悪徳ヘキサゴンを構成する日本人勢力の定義は本ブログNo.816の注記をご覧ください。

2.対日原爆投下を実行したネオコンは、日本人からの復讐を恐れている

 日本に原爆投下を実行した首謀者・ネオコンは、いつか、日本人が自分たちに復讐するのではないかと内心、警戒しています。なぜなら、自分たちが逆に、何者かから原爆攻撃されたら、必ず、復讐するはずであると信じているからです。戦後70年も、在日米軍を駐留させている目的のひとつは、日本人が原爆被爆の復讐を企てないよう見張ることです。

 ところで、最近、ロシアのマスコミが日本人に対して、原爆観を調査したようです(注1)。それによれば、日本人は誰に原爆攻撃されたかよく認識しており、その被爆を決して忘れていないことがわかります。

 この事実をネオコンはよくわかっており、彼らは常に、日本人からの復讐を恐れているのです。

3.原爆が非人道的兵器であることは開発時からわかっており、米国内でも反対が強かった

 原爆開発者のひとり、オッペンハイマーは、終生、日本への原爆投下に対して罪の意識に悩まされたと言われています(注2)。有名なアインシュタインも同様でした(注3)。このように、原爆の威力を知っていた米国の一部の人たちは、日本人への原爆実験に反対していたようです、当然ですが・・・。

 米軍の幹部も、最初から、対日直接原爆投下を考えていたのではなく、原爆で津波を起こす津波爆弾も視野に入れており、日本と地形の似ているニュージーランドで実験を行っています(注4)。

 この事実から、米戦争屋ネオコンは、日本本土の攻撃法に関し、海底核爆発を利用する津波爆弾実験と、米国内核実験場での原爆投下実験を行った後、対日攻撃として、津波爆弾攻撃と、より殺傷効果の高い原爆直接攻撃の両方を実行したと、本ブログでは観ています(注5)。

 日本では、原爆投下攻撃の前に、津波爆弾攻撃も実施されていることが公には議論されていませんが、非常に残念です。

4.原爆投下攻撃前の対日津波爆弾攻撃を日本人が自然災害と誤解したことが、2011年の3.11事件につながった

 日本では、原爆攻撃と言えば、広島・長崎の原爆攻撃事件しか話題にされませんが、東南海地域を襲った地震津波が原爆応用の津波爆弾攻撃であったことを、当時の日本の支配層は全く追及せず、日本国民にひたすら秘密にしました。

 この日本の反応を見て、米戦争屋ネオコンは、原爆は津波爆弾として使用することで、絶好のステルス攻撃法になることに気付いたのです。それは、今、ハックアタックと呼ばれています(注6)。

 核兵器の独占を企む米戦争屋ネオコンは、対日原爆投下攻撃を深く後悔しています、なぜなら、この攻撃法は非常に効果的ですが、被害を受けた側は、その攻撃者を特定できるという欠点があることに気付いたからです。そのせいで、彼らは、70年後の今も、日本人からの復讐の恐怖に晒され続けています。

 その経験から、彼らは、攻撃効果は劣るものの、ハックアタック法として、津波爆弾攻撃が有効であると判断しているとみられます。

 さて、2011年に起きた3.11事件は、米戦争屋ネオコンによる津波爆弾攻撃と本ブログでは観ています。彼らは3.11対日攻撃を実行する前、2004年にインドネシア・スマトラ沖でも津波爆弾攻撃を実行したと本ブログでは観ています。

 以上より、世界最初の核兵器開発者でもある米戦争屋ネオコンは、核兵器をハックアタック兵器として使用して行こうと考えているでしょう。

 われら日本人は、戦時中の津波爆弾攻撃も、3.11事件も核兵器利用のハックアタック(ステルス攻撃法)であるという認識をまったく持っていません、一部の陰謀論者を除いて・・・。

 この能天気さは、彼らから付け込まれ、今後も核のハックアタックが日本人に適用される可能性が大です。

 これを防ぐには、大津波は核兵器使用のハックアタックではないかと疑う習慣を身に付けて、声を大にして騒ぐしかありません、いくら陰謀論者とバカにされようと・・・。

注1:スプートニク“日本人は広島と長崎への原爆投下に対する米国からの謝罪を待っている”2015年8月6日
http://jp.sputniknews.com/japan/20150806/704975.html#ixzz3iBSpFatl

注2:ロバート・オッペンハイマー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC

注3:アルベルト・アインシュタイン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3

注4:Tsunami Bomb
https://en.wikipedia.org/wiki/Tsunami_bomb

注5:本ブログNo.419『広島・長崎への原爆投下は地震・津波兵器の実験後に決まったのではないか』2011年8月13日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/26026768.html

注6:本ブログNo.1064『2015年世界はハック・アタック(ステルス攻撃)の時代に突入する:第二の3.11事件が計画されていると疑え!』2015年2月17日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34662374.html

by めい (2015-08-09 07:41) 

めい

米国はいかに広島の地獄を準備したか?
2015年08月09日 15:54(アップデート 2015年08月09日 15:56)
http://jp.sputniknews.com/japan/20150809/718044.html

生きている人間を対象とした核兵器の人体実験は、第二次世界大戦の悲劇の中でも最も非人間的なものの一つである。広島・長崎への原爆投下70周年にあたり、起った事の詳細を、今一度少し振り返ってみたい。

今からちょうど70年前の1945年8月、米国はまず6日に広島へ原爆を投下、9日には長崎が、その苛酷な運命を背負った。

当時日本は、超強力な新型大量殺戮兵器にとって理想的な実験場だった。1945年8月までに日本は、米国の敵国として残った唯一の国だった。また日本は、太平洋戦争における米国の同盟国、中国やソ連の圏外にあり、核攻撃が両国に損失をもたらす事はあり得なかったからだ。また戦争は4年目に入り、日本の海軍及び空軍は疲弊し、敵機の空襲に抵抗できる状態ではなかった。


なぜ日本は、米国に原爆投下に対する謝罪を求めないのか?
1945年2月、米国空軍は日本に対し、高度2千メートル以下の低空からの夜間大空襲を開始した。この空襲の特徴は、焼夷弾を用いた事だった。この爆弾は、ほとんどの建物が木造の日本の都市に、大火災を引き起こした。
こうした悲観的な予想を背景に、軍備に新たに登場した核兵器が、俄然注目されるようになった。米国には「リトルボーイ」と「ファトマン」という全部で2つの核爆弾があった。
軍事的なもの以外にも、原爆使用をうながす、他の理由もあった。当時のトルーマン大統領は、米国に敵も味方も含め他のどの国にもない驚くべき兵器がある事を、世界中にいつか示したいと強く望んでいた。まして24万5千の人口を有する広島は、敵の軍事的要衝で、日本帝国軍の補給基地があり、日本南部の防衛に当たっていた第二陸軍軍団の司令部を含め、一連の重要施設が置かれていた。

広島への原爆投下命令を受けたのは、ポール・ティベッツ大佐で、彼は米空軍屈指の優秀なパイロットだった。彼が機長を務めた爆撃機B-29は、彼の母親にちなんで「エノラ・ゲイ」と名付けられた。8月6日、同機は「リトルボーイ」を搭載し広島へと向かった。これは、高濃縮ウランを用いた原子爆弾で重量は4トンを超え、全長は3メートルだった。なお広島までの飛行は6時間と予定された。


© FLICKR/ THILO HILBERER
米国、広島・長崎原爆という残虐行為で国際法廷に問われるか?
「エノラ・ゲイ」以外に、広島への原爆投下には、偵察機、管制機、予備の爆撃機など、さらに6機の米空軍機が加わった。日本側のレーダーは、近づいてくる飛行機群をキャッチし、広島を含めた一帯に空襲警報を発令した。しかし空中で米軍機は、高度をあげなかった。なぜなら日本側は、燃料や弾薬を節約しており、敵機の大量来襲の時のみ反撃に出たからだ。
そして運命の時、現地時間で午前8時15分、ティベッツ機長は、高度9千メートル以上から、広島の中心部に原爆を投下した。爆弾は、地上から600メートルほどの高さまで落下し、そこで炸裂した。爆心地あるいは爆心から1キロ以内にいた人間は、即死し炭のように黒焦げとなった。爆風は、家や建物の中にいた人達にも容赦なく襲いかかった。19キロ四方の家々すべてのガラスは溶け破片となって飛び散った。それ以外に、11平方キロに及ぶ場所では火災が発生し、それらは非常に速いスピードで移動する一つの炎の竜巻と化し、投下直後に生き残った人々を巻き込み、多くの命を奪った。こうして原爆投下直後の犠牲者は、9万人に上った。しかし原爆の恐ろしい後遺症、つまり放射線障害で、次々と人々の命が失われていった。1945年末までには、亡くなられた人の数は16万人に達した。所謂「被爆者」の方達の苦しみは、その後何十年も続き、犠牲者は毎年増えて行った。

この広島の悲劇の3日後、今度は長崎に原爆が投下された。9日、チャールズ・スウィーニー少佐が機長を務める爆撃機は、広島型とは違うプルトニウムを用いた原子爆弾「ファトマン」を搭載し、北九州の小倉に向かった。そこが当初、投下目標だったからだ。しかし9日、小倉上空は、7割も厚い雲に覆われていたため、米軍司令部は、投下地点を予備候補地だった長崎に急遽変更した。米軍機が近づいてきた際、日本の対空砲撃隊は爆撃機を偵察機と受け止めたため、空襲警報は発令されなかった。.長崎では 天候が曇りであったことが、ある程度、幸いした。「ファットマン」の威力は21キロトンで、「リトルボーイ」(18キロトン)よりも強力であったにもかかわらず、爆発地点が市の中心ではなく、北の工業地区にずれたこと、加えて、長崎の地形が起伏に富んでいることが、爆風を弱めた。広島のように炎の竜巻が起こる事もなかった。とはいえ、原爆投下後の長崎の惨状は、目を覆うばかりだった。直後の犠牲者の総数は、およそ8万人に達した。


© AFP 2015/ JIJI PRESS
日本、国連総会に核兵器廃絶決議案提出へ
その後、核兵器を今後どう使うかに関する戦術が、米国の最高指導部で討議された。一つの目のバリエーションは、核爆弾が製造され次第、日本の諸都市を次々に攻撃するというもので、二つ目のバリエーションは、日本上陸作戦開始前に、原爆を集中的に使用した方が良いというものだった。
一方、悪魔のような爆弾の問題に直面した日本側は、それでも、米軍の本土侵略開始まで自分達は持ちこたえるだろうと考えていた。当時はまだ、放射線障害について誰も詳しい事は分からなかったし、それが軍というよりむしろ一般住民に被害を与えていたという事も分からなかった。しかしドイツの無条件降伏から3カ月後、対日参戦に踏み切るという米国及び英国最高首脳との合意に従い、ソ連が戦いに加わり、赤軍が満州に進撃を開始するに至って、もはや日本は、二方向からの攻撃に抵抗するのは不可能となった。

広島・長崎の原爆投下に参加した米国人の中で、その後、自分自身の行動について、悔い改めた者はいない。彼らは「我々は、日本軍国主義に対する祖国の勝利に大きく貢献した」と胸を張っていた。しかし、日本の潜水艦「伊58」の乗組員達は、広島に地獄を用意した者達を厳しく罰する運命を担うことになった。「リトルボーイ」の一部をテニアン島に運んだ重巡洋艦「インディアナポリス」を、その帰途7月30日フィリピン海で撃沈させている。巡洋艦は、日本の潜水艦による雷撃を受けてから12分後に沈み、およそ300人の乗組員が海の藻屑と消えた。生き残った800人以上の乗組員も、4昼夜海上を飲み水もなく食糧もなく漂った。脱水症や幾度にもわたるサメによる攻撃のため、最後まで生き残り救出されたのは、わずか317名だけだった。

by めい (2015-08-10 04:45) 

めい

この問題、スプートニクが熱心です。この先にあるのは日本人のアメリカ離れ、・・・というより、「アメリカをしてそう為さしめているのは何なのか」ということへの関心です。ロシアは「日本人の覚醒」を企図しているようにも思えます。日本人のロシアへの大量移住も、きっちり視野に入れてのことかもしれません。

   *   *   *   *   *

ロシア議会下院議員:広島・長崎原爆について法廷を開く必要あり
2015年08月11日 21:18(アップデート 2015年08月11日 22:17)
http://jp.sputniknews.com/japan/20150811/729891.html

ロシア議会下院議員でアフガニスタン退役軍人連盟代表フランツ・クリンツェヴィチ氏はロシア外務省に対し、広島・長崎原爆に関する国際法廷開設に向けてイニシアチブをとるよう請願した。

「ロシアアフガニスタン退役軍人連盟はロシア連邦外務省大臣としてのあなたにしかるべき機関を通じて米国を裁く国際法廷の開設を請願する。法廷は広島・長崎への原爆投下に客観的な法的評価を与えるものだ」とクリンツェヴィチ氏のラヴロフ外相宛て書簡にある。リア・ノーヴォスチが伝えた。
原爆投下に軍事的必要性は全くなかった、として、同氏は次のように記している。

「それは日本どころか反ヒトラー連合の同盟国たるソ連に対する恐喝だった。同時に、こう語る人はまだ少ないが、米国は強大な殺傷力をほこる新兵器を人間に使用して、その威力を確かめたのだ。よって評価が足りなかったとか誤りだったとか誤算だったとかとは絶対に言えないのだ。米国はこの恐るべき方策に意識的に出た。何が起こるかよく理解した上で」。

「米国高官が70年経って誰も悔いておらず、侘びてもいないことは驚くに足らない。奴らは日本人民に謝る気が無い。そして今後も、米国は常にすべてにおいて正しいのだと主張し続けるのだ」。
「我々アフガニスタン退役軍人は、日本への原爆投下は人類に対する最もおそろしい犯罪であると考え、それはそうとしかるべく評価されるべきだと考える」。

同氏によれば、国際刑事裁判所の根拠法であるローマ規定では、こうした犯罪はあらゆる市民に対する大規模または組織的な意識的攻撃の枠内で犯された行動として規定されている。「原爆投下はローマ規定に完全に合致している。こうした犯罪には時効がない。よって70年経った今も、この行動を人類に対する犯罪と規定するには遅くない。それはそうする必要がある。こうした行動を繰り返すことを誰も考えないように」と同氏。

by めい (2015-08-12 05:44) 

めい

《日本への原爆投下は、ソ連にこの世界を支配するものは今やただ一国であることを示すために行われた》

   *   *   *   *   *

米国の主張「日本への原爆投下は不可避だった」は嘘、ロシア人歴史家 © REUTERS/ Shigeo Hayashi/Hiroshima Peace Memorial Museum
2015年09月01日 18:38(アップデート 2015年09月01日 18:39)

米国が1945年に行われた日本への原爆投下は不可避だったと断言するのは、いつもながらの米国のデマ報道。史学博士で元駐西独・ソ連大使を務めたヴァレンチン・ファリン氏はリアノーボスチ通信からのインタビューのこう語っている。

「米国には、1945年7月、日本が原則的な決定を採択したことをよく知っていた。それは、ソ連が中立条約を破って対日戦に踏み切った場合、日本は降伏するというものだった。米国人は、日本人がポツダム会談の前にソ連に対し、降伏を形成する際に助力する仲介者役を頼んでいたにもかかわらず、ソ連からは拒否されたことも知っていたのだ。

それに広島およびさらに1箇所の日本の都市を原爆攻撃する決定をトルーマン米大統領がくだしたのは、スターリンがトルーマンにソ連は欧州での戦争終結のちょうど3ヵ月後に対日戦を開始すると約した後だった。トルーマンは、日本が降伏するために原爆は必要ではないと考えるアイゼンハワーやマーシャルの反対を押し切って、これを使用する大統領令を下した。」

ファリン氏は、当時米国はすでにソ連の産業都市、行政管轄地の15-20の都市を破壊するのにいくつの原子爆弾が必要かを算出していたと語っている。

ファリン氏は「このため日本への原爆投下は、ソ連にこの世界を支配するものは今やただ一国であることを示すために行われた」との確信を示している。

by めい (2015-09-02 03:47) 

めい

日本の原爆開発秘話

   *   *   *   *   *

374:小川秀之: 2016/10/07 (Fri) 18:45:52 host:*.com.au
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15862681

飯山一郎様

小生零細商売で生計をたてている身なので、先生と呼ぶのはやめていただきたいのですが。あと5年もすれば飯山様は中国政府から勲章でもいただけると思いますが?飯山様は宮崎滔天以来初めて私心なく中国社会に寄与した日本人となると思うからです。

名刺代わりに書きかけている私的戦後史のの2、3章投稿さしていただきます。小生のバックグラウンドが多少おわかりになると思います。下の春とは小生の養母です。

1 春の毒薬

最近まで世にあまり知られていなかったのだが、第二次世界大戦中日本も原爆の研究開発に手を染めていた。                                        
陸軍でのその原爆の研究開発は総勢約30人の科学者により東京の理化学研究所と大阪帝国大学理学部の二か所で行われていた。その約30人の科学者の中に理化学研究所に1人、大阪帝国大学に1人と2人の若い女性がいたのだが、関係者達は敗戦後それら2人の女性達を守ろうとしたためなのか、今でもその女性たちの存在はほとんど知られていない。2人の女性のうち大阪帝国大学にいたのが井上春である。春は神戸女子薬学専門学校を卒業して大阪帝国大学理学部に助手として採用された。男ばかりの環境で若く美人顔の春は皆から可愛がられたようである。戦後大阪帝国大学理学部時代を語るとき、菊池(正士)先生伏見(康治)先生、武田(栄一)先生、竹内(柾)先生などとなっかしそうにそれらの人々の名を口にすることが多かった。僕のうろ覚えの記憶では菊池研究室にいたのだと思う。一度ウランの呈色反応のことに話が及んだとき、高温度で反応してでてくるガスがこの世のものと思われないほど美しかったとこうこつとした表情で語った。キュウリー夫人がちいさなラジウム鉱石を持ち歩いていたのも、発光される色に魅せられたからであろう。春は助手として実験に従事しながら、原子物理学の講義の聴講生となり諸教授の講義をうけた。湯川秀樹博士は大阪帝国大学の原爆の研究開発に関与しなかったが、京都帝国大学から大阪帝国大学出張講義に来ていたそうで、春はその湯川秀樹博士の講義にも出席したそうである。湯川秀樹博士は必ず若い和服姿の夫人同伴で来て、夫人も講義中も最後尾の席で湯川秀樹博士の講義を聞いていたそうである。そのことを口にする春の口調は仲のいいは若いロマンテイックな夫妻でうらやましかったといったものであった。あるとき春が妙なことを口にした。ある時中之島の研究室から帰宅する途中駅でなかなかこない電車を待っているとき、誰かの叫び声と指をさす方向を見るかと西の空に太陽が3個あり、それがぐるぐると回っていたのだそうである。そして春はそのぐるぐると回る3個の太陽をいっしよにみた人達は終戦までに春以外はすべて死んだと付け加えた。春は科学者であったにもかかわらずスピリチュアリズムにも傾く傾向があったので、この異常現象とぐるぐると回る3個の太陽をいっしよにみた人達の死を関連して考えてていたと思える。
今ではこの3個の太陽が現れる現象を幻日(英語ではsun dogs )と呼び最近では科学的説明もなされているが、最近まで怪奇、或るいは珍奇現象としてとらえられ、英国のバラ戦争、アメリカの対スー族戦争などの時のように不吉な予兆と考えられたのであろう。その春の3個の太陽の話がずうっと僕の頭にひっかかかっていた。春は作り話を口にだすタイプの人でないので、それまで見た人もないし聞いたこともない3個の太陽が現れる現象を信じたし、その現象と人の死が関連していることもありうるのかもしれないと考え、太陽が現れる現象をいっしよに見た人達の死にかかわらず死ななかった春は神に守られたということもあるのかなどという思いにもとらわれた。大学時代だと記憶しているがある新聞に3個の太陽が現れたことか゛報道された。その後しばらくニュースに注意したのだが3個の太陽を見た人達が死んだ報道はなかった。最近湯川秀樹博士がアメリカのスパイだったという説を、かなり目にするが、湯川秀樹博士がアメリカのスパイだったという説は根が深いと考えられる。海外の原子物理学者とも交流が深かった湯川秀樹博士を軍部は疑惑の目で監視し、そして湯川秀樹博士が戦時中直接原爆の研究開発に従事していないのは軍部の意向だったのであろう。ある本で原爆の研究開発に従事していた人たちが突如現れたアメリカの戦闘機に掃射され死んだ例がかなりあると書き、湯川秀樹博士のアメリカのスパイ説と関連させようとしていた。たとえ湯川秀樹博士が日本の原爆研究開発の進展を通報したアメリカのスパイだったとしても、原爆の研究開発に従事していた人たちへの掃射と関連づけるのは馬鹿げている。湯川秀樹博士が原爆の研究開発に従事していた人たちの行動の子細を把握できる立場でなかったはずである。湯川秀樹博士が大阪帝国大学への出張講義に夫人同伴で来ていたのは、湯川秀樹博士はいきなり憲兵隊に勾留されたりしたときへの配慮のためだったのかもしれない。しかし原爆の研究開発に従事していた人たちへの掃射ないし暗殺の件はありえたと思える。というのは自分以外、すべて終戦までに死んだ春と3個の太陽をいっしよにみた人達というのは原爆の研究開発に従事していた人としか考えられないからである。もしそうならば日本の原爆研究開発の周りにもかなりアメリカのスパイ網がはりめぐらされていたのであろう。しかし重要なのは主だった原子物理学者は誰一人死んでいないのである。つまりアメリカが日本の原爆の研究開発で末端の仕事に従事していた人の暗殺やサボタージュにかかわっていたとすると、アメリカはきわめてデリケートにことを運んでいたことになる。8月6日に広島に落とされた爆弾が原子爆弾とわかったとき、アメリカの日本の原爆研究の何百倍の規模で行われたマンハッタン計画を知る由もない日本の原爆研究開発関係者達は強い挫折感におそわれたであろう。アメリカが原子爆弾を落とす地を広島に定めた背景には極めた様々な情報の解析に立った上の政治的軍事的判断で決定されたのは間違いない。そして日本の降服を想定し占領後放射能の人体への影響を主とした研究体制までととのえていたはずである。僕の考えではこの原子爆弾投下に日本では空前絶後の社会学的実験も含まれていた。山代巴が『この世界の片隅で』で、原子爆弾は西日本最大の特殊部落の中心の真上に落とし、アメリカの社会学者たちが原子爆弾で跡形もなくなった特殊部落の地に将来特殊部落が再現するのか、特殊部落が消え去ってしまうのか固唾の目をもって見ていたと書いている。山代巴はアメリカが原子爆弾投下に社会学的実験も含まれていたとは考えていないようだが、アメリカの社会学者たちがそこまで知っていて注視していたことと、わざわざ西日本最大の特殊部落の中心の真上に落としたことは関連していたと考えざるをえない。また特殊部落以外の被害をできるだけさけ、主体を特殊部落や人々への被災をもくろんだのは、被災が特殊部落やその人々が主体であれば、日本国内いわゆる一般人からのの反アメリカ、原子爆弾への騒音がすくなくなるという計算も働いたのであろう。いずれにしろ、精緻な科学、人文研究、工業力などがすべてが統合され戦争の国家政策に反映できた深い河のような当時のアメリカの恐ろしさを知ろうともせず研究もせず、開戦した日本人を精神年齢12歳とマッカーサが評したのも驚くべきことではないのかもしれない。日本が敗戦となると大阪帝国大学理学部の面々はサイクロトロンの破棄にはじまる原爆の研究開発の証拠隠しに奔走しはじめた。政府からの潤沢な資金で獲得所持していたで、ウラン鉱、資材、薬品等かなりの量を、原爆の研究開発にたずさわっていなかったとみせかけるレベルに下ければならなかった。春はもちろん原爆の研究開発の証拠隠しの一環で大阪帝国大学理学部から記録上消えた。大阪帝国大学理学部の主幹の人々は、アメリカの進駐につぐ、場合によっては自決にも到りかけないくるのが確実の監査に、若い女性の春をまきこむことはしのびなかったのであろう。
 春が言うには戦後しばらくは闇物質を扱う商売していたといっていた。
その商売の末期には奄美大島からの砂糖を扱っていたようだが、僕は大阪帝国大学理学部のウラン鉱、資材、薬品等を闇市に廻すことから始まったのだ思う。大阪帝国大学理学部の主幹の人々がそれらの物資を横流すことに直接かかわりにくいはずだし、薬品に知識があり、そういうことに度胸がすわっていた春が適任だったと思う。この大阪帝国大学理学部のウラン鉱、資材、薬品等を闇市に廻すことが終わった時点で春と大阪帝国大学理学部との関係は終った。原爆の研究開発にかかわった人々すべてに軍の意向でいざという時に秘密保持のための自決用の毒薬渡されていた。男性達は青酸カリを選んだのだが、春はマチンという毒薬を選んだ。春の説明によると青酸カリで服毒死すると遺体が青白く変色するそうで、若い女性だった春はそれを嫌い、綺麗なままで死にたいことを望み、死んでも変色したりすることがないマチンを選んだそうである。春は馬銭とではなく馬丁という字と海賊旗にあるような髑髏と交差した骨のあるラベルがはった黒褐色の毒が入った小瓶を死ぬまで所持していた。命をかけて懸命にすごした青春の思いでのためであろうし、またいっか使う時があるかもしれないとも思ったからであろう。その小瓶を最後にみたのは、春の葬式の翌朝のことである。僕の人生で今でも残る大きな悔いのひとつはその馬丁( マチン )を春の遺品として貰いそこなったたことである。

by めい (2016-10-09 04:26) 

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