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熊野霊学(1)「やまとをひらきていはとをひらけ」 [神道天行居]

空き家になっていた高畠町夏刈長谷川家(紅一点酒造)から、神道天行居の御分霊をお遷ししたのが2年前の今日。以来毎月19日に月例祭をやってきたが、今日は大祭。息子が旅に出てしまい、その後の忙しさは尋常でないのだが、慌ただしさの合間を縫って、今日こそはと書き始めた。詳しいことは追々書いてゆくことにして、とにかく熊野秀彦先生の「真十日神身認識の皮相的断片語」をアップさせてください。大変な世の中になればなるほど、いよいよこうした言葉が輝いて心に入ってくる。もう出し惜しみするのはやめにしました。だれもが自分のいちばん大事なところをあからさまにして生きてゆく時代になったのだと思う。今日をそのスタートの日としたい。

平成8年前後に書かれたものと思います。真十日神身認識の皮相断片語.jpg

真十日神身(ますかがみ)認識の皮相断片語


各自固有の真十日神身は、飽までその者自身の自己認識によるものである。他者の教戒啓蒙に依ることは出来ない。その認識は内観の持続により、長い間に次第に明確となって行くが、安易な判断による早急な誤認はその時点に於て霊的成長の停滞をひき起こし、真の認識の進展を妨げる重大な原因となり、最も警戒を要する。真十日神身の認識は、顕在意識による思考形態では不可能である。三次元的想念による判断は、悉く玉留魂(たまつめむすび)であり妄念である。真の認識は修法体験により齎される内的自覚であり、思索による観念的認識ではない、つまり考えられたものでは無く、実体として体感されたものである。自己の真十日神身の認識は神の祝福であり、例え断片的なものであっても、これを体認するときは、真の幸福感達成感に繋がり、幸せの予感に溢れる光明生活に踏み込むことを許される。三次元世界の人神は(創世記ではその魄体意識の故に神のとがめによりエデンの園より追放された様に象徴してある)完全な真十日神身認識に近づくにつれて、漸く人間界の至福を垣間見るに到る。神山登拝、各種神法道術の修法の幸福感は、自己の真十日神身の、雲間に隠顕する片鱗の顕現による、高次世界の御感応である。人は真十日神身の彷彿を得て、初めて真の独立自尊を知る。他者への畏敬の念はあっても、追随は次第に希薄となる。断片的認識の中に在っても、その心から懼れ、怒り、とり越し苦労、羨望、等低次元の反応は影を密め、信条(及び心得)の世界が自己周辺のあらゆる経緯に対する感応の、普遍的常識となって、「清明心(あかきこころ)の表現を念願とし努力せんとする」意識改革の実感が、胸奥から湧出するに到るのである。


≪憤怒恐愕苦痛恐怖不安等ノ諸々ノ念想ハむすひノ影ノ一時的転変ニシテ実体無ク存在無キモノナリ之ヲ実体アリ存在セリト妄執スレバ虚妄ノ実体アルガ如ク虚妄ノ存在アルガ如ク自他ノ本霊ヲ昧却ス自他ノ本霊ハ久遠ヨリ未来際ヲ尽シテ絶対清明ナル真澄日神身ニシテ仮リニモ変動アルコト無シ日夜万縁ノ上ニ這ノ正見ヲ日々萬境ニ応ジテ長養スルコト修道ノ正路ニシテ要ハ此ノ金剛信念ヲ薫習長養シテ転退セザル二在リ此ノ金剛信念ハ妄想二非ズシテ一切妄想ヲ照破スル天日ノ光明也之ヲ疑フヲ妄想ト為ス》(友清歓真「信白文艸藁」)


≪幽顕窹寐只是レ真澄ノ産霊ノ神遊ビナルコトヲ明カニ見究メテ物ヲ物シテ物二物セラレズ萬縁二応ジテ心身ヲ労セズ不変不易霊妙不思議ノ大霊光タル我カ真澄日神身ヲ正見シテ一切事上ドウスルコトモイラヌコトヲ知リ一切ノ是非得失二絶対無関係ナルコトヲ忘レズ或ハ悠々タル白雲ノ千峰ヲ飛ブカ如ク或ハ・・・・・還来著衫為主人カ如ク無為ヲ為シ無事ヲ事トシ不出戸知天下不窺牅見天道、坦々蕩々トシテ太古ノ人ノ如カルベシ如何ナル事変モ皆是レ電光影裏春風ノ去来ニシテ夢裡ノ閑葛藤ナリ≫( 〃 )


真十日神身の認識は、信仰や観念的概念では無く、自己の内部に日常的に体認される自から偽ることの出来ぬ霊的体感であり、何ものにも犯されぬ強靭な所信である。それは単なる信念ではなく実感であり、夢中脱魂や幽体離脱、光明体験等はかかる真我認識の前提を為す一風景である。真十日神身の認識は個々人の飽まで内的な独自の大自覚である。その陽極に坐します天祖と、陰極に位し給う素神の御存在の明確な認識に始まり、各種古伝秘辞、大祓詞の修唱、十言神呪奉唱の神秘の究極に、自ずから霊(たま)通うものである。真の意味の人神の祈願行為は、太古以来のナギナミの大因縁、人類発生の根本義に遡及して、この真十日神身の内的自覚より、おのずから発露するものでなくてはならぬ、神訓に「ひとのみちをつくしてかみにたのめ」「やまとをひらきていはとをひらけ」とあるはこの義である。「ひとのみちをつくしてやまとをひらく」、それは直ちに「かみにたのみていはとをひらく」こととなる、この世の一切の苦悩は、自己の真十日神身の陰極であるムスビに執着する、迷妄から生じたもので、全一なる真十日神身の認識は、そのすべてがマスミの照応によるマスミノムスビの認識となる、真十日神身の全一的認識の達成により一切の苦悩は雲散霧消するのである。

 

≪心身既二ますみのむすび二シテ実体無ク我ヲ求ムル二不可得ナルカ故二固ヨリ生死二関セズ迷悟二渉ラズむすひノ影響ニテ順逆苦楽ヲ感スレトモ唯感惟レ応スルノミ二シテ其感亦実体無ク感ヲ受クル主体ヲ求ムルモ亦タ不可得也生死順逆総テ無用無実ノ閑言語トナリ去レリ≫( 〃 )


真十日神身は素神のウケヒの大神徳によりこの地上界に於ける自在体験の表徴であり、いはとびらきの基盤をなす天与の神物である。真十日神身の四魂の働きは魄のウケヒによる一霊の耀映であり、時間と空間のムスビに随って転じ来り転じ去る虚妄の幻影である。三次元界のすべてはその幻影の所産であり、いはとびらきに参入する前段階として、現界の正常化やまとびらきは必須の階程である。一霊は次元の格差を超越した万古不易の永遠の存在であり、人神の再生と高次世界への移行の核となる弥栄の物実(ものざね)である。ヤマトビラキが直ちにイハトビラキとなることは、この尊貴類い無き物実による幽真の大神秘である。今や新た世を迎えるとき、天降る経緯(たてよこ)の十霊(つち)の神秘の発動により、地上界の宿業は次第に消散し、人類のすべてが自己の「不滅不死の霊存在」真十日神身の大自覚のもとに、長期に亘るいはとびらき祈願の新世界に進出を遂げるのである。真のいはとびらき(大括弧の中のヤマトビラキは神武天皇以降)は千年を単位とした長期に及び、一朝一夕のことでは無いが、現在漸進を続けるやまとびらき(小括弧の中のやまとびらきは今世紀末)により、今後地上界は次第に霊化向上の一途を辿る必然の命運にある。


≪古人云、三界唯一心、心外無別法ト、世界広シト雖モ心ノ外ニ求ムルへキモノナク心ヲ求ルニ亦不可得也心ヲ認ムルモノハ迷ヒ心ヲ忘ルヽモノハ達ス心ヲ忘ルヽコトハ我ヲ忘ルヽコト也、我ヲ忘ルヽコトハ一切世界ヲ忘ルヽコト也、只神ノ道二随テ自ラ神ノ道アルノミ玉矛ノ道ヲ求ムル心トハ何モ求メヌ心ナリケリ≫( 〃 )


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めい

木村天山さんのブログを知りました。
http://blogs.dion.ne.jp/tenzan/
by めい (2012-09-22 05:28) 

めい

同じ気線にあると思われました。

   *  *  *  *  *

静かに、静かに、瞑想をするのだ。ほとんどの人類は狂っている。
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/207.html
投稿者 宇宙一いい加減な博士 日時 2012 年 9 月 29 日 05:21:01: n4Wa2D7ip3fpM

1,難行苦行は、遠回り。


2,精神統一は、精神止観の前段階の行法。


   精神統一、精神集中は、瞑想ではない。


    瞑想は、精神から離れるのだ!


     精神から離れると、あなたは、精神を観察できる。


     思考も観察できるのだ。

3,人類は、思考に自己同一化している、


     狂人なのだ!!!

   狂人が造る社会は、狂っているのだ。


    したがって、戦争、紛争、争い、


     貧困、家庭不和、すべて、狂人の仕業なのだ。

    狂人に、完全安全、幸せなど無い。

     故に、瞑想のみが、この真実を認識させる。


    一旦、これを認識すると、あなたは、もう二度と、


      狂わない。


簡単な例、


  ガンガンロックの鳴る部屋から、出れば、


    ああ、ロック音楽は、音楽にしかすぎない、


        と、認識、判断できる。


  また、ロック音楽が鳴る部屋に入っても、


    現在自己意識が、音楽を、インチキだ、と、


       すでに、認識する。


4,現代医学でさえ、ほとんどの医者でさえ、この事実を知らない。

    パロディだ!!!

     気狂いの程度のレベルなのだ。

       ごく少数の者のみが、これを知っている。


    諸君らは、狂っている次元に、強制的に入れられているのだ。


       この事実を知ると、


     ほとんどの者は、もう、地球に転生してこない。

       キチガイの星、地球。


    科学者、医者でさえ、すでに、狂っているのだ。

   この狂っている世界、次元からの脱出が、


       瞑想なのだ。


   普通に生活し、カネを稼ぎ、世俗で生きて、


     体験できる。


   酒、オンナ、H,タバコ、ほどほどで、OKだ。

     出家など、もう古い方法なのだ。


      特別生のみが、神に招待されるのだ。


  いいですか、大事だから、もう一度言いますよ。


   悪想念、エゴの声を、つまり、思考を、


     諸君らは、聴いているのだ!!!


     この思考を、自分の考えだと、

       なんと、錯覚しているのだ。

        これを、キチガイ、と、言う!

     キチガイ同士が、戦争、民族差別、搾取をしているのだ。

       安全、平安、平和など、無い!!!


         今後増々、犯罪、貧困が増える。


         地球人類の責任なのだ。


    物質宇宙では、貧困、戦争がない星が、存在する。


     彼らは、人知れず、人類を援助している。


      まあ、他の高位の種族は、人類に対し、


       呆れているのだがねえ(爆笑)。

   瞑想をすると、彼らを観ることが出来る。


       じゃあね!
by めい (2012-10-01 05:29) 

めい

木村天山さんのブログから
http://blogs.dion.ne.jp/tenzan/archives/2012-0930.html

   *   *   *   *   *

2012年09月30日
神仏は妄想である。388

神道には、祭りがある。
その祭りが、神道であると、言ってもいい。

自然のものは、すべて、神となれば、当然、稲も神なのである。
その他、穀物もすべて、神である。

それを、穀霊、こくれい、として、祀る。
それが、お祭りである。

穀霊は、稲の神であり、豊作の神である。

農耕民族として、お祭りは、すべてそれに関することから、始まった。

新しい年、それが、穀霊、稲の霊、豊作の霊に関わることになる。
歳神という。

この歳神が、山にいる間は、万物が忌み籠もる時期であり、命の再生を待つ期間である。
新たな命が、殖える期間として、御魂の殖ゆ、と言う。
みたまのふゆ、である。

冬の語源である。
冬は、殖える時期なのである。

そこで、冬には、太陽の弱った力を復活させるために、御魂の殖ゆ、の、お祭りをする。
更に、後に、天皇の霊力の復活をも表すことになる。

太陽祭祀、鎮魂祭・・・

冬至を過ぎると、太陽が復活する。
山に帰った歳神が、里に降りるのである。

また、祖霊も共にやって来る。それが、春であり、新年である。
正月の行事は、すべてそれである。

新年の豊作を願い、祖霊祭りを行う。

春は、ハル、であり、ハレであった。
木の芽が、一斉に、張るからである。

そして、農作業の時期が始まる。
人々は、祈年の祭りを行う。

中央、朝廷では、神祇官庁が、地方では、国司庁が中心になり、八百万の神々に、幣帛を捧げて、祈念祭の祝詞を奏上する。

春の祭りは、この祈念の祭り、としごいのまつり、である。

やがて、秋になると、収穫である。
秋の語源は、飽き食い、あきくい、からのもの。

飽きるほど食べるという意味である。

穀物の宿る、穀霊を、わが身に、たっぷりと、取り入れる。
そして、御魂の殖ゆ、に、備えるのである。

日本の神道は、自然を抜きにしては、考えられないのである。

自然と、共生、共感する感性が、神道の大元を作ったのである。

この、神観念は、妄想ではない。
言葉の限りを尽くして、語るものではなく、自然そのものに、神を見ていたのである。
妄想の入り込む余地は無い。

妄想が入り込むのは、神道家たちが、言葉を尽した時である。

日本の四大祭りとは、正月祭り、祈念の祭り、祖霊祭り、新嘗の祭りである。
冬、春、夏、秋である。

夏の、祖霊祭り、みたままつり、は、仏教伝来以前からの、日本の行事である。
決して、仏教の盂蘭盆会から始まったものではない。

自然の営みは、神の営みである。
その神の営みを、神の教えるように、つまり、自然が教えるように、実践したのが、日本民族である。
つまり、伝統である。

であるから、人間と隔絶した、超越した存在の神観念は、皆無である。

その観念が日本には無いから、神不在などという、キリスト教作家が言っても、せん無いことである。

神を世界の外に置くと、その神を渇仰する。
そして、救いを求める対象とする。

日本の伝統は、人間も自然の内にあるもので、死ぬと、神になるのであるから、特別な救世観念は無い。

神の営みと、人間の営みは、同じである。
多くの言葉の必要を感じなかったのである。
つまり、理屈を必要としなかったのである。

西欧の宗教学で判断すれば、神道は、宗教ではない。
伝統である。
更に、その宗教学は、はじめは、キリスト教が最高の宗教の形であるとしたのである。
それ以後、それは打ち消されたが、最初はそうだった。

キリスト教が、最高の宗教として言うのは、実は、最悪である。
キリスト教が生まれて、厳密に言うと、ユダヤ・キリスト教が生まれて、世界に、戦争が止むことがなくなったのである。

その排他的、非寛容は、甚だしいものがある。
準じて、イスラムである。
その、イスラムの闘争心に火をつけたのも、キリスト教である。

ここで、それらとは、全く違う次元とレベルにある、神道であることを明確にしておく。

もう一つ、欧米の自然感覚では、最早、人間が生きられない、自然の有様になったといえることである。
何せ、自然を支配するというのである。
それが、旧約聖書の神の言葉による。
すべての創造物は、人間の手に委ねられている・・・
これほど、傲慢な教えは無い。
by めい (2012-10-01 05:37) 

めい

同じ流れです。この流れがどんどん広がっているのを感じます。
「黄金の金玉を知らないか?」です。
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/

  *   *   *   *   *
はてしない物語について

さて、最近こんなニュースを見ますた。

「一緒に泳げば楽しいと思った」 中3女子生徒ら、プールに大量の金魚を放流し半裸で泳ぐ
http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY201209200680.html

「プールに金魚を放して一緒に泳げば楽しいと思った」――。埼玉県狭山市の入間川中学校のプールに大量の金魚が放流された騒ぎ。こんな動機でプールで泳いだなどとして、狭山署は20日までに中学3年の女子生徒4人を建造物侵入と器物損壊の疑いで、さいたま地検川越支部に書類送検した。

同署によると、送検されたのは狭山市と所沢市の4人。容疑は、8月初旬にプールの周囲の有刺鉄線を切断し、同5日夜に侵入して金魚300~500匹を放ち、プールを一時的に使用できない状態にしたというもの。

金魚は、夏祭りの金魚すくいの売れ残りを譲り受けた。騒ぎ以前に数回夜のプールに侵入して泳いだといい、1人が「水面に大量の金魚が泳いでいたら、きれいに違いない」とプールで一緒に泳ぐことを提案。意気投合した3人で金魚を袋に入れて運び、プールに放って半裸で泳いだ。
夜のプールは真っ暗で当初に期待していた「水面に金魚」は見られなかったという。


うーん。
金魚と一緒に半裸体で泳いだ。

ヒャッハー。
そう。多分、このお嬢さん達はヒャッハーしたかったのでしょう。
久しぶりにヒャッハーなニュースを見ますた。

皆様は毎日やりたいことをやって生きているでしょうか。
それとも、将来のため備えなければならない。
努力しなければならない。
勉強しろ、仕事しろ。

未だに、やりたくもないことをひいこらやって生きているでしょうか。

人間、やりたくもないことを毎日やっているとどうなるでしょう。
もちろん当たり前のことですが。
毎日、つまらないですよね。
それで魚の死んだような目になります。

なぜか活力がどんどん無くなっていく感じがしませんか。
パワーが無くなる。

虚無。
心が虚無に支配されていく。

この世の支配者達。
原子力村もそうですが。
このお嬢さん方は書類送検されますたが、そういう連中は書類送検すらされない。
なぜなら、完璧に世の中を支配し切っているからですた。
マスゴミも支配し、政治家も支配している。
支配者達の心の中にあるのは何でしょうか。
保身。そして虚無。

夢などもうないのです。
必要なのは、身の安泰と、自分の地位の保全。
虚無に支配されているのです。


ワタスは子供のころ空を流れていく雲を見ていますた。
何だかいろんな形に見えて、そして遠くの地平線。
雲と地平線が重なり合ってる先が、溶け合っていて空に飛んでいけるような感覚を覚えて見ていますた。

皆様は、ミヒャエルエンデさんの「はてしない物語」はご存じでしょうか。
「モモ」と並んでワタスが好きな物語です。


【送料無料】はてしない物語(上) [ ミヒャエル・エンデ ]
価格:756円(税込、送料別)


このはてしない物語は昔、映画化されますたよね。

そう。ネバーエンディングストーリーです。


この物語のストーリーははこんな感じです。
主人公バスチアン少年が不思議な本に出会う。
母親を失くした喪失感、学力優先の授業、学友からのいじめ。
現実のなんと厳しいことか。

少年は慰みを本に求めていますた。屋根裏部屋で一心に本を読み進めます。
その本のストーリーはこうですた。”無”によって消滅の危機にある王国ファンタジアを救うために勇士アトレイユが出発する冒険物語です。

アトレイユは自分の本当の姿が映る鏡の前に立ちます。
そこに現れるのは本を読む少年の姿ですた。
ぇえ?
自分が本の中に出ている?
バスチアン少年は本の中に自分のことが書いてあり衝撃を受けるのですた。

勇者アトレイユは様々な困難を乗り越えていきます。
悲しさに捉われると沈んでしまう沼。自分の本当の姿が映る鏡。
勇気がゆらぐと通れない門。
主人公バスチアン少年はやがて勇者アトレイユと同じ精神状態となり、一体となっていきます。

敵は”無”の放つ刺客ともいうべき黒狼。
アトレイユはファルコンというでっかいワンちゃんに乗って戦います。

夢の王国ファンタジアは虚無の攻撃に崩壊寸前ですた。
王国が壊れる。
王国の女王が主人公に呼びかけます。思い出して。
でも少年は気づかない。何をすればいいのか。
すんでのところで少年は思い出す。
王国は人間の空想の世界の産物で、人間の夢と希望で作られていたのです。
希望を失い、夢をあきらめかけている人間の心の空しさ、絶望が”無”の正体だったのです。
そして少年は思い出す。
自分がこの世界を作り上げていたんだ。
そのとたんにファンタジアは光り輝きだし再生するのですた。

以下、カジャグーグーのリマールと一緒にぜひご覧ください。


そのファンタジアの王国の女王。
「幼ごころの君」と呼ばれていますた。

エンデさんは何故かこの幼心の君を日本の少女風にして欲しいと願ったようです。
監督は黒澤明に任せ、撮影はヨーロッパ、異世界の姫君である「幼ごころの君」役の女優だけは日本の白装束を着た少女であるべきという内容だったと言われています。
エンデさんは日本の少女に神秘的なものを感じていたのかもしれません。

本当に一番大切なことは何でしょうか。

努力しろ。勉強しろ。
あなたはくずでノロマでだめな子だね。
そう言われて育った。
なぜだか自分はちっぽけで毎日努力すべき存在のように教えられた。
そして、いつもつらい現実にひいこら言って暮らさなければいけない。
あなたは未だに奴隷の毎日を送っている。

でも、本当は逆なのですた。

現実とは本当はあなたの夢なんだ。

考えるな感じるんだ。

良く感じて見て下さい。
神様が、あなたが奴隷であるだけの世界。
そんなつまらない世界を創造するでしょうか。
もし、あなたが今、生きている現実。
あなたは、何の自由も無く、ただ与えられた辛く厳しい現実をぐっと飲みこんで努力すべき存在。
我慢すべき存在。本当にそんな詰まらない世界を創造するでしょうか?
それは、単純に虚無に囚われた老人達が広めた洗脳ストーリーなのです。

実は真実は逆だった。
あなたは何もかも自由にできる。
純粋に思ったことが現実化する。

この世の中は本当は世の中は自分が創り出している。
だって、この世はあなたの夢なのですから。
量子力学的にいうと何の実体もないのです。
ただ、あなたの夢なのです。

あなたがこの世界を作り出す力がある。
最強のウルトラマンなんだ。
虚無に囚われるな。心の中の光を思い出せ。
このブログのテーマです。

このファンタジアの女王、幼心の君。
それは幼い時のままの、子供の心のまま。
純粋で童心を忘れない君ということです。

夢だって?何甘っちょろいこと言ってんだ。
そういう、したり顔で言うおじさんに言ってあげましょう。
あなたは世界を分かってない。
真実を知らない。


日本にまだいる幼心の君。
2012年も後半に入った。
今こそ本当の自分を思い出す時ではないでしょうか。
この豪快なヒャッハーニュースを見て思ったことです。

本当にありがとうございますた。

by めい (2012-10-02 06:32) 

めい

マドモアゼル愛さんも。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20121002

みんなシンクロしています。

    *    *    *    *    *
■ 幻想レストラン New! 2012年10月02日(TUE)

先日、新宿のビルの上にある人気料理屋へ連れて行かれた。なぜ人気かというと、よくその店の前に行列ができていたのを知っていたからだ。

一度のぞいてみよう、、、と思っていたが、たまたま行く機会を得た。

店内は明るく外からの光がよく入る、まるで温室のような雰囲気。人気店らしく確かに混んでいた。

注文を済ませ、待つこと数十分。昼のサービスタイムにしてはけっこう時間がかかるので、さすが、本格的なのかしら、、、と思って、やってきた料理を口に運んだ。

味がよくわからない、、、おいしいのか、まずいのかが、なんとなくわかりにくい。最初は本物はこんなもんなのかな、、、とも思ったが、何口食べても何がおいしいのか、どこがまずいのかもわからない。

そして段々とわかってきたのは、どの料理にも共通する無機質さだったが、これはレンシレンジ特有の味だと気がついた。

味に命がない。まずいならまずいと、おいしいならおいしいと、はっきりしてくれればいいのに、すべてがあいまい。

そして思ったのは、そうか、あいまいだから批判されることもなく、周辺のイメージで全体をよく感じさせているのだな、、、ということ。そして大勢の人はそれがいいと思っているという現実。

レストラン内部の一応の豪華さ。ウエイトレスのにわかに学んだように見受けられる一流的な応対。なのに疲れが目立つ感じ。大きめの器で料理がさも非日常のように見せる工夫。

料理のメニュー数も多いが、わずか数種類食べただけだが、何をたべてもきっと同じテイストなんだろう、、、とわかってしまう。

要するにどこにも本物はないのに、どれもさも一流のように見せるためだけの工夫のオンパレード。まさにここは幻想レストランであると思った。

最近、この手の「幻想レストラン」がとても多い。しかもそれなりの人気を集めている。本当の味よりも、それらしさ、、、みせかけ、、、が一流に見えることが大事になってしまった時代。

中身がなく、体裁のみの、電子レンジ味を食べさせられることに、他の多くのお客は何も感じていないのを見て、私は再び驚いたのだが、時代はそこまで変化したのだと一種のあきらめの境地に。

大きな窓の外は、屋上になっていて、しゃれたベンチでパンや牛丼に食らいつくサラリーマンの姿があり、時々目が合う。

向こうは向こうで、お前ら、うまいもの食っていて、、、というどこかしら反感を感じる視線を受けるが、間違いなく、あなたの食べてるもののほうがおいしいですよ、とは、最後まで気づかないことであろう。

今はやりの店の多くはおそらく幻想レストランであろう。しかしそれはそれで仕方ない。それなりの良い雰囲気で、それなりに見てくれもよくして、、、それをそんなには高くないお金で味わわせてくれるのだから、確かにはやるのは当然かもしれない。

こうした中で私たちはいつしか、幻想学校へ行き、幻想企業に勤め、幻想結婚をし、幻想人生を送っていくのだろうか。

幻想は現実に弱い。現実を幻想に置き換えて置けるうちはそれでもいいが、一度、重たい現実が訪れたとき、私たちは幻想人生を、果たして持ちこたえることができるのだろうか。

幻想レストランんからの帰り道、東京の広尾を車は通過していく。信号待ちの横道からは、ベンツ、BMW,ベンツ、トヨタの最高級車と、次々出てくる。

その中の数台は慶応の小学校の前で停まった。送り迎えなのだろう。あどけない顔の小学生が迎えに来た車に乗り込む。

私は心の中でつぶやいた。「だめだよ、、、そんなことが大事なんじゃないんだよ。こんなことで自分を他の人と違うと思っちゃダメだよ、、、」

私の声が小学生にもちろん届くわけはない。車は挨拶もせずに私の車の前に割り込み、アクセルを吹かして去っていった。

なぜかくすんで見えた広尾界隈の空気は、そこが幻想都市であることを教えてくれたかのようだった。しかし幻想都市の命はいま、息も絶え絶えではなかろうか。

私たちは今生きているその場で、生活を立て直さなくてはならなくなるだろう。流通システムに頼らない生活の方法をつくる必要がきっと出てくる。

幻想都市はいずれ壊れると思う。幻想生活もやがて消えていく。福島の現実を見ればそのことがわかる。何が幻想で何が現実であるのか、今のうちに、それを問い直すことが求められている。

by めい (2012-10-03 05:27) 

めい

「気線」とは。
ごく一般的な言葉とばかり思っていたらそうではなかったようだ。
なるほどの説明を見つけました。
http://d.hatena.ne.jp/mminazuki/20051119

   *   *   *   *   *

■古神道系秘法

平時において 或いは外出時 または、神事の最中、自身の頭部に何らかの感応がある場合、どのようなものが憑いているのか 憑依霊の正体、属する霊界を識別し 具体的に知る方法がある。憑霊は 正神界系、天狗界妖魅界 邪心界 魔界に分れ 正神界を除き その他の各界には人霊や動物霊が入り混じっている。尚、何らかの感応を気線と呼ぶ。気線とは、霊界と現界とをつなげる電波のようなもので 霊的に敏感な人であれば、その感触がわかるとされている。

神祇大道によると 頭頂部に爽快感を感じれば正神界の中位の神が憑依していると見る。この神霊は当人が 普段その存在を気にすることがないほど自然で清々しいものである。神意にかなって生きているまともな人間の通常の状態を示す。

逆に頭頂部鈍痛を感じ 疼くような痛みを知覚したならば 神の怒りに触れている疑いがある。痛みは強いほど霊或いは神の怒りは強いとみる。その際 飲酒 刺激物は避け身を慎み神前に向かい 神の怒りが納まるまで祈念を行う。単に気線を感じるだけであれば 警告、注意の暗示で 本人に害が及ぶ事は無い。

頭頂部に近い両側面に疼痛、異常感を感じたのであれば 先祖霊がの警告或いは怒りを伝えているとみなす。男性の場合、右側面は女の先祖霊、左側面は男の先祖霊である。女性の場合は この逆になる。謹慎反省し供物を捧げ冥福を祈らねばならない。尚、この部分に爽快感あれば 先祖は喜んでいるといわれている。

さて この先祖が自分とどのような関係であるのかを知る方法がある。気線を感じた際 或いは、疼痛があった場合速やかに左手を広げるべし。(女性は右手)その瞬間 特定の指が 冷気を帯び ぴくぴくと震える。この際 親指であれば遠い祖先、人差し指なら父親か祖父。中指は母親か祖母。薬指なら 兄弟姉妹か叔父叔母、小指なら子供の霊の印とされる。

親指の指頭に針で突かれたような痛みがあったなら 先祖が本人に凶事、災難の近い事を知らせていると見る。また親指側面がズキズキと傷んだ場合、本人に近く降り掛かる災厄から 護っている状態を示す。指の根本に理由の無い痛みを感じた場合、その指に該当する霊が供養を求めているので 速やかに神事を執り行う必要がある。そのほか その指の該当者に急変の起こる前触れである事も忘れてはならない。

頭頂部、額に近い場所に気線 痛みを感じた場合、その憑依霊は 霊格の低いものと判断される。人によっては天狗界の霊物が憑依することもあり天狗界の「正」「邪」によって 疼痛部は異なる。

後頭部左右に痛みが現れたときは 修行中の動物霊、狐 狸 鳶 鷲などが 考えられ また 変死者 夭折者 この世に未練を残し死んだ者の怨霊が憑依する場合も 左右後頭部に異常な気線を感じ 果ては首筋から両耳上部に ぞっとするような冷気を感じる。死霊に限らず 生霊の怨念である場合も否めない。人によっては肩に異常な重圧を感じるものも居る。

妖魅霊が憑依すると コメカミ付近から側面耳上部辺りに気線を感じ 何者かが重く留まっているような不愉快な感じなる。妖魅霊は、野狐が多く祓いを受けたり祝詞を唱え霊的な防衛をしなければならないとされている。

龍神系が憑依すると頭全体を紐で絞められたような気線を感じる。痛みを感じれば龍神の怒りに触れているとみなししかるべき対処法を取らなければならない。龍神の怒りの原因は、知らぬ間にその聖地を汚している場合が多い。同様に 頭全体が紐で絞められた感じでその位置が 耳上部あたりをぐるりと取り囲むのなら 蛇霊の仕業である。

頭全体をすり鉢で覆われるような重い気線を感じたならば 浮かばれない浮浪霊が 今まさにとり憑こうとしているときである。このとき 注意をしたのは 自分の傍らに者に既にとり憑き憑依が始まっている場合も少なくない。憑依霊がものを言いたいときには 男の霊であれば左腕 左足、女の霊であれば 右腕 右足に気線を感知するであろう。

by めい (2012-10-04 07:12) 

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