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追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長) [新しい歴史教科書をつくる会]

今朝の朝刊で菅弘先生の訃報を知った。まだ73歳とのこと。平成11年秋、新しい歴史教科書をつくる会の山形県支部が主催し、アクティー米沢で開催した田中英道先生、大井魁先生の講演会に、思いがけなく菅先生にお出でいただき、しかも質問に立っていただいた、あの時がお会いした最後だったかもしれない。できれば一緒にお酒でも呑む機会があったならと、今となっては悔やまれる。

菅先生との御縁は、平成8年12月議会でわれわれが提案した、中学校社会科教科書から「従軍慰安婦」に関する記述を削除する意見書提出が採択されたことから始まった。
意見書採択記事.jpg
驚いたことに、この報道がなされるや、電報やらハガキやら封書やらで採択に対する組織的ともいえる抗議が殺到したのだ。こちらとしては、これを機に議論が出来れば願ってもないこと、張り切ってその一つ一つに返事を差し上げた。いくつかさらにそれに対する反論をいただいたが、その中でとくに議論が発展したのが当時山形県高教組委員長の社会科教師菅先生とのやりとりだった。このことは産経新聞の知るところとなって、全国版に大きく取り上げられた。
「従軍慰安婦」産経記事2.jpg

この記事がきっかけとなって、菅先生とお会いして話す機会が設けられ、その席で「せっかくの議論を二人だけでなくもっと広げよう」と提案、菅先生も快く同意、南陽市議会有志と山形県教職員組合協議会の共催で南陽市民会館を会場に3月22日公開討論会開催の運びとなった。
公開討論会予告記事.jpg

前準備段階から双方大いに盛り上がりなんと、私の山形新聞への投書がそのまま教員組合側の広報紙に転載されるという栄も得た。
「ピリッといぐで」.jpg

当日は100名にも及ぶ聴衆で会場はぎっしり、コーディネーターはできるだけ中立的にということで、地元で信望ある元赤湯小学校長の遠藤幸介先生にお願いした。どちらかというと、教員組合の先生方の方が張り切りすぎて一方的な主張が目立ち、歩み寄って議論しようという姿勢がなかったため「平行線」という印象になってしまったが、それなりに中身のある討論会だったと思う。「あんなにおもしろいシンポジウムはこれまでみたことない」と言ってくれる人もあった。ビデオがどこかにあるはず。見つけていずれデジタル化しておきたい。それから2年後、新しい歴史教科書をつくる会山形県支部の中心メンバーとなったのは、会長になっていただいた梅津伊兵衛さん(米鶴酒造社長)はじめこのシンポジウムに参加した方々だった。
下は、シンポジウムについての朝日新聞と産經新聞報告記事。
シンポジウム 朝日のコピー.jpg
シンポジウム 産経.jpg

その後山形新聞は、私と菅先生の主張の違いを「対論」というかたちで取り上げてくれた。
「従軍慰安婦」対論.jpg

また、日本政策研究センターの岡田邦宏さんから取材を受け、「明日への選択」に生々しくまとめていただいた。
「従軍慰安婦」明日への選択B.jpg
「従軍慰安婦」明日への選択A.jpg

一方、山形高教組新聞も「従軍慰安婦」問題特集号で、菅先生とのやりとりも含め事の経過について詳しくまとめてくれていたことを、資料の山をかきわけていて迂闊にも今日初めて知った。菅先生が中心になってのことだったろうと思う。
高教組新聞1.jpg

高教組新聞2.jpg

高教組新聞3.jpg

さらに私にとって菅先生の菅先生たる所以は、冒頭にも触れたが、われわれが主催する集会に単身でお出でになり、堂々質問を発せられたことだった。このとき私は鳥肌立つほどのうれしい思いだった。その経緯を米沢日報の記事に書いていた。
「国民の歴史」米沢日報(上).jpg
「国民の歴史」米沢日報(下).jpg

菅先生の追悼に事寄せて、昔の記録を引っ張り出すことになった。私にとっての「新しい歴史教科書をつくる会」の運動の結末が結末であっただけに、そのことの良し悪しはともかく、いずれ菅先生の存在なくしては起こりえなかった一連の流れだったことを、いまあらためて思う。菅先生との御縁に感謝しつつ、衷心より御冥福をお祈りします。ありがとうございました。

(新聞記事は画面をクリックすると拡大します)



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めい

歴史資料として通用しない元慰安婦調査報告書 免れない河野洋平氏の責任- 夕刊フジ(2013年10月16日17時12分)
http://news.infoseek.co.jp/article/16fujizak20131016019

 慰安婦募集の強制性を認めた1993年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を、産経新聞が入手した。証言の事実関係はあいまいで、別の機会での発言との食い違いも目立ち、氏名や生年月日も不正確、歴史資料としては通用しない内容だった。河野談話の正当性に加え、韓国側による日本攻撃の基盤が崩壊したといえる。

 「これまで、日本の軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、『唯一の根拠』とされた聞き取り調査もずさんだった。強制性の前提が崩れた」

 韓国系団体が、全米各地で慰安婦の像や碑を設置していることを問題視し、抗議している国際政治学者の藤井厳喜氏は、産経新聞16日朝刊について、こう語った。

 同紙が入手したのは、93年7月26~30日の5日間、ソウルで実施された聞き取り調査報告書。A4判13枚で、16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。政府はこれまで、「個人情報保護」などを理由に調査内容を開示してこなかった。

 ダマされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されているが、資料としての信頼性は低い。

 当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたが、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人。出身地も、4分の3に当たる12人が不明・不詳となっている。

 氏名も「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、カナ書きで漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる部分も存在。大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言まであった。

 調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。

前出の藤井氏は「ずさんな調査報告書で談話を出し、日本と日本人の名誉を汚した河野洋平氏の責任は免れない。取材を拒否しているようだが、逃げずに受けるべきだ。現政府としても、これを放置してはならない。改めて調査委員会を設置して、『河野談話は不正確だった。実態は…だった』という、新しい談話発表に進むべきだ。調査委員会の委員長は女性にして、委員の大半も女性にすべき。世界に向けて真実を発信しなければならない」と語っている。

 ■河野談話 1993年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。

   *   *   *   *   *

「従軍慰安婦問題」で西尾先生がんばった!
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-10-11


by めい (2013-10-17 06:02) 

めい

〈阿比留瑠比の極言御免〉論理的ではない河野洋平氏の言葉 元慰安婦報告書(ZAKZAK) 
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20131017/dms1310171531018-n1.htm
2013.10.17 

 慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」は、やはり国民を欺いた政治的妥協の産物だった。

 河野談話の根拠の決め手となったのが、韓国・ソウルで行った元慰安婦16人への聞き取り調査である。それが、産経新聞が入手した調査報告書で驚くほどお粗末な内容であることが明らかになったのだから、談話を一方的に押し付けられている国民はいい迷惑だ。

■秘匿の意味は薄く

 政府はこれまで、聞き取り調査の内容について情報公開請求しても「非開示」としてはねつけてきた。それは名目である個人情報保護のためではなく、実際は中身がずさんなので表に出せなかったのではないか。

 本来なら河野談話の主役である河野洋平元官房長官に直接問いただしたいところだ。だが、残念ながら産経新聞の取材は受けてもらえないので、河野氏の言葉を他媒体から引用したい。

 「日本政府調査団の慎重姿勢に徐々に心を開いた16人が当時、『出所や中身は公表しない』との約束で口を開いてくれた」(平成20年10月8日付読売新聞)

 河野氏は聞き取り調査内容を公表しない理由についてこう主張するが、実際には日本での慰安婦賠償訴訟の原告が5人いる。日本の新聞のインタビューを受けて連載記事で取り上げられた人も、安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大教授(当時)ら韓国側が行った聞き取り調査に応じ、元慰安婦の「証言集」に収録されている人もいた。

 つまり、日本政府が内容を秘匿することにあまり意味はないのである。また、河野談話作成にかかわった当時の政府高官は今回、産経新聞に河野氏の主張と矛盾することを語った。

 「私は公開してもいいと言ったが、河野さんが『絶対だめだ』と反対した」

■事実関係置き去り

 どちらの言い分が本当かはまだ「藪(やぶ)の中」だが、いずれにしても河野氏の発言は情緒的すぎる。河野氏は月刊誌「世界」の昨年10月号のインタビューではこんな言い方をしている。

 「日本政府の調査に対し、当事者の方々がその辛(つら)い体験を話してくださったのは、こちらの姿勢への信頼が生まれて初めて語ってくださったのです。『証拠がない』という批判は、その信頼を裏切るものだ」

 とはいえ、実際の調査は1人当たりわずか約3時間程度で、それも通訳を介してのやりとりである。安氏ら韓国側の調査のように、5、6回面会してじっくり話を聞いたわけではない。

 また、河野氏は当事者の信頼を裏切るなというが、およそ論理的ではない。まるで、元慰安婦の証言はすべて丸ごと信じるべきだと言わんばかりで、そこには事実関係の追究・解明という視点も、国益という観点も見あたらない。

■韓国側調査の方が

 一方、福井県立大の島田洋一教授が19年3月にソウルで安氏と会った際、安氏はこう語ったという。

 「私も元慰安婦の聞き取りも含め詳しく調査したことがあるが、調べた限り、日本軍が女性を強制動員して慰安婦にした客観的資料はない。研究者として証拠といえる証言もなかった」

 河野氏より韓国の学者の方がよほど事実に対して謙虚であり、良心的だと感じる。(政治部編集委員)

http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/158.html
by めい (2013-10-18 06:24) 

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