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宮内七夕の復興(1) 北野猛著「熊野大社年中行事」 [熊野大社]

12月3日発行「置賜の民俗」(置賜民俗学会誌)第20号に書いたものです。


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はじめに


 宮内熊野大社内で、宮内七夕を復興させようという気運が若い職員たちの間から生まれていることを北野達宮司から聞いたのは、今年五月の始めのことだった。「ぞくぞくする」という言葉が思わず私の口から出たのを覚えている。その時はまだ私には、その「ぞくぞく」の実体が何なのかわからなかった。しかし、点であったものが線になりやがて面となって立体となり動き出して現実化する、その様をこのたびの宮内七夕の復興で体験した。その中で「ぞくぞく」させたその実体も少しずつ見えてきた。一口で言えば、宮内という地域のがもつ歴史そのものであり、具体的にはそこに込められた、先人も含めての思いとでもいえる。宮内七夕の復興とは、地域に眠る歴史のマグマの爆発のはじまりなのかもしれない。宮内七夕復興の経過をたどりつつ、その意味するところをさぐってみたい。


熊野大社年中行事 表紙.jpg

 


北野猛著「熊野大社年中行事」


 そもそもの発端は、先々代宮司北野猛著『熊野大社年中行事』の発見だった。もうほとんど世間から忘れ去られていた貴重な記録が、神社に何冊かまとめて所蔵されていたのだという。

 『熊野大社年中行事』は、宮内文化史研究会(黒江太郎代表)が昭和四十一年に『宮内文化史資料』全三十巻の別冊として発行したガリ版刷B五判五十二ページの冊子。「元旦祭」の章から最終章「六月大祓と十二月大祓」まで二十六項目にわたり一年間の神社行事が詳述されている。なお、大正十年(一九二一)に始められ現在も続く熊野参宮については「九、参宮と大々神楽」と題して十八ページを費やして記され、宮内熊野大社興隆の経緯が当事者によって明らかにされた貴重な記録となっている。

 七夕については「十二、七夕祭」として三ページにわたる。以下全文。


 

七夕祭も熊野の年中行事として忘れてはならない大切な祭りである。諸々の年中行事は社頭で行なわれるが、七夕祭のみは氏子の民家で行なわれる。特に熊野の氏子すなわち宮内町で行なわれる七夕祭り、熊野の大社を御神体としてお迎えして行なわれるところに特異性があり、今でも獅子を御神体として祭壇に安置され仰信されている。

 一年の年はトシと訓む。(稲もトシである)稲は歳に通ずるが、いまだ暦字の発達しなかった昔は、稲(トシ)は年で即ちお米が一回取れると一年として数えたものである。日本にはお盆の御霊祭りと新春の神詣りとがあって、共に最大の年中行事として国民の間に深く根をおろしている。今の一年は昔の二年であったこと、これは我々の先祖が熱帯から亜熱帯の米が二度取れる、暖国から渡来した民族であり、黒潮に乗り或は颱風によって漂着した民族が永く政治を支配してきたことに依って残されてきた貴重な民俗である。すなわち盆や新春の行事を考えると、盆は上半期の一年の越年の行事であり、この七夕には青竹を立て、この竹を流して早朝水浴する。これは明らかに身滌の行事であり年末の大祓の神事である。これに大陸文化が色づけして牽牛織女の物語を取入れて今日の七夕祭ができたものと思われる。

 各社で行なわれた寒中のハダカ詣りは、先祖が未だ暖国に生活していたころの名残りとも見られる。又盆の十三日に墓詣りして、先祖のみ魂を迎えて自宅に帰り法要やお祭りをするが、年末にも大祓をして家の内外を清め、七夕のように身滌すなわち水はかぶらないが若水を汲み神詣りをする。この神詣りは、実は魂迎えであり、初春に先祖を祭った氏神に参拝して先祖のみ魂をお迎え申し上げ、これを背負って帰るという思想から来たものである。昔から新春のことを新しく先祖の御霊を迎える年すなわち新玉(アラタマ・魂)の年の始めというのである。

 宮内の七夕祭に青竹を立て色々の川の名を書いた端尺を下げるのは、諸々の川で何遍も清い流れに身を清める大祓である。祭壇を築いて氏神熊野の大神をお祭りするのも納得出来る。昔の人はお獅子さまが熊野の神と信じていたことも事実であるし、それで熊野の神の獅子をかならず祭壇に飾ってお祭りするしきたりになってきたことも諾かれることであろう。宮内の七夕祭は上半期の一年の年末年始の行事で、お盆に先祖を迎えるということは神の顕現をねがうことであり、天岩戸開きの古事にならったもので上半歳の元旦詣ともいえよう。元旦祭に神楽をするごとく、盆には盆踊りという御神遊びをすることになったのである。かくの如く年末年始の行事は、神の常住する神社で行なわれるのに対し、お盆の年末年始の行事というべき諸々の行事は各自の家々で行なわれる民家の祭りとなった。特に宮内の七夕祭にそのおもかげを留めていることは嬉しい限りである。

 たなばた祭を七夕祭と書き、七日の夕の祭という意義である。宮内の七夕祭は六日の夕に獅子を飾って神霊を迎えて祭り、七日の朝に身滌をするということは順序が前後しているもので、六日に斉竹(イミタケ)を立て、七日の朝に清き流れに身を清め七日の夜のしじまが訪れてから魂祭というのが本来の七夕祭であり、六日の夕の祭を七夕祭と書く所以であろう。本来の魂迎えは十三日の墓参りである。日本のタナバタが大陸のタナバタと習合して本来の意義を忘れ、斉竹は飾り竹として用いられ涼を呼ぶ真夏のお飾り品と化し観光用にも重用されている。また祭壇も魂祭の本来の意義を失いこの祭りの中心のお飾りとして発達したものと思われる。

 宮内の七夕祭も今では別に個性をもった特異な行事として発達し、祭壇の有する七夕祭として全国でも珍しい行事となった、七夕祭が本来の意義を失った今日、宮内の七夕祭がばらばらになって伝わって来たとしても、宮内の七夕祭はともかく本来の姿をのこし、熊野大社の氏子によって永く守り続けて来たことは、誠に尊い事であり、心してこれが保存の施策を講ずべきであると思う。

 

 先々代宮司の願いが込められた五十年前のこの文章が神社の若い人達の心を揺さぶった。七夕祭本来の意義に目を開かされつつ、宮内七夕の記憶が甦る。

 

 


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