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斎藤茂吉と宮内(2) [宮内よもやま歴史絵巻]

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美子さんが茂吉から貰った色紙「最上川の流れのうへに冬虹のたてるを見れば春は来向ふ」

 

先月30日、南陽鷹の会の「伝国の辞」碑除幕式お手伝い慰労会でのことだ。隣り合わせたSさんから思いがけない話を聞いた。「斎藤茂吉が宮内に来たとき、Sさん(昭和11年生)のおばさんがお手伝いした縁で茂吉さんから色紙をいただき、その色紙が家にある」というのだ。これから10枚つくらねばならない「宮内よもやま歴史絵巻」のひとつに「茂吉と宮内」を考えていたので、これは使わせてもらえると思い、「ぜひ写真を撮らせて」とお願いして快諾を得ていた。

 

その事が頭にあってのことだったろう、市立図書館で『窿應の生涯と茂吉』を借出したのは今月4日だった。その本から友清磐山先生に至るまでの縁の広がりについてはすでに述べた。

斎藤茂吉と中林梧竹、そして副島蒼海(種臣)

磐山友清歓眞先生と的伝海老塚四郎兵衛

 

Sさん宅を訪れたのは22日のことだった。『窿應の生涯と茂吉』の「童馬先生随聞」に、お手伝いした女性として、高橋美子、菅野てる子、瀧澤シズカの3人の名前があったので、その部分をコピーしてお持ちした。

 

Sさんの話を聞いて驚いた。Sさんのおばさんとは、茂吉がいちばん気に入って1時間半も二人だけでの密談を交わした高橋美子さんのことだった。その密談の内容について知る手がかりは『茂吉日記』にあるらしいが、その3月に奥さんを亡くした著者(黒江)自身に関わる事で、黒江はそのことを匂わせているだけだ。

 

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美子さん(義理の息子の結婚式の写真から)

 

高橋美子さんについて聞いた事。

本名の「よそ」を嫌い「美子(よしこ)」としたという。本来「S」さんだが、高橋という人と内縁関係で一緒に暮らしていた事から世間的には「高橋」を名乗っていた。その後相手の高橋(二郎?)が亡くなった事から、長井市時庭の大場家に後添えとして入る。夫を亡くした後、義理の息子に嫁をもらうが、嫁との折り合いが悪く大場家を出て長井の駅前で妹のとし子(本名とら)と同居。その妹を亡くして悲嘆し、その後を追った生涯だったという。気の強いしっかり者だったとのこと。自己主張が強かったのかもしれない。茂吉との時間を共有した事は美子さんにとって大切なこととして心の中にあったにちがいない。そのことが美子さんの一生にとって良かったのかどうか、なんかつらい気持ちになった。


時庭の大場家は、明治の画人菅原白龍の実家の隣家だった。大場家には白龍の書や絵があり、美子は生活の不如意からか実家の兄(Sさんの父/明治43年生)に運んでは金に換えていた。Sさんの床の間には白龍の軸が掛かっていた。白龍は贋物が多いがこれは本物に違いない。いろいろ見せていただいた。茂吉の色紙もそうしてSさんのところにある。

 

白龍が実家に宛てた手紙

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横浜大神宮石柱に白龍が揮毫した事を示す書

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落款帖

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