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「宮内こども園」の原点を考える [こども園]

昨日は2学期最初の朝礼の日でした。実はお盆前までに「こども園」としての出発報告と寄附のお願い文書を卒園生宛てに届けることを理事会で約束し、それに載せる文章を「宮内こども園の歴史と展望」と銘打って書きはじめたのですが、なかなか前に進むことができません。とうとうズルズル、タイムリミットを切ってしまいました。そうなってしまったのは、ひとつはお盆前の仕事の忙しさですが、それ以上にフクイチの問題でした。展望が湧かないのです。そのことは以下に書きました。

 

「幼稚園」の時は、2学期のスタートにあたって1時間ぐらい時間をもらって職員みんなに話す機会があったのですが、「こども園」になってからは。ゼロ歳児からの保育もあることから、全員集まる時間が取れません。そんなわけで、とりあえずいま時点まで考えてきたことをまとめて文書にしてみんなに読んでもらうことにしたのが以下の文章です。「通り一遍の文章でないので赤線でも引きながら読んで下さい」と言ったのですが、どこまで読んでもらえるか。A3でびっしり4枚になりました。

 

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「宮内こども園」の原点を考える

 

 300万人以上の日本人、世界中で2000万人を超える犠牲者を出した第二次世界大戦は、日本側の敗戦で終わりました。以後6年あまり、アメリカによる占領の時代が続きました。そしてようやく、日本の主権が認められることになる講和条約が調印されたのが195198日でした。(発効は翌年の428日です)「宮内こども園」の歴史は、それから間もないこの年の105日に始まります。この日、宮内熊野講堂(現 證誠殿)に満員の聴衆を集めて賀川豊彦先生講演会が開催されたのです。東西冷戦の時代と言われた当時の世界ですが、日本とは目と鼻の先、朝鮮半島では熱い戦争がくり広げられていた時代です。戦後の復興を経た日本はこれからどんな方向に進むことになるのか、まだまだ暗中模索の時代です。その後の経済の高度成長を予想した人など、どれだけあったでしょうか。そんな時、その国際的社会奉仕活動によって世界中に知られ、194510月東久邇宮内閣退陣のあと、総理大臣に推されたこともある賀川豊彦先生の講演会です。大きな注目が集まったにちがいありません。

 

お 賀川先生色紙.jpg

 賀川先生は、貧困からの解放、戦争のない平和な世の中を目指す社会運動に生涯を捧げたクリスチャンでした。若くして神戸の貧民街に暮らし、その体験から生まれた自伝小説「死線を越えて」は、大正時代、歴史的ベストセラーとなりました。その印税はすべて社会運動に注ぎ込みました。働く人の生活安定を目指す生活協同組合の運動を立ち上げたのも賀川先生でした。ノーベル文学賞の候補に2回、平和賞の候補に3回あげられています。


 賀川先生が宮内で何を語られたか。残念ながらその記録も記憶も見つかりません。ただ一つ確かなことがあります。講演会で集まった約8000円の献金をそっくり「50年後100年後の人材を育てるために幼稚園をつくりなさい」と宮内の人たちに託されたことです。「幼な児を我に来らせよ 天国に入るもの かくの如し」の色紙を添えて。


 賀川先生からの使命を受けた宮内の人たちは燃え上がりました。それから半年、195251日、13名の園児を集めて「宮内幼稚園」がスタートします。

 

か 芦名能子先生.jpg

 当時まだ東京の大学に在学中だったひとりの女性が、新庄教会で牧師を務める兄を通して呼ばれました。「宮内の地で幼稚園をはじめるように」。宮内幼稚園の初代教諭となる芦名能子(よしこ)先生です。賀川先生が、仙台の東北教区長に指示されていたのです。

 能子先生が宮内に来てみると、あったのはブランコと滑り台と砂場だけでした。机も椅子も作らねばなりません。地元の善意と熱意が集まりました。教会に通っていた20歳の地元の女性が片腕になってくれました。高岡よね先生、私の叔母です。それまで双葉保育園に通っていた年中児の私も宮内幼稚園に転園させられました。


 初代園長は米沢教会の宍戸七弥牧師ですが、子どもたちへの保育教育の実際を担ったのは、能子先生でした。能子先生はかねて婚約中だった宮越文次郎牧師と結婚されます。宮越先生は2代目の園長となって、能子先生とともに宮内幼稚園の礎を築かれます。その年はじめてのクリスマスには23名になっていました。第一期の卒園生は7名でした。


 スタートから7年がたって園児数も50名を超えるようになりました。「このまま宮内にいたのでは命の保証はない」、お医者さんからそう告げられたそうです。宮越先生ご夫妻は暖かい湘南の海ぞいの小さな教会に移られて、そこでようやく男の子をもうけられます。その話を伝え聞いて、お二人を知る宮内の人達は、ほんとうにほっとしたものでした。今はそのお子さんと一緒にロサンゼルスで元気に暮らしておられます。 


 能子先生が生まれた芦名家の先祖は、1585(天正17)年会津摺上原(すりあげはら)の戦いで伊達政宗に敗れた芦名義広の子孫です。一方、芦名家に嫁いだ能子先生の母ふじさんの祖父十郎は、奇しくも芦名を滅ぼした伊達政宗を祀る仙台青葉神社の初代宮司を務めておられます。ふじさんは十郎のもとで育てられたそうです。ふじさんはいつも宮内幼稚園に来ておられたので私もよく覚えています。


 能子先生の教育力は強烈でした。当時の宮内幼稚園児の記憶には、能子先生は忘れようにも忘れられない存在として生き続けています。何よりも子どもたちが大切で自分たちのことはすべて後回し。食べ物にまわす金がなくて、日々のおかずは園庭のそばの小川に生えた野芹だけだった、そんな話もありました。


 能子先生の教育保育の考え方を貫いていたのはどんな考えだったのか、それに賀川先生が宮内で何を語られたかもあわせて知りたくて、賀川先生の残された文章のほんの少しをかじってみました。なるほどこの感覚だ!と思える二つの柱に行きあたりました。ひとつは「経済をどう考えるか」、もうひとつは「人間の幸せはどこにあるか」という問題です。

 

賀川豊彦先生の思想——宮内こども園の原点にあるもの


1.経済をどう考えるか

 賀川先生についてのいい紹介文がありました。


 《賀川豊彦は1888(明治21)年に神戸で生まれましたが、幼くして両親に先立たれました。そのため四歳から十六歳までを父の郷里徳島で過ごしました。

 彼の生い立ちは決して恵まれたものではなく、寂しく孤独でしたし、その上病弱な体にも悩まされ続けました。しかしそうした苦悩や障害を乗り越えて、人間愛を貫くみごとな生涯を切り開いていったのです。

 このような彼の人格や思想の原点が形成されたのは、幼年期、少年期を過ごした徳島時代でした。吉野川流域の自然や徳島中学(現・徳島県立城南高校)時代に出会い、終生彼を支えた師や友との絆を彼は一生大切にしていました。

 戦後の日本を代表する評論家だった大宅壮一をして「近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる者を一人あげようと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物である」(『神は我が牧者」)と言わしめました。

 しかし彼も一人の人間である以上、その思想や行動に限界もあり、時には誤りがあったことも否定できません。次の世代によって乗り越えられるべき課題も多いことでしょう。いたずらに聖人化することも、逆にまた矮小化することも避けねばなりません。何よりもまず彼の人と働きを知ることが大切です。

 わが国が非常に貧しかった時代に、自らは清貧に甘んじながら、苦しんでいる人々のために行動し続けた彼の生涯は現在の私たちとどうかかわるのでしょうか。この点について大江健三郎はこんなふうにいっています。「賀川豊彦は貧しい人たちのために闘ったのですが、現在の日本は貧しくありません。しかし、豊かさ故のヒズミというものがあります。このヒズミから人間を解放するのは、賀川豊彦の持っている思想であると思うのです」(「賀川豊彦から見た現代」)つまり賀川豊彦は単に過去の人ではなく、時代や民族を越えて二十一世紀に生き続ける先覚者だと位置づけているのです。彼が訴え続けた平和と共存共栄の思想、さらにその実践は、今なお受け継がれています。彼の母校明治学院大学には、「賀川豊彦研究」という二単位の講座がもたれているほどです。まさに時代を超える思想家といっても言い過ぎではないと思います。

 賀川豊彦は決して順調なエリートコースを歩んだ人ではありませんでした。いや、むしろ苦難と波瀾に富んだ一生でした。富や権力とも無縁でしたが、『最低(の生活)にして最高の道(道徳)を行く」ことを望んだのではないでしょうか。彼は一九六〇(昭和三十五)年四月二十三日、七十一歳九ヵ月でこの世を去りました。彼の最後の祈りは、

 「教会を強め下さい! 日本を救って下さい! 世界の平和を来らせて下さい!」

というものでした。一通の弔電が寄せられました。それは詩人で作家の秋田則雀からのもので、それには「賀川さん! あなたは世界と日本の良心でした」と書かれていました。 これが賀川豊彦が生命を賭して辿り着いたゴールであり、彼の人生を象徴する幕切れだったのです。》(林啓介『時代を超えた思想家 賀川豊彦』賀川豊彦記念・鳴門有愛会 2009

 

 3年間のアメリカ留学から戻って真っ先に取組んだのが救貧活動であり労働運動でした。1917(大正6)年、29歳です。1919(大正8)年に、自ら編集・発行する『労働者新聞』に書いた文章を読んでみて下さい。 


《労働者一人が善ければ、善いのでは無い、社会全体が善く無ければならぬ。金持ちが一人甘いことをすれば善いのではない。労働者も皆甘い様にならねばならぬ。       (中略)

 私は今日の金儲けの経済学が嫌いである。『金儲け』と云うことは、実に『金盗み』と云うことである。即ち一の仕事をして、百、千の金を他人(社会)から奪うと云うことなのである。之は普通商売人がする仕事である。

 それで、昔は、日本でも町人を賤めた。また実際、『金儲け』主義即ち金盗み主義の町人こそ賤(いやし)む可(べ)きものなのである。

 然(しか)しだんだん西洋流の良心麻酔学(近世経済学)が輸入せられて、町人も、百姓も、工業家も皆、『金儲(もう)け金儲け』と云い出した。神聖な労働者までが『金儲け』主義を唱えて、僅少(わずか)な労力で最大の賃銀を貪(むさぼ)らんと企てる様になった。

 そして、地球は全く腐ってしまった、で、もし今日の階級争闘と云うものを根本から除き去ろうと思えばこの『金儲け』主義の経済学を取り去ることが第一肝心である。即ち労働するにも商売をするにも、企業家となるにも働くことが面白いからと云うことにならねばならぬ。又更に進んで、私が働かねば生きて居る甲斐がないからと云う、根本の精神から動いて来ねばならぬ。ただ労働時間の減少と賃銀の値上げだけを要求して、労働の根本義に触れず、労働者専制の時代を夢想するならば、労働運動の根本には全く徹底して居らぬと云わねばならない。

 社会のことは、凡(すべ)ての人が持ちつもたれつでやって行かねばならぬ。私は資本家と云う階級を全く認めぬし、そんなものの必要をも認めぬが、労働者が、階級争闘の外に、社会問題の解決は無いと考えることには絶対に反対である。社会は凡てのものが連帯責任で行かねばならぬ。全人類の解放は愛と犠牲と協同の精神を外にしてやって行かれるものではない。》(『労働者新聞』第131919715日)


 この文章から伝わる感覚に親しいものを感じました。この文章で言っていることが正しいかどうか以前に、私自身の根底にある感覚に触れてきたのです。そしてその感覚は、きっと能子先生に植え付けられたのに違いないと思ったのです。


 正しい正しくないで言えば「『金儲け』と云うことは、実に『金盗み』と云うことである。即ち一の仕事をして、百、千の金を他人(社会)から奪うと云うことなのである。之は普通商売人がする仕事である。」は、あまりに商業を貶(おとし)めています。商業には、商品流通の最前線にあって世の中のニーズを的確に汲み取りつつ、商品がスムーズに消費者に渡るようにするという使命があります。そのためのノウハウの蓄積、熟練も必要です。そこにおのずと「働くことの喜び」「生きがい」も生まれます。個人の金儲けのために商人がいるのではありません。世の中に必要だから商人はいるのです。


 しかしそれにしても、私自身の今に至る私にとっての「仕事(職業)」のプロセスを顧みると、やはり賀川的感覚を選択してきたのです。江戸時代からの染物屋の看板ですが、その中味は時代時代で変化してきました。祖父の代は「ものづくり」が主でしたが、親の代は「ものうり」が主になっていました。私は染物屋になるにあたって、祖父的「ものづくり」を選択したのです。その根底に、「ものうり」を疎(うと)んずる賀川的感覚があったことはたしかです。幼稚園で2年間、そのあとも毎週一回ほとんど欠かさずに中学生になるまで日曜学校に通いました。善くも悪くも、そこで培われた影響が大きかったことは、この10年間、理事長として古巣の幼稚園と深く関わるようになって、あらためて痛感させられてきたことでした。


 宮内幼稚園がスタートした1952(昭和51)年頃から日本は、隣りの不幸である朝鮮戦争による漁父の利を得たことも弾みになって、驚異的な経済成長の坂を登りはじめます。そうして、もっぱら経済至上、何よりお金儲けが第一の世の中になっていきます。その反省もあって「モノよりココロ」とか言われるようになっても、その習性から脱け出すことはなかなか困難です。とりわけ政治は経済第一にがんじがらめにされ、その行き着くところは戦争です。いま参議院で審議中の安保法制などはまさに見え見えです。モノを消費するには戦争がいちばん手っ取り早いのです。賀川先生は、経済効率性を第一義とする近代の経済学を西洋流「良心麻酔学」と斬って捨てています。


 今日(8/24)の株価はどうなるか。世界中の株価がこのまま大暴落で、いよいよ経済大混乱の時代に突入するのかもしれません。あらためて賀川先生の説く「友愛互助」を根底に据えた社会構想、それが具体化された協同組合運動に目を向けねばならない時代なのかもしれません。


 野尻武敏氏( 神戸大学名誉教授・前コープこうべ理事長 )の『賀川豊彦の友愛互助の精神 ―その今日的意義―』をネットで読みました。賀川先生が何をめざそうとしていたかがよくわかるすばらしい講演です。ぜひサイトにアクセスして全文読んでみて下さい。滋賀県生活協同組合連合会のHPです。以下、賀川思想の今日的意義についての評価についての部分です。

 

《賀川先生が「資本主義批判」で、特に強調するのは、人格たる人間の喪失とともに、「資本主義社会における貧しさは、物が無いからではない。過剰のゆえだ」ということでした。

 当時、poverty in plentyという言葉ができました。povertyは「貧困」、plentyは「豊か」ということですから、「豊かな中の貧しさ」ということになります。八十年前は失業保険もありませんから、失業した日から収入はなくなる。だから、物が安くなっても買えない。そこで店には商品が山積みになる。店頭には物が溢れているのに、街頭には飢えた労働者がいっぱいおるという惨憺たる状況です。これをpoverty in plentyと言った。

 賀川先生はpoverty inではなく、poverty of plentyという言葉を使っている。「過剰の貧困」です。これが資本主義社会の最大の問題点の一つ。「人権の回復」「人間尊重」の重要性を賀川先生が強調された時代と、今もあまり変わりはないようです。ことに、昨秋(リーマンショックのあった2008年)来の「金融危機」のなかで、今日われわれは同様の矛盾に苦しんでいるのではないでしょうか。

 それだけではない。賀川先生の資本主義批判の中には、近代文明の批判が入っています。近代文明の特徴は、第一に「物質主義」です。さらに、それと結びつくのが「経済主義」です。economismという言葉もあります。それから、第二に「個人主義」です。全くの個人主義もあれば、個集団主義もあります。国もそうです。自分の国だけが良ければ良いという考え方が支配しています。近代文明の特徴のその三は「効率主義」、あるいは「合理主義」です。効率ばかりで人間が評価される。市場は効率を競い合う場ですが、その市場原理が全てを支配している。学校でも、そうではないですか。偏差値の差でもって、どれだけ効率よく勉強するかばかりが問題になっている。これは今日に当てはまります。賀川先生の資本主義批判の中には、「近代批判」があり、これは今日にもそのまま妥当するものが少なくありません。》

 

2.人間の幸せはどこにあるか 

 亡くなる半年前のこんな文章がありました。


「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」(ヨハネ14-27)とイエスは、彼が死刑になる前夜、弟子たちに遺言した。彼はその時既に生死を超越していた。

 彼は此の世の邪悪に打勝ち、心の中に平安を持っていた。彼は暴風怒濤を超越し、天下に怖るべきもの一つをも持たなかった。ロマの政権も、法廷の宣告も怖れてはいなかった。

 彼は人類の全罪悪をひとりで荷負おうとする覚悟すら持っていた。かくの如き意識を持った人間は、精神史にかつて現われなかった。もし、我らがこの大工イエスの如き意識を持ち得たならば、世界平和は一瞬間に成立し、軍隊も軍艦も無用になるであろう。不幸にして万人にはこの心の中の「平安」が無い。万人の心に平安があれば、世界は静かである。

 心に平安のある者は、物欲、邪念に迷わされることがない。イエスは勝利者であった。(ヨハネ16-43(「心の中の静けさ」1959.8

 

 私の気持ちは、イエスが十字架にかかる前夜、弟子達に言ったという「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」の言葉に反応しました。イエスが弟子達に残した「平安」とは何か。


 ちょうど宮内に来られた頃の文章にこんな箇所がありました。


《私は神戸の四万五千人の大労働争議の時、捕えられて刑務所の独房に入れられた時の感謝を今も忘れる事は出来ない。独房は私の最もよき訓練所であり、道場である。/『小人閑居すれば不善をなす』と孔子はいっているが、閑居して最善をなし得るものにのみ天下をまかせ得ると私は考える。独居を楽しみ得るものに全能者は顔を見せ給う。》(「独居」)


 その前には、「めい想」と題する次の文章があります。


《幾日でも、幾週間でも私は黙想を楽しむ癖を持っている。刑務所の独房や、憲兵隊の監禁室で私は瞑想の習慣をもっていたから、鉄鎖を少しも苦痛と考えなかった。

 心の密室に閉じこもって自ら宿題を出して記憶を再現し、記憶の上に現われて来た視野の綱をたぐって、連想の綱を綱むと、面白い構図が霊のカンバスの上に出来上る。そこに引越して監守や憲兵が私の沈黙世界への潜入を揺り動かすまで、何事にも邪魔されずに推理の高楼に上って行くことは人生の最も幸福なことの一つである。私は一冊の書物を読む機会を与えられなくとも、黙想の静かな時を与えてくれさえすれば、霊の世界に逃げこむ工夫をいつの時からか覚えた。

 そこでは、過去一切の歴史を踏台にして、更に上へ上へと登って行く。思想山系のアルプス縦走も許可されるし、即刻に自己製の思想飛行機に乗って、天空に勇躍することもできる。考え詰めると、ノートが欲しくなる。それで思いついたことを一々ノートする。獄中などのノートのない所では、黙想録を一々頭の中に刻み付けておく。然しノートに付けると折角の美しい思い付きを忘れずに、また連想や推理し直す必要がなくなる。

 キリストが四十日間断食したと福音書に書いてあるが、瞑想の癖ができると、四十日の断食の間仕事が有って困るということが私に判ってきた。》


 イエスが自ら十字架にかかることで残された者に残してくれた「平安」、そして賀川先生にとっての「平安」も、世の中一般が考える平安とは明らかに別次元です。


 冬の間朝起きてすぐこたつの中で少しずつ読み進め、こたつがなくなってからは本棚で埃をかぶっていた『シュタイナー ヨハネ福音書講義』(高橋巌訳 春秋社 2005を引っ張りだしました。この節(14-27)への言及がないかぱらぱら見て最終講の第十二講にさしかかって立ち止まりました。すごい!と思いました。アマゾンレビューにがんばって感想をまとめました。「感情で受けとめることで、魂に響いてくる書」と題しました。

 

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 賀川豊彦の晩年の文章から「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」(ヨハネ福音書14-27)の言葉に行きあたり、シュタイナーが「平安」をどう読み解いているかを知りたくて手に取った。

 新約聖書のうち、ヨハネ福音書は、マタイ、マルコ、ルカの三福音書、すなわち共観福音書とは全くちがう。《ヨハネ福音書以外の作者たちは、ヨハネのような開悟の段階に達していませんでした。》ヨハネ福音書には、明確な使命がある。《ヨハネ福音書から発する強い衝動によって、次第に真の霊性を感知し、認識するようになるでしょう。イエス・キリストは、そのような使命を、ヨハネ福音書の作者に与えたのです。》《ヨハネ福音書に深く沈潜するなら、この書は、キリスト教の意味での「浄化」を促す力を持ち、「処女ソフィア」をあなたに与える力を持っている。また、地球と結びついた聖霊がキリスト教の意味での「開悟」をあなたに与えてくれるであろう。》「浄化」と「開悟」。そうして「汝自身を知れ」へと進む。シュタイナーによれば、「汝自身を知れ」の意味するところは《世間のことに気を使わずに、自分の内面に眼を向け、そこに霊性を求めるべきだ》のレベルではない。さらに深きに在る。「平安」の意味の深化にも通底する。すなわち「知る(認識)」は、《これまでに達しえた立場からこれまで達しえなかった立場への進化を意味している》。それは「受胎」に喩えられる。

  《「認識」という概念は、霊的な事象を把握していた時代には、現在よりも、もっとはるかに深い、現実的(リアル=生々しい)な意味をもっていました。「アダムは妻エバを知った」(創世紀四章一)または族長の誰かが「自分の女を知った」という聖書の言葉を読むと、それが受胎を意味しているのに気がつきます。ギリシア語の「汝自身を知れ」という格言も、汝の内面に眼を向けよ、ではなく、霊界から汝の中に流れてくるもので汝自身を受胎させよ、と言っているのです。汝自身を霊界の内容で豊かにせよ、と言っているのです。》 

 すごい喩えと思う。ブルッとする。(リアル=生々しい)は、あえて私が加えた。「受胎」は全く新たな生命の誕生だ。「汝自身を知れ」とは「汝自身を霊界の内容で豊かにせよ」ということにほかならぬ。次の文が続く。 

 《そのためには、二つのことが必要になります。第一に浄化と開悟による心の準備が、第二に自分の内面を霊界に向けて自由に開くことがです。認識との関連で言えば、人間の内面は女性と、人間の外面は男性と比較することができます。高次の自我を受容するためには、内面が開かれていなければなりません。そうすれば、人間の高次の自我が、霊界から人間の中に流れ込んできます。》

  人間の内面と外面とが女性と男性に喩えられる。(男女の営みの結果としての)「受胎」のようにして、人間の高次の自我が、今在るレベルの人間の中に霊界から流れ込む。そもそも「受胎」は英語でconception(概念)なのだ。

  この書の最後にシュタイナーは言う。

  今回学ぶことのできた内容は、感情で受けとめなければなりません。そうすれば、ヨハネ福音書が教えの書であるだけでなく、魂に訴えかける力であることも分かるでしょう。》 

然り、納得。知識(頭)で読み解く問題ではない。

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 余談。ジジさんのレビューに薦められて、喜田川信著『地上を歩く神ーヨハネ福音書の思想と信仰』(教文社 1999)を手に取った。しかし、その「まえがき」にはこうあった。

  《ヨハネの謎めいた言葉や表現が多くの人を魅し、また誤解させたことを忘れてはならない。近代の多くの哲学者は殊にヨハネ福音書を好んだし、またルドルフ・シュタイナーの『ヨハネ伝講義』とか生長の家の教主であった谷口雅春の『ヨハネ伝講義』などはその誤解の一例であろう。》 

 喜田川的批判はシュタイナーにはすっかり織り込み済みのことだ。講義の最後の章「神智学の世界史的意味」の中でこう言っている。 

 《未来の人ぴとは、真のキリスト教と出会うために、この霊的な教えを受け入れるようになるに違いありません。現在のところ、まだ多くの人びとが、「神智学は、真のキリスト教と相容れない」と言っているにもかかわらずです。そういう言い方をする人たちは、自分の知らないことを勝手に判断し、知らないことは存在しないことだ、というドグマを奉じる小さな教皇たちなのです。/そのような不寛容な態度は、これからもますます拡がり続けることでしょう。そしてキリスト教は、今自分たちを善きキリスト者であると思い込んでいる人びとによって、最大の危険に遭わされるでしょう。名前だけのキリスト教徒によって、神智学の中のキリスト教は、ひどい攻撃を受けるでしょう。キリスト教を霊的な観点から本当に理解しようとすれば、宗教上のすべての概念を変化させなければならないのです。特にヨハネ福音書の作者の遺産である偉大な「処女ソフィア」が、そしてヨハネ福音書そのものが、今後ますます人びとの心の中に生きるようになるでしょう。けれども、神智学だけが、ヨハネ福音書の中に本当に深く私たちを導いてくれるのです。》 

 谷口雅春『ヨハネ伝講義』も読みたくなって注文した。賀川豊彦もシュタイナーも、キリスト教の塀の中にいるクリスチャンより、門外漢にとっての方がかえって親しいのかもしれない。

 

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 みんなを思いがけないところまで引きずり込むことになったのかもしれません。そもそもここまでのこの作業は、「宮内こども園」としてのスタートしたことの報告とあわせた、遊具小屋を建てるための寄附集めのお願い文書作成がきっかけでした。ほんとうはお盆に合わせて卒園生に文書が届くようにすると理事会で約束していたのです。お盆前は染め屋のいちばんの繁忙期ということもあったのですが、その文書に入れる「宮内こども園の歴史と展望」と題する文章を考えているうちに、全然前に進めずにどんどん深みにはまってゆくことになったのです。その結果がこれです。


 ただ、ここに至る正直なところを言っておきます。


 福島第一原子力発電所(フクイチ)の問題です。


 東京オリンピック誘致にあたっての、安倍首相のいわゆる「アンダーコントロール」発言が公式とされ、政府もマスコミでも表向きには隠されていますが、実はきわめて深刻危機的現状にあることは、3.11以来これまでの経緯を考えてみればだれにもわかることです。


 以下は小出裕章元京都大学原子炉実験所助教による、日本外国特派員協会での発言(ポイント抄出)です。(2015年4月25日)


《事故からすでに4年経っていますが、残念ながら事故は全く収束できないままです。/2011年3月11日に運転していた1号機から3号機は、原子炉が溶け落ちてしまったわけですが、その溶け落ちた炉心が、今現在どこに、どのような状態で存在しているか、誰もわかりません。/安倍さんは「何よりも経済最優先だ」ということで、オリンピックを誘致しようとしています。そのために「福島第一原子力発電所はアンダーコントロールだ」と彼は言ったわけですが、残念ながらいまだに苦闘は続いていますし、これから労働者がどんどん被曝をしながら、何年も何十年も戦わなければいけないという、そういう状態になってしまっています。/溶け落ちてしまった炉心をこれから一体どうするか?/今現在は格納容器という、放射能を閉じ込める最後の防壁として設計されたこの容器もすでに破壊されてしまっていて、いくら水を入れても中に水が溜まらないという状態になっています。溶け落ちた燃料は、もうそこらじゅうに、格納容器の中に散らばってしまっている。あるいは既に格納容器の床を突き抜ける。あるいは横方向を突き破ってそこらじゅうに散らばっている福島第一原子力発電所の事故というのは、広島原爆の何100発分というような放射性物質を環境にまき散らし、今現在も撒き散らし続けている事故だということです。日本が法律を守るというのなら、およそ1万4000平方キロメートルに及ぶ場所を放射線管理区域にしなければいけないほどに汚れていると、日本国政府自身が地図に示しています。しかし日本国政府は原子力緊急事態宣言を出して、「今は緊急事態だから法律を守らなくてもいい」ということにして、人々をこの汚染地に捨ててしまったのです。/これから何十年も何百年もこういう放射能に向き合わなければいけないという状態になっています。》

 

さらに深刻な見方があります。


《◎福島原発の1~3号機の核燃料は既に原子炉内にはない。


・1号機の場合は2011311日午後15:36に水蒸気爆発を引き起こし、その時に50%以上の核燃料が周囲の海や大地に飛び散った。


・続いて3号機のデブリがメルトスルーして地下水に接触、核燃料(デブリ)の臨界熱によって今年の4月あたりから、大量の湯気や熱気が吹き上がるようになった。

・そして3ヶ月後の7月21日、2号機でも大量の湯気や熱気を吹き上げるようになった。
◎地下のデブリのまわりに出来た巨大な空洞が一気に崩壊し、大量の放射性物質が上空に向かって噴き上がる恐れがある。

・飯山一郎さんは来月の8月頃に起きると推定している。

 http://grnba.com/iiyama/index.html#ss07261

・〝神計らい”(運良く)で大崩壊が再来月9月中旬以降に引き延ばされれば、偏西風に乗って大量の水蒸気が太平洋の彼方に吹き飛ばされることになり、来年の3月頃までの日本列島は、少なくとも放射性物質に関しては他の時期と比べて深刻さが軽減される。

◎さらに最悪の事態
・原発の施設内に貯蔵されている2500トンの核燃料が、万一にも核分裂を引き起こした場合、日本列島は無論のこと地球上の人類のほんどが死ぬ。》


今朝(8/24)の情報です。


フクイチの4号機側からのライブカメラの異常な揺れが、昨日から連続している。JNN/TBSのライブからは、異常な爆発音も聞こえてくる。かつてない危険な状態だ。/これは、地下にあるデブリが、臨界熱によってマグマになり暴れているからだ。そのためフクイチは、手のつけられない状態になっていて…、地面は液状化現象でグッチャグチャ! 放射性物質や中性子線水蒸気が、出っぱなし!》

(フクイチライブカメラhttp://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-entry-8122.html

 

 4年前の3.11以来、できれば夢であってほしいほどの深刻な現状下で私たちは生きている。そうした中でいったい何にすがって生きてゆけばいいのか。このことを考えた時の「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」です。いまこの言葉の重みをわかってほしい。イエス様が私たちに残して下さった「平安」について、じっくり思いを致してみてください。


 最後に、あるいはヒントになるかもしれない言葉があったので載せておきます。マドモアゼル愛さんはれっきとしたおじさんです。YBCラジオ午前11時からの「人生相談」メンバーのひとりです。


 《自分にはどういう力があり、どういう価値があるのか、、、社会的なことで、家庭的なことで、経済的なことで、能力的なことで、自身の自身に対する価値判断において、こうした追求が起こる時代になります。



 その際に嘘は通用しません。なぜなら、嘘の部分が剥がれ落ちるためです。同じ給料をもらっていても、嘘の評価でもらっている人は弱く、実の働きの成果としてもらっている人は強くなります。


 それは、家庭でも個人間の人間関係においても同様でしょう。何より、自分自身をどう受け止めるかにおいて、嘘の部分が剥がれ落ちますので、逃げ場のない状況がいたるところで起きてくるのではないでしょうか。


 しかし、本当はそんなことはどうだっていいことなのです。剥がれ落ちた結果、自分がバカだとわかったら、私はバカでした、、、と、気づき認めれば、それで問題は終えられるのです。
 すべての虚飾が剥がれ落ちる時代とは、事実を認めさえすれば、それを個性として受け入れてくれる暖かで優しい時代の幕開けでもあるのです。


 自分の何が剥がれ落ちるか、、、私たちは本当は楽しみに待ち、素っ裸の自身に愛を向けることで、すべての人が救われる時代の到来ともなるのです。》
マドモアゼル愛「愛の日記」


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 長い文章、読んでくれてありがとう。どんな時代であっても、一瞬一瞬の積み重ね、その時々の大切さに変りはありません。日々子ども達とふれあう保育の仕事はほんとうにいい仕事です。



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めい

岡潔先生の言葉がありました。
http://quasimoto.exblog.jp/i59
《肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、 それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。 》

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人間が個々別々で自己本位になっていく現状は、なんとかしなければいけないわけですが、
当面、差し当たって何か一つ指針のようなものがあれば、お示し戴きとうございます。

(岡潔)
第一の心がいけないんですね。
自己中心が一番いけないし、それから、理屈もあまり言っちゃいけない。
第二の心の一番基本的な働きは、心と心が合一することだと言いましたが、
情緒としては、懐かしさという情緒が一番基本になるのです。
第二の心が働かないと、人が懐かしかったり、自然が懐かしかったりしないんですね。
そういう外界が総て懐かしいという、その基本的な働きが著しく弱くなっているんです。
根本を放っておいて、枝葉末節をいろいろやったところで、とても直りはしない。

(岡潔)
ともかく、欧米は間違っている。その真似を止めなきゃいけない。
これを自覚することですね。アメリカの真似をするからいけない。ソビエトの真似だっていけません。
大体、そういう基本的な評価が間違っていてはどうしようもない。

(質問)
そのどうしようもない状態におきまして、葦牙会の指導方針と言いますか、
何か具体的なものはどういうところにあるんでしょうか。

(岡潔)
今日本は間違ってる。欧米の真似は止めなきゃいけないと言っても、なかなか聞きませんね。
なかなか聞かなくても、まあ、ここへ来て下さる方は、聞いてやろうという稀な方ですから、
まあ細々と話でもしていかなきゃ。
三島由紀夫さんのような思い切ったことやっても、感銘は与えるでしょうが、それ以上の効果はないでしょうしね。
全く日本はどうなっていくのかと思いますが......

第二の心が神ですね。もし神々が働いてくれなかったら、日本は滅びるでしょう。
肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、
それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。
それくらい悪いんです。

(岡潔)
第二の心の世界というのは、それが欠けると、それを知っている人の目には非常によくわかるんです。
が、それが欠けてる本人の目にはちっともわからんのです。
だからいくら言ったって、聞きやしない。
これに対して、良い方法って、思い当たりませんね。
いろいろ言うんだけど、今日もここで言ったこと、皆さんはどれだけ聞いて下さったか、甚だ疑わしい。
余程日本人の中ではよくわかる方々でしょうが、それでも、どれだけ聞いて下さったかは甚だ疑わしい。
それくらいわかりにくいんです。
年長者の素行見てたり京産大生の作文読んでたりしたら、まるでしょうがないなあ、ちっともわかってないなあと思うんですが、
それをみんな思ったら、もっとやかましく言うでしょうが、思わんのでしょう。

by めい (2015-08-28 05:23) 

めい

ふと、ここにメモしておきたくなった記事です。

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ダイヤ・大空き家時代。若者からバカ高い家賃を取る時代ではなく、大家はバブル以前の割の合わない家賃まで下げる事です。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/216.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2015 年 9 月 23 日 16:53:43: 4sIKljvd9SgGs      

一番悪いのはドル詐欺陣営のくそじじいですが、それに便乗している不労所得者も褒められたものではなく、先代のように借地人・借家人と苦楽を共にする覚悟のない銭ゲバは、更に下落する前に売り、大家をやめる事です。
シニアの豊かな老後よりも若者の当たり前の生活の方が大事で、厳しい言い方をすればその邪魔になっているからです。
よく若者が老人をリスペクトしないという愚痴を聞きますが、くそじじいに便乗して若者の生き血を吸って生きているジジババに尊敬される資格などなく、割りきって彼らと関わらないようにして収入だけ得るシニアもろくなものではなく、くそじじいが仕掛ける世代間闘争詐欺の側面を割り引いても、褒められる生き方をしている年金世代は一握りです。
それも当然で、自分の生活の事しか頭になく、孫のような若者の悲惨な状況など他人事で、それでは軽蔑されても尊敬などされる訳がなく、老人がうじゃうじゃ増えたからではなく、老人が先代の頃より劣化しているからで、その癖、寿命ばかり延びているから尚更です。
今回、老母の終活を本格的に始めましたが、比較的若者に支持されている母ですが、それでもかなり苦い事も言いましたし、今では全てを整理して臨終を迎えるのが楽しみだ、その前にあれもこれもそれもやりたいと新たな目標も生まれてきたようですが、人生の晩年にする事と言えば、自分の子供も他人の子供もなく、次の世代に有形無形の財産を残していく事に尽きますが、死ぬまでエゴに執着する醜さといったらなく、まさにドル詐欺陣営のくそじじいがそのような生き方をしていますが、自分がこの世に少しは役に立ったという証を残せる事こそ極上の幸せで、現役世代にも言える事ですが、自分の生活を快適にする事ばかりに血道をあげるならば生きている意味がなく、そのような者の長寿などめでたくもなんともなく、むしろさっさと消えてくれた方が世のため人のためだと若者が思うのは当然です。
人生に定年などなく、給料という餌の為だけに働いてきたのか、無給でも世の中の為にその経験をいかすべきと考えられる仕事をしてきたのか、財産形成だかなんだか知りませんが、自分が若者の可処分所得を大幅に削って高額な家賃を得る意味のある人間なのか、よく考えて大家を続けるかやめるか、今日からでも自分ができる事をやり始めて社会参加するのか、自分の人生を見直す事です。  

by めい (2015-09-24 06:17) 

めい

《日本企業は職人気質であり、中国企業は商人気質だ。》
なるほどと思いました。
賀川先生曰く、「『金儲け』と云うことは、実に『金盗み』と云うことである。即ち一の仕事をして、百、千の金を他人(社会)から奪うと云うことなのである。之は普通商売人がする仕事である。」
日本的感覚といえるのかもしれません。

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日本企業 100年続く長生きの秘訣は:世界で二百年続く企業約5千うち日本が約3千:日本企業は職人気質中国企業は商人気質
http://www.asyura2.com/15/hasan100/msg/837.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 9 月 25 日 22:00:41: Mo7ApAlflbQ6s 


日本企業 100年続く長生きの秘訣は
人民網日本語版 2015年09月23日08:51

日本には100年以上続く企業がなぜあんなにたくさんあるのか。日本はどうやって企業の永続的な経営を可能にしているのか。このように問う人は多い。実際、日本企業と中国企業とではおかれた環境や事業のスタイルに違いがある。新華網が伝えた。(文:蔡成平)

▽経営型企業と生命型企業

企業を大まかに分類すると、経済型企業と生命型企業にわけることができる。

現在の中国の企業の多くは経営型企業で、経営理念は西側諸国や欧米の一連の管理経験と一致する。日本企業の多くは生命型企業に分類される。両者にはどのような違いがあるのだろうか。

経済型企業は会社の利益を最大化することを重視し、企業と従業員との関係は一種の約束の関係、一種の契約関係といえる。
生命型企業では、経営や利益について考える際、企業利益の最大化や短期的な企業利益の最大化を考慮しないわけではないが、より重視するのは長期的な発展プロセスだ。従業員と企業との関係は単なる契約関係ではなく、一種の同盟関係だといえる。同盟では人々は一つの家族とみなされ、人々は共同の生命体となり利益の共同体となる。

当然のことながら、100年続く企業を作り出すのはとてつもなく難しいことだ。企業も人と同じように、栄枯盛衰の宿命を逃れることはできない。世界上位100社入りするような企業であっても、平均寿命はたかだか30年に過ぎない。

日本経済新聞社が1996年に日本の企業8万社を対象に行った調査によると、創業から1年後も生き残った企業は60%、5年後も生き残った企業はわずか15%、20年後も生き残った企業はさらに少なく0.39%、30年後も生き残った企業は0.025%にとどまったという。

つまり、日本企業を含むほとんどの企業は、創業から30年で基本的に消滅するということだ。企業にとっては、100年どころか、30年生きながらえるのも非常に難しいことなのだ。

日本企業420万社のうち、いったい何社が100年後も生き残るだろうか。日本経済大学の後藤俊夫教授は「老舗企業の研究改訂新版」の中で、日本企業で100年続くところは10万社を超えるとの見方を示す。

韓国中央銀行が2008年に発表した報告書「日本企業の長寿の秘密と啓示」によると、世界で200年以上続く企業は約5千社あり、そのうち日本企業は約3千社で60%を占める。世界的にみて、日本に長寿企業がこれほど多いのは、極めて特異なことだという。


▽100年企業になるにはどうしたらよいか?

ロイヤルダッチシェルのアリー・デ・グース取締役は「学習型組織」という概念の提唱者で、企業が長寿を保つ秘訣として次の4点を提示した。

(1)企業は環境の変化に敏感で鋭敏でなければならない。あらゆる環境の変化に素早く対応できなければならない。

(2)企業全体が強い結束力と独自性をもたなければならない。

(3)企業の財務戦略は保守的でなければならない。企業は創業初期にだけ信用不足で製品によるもうけを出せないのではない。多くの企業は成熟した後も、無計画な拡張は行わない。拡張は将来の倒産を招く致命的な転換点や導火線になる可能性があるからだ。保守的な財務戦略は企業が成熟し、成長するための第一条件だ。

(4)企業は寛大さをもたなければならない。企業のトップと従業員との関係では、寛大さが非常に重要だ。


▽100年企業 日本には極めて特殊な経験がある

実際、こうした世界での経験は、日本企業のやり方とぴたりと一致する。ただこうした汎用的な経験のほか、日本には何か非常に特殊な経験がないのだろうか。

第一に、企業が100年生き延びるには、なんといっても企業がしっかり継承されることが必要だ。100年生き残るには4代、5代の継承が必要で、少なくとも3代は続かなければならない。企業家に生死について確固とした考えがなければ、100年続く企業を生み出すことはできない。

日本では同族企業が99%を超えるが、家という概念について、中国と日本とでは理解に差がある。
家産の継承ということでは、中国では子ども達に資産を分けることが多いが、日本では独特のやり方をするのが一般的で、長子一人にすべてを継承させ、他の子どもは会社から資金を提供されて別の企業を経営する。
中国人は企業を家族化し、企業は血縁関係にある家族の付属品になる。
日本では家を経済や生活の共同体とみなすことが多く、家族の構成員は共同体の付属品に過ぎなくなる。

第二に、日本企業は職人気質であり、中国企業は商人気質だ。

第三に、日本企業が100年生き延びる重要なポイントは、企業の経営理念にある。日本の優れた企業のほぼすべてが非常に堅実な経営理念をもち、創業者が経営理念を定めると、後継者がそれを絶えず強化し、すべてのことについて経営理念に合致するかどうかを検討し、反省を繰り返す。このような方法によらずに、100年続く企業になることはできない。

(編集KS)

「人民網日本語版」2015年9月23日

http://j.people.com.cn/n/2015/0923/c94476-8953862.html
by めい (2015-09-26 18:07) 

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