So-net無料ブログ作成
検索選択

朝日新聞からインタビュー(1) 「希望」について [日本の独立]

昨日、朝日新聞のN記者から電話があって「今回の安保法可決どう思う」ということで30分ほど話した。どう書かれたか気になってコンビニに行って朝日新聞を買ってきた。「法整備を危惧する学生らの活動を例にあげて『新しい社会運動を生み出したことには希望を持った』と話した。」とある。なるほどそんな風にとられることも言ったこともたしかなのであらためて敷衍してみる。


「われわれの時代の学生運動は全体の雰囲気で盛り上がるという風だったが、今回の場合は、『個を介している』すなわち個人個人レベルの判断があってのことのように思える。」とは言った。こう言った時、15年以上も前に書いた次の文章が頭に浮かんでいた。

 

   *   *   *   *   *


◉インターネットが生み出す新しい世界


インターネットでのメールのやり取りやチャットや掲示板を使った議論や情報交換、そうしたことを通して、これまでには考えられなかった人間関係が生まれています。言葉だけで自分を表現し、言葉だけから相手を判断してできあがる人間関係です。そこでは性や年齢や職業、立場に関係なくだれとでも対等に、しかも思うままの自分でふるまうことができます。それぞれが自由で平等な人間関係が可能なのです。


 現実の世界の人間関係はそういうわけにはいきません。身体をもった人間として、その人の行動はいつも他人の前にさらされています。性や年齢といった生まれながらの条件や、職業や立場といった社会的条件の中で「自分」ができあがっています。心の中で「こういう人間だ」と思う自分の外に、、他人からいつも見られている身体をもった自分があるのです。自分が自分をどう思おうと、どうしようもなく他人から評価されながら生きている自分、いつもふたつに分裂しています。パソコンの前の自分と他人の目に触れている身体をもった自分、言葉だけの世界で行動している自分と他人と一緒に暮らす中で身体を使って表現している自分、このふたつの自分の間の大きな隔たりを自覚しだすことが、子どもから大人へと成長してゆく上での大切な通過点です。このふたつの自分に折り合いをつけることが大人になってゆくことと言えるかもしれません。

「言葉だけの世界の自分」は、かつては読書の体験などを通してつくりあげられたものでした。それは自分の心の様子を人前に見せないひとりだけの孤独な世界でした。ところがインターネットの出現によって、言葉だけの人間関係が自由自在に展開できることになったのです。いわば、むき出しの心、素っ裸の心を出し合った人間関係です。このことは、自分の心のもち方までもが生きてゆく上で大切な関心事にならざるを得ないという意味で、人間にとって大きな進化です。

インターネットで育つお互い同士のつきあい方は、現実の世界での人間関係にも広がって、これまでは求めても得られなかったような「深いつきあい」「心を割った人間関係」がいたるところで展開されるような世の中になりつつあるかもしれません。これからの人間の生き方は、それぞれの心のありようが、これまでには考えられないほど大きな関心を占めるようになるはずです。

 

「物から心へ」とはここ十数年来いろんなところで言われてきたことですが、インターネットの普及がまさにそのことを現実のものにしようとしているのです。

 

   *   *   *   *   *

 

われわれの時代の学生運動は目の前にいる人同士のつながり、そこで形成された「共同幻想」から出発していた。それに対して今回の若者の盛り上がりの前提にあるネット社会、そこにはそこの共同幻想があるにはちがいないが、先ず出発点としては個の世界「自己幻想」なのではないか。イデオロギーによる支配下にある共同幻想レベルに対して、自己幻想レベルが目指すところ、その必然として、イデオロギーの拠ってきたる本質へと踏み込んだ世界である。マスコミに多く左右された過去に比してネット社会は、その気になればいくらでもその手立てを提供してくれる。その視点に立てば、マスコミはすでに「マスゴミ」である。このたびはほんとうに奇貨おくべし、ありがたいことに山本太郎議員がその水先突破人の役割を果してくれている。「アメリカと経団連にコントロールされた政治は止めろ!・・・違憲立法してまで、自分が議員でいたいか!マスコミの表面をなぞるだけでは見えにくい問題の本質、ある意味タブーを突き破って国会壇上で叫ぶ姿に胸を熱くしつつ、問題の本質に目覚めさせられた若者は多いはずだNHKは山本議員のこのたびの行動についての報道の一切を封印しているらしい)。ふりかえればその場限りの花火にすぎなかったわれわれの時代の学生運動にくらべれば、このたびの動きは世の中の根底へと突き刺さってゆく可能性をもっている。これまで私的なところでうだうだしていたかに見えた若者の関心が政治に向うことになった。それはたしかに「希望」へとつながる。ただ、このことに「希望を持った」と言ったかどうか定かではない。「希望」という言葉は、別のところで使ったつもりだった。(つづく)




nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

めい

あらためて、国会壇上でのこの渾身の叫び、全国民必見です。
http://www.asyura2.com/15/senkyo193/msg/296.html

   *   *   *   *   *

山本太郎は「バカ」じゃない! 確信犯のパフォーマンスに安倍の急所を突く質問…ここまでの覚悟をもった政治家がいたか!リテラ
http://www.asyura2.com/15/senkyo193/msg/353.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 9 月 20 日 18:50:30: igsppGRN/E9PQ
     
http://lite-ra.com/2015/09/post-1510.html
2015.09.20. リテラ

 案の定、山本太郎が盛大にバカにされている。

 山本は19日の参議院本会議で牛歩戦術を行い、採決の引き伸ばしを狙ったのだが、そのときの格好といえば喪服姿で左手には数珠。さらに壇上に登ると、焼香をあげるしぐさを行い、合掌さえして見せた。

 山本によると、それは「自民党は死んだ」というメッセージであり、強行採決が行われた特別委員会がその「通夜」で、翌日の本会議は「告別式」だったという。

 しかし、メディアの反応は冷ややかだった。各テレビ局こぞって山本議員の牛歩を取り上げ、TBSは「謎のパフォーマンス」、フジテレビは「葬儀パフォーマンス」などとして「こいつピエロだ」と言わんばかりに映像を繰り返し流している。当然、ネットの反応はよりストレートな誹謗中傷に溢れた。

〈キチガイ乙、こいつはもう早く死ねばいいのに〉〈山本テロ太郎は一人牛歩して何の意味があるのだろうか…〉〈完全に頭狂ってるとしか思えん〉〈国会はあんたのつまらない寸劇を披露する場じゃない〉


 ……もういいだろう。とにかく、山本議員はマスコミからは冷笑され、ネットでも血祭りにあげられているわけである。

 だが、山本はほんとうにただの「ピエロ」「目立ちたがりのバカ」なのだろうか。実を言うと筆者も、少し前まで山本太郎のことをそういうふうにとらえている部分があった。だが、この間の安保法制論議での言動を見ているうちに、考えは180度変わった。

 いまの野党にここまでの覚悟と訴求力をもった政治家がいるか、と。

 たとえば、くだんの牛歩。採決直前のメディアの論調を見ていると、牛歩や擬似妨害パフォーマンスをやれば、批判を受けるというのは明らかで、山本自身も絶対にそれはわかっていたはずだ。だからこそ、他の野党議員は批判を恐れて日和って、牛歩戦術を放棄した。

 だが、そんななかで山本太郎ただ一人、それを敢行した。しかも、山崎正昭参議院議長が投票の時間制限を求めたことで未遂となったが、それがなければ日付を越えて牛歩を続行するつもりだったという。

 これは相当の覚悟がなければできないことだし、ただの目立ちたがり屋と決定的にちがうのは、そこに明らかに「審議を遅らせてやろう」という意思があることだ。

 考えてみれば、例の天皇に手紙をわたそうとした事件をはじめ、山本太郎のパフォーマンスにはいつも目的があった。目的のために、ひんしゅくや批判をおそれず、もっとも訴求力のある方法を選ぶ。そういう意味では、明らかな確信犯なのだ。

 そうした確信犯ぶりは国会での質問にもよく表れている。持ち時間が短いにもかかわらず、他の議員とは切り口の異なる質問で、安倍首相や中谷元防衛相のもっとも嫌がりそうなところを突いていく。それはまさに独壇場と言っていいものだった。

 たとえば、7月30日には、安倍首相に対して、これまで誰も言及してこなかった“原発にミサイル攻撃を受けた場合の想定”を質問。田中俊一・原子力規制委員長の「弾道ミサイルによって放射能が放出されるという事態は想定していない」、安倍首相の「一概にお答えすることは難しい」という答弁を引き出し、政府がなんの対策も講じていないことを暴露させた。

 8月19日では、「永田町ではみんな知ってるけれど、わざわざ言わないことを質問していきたいと思います」と前置きをして、政府に「第3次アーミテージ・ナイリポート」を突きつけた。これはアメリカのジャパンハンドラーによる日米安保の報告書だが、安倍政権の政策のことごとくがこれをなぞった「完コピ」であると指摘。さらに、アメリカの防衛予算はすでに日本の自衛策を当てにしており、そのための安保法制ではないかと迫った。

 また、8月25日には、自衛隊は国際法上違反となる行為には支援しないと言い切る安倍首相に対して、山本太郎は、イラク戦争時に無抵抗のイラク市民が手足を縛られた状態で虐殺されたことなどの事例を列挙。「総理、これ戦争犯罪ですよね? 国際法違反ですよね?」と問い、またその翌日の委員会では、防衛省が2年前に作成した「企業から自衛隊へのインターンシッププログラム」を取り上げ、政府による経済的徴兵制の一端を明かしている。

 そして、9月14日には沖縄の基地問題について追及。前述の「アーミテージ・ナイレポート」の両責任者が、「対案があれば米国は間違いなく耳を傾ける」(アーミテージ氏)、「辺野古を再検討するべき」(ナイ氏)と発言していることに関して、「これ言うこと聞かなくて大丈夫ですか? 利権がまた違うのかな?」と首相を問いただした。安倍首相は「『利権』という言葉については取り消していただきたい。根拠もなくですね、極めて名誉を傷つけるような発言は控えていただきたいと思います!」と、説明責任を放棄して“名誉毀損だ!”と攻撃。だが山本議員は動じず“日米地位協定は「売国条約」だ”とはっきりと言い放ったのだ。一方、「売国」という言葉を鴻池委員長にとがめられると、あっさり撤回するという柔軟性も見せた。

 こうした国会での答弁を見れば、山本太郎が、近年の政治状況や資料をよく研究したうえで、戦略的に政権の“急所”を突く質問を連発していたことがわかるだろう。

 そこには、少数政党に所属し世間からは“色物”としか見られていない山本が、政権を打倒できないまでも、“引っ掻き傷”くらいは残してやろうという強い意志がうかがえる。
 
 実際、こうした質問は政府側からはごまかし答弁でかわされ、テレビでも報じられることは皆無だったが、少なくともネット上では話題になり、かなり広い層に拡散していった。

 山本太郎は我々が想像している以上に、戦略的に物事を考え、行動している。いま、何を訴えるべきか、何のためにどんな情報を集め、どういう方法で表現すべきか。おそらくネットやメディアの非難も山本にとっては織り込み済みで、むしろ拡散の道具として考えているのではないだろうか。

 そう考えると、「バカ」「キチガイ」と口汚く罵って自己満足にふけるネトウヨのほうがむしろ、山本の手のひらの上で踊らされているのかもしれない。

 山本太郎、もしかして将来はけっこうすごい政治家になるんじゃ……。って、ちょっと、ホメすぎ?

(宮島みつや)

by めい (2015-09-21 05:33) 

めい

小沢さんの言や聞くべし。
《しめくくり総括質疑の前の委員会で、一部野党が一応物理的抵抗を見せたが、もっと前から、パフォーマンスではない本気の決意で、成立阻止に臨むべきだったのではないか。》
山本議員の「パフォーマンスではない本気の決意」を支える発言です。

   *   *   *   *   *

安保法案を潰す秘策を話そう/小沢一郎
この「悪法」を変えるため国民は選挙に棄権せず意思を投票してほしい
2015年9月19日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/164201/1


 安保法案に対する国民の反対がこれだけ高まっている中で、安倍政権は参院でも法案を強行採決した。

 こんな暴挙は絶対に許されないことは言うまでもない。ただ、野党の側にも反省すべき点があったと思う。

 野党(民主、維新、共産、社民、生活、無所属の会)は党首会談を開き、「あらゆる手段を使って抵抗する」ということで一致した。しかし、重要なのは「あらゆる手段」とは何かということ。この点、僕は考え方が違った。他党は、問責決議や委員長の解任動議など法的に認められる当たり前の手段は使うものの、委員会室の封鎖や投票で牛歩をするなど、物理的手段を使ってまで抵抗するつもりはないということのようだった。

 ただ、今回のこの安保法案は、国の将来と国民の命と暮らしを危険にさらすものであり、だからこそ過半数の国民が反対をしている。したがって、野党が多少手荒な抵抗をしたとしても国民の多くは理解するだろう。我々野党は、安保法案を絶対に廃案にしなければいけないと繰り返し主張してきた。だが、結局、法案を潰すことより、品位のある国会運営の方が大事だという結果をつくってしまった。

 しめくくり総括質疑の前の委員会で、一部野党が一応物理的抵抗を見せたが、もっと前から、パフォーマンスではない本気の決意で、成立阻止に臨むべきだったのではないか。そもそも中央公聴会を15日に設定させてしまったことが問題だった。公聴会の日程を引き延ばすべく、あの段階でもっと徹底的に抵抗すべきだった。

 国民についても同様のことが言える。もっともっと安倍政権に怒りを爆発させてもよかったようにも思う。昨年末の総選挙の際、自民党は安保法制について、マニフェストの一番最後の方に少し書いた程度で、ほとんど触れなかった。それなのに法案成立を強行するのは、明確な公約違反だ。

 もちろん連日、国会前に大勢の人が集まり、怒りを表明した。16日に横浜で開かれた地方公聴会では、国会に戻る委員の行く手を阻もうとした人たちが警官と揉み合いになるほど抵抗した。よくやったと思う。ただ、同時刻に、国会周辺にも人が集まっていたようだが、横浜の方に勢力を結集させることができれば、もっと盛り上がったことだろう。

 国民の多くは法案に反対だと思う。しかし、現実に行動を起こさなければ、法案は通ってしまう。デモは国民が主張をアピールする手段として正当に認められている行為だ。何もせず、あとになって、酷い目に遭って、後悔する。それでは間に合わない。反対だけど仕方がない、そういうところがどうしても日本人にはある。

 今後は、成立してしまったから仕方がないと、安保法案という悪法を運命として受け入れるのか。それが嫌ならば、次の参院選や総選挙で、国民はしっかり意思表示しなければいけない。

 09年と14年の総選挙を比較すると、実に2000万人もの人が投票を棄権していた。これはとんでもないことで、棄権した有権者は大いに反省すべきだ。

 あの時、野党はバラバラで、自民党に代わる受け皿がなかったというのは事実だけれど、それでも2000万人がどこでもいいから野党に投票していれば、自民党は今より議席が少なかったはずだ。

 民主主義では選挙が最も重要だ。主権者が権利を行使できるのは、選挙の時しかない。選挙を軽視してはいけない。棄権行為が一番いけない。

 もちろん我々野党の責任は大きいので、次の選挙に向けて、なんとかひとつの受け皿をつくりたいと思っている。その際には、棄権した2000万人だけでなく、3000万人、4000万人という人たちが投票に必ず行くという気持ちをもってもらいたい。そうすれば、この悪法を変えることができる。それしか方法はない。

by めい (2015-09-21 05:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。