So-net無料ブログ作成
検索選択

メモしておきたい文章、二つ [メモがわり]

昨日、メモしておきたいいい文章を2つ読みました。

 

   *   *   *   *   *

 

   生きる意味 (山形新聞「気炎」 28.4.20)

 

 父が体の不調を訴えたのは17年前の2月の末。すでに手遅れの状態で、余命50日という診断が下った。父は日に日に体も心も弱っていった。それとは反対に陽光は日に日に輝きと華やかさを増し、季節の成長の中で命あるものはみずみずしさを加えていった。いろいろな花が順々に開き、桜も咲いた。山も笑い始めた。しかし父には堪能する力がもはやなかった。

 「花を見ても、山を見ても、何も感じなくなった。もう生きている意味がなくなった」—死の迫るベッドで父はそう嘆いた。とりどりに美しい花を見、趣の異なる山を眺め、変幻自在の光を観賞すること、つまりは自然と感応し感動することが父にとって生きる意味だったのである。裏を返せば何も感じなくなること、花や山や光と別れること―それが死であった。

 この記憶が蘇ったのは、イラストレーターの益田ミリさんのエッセーを読んだからである。益田さんは数年前海外旅行に出かけた。旅先のプラハで、地元の学生の演奏するモーツァルトを聴き、あまりの美しさに我を忘れた。そのとき唐突に〈死ぬ意味〉を悟った。

 「こんなにも美しいものに別れを告げることが死なのだ」と。そう思うと泣けて仕方なかった—。益田さんはこう語っている。

 父の末期と益田さんのエッセーが共振して、〈ああ、死ぬということはこういうことなのか〉と、深い思いにとらわれた。〈死ぬ意味〉を反転すれば〈生きる意味〉となる。生きているから美しいものに出会うことができ、感動できるのである。生きる第一義はここにあるのではなかろうかと。

 「楽しかったことだけを思い出しなさい。それは何ですか」。ホスピス段階の父に医者が言った。父は答えた。「すべて楽しかった。だから何を思い出してよいか分からない」。忘れられない言葉を残し父はあの世に旅立った。(天見玲)


   *   *   *   *   *


「父」は錦三郎先生です。私が小学5年のとき、教頭として赴任して来られました。古くて薄暗い高学年用の北体操場で、スライドを見ながらはじめて「クモ」の話を聞いたのを今でも憶えています。錦先生が飛行蜘蛛「雪迎え」の研究を始めて間もない頃のことだったと思います。担任が休みのとき代わりに来られて音楽の授業を受けました。バイオリンを弾いていただきました。

 

退職後先生は南陽市史編纂の仕事をされていました。もう40年になりますが、私が家に戻って染物をやるようになってまもなく、古い引き出しの奥から出てきた『萬染色秘書』を解読していただきました。大阪樟蔭女子大学の西出宗生先生が論文にまとめて発表されています。

 

尾崎氏の跡を訪ねて飯山に御一緒しようと言っていた矢先の突然の訃報でした。先生がお元気でおられたら、まだまだいろんな展開があったにちがいないと思うとほんとうに残念です。5.6年前、先生が横山大観と南陽の関わりについてかなり深く調査されたが事情あって未発表とのことを聞き及び、その調査資料がないかどうかお訊ねしたことがありましたが、未整理のままのものが膨大とのことでそのままになっています。きっと宝の山です。これからの発掘がまたれます。


錦先生と尾崎宅で.jpg

尾崎哲雄先生をお訪ねした時の写真です。錦先生が亡くなられる前年、平成7年(1995)の頃だったと思います。『わが家の記録 源流』(尾崎哲雄 平16)にありました。尾崎先生も昨年亡くなられました。

 

 --------------

 

もうひとつ、マドモアゼル愛さんです。

 

すべての事柄は偶然には起きません。意識が生み出すものとして現象は存在します。/すべてのことは人間が創造しているからです。形のない無からしか本当のエネルギーはやってこない》

このごろ、ほんとうにそうだと思うようになりました。

 

《日本は本気で、アメリカからの影響を離れ、ロシアを含むアジア再構築の芽を、実は持っているのではないでしょうか。》

このことについては今朝、飯山一郎氏の記事を読んで、前記事のコメント欄にメモってきたところでした。

 

《2016年の春は特筆すべき意識の変容が、密かに進行した春ではなかったでしょうか。》

たしかにそんな気がします。

 

   *   *   *   *   *

 

■ 2016年春  20160418日(MON


凄い春になりました。表に見えるものもそうですが、裏でうごめいているものの大きさが、また凄いです。

 

見える結果と見えない部分が地震にもあるわけですね。

震源が東に移動しているようで、中央構造線を刺激しているということですが、その前に阿蘇山があるわけで、そこは地球のツボというか重要なポイントの一つであります。

阿蘇の火口は異例の大きさであり、九州全体が阿蘇山であるともいえるほどの大きな規模の火山です。

これが破局噴火をもたらしたら、九州はもとより世界全体の気候を変えてしまうような影響があり、大げさではなくて人類生存の可否にまで至る可能性がある山が阿蘇です。

のんきに原発は止めないなどと言っていますが、なんだか秀才の考えの限界を見る思いがしていやになります。

ともかく最大の注意を払わねばならないことは確かですが、では何に注意を払えばいいのか。身の周りのことや災害への備えはもちろんですが、それ以上に心の持ちようが本当は大事なのです。

すべての事柄は偶然には起きません。意識が生み出すものとして現象は存在します。

すべてのことは人間が創造しているからです。形のない無からしか本当のエネルギーはやってこない。

ビルを建てるのも、病気を作るのも、貧乏になるのも、幸福になるのも、意識が作ったものだとするなら、私たちの現実を見る目はかなり違ってくると思います。

人は永遠の意識体として生きているのですから、多少病気になろうが不幸があったところで、それが本当の幸福を決定するものにはならないのです。

幸福でありたいと願うのは、私ももちろん誰も同じように思っていますが、誰もが永遠の時を生きているとなれば、目の前の幸不幸のウエイトはそれほど大きなものにはなりません。

絶対に死ぬことのない人が、多少貧乏になったとしても、それは永遠の中の一様相であるので、すぐに損得を言う必要もないし、まして幸不幸などが決まるものではない。

私たちの大きな誤解の一つというか、唯一の誤解は、自分が永遠に死なないということを知らないところから訪れると思います。

意識がすべてを作り出す、、、そのことを認めさえすれば、現実への対処も対応も変わってくる。

大きな悲劇は本当になくしたいと、私ももちろん思うし、誰もがそう思っています。ただその方法がずいぶんと違ってくると思うのです。

現実しか存在しないと思えば、現実に働きかけることが優先されるのは当然です。

例えば、今の仕事を辞めたいが、辞めたら生活ができない、、、、これは正しい考えでしょうか。

私は違うような気がします。意識が現実を作ることを知っていたなら、違った対応ができるようになるかもしれません。

こう言ったら人をバカにするのかと、おそらく怒る人もいると思いますが、事実なので仕方ありません。

今の仕事を辞めたいが、辞めたら生活ができない、、、と思っているから実はそうなっているだけであって、辞めてどうにかなる人もたくさんいるのです。

と言って、不安を抱きつつ辞める、となれば、うまくいかないケースもまた出てくる。これも本当でしょう。

要するに意識がまだ変わっていないのです。意識が変われば、自分の幸不幸と会社やお金とはそれほど関係ない、、、という意識になるかもしれません。

不幸から抜け出すには、不幸であり続けている意識からまず脱却するしかない。なぜなら、意識がすべてを作るからです。

怖い、、、怖い、、、と思っている日々から抜け出すには、殺されるなら殺されろ、、、的な新たな意識でも良いが、何か、これまでの状況を支えている意識とは違ったものを、まず、自身の中で体験する以外にないのです。

すべては、そこから。心から、、意識から始まるからです。外部のものには、本当は意味がない。物や人や機構や国や組織には、本当は何の力もないのです。

自給800円を高給に思えば、それはそれでけっこうリッチな生活が実際に送れるようになる。意識がリッチだからです。

月給300万円稼いでも、借金に追われる人もいる。

芸能人やスポーツ選手などに、結構多いですよね。たくさん稼いでもずっと借金で追われるタイプの人が。

外部の事柄、現実には、本当は何の力もないのです。

火山も同じ原理です。地球が泥の海になっても、くにとこたちのおおかみまもりたまへさきはへたまへ、、と真剣に唱えれば、誰でも助けてやるぞ、、、というような記述を確かひふみで読んだことがある。

それが本当かどうかはともかく、同じ意識にならなければ、泥海にのまれることもない、、ということになる。泥を母のように感じる意識に対しては、泥は母ともなる。

すべてはそのような構造になっていると思うのです。では泥に飲み込まれて死んだ人はいけなかったのか、、、ということにもなりますが、そうした考えもがおかしいのです。

人の生き死によりも、どういう意識で生きてるか、、、こそが大事だからです。意識成長のためには、何度でも死んでやり直しさせられるほど、私たちはやらされてきている。

現実をどうにかしようではなく、意識をどうにかしなさい、、、ということがわかるまで、何度も人は泥に飲まれていくのかもしれない。

いよいよ究極の時代が近づいてきたなら、人はそのことを理解するようになっていくように感じます。

今が究極の時かどうかはわかりませんが、意識優先に気づくのは、いつだってかまわない。早い方がいい。

地震やめたまえ、、、と心から思う気持ちは誰も同じです。しかしそれ以上に、意識としてのありように関心を向ける時代。

それによって、奇跡と見えるような事柄を起こしていく時代、という気がします。

自然災害も停止させ、不幸も停止させる。その根源に自分の意識があることに気づく必要があります。

ところで、目に見える事柄の他に、パナマ文書隠しが日本では凄いものがあり、あくまでも国民には真実の目を向けさせないような動き。

しかし、安倍さんも本心ではどうなのでしょう。よくわかりませんが、以前プーチンに駆け寄ってニコニコ顔で抱き着いた映像がありましたが、意外に本音であるような気もします。

日本は本気で、アメリカからの影響を離れ、ロシアを含むアジア再構築の芽を、実は持っているのではないでしょうか。

これは今は決して表には出ないものですが、政治的なことはある日突然承知される形で表に出てきます。

これまでの日本の枠組みを取り外す、それこそ新たな意識が実は出始めていることを何となく感じます。

まだまだ、、、と思うでしょうが、意識が現実を生みだすのですから、もしそうだとしたら、それは必ず現実化します。

いくら旧勢力が脅してもテロ的なことで怖がらせても、新たに生まれてしまった意識は間違いなく現実を作り出します。

なので、社会も国も私は本当に変わると思っているのです。

2016年の春は特筆すべき意識の変容が、密かに進行した春ではなかったでしょうか。



nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

めい

既に始まっている意識とシステムの変化
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1120.html
安西ファイル最終弾(第五弾)の「既に始まっている意識とシステムの変化」の【私見】の部分です。

《いま地球はアセンション(次元上昇)の最中にあり、あの世(多次元世界)でのルールが変わるに伴い、タイムラグを経てこの世(三次元世界)にもその影響が及び、2014年頃から精神的エネルギーを巡るベクトルが反転した。》
《エネルギーの型と流れは「被支配者(宿主)」→「支配者(寄生者)」へと一方的に奪われるだけの収奪的なものから、「独立個人」⇔「独立個人」へと互恵的に与え合う贈与的なものへと変貌を遂げていくだろう。》
《アセンション後の新生地球では、このような新しいエネルギーのあり方だけでなく、ありとあらゆる面で世の中のあり方がこれまでとはすっかり変わる。》
《各自が潜在意識の領域で「自らの意思に従って自由に」進みたい道を「選択する」のが基本》
《人々は自分が無意識のうちに選択していた(あるいは、させられていた)自分の進路がどのようなものであったのかを、目の当たりにする》

   *   *   *   *   *

・人々は物質的なエネルギー(石油、石炭、核、電気など)を巡って、少しでも多く奪おうとして争い、時には戦争まで引き起こす。それは、物質的なエネルギーは目に見えるので、その流れを実感しやすいからだ。
・一方、物理的なエネルギーを超えた精神的エネルギー(「気」や「やる気」「運気」「幸運」「知覚能力」といった意識の波動(振動数))は、目に見えないので、多くの人々は気付かないか無関心である。
・お金は精神的エネルギーの一種である。われわれはお金を「儲ける」「損する」「稼ぐ」「取られる」といったように、物の授受や蓄積という形でとらえているが、精神世界の視点から見ると、エネルギーの授受や蓄積といえる。

・現代文明の社会構造は、「支配者(寄生者)vs被支配者(宿主)」という単純な構図ではなく、被支配者(宿主)の中にも「支配者(寄生者)vs被支配者(宿主)」という構図が入れ子構造のように多層的に組み込まれており、複雑な様相をなしている。
・いま地球はアセンション(次元上昇)の最中にあり、あの世(多次元世界)でのルールが変わるに伴い、タイムラグを経てこの世(三次元世界)にもその影響が及び、2014年頃から精神的エネルギーを巡るベクトルが反転した。これによってエネルギーの流れが従来の「被支配者(宿主)」→「支配者(寄生者)」から「支配者(寄生者)」→「被支配者(宿主)」へと逆転して、搾取・収奪されてきた被支配者(宿主)へと還流していく。
・さらに、あの世(多次元世界)の事象がこの世(三次元世界)に投影されるとき、メビウスの輪のように鏡像反転して現象化する。また、寄生性が機能しなくなると、現在の収奪的な社会構造(マトリックス)はやがて崩壊し、「寄生者」と「宿主」という二元論的な役割分担がなくなり、自立した意識を持つ自由な「独立個人」が集う新しい社会構造が誕生するだろう。
・これらが精神的エネルギーを巡るベクトルの反転と重なり合うと、エネルギーの型と流れは「被支配者(宿主)」→「支配者(寄生者)」へと一方的に奪われるだけの収奪的なものから、「独立個人」⇔「独立個人」へと互恵的に与え合う贈与的なものへと変貌を遂げていくだろう。

・アセンション後の新生地球では、このような新しいエネルギーのあり方だけでなく、ありとあらゆる面で世の中のあり方がこれまでとはすっかり変わる。自らも新生地球へと移行しようとするならば、自分自身の内なる創造力が完全に欠如していると刷り込まれている奴隷意識に自分が囚われていることに気付き、新しい社会に適合する考えや価値観を喜んで受け入れ実践しようという、意識変革が必要となる。こうした意識改革を拒否したり、無視したり、あるいは無関心である者は、今の地球と同じような境遇の惑星や霊界に転生するといわれる。
・各人がどのような道に進むのかという選択の決定は、これから始まるのではなく、実はもうほぼ終わりに近づきつつあるという説もある。その選択決定開始と終了の時期の真偽はともかく、より正確に言えば、各自が潜在意識の領域で「自らの意思に従って自由に」進みたい道を「選択する」のが基本だが、実際には大多数の人々が「自らの意思に反して」無意識のうちに「選択させられている」のである。多くの人々はエネルギーとは何かがわかっていないため、それをわかっている者たちによって、都合よく利用されていることにも気付いていない。
・今年は、アラハバキのはたらきがますます激しさを増していき、地震や噴火などの天変地異や疫病、事故などによる災害が頻発するだろう。その被害の程度が大難となるのか小難となるのかは人々の気付きと内省の度合いにかかっている。アラハバキのはたらきにより天の岩戸が開き、この世の立て替え・立て直しで世の中が一変した後、人々は自分が無意識のうちに選択していた(あるいは、させられていた)自分の進路がどのようなものであったのかを、目の当たりにすることになる。

by めい (2016-05-30 06:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。