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獅子冠事務所の今後について(4) 市制50周年記念事業として [地元のこと]

あらためて伊藤氏の文章の要処を抜き出してみる。


*   *   *   *   *


郷土資料館の開設上、郷土文化史上最重要課題として郷土の輝しい記録である生糸産業史をその中心にと提唱、文化懇話会としてその実現に取組んで来た。


我々の多年の願望であった郷土資料館の開設がたまたま前市長当時市の市制二十周年記念事業として取り上げることを明示されたのである。


市の事業として新市庁舎建設まで、永年にわたり使用されてきた現文化センターを内容外装共に充実新装の形態にしていただくことで記念事業にふさわしい地域の文化建造物にと強く要望、吾々文懇としても已にその全面協力のことを約した。


ここに残念乍ら大きく支援を期待してきた地元出身の大事業家、須藤恒雄社長へ懇請してきた寄金要請が打切りのやむなきこととなった最終回答を甚だ遺憾乍ら御報告申上げる。


須藤社長のお断りの理由は凡そ次の事情である。

 一、地元の本企画への盛り上りが更にないことが第一、

 二、須藤社長からは先づ地元の方々又地元有力者からの協力如何と問われた。

 三、文懇幹部が須藤社長を初めてお訪ねした折、地元製糸家、有力者で一億円位の寄金をと、又前市長退陣直前の前村山助役との三者御会合の折地元製糸家で一億円位の拠出が前提と同様のことの言かあった由でその上であれば自分も応分にとのことを話された由。

 四、最終の訪問の前に会合の際お断りの理由として「地元某家が反対しているのに自分としては出来ない」と話されたこと芳武氏に聞された。


我々両名(伊藤・芳武)は最終会談には須藤社長と十分胸襟を開いて郷里の事情を話合い、我々としての要請のお願いはこれで終結とした。


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私には郷土資料館に賭けてきた伊藤長太郎氏の悲痛な思いが読み取れる。しかし同時に、須藤社長(当時)の断りの理由から、当時の空気も痛いほどよくわかる。伊藤氏の思いに地元がついてゆけなかった。半面、伊藤氏におんぶにだっこ、「伊藤さんと芳武さん、あんなに言ってるんだから実現するに越したことはない」、須藤さんはそんな生温(なまぬる)い地元の空気を感じ取っての判断だった。伊藤氏の「円満裡に」「十分胸襟を開いて」の言葉にかえって須藤社長との間の齟齬を感じる。この経緯をきっかけに須藤社長の眼は南陽市から離れたのではなかったか。以前寄附された秋葉神社、山王神社の神輿、飾っておくだけなら須藤社長の実家がある白鷹町に持ってゆく、という話が出たのはこの後間もなくのことだったと思う。あわてて夏まつりの子供神輿が誕生した。そのあおりをくって毎年5月に盛大に繰り出していた琴平神社の神輿まで駆り出されることになった。この時正論を吐いたのが粡町だった。それについては当時の文章があるはずだ。「祭りの本義」の問題に通底するので、見つけ出したらいつか書いておきたい。


さて、獅子冠事務所存続問題から出発した「宮内公民館+獅子冠事務所+山車保管施設+郷土資料館+菊まつりの拠点施設」構想、その緊急性において30年前とは比べようもない。当時は市制20周年にリンクしていた。北条郷33ヵ村がひとつになってできた南陽市、その総鎮守である宮内熊野大社とも密に関わるこの構想は、来年迎える市制50周年の記念事業の目玉としてもこの上なくふさわしい。実現を切望する。


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