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藤沢周平著「漆の実のみのる国」を読んで [上杉鷹山]

漆の実のみのる国.jpg

上杉博物館で開催されている「上杉鷹山と学びの時代」展を見て、小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢』を読んだら、つぎにどうしても『漆の実のみのる国』が読みたくなって、まったく新品同様帯付函入布貼の単行本11円送料257円上下合わせて516円を購入して、読み終え、アマゾンにレビューしてきました。


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鷹山公の実像に近づけた思いがする


一昨日(平成29126日)が没後ちょうど20年、亡くなったその年5月の刊行、藤沢周平さんの絶筆である。当時連載されていた「文藝春秋」の編集者に渡された原稿用紙6枚が最後の第37章。場面はまず、隠退していた莅戸(のぞき)善政の再起用によってようやく本格的な藩政改革がその緒につこうとしている時、いまだ改革ならぬ寛政3年(1791)、鷹山公41歳。そして迎える最後の段、時は一挙に文政5年(1822)、鷹山公最晩年の72歳。原稿用紙にして残り2枚足らず、著者渾身の力を振り絞るようにして、『漆の実のみのる国』の書名に込めた思いの一端が明かされる。決して成功したのではない漆の栽培がなぜ書名となったのか、不審に思いつつ読み進めてきた読者に、余韻を残して「(完)」となる。


鷹山公目賀多雲川.jpg

あと僅かで読み終えると思うともったいない、そんな思いの第36章、読みつつふと異和が走る一文に行きあたった。莅戸善政(九郎兵衛)が鷹山公に語りかける。《「・・・憂慮すべきことは、暮らしの助けにはじめた商売が、金儲けのたのしみに変わりつつあるということではないでしょうか。・・・」》この箇所を読んで私を過(よぎ)ったのは、「商売がたのしみになったら最高。それこそ活力の源泉」の思いだった。しかもそれは「金儲け」の介在があればこそ生まれる活力であり、そのエートス(行為基盤)こそが近代の産業社会を発展せしめたものではなかったか。しかし、鷹山公の応えはあくまで莅戸の憂慮に沿っている。《「国力の衰微のせいとはいえ、容易ならぬ事態に立ちいたったものだの、九郎兵衛」》(下263p)。その後近代を経て今に至る感覚からすれば、時代の根底をなしてきた活力の源泉を否定したことになる。


この場面は、藁科立遠(わらしなりゅうえん)が善政に提出した意見書『管見談』をめぐっての対話である。上巻第7章に『管見談』からの引用がある。《「当世の人、役儀を望むは忠義の志にあらずただ利を営まんがためなり。世の事に立身出世を望むも竈(かまど)にぎはしたきが故なりといふあさましき言葉もあり。ただただほしきものは金銭にて、何をもってわが家を利し、何をもってわが身を利するかをねがってそれのみに肝胆を砕き、利を見ては人の痛み、世の恵みを顧みず、乃至は厳刑を恐れざるに至れり。礼儀廉恥を絶たんとして士風の頽廃すでに極まれり」》(上42-43p「管見談』は、終章で描かれる寛政3年(1791)の前年に提出されたものである。著者に『管見談』への共感があることは明らかだ。善政の子政以(まさもち)に「九郎兵衛は元気か」と訊ねた時、「暮らしが貧しいと、かえって身体にはよいように思われます」(172p)と答えさせているが、著者にとって「求利」はあくまで二義的である。


藤沢周平が描こうとしたのは、後世評価が定まった「明君」としての成功物語ではない。行きつ戻りつ煩悶しつつの藩政改革であった。そこに見えてくるのが、臣とともに厳しい藩政に取組む等身大の鷹山公だった。徹底した一次資料の読み込み、現地取材がその背景にはある。鷹山公の実像に近づけた思いがする。(つづく)


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