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プラチナ構想ネットワークinおきたま シンポジウム(承前) [置賜自給圏構想]

限界費用ゼロ社会515pSMiKUWL._SX346_BO1,204,203,200_.jpg

シンポジウムの間、『限界費用ゼロ社会』のことがずっと頭にありました。副題に「〈モノのインターネット〉と共有型経済の台頭 」とあります。以下その内容紹介です。

《いま、経済パラダイムの大転換が進行しつつある。その原動力になっているのがIoT(モノのインターネット)だ。IoTはコミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないという。代わりに台頭してくるのが、共有型経済だ。人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい社会が21世紀に実現する。世界的な文明評論家が、3Dプリンターや大規模オンライン講座MOOCなどの事例をもとにこの大変革のメカニズムを説き、確かな未来展望を描く。21世紀の経済と社会の潮流がわかる、大注目の書!》

エクサスケールE38397E383ACE383BBE382B7E383B3E382AEE383A5E383A9E383AAE38386E382A3.jpg要するに、資本主義の行き着くところ、カネの要らない世の中になるのです。コンピューターの性能は誕生からの50年間で100億倍になった。今後その数字はさらに等比級数的に倍してゆく。いずれ一つのコンピューターが人間の全知性を凌駕する時が来る。その結果するところ、エネルギーは効率的に利用できるようになり、食糧は人間の人口を賄うのに十分な量供給できるようになり、労働は機械で自動でできるようになり、人間は「衣」「食」「住」からフリーになる、すなわちエクサスケールの衝撃』にも通底します。 

リフキンm_E383AAE38395E382ADE383B3Accenture-Outlook-Interview-Jeremy-Rifkin-president-TIR-consulting-new-economic-paradigm-Sustainability-main-jp.jpg以前、『限界費用ゼロ社会』を感銘を受けて読んだ頃、こども園の卒業記念誌にこんな文章を寄せていました。《オカネ中心に未来を考えると決して明るくはありません。でも、人類の未来はその方向を向いているとは思えません。/ 文明評論家リフキンが『限界費用ゼロ社会』という本の中で「幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出される」と言っています。これから世の中は、カネ本位の資本主義社会から、「共感に満ちたかかわり」本位の「社会関係」資本主義に変わってゆくといいます。それが文明化のゆきつくところです。富の偏りを均せば、人類が生きてゆける生産能力は十分達成しています。これからはひとりひとりにとって何が幸せかを大事にしてゆけばいい。リフキンは言います。「最高に幸せな瞬間とはつねに、最も大きな共感を覚える瞬間にほかならない」。/ まずは身近なところから共感の輪を広げてゆくことです。》私にとっての「置賜自給圏」ビジョンはこの方向です。

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めい

「なんでもタダ社会」の現実化最先端。

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世界初「すべて無料」のスーパー 値札なし、レジもなし
7/8(土) 7:59配信 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170708-00000023-asahi-int

大手スーパーなどが売らなくなった食品が並ぶ店内。ロニ・カーン最高経営責任者(右)は食品ロスについての意識を高めたいという=シドニー、小暮哲夫撮影
 オーストラリアのシドニーに「すべて無料」のスーパーがオープンした。賞味期限切れ前でも処分されてしまうような食品を大手スーパーなどから譲り受けて提供する。まだ食べられるのに廃棄される「食品ロス」問題に対する意識を高めてもらい、生活に困っている人々の支援も狙う。

【写真】客は選んだ商品への支払いは求められず、自分の意思で寄付ができる。専用の箱(左)には「1豪ドル(約83円)の寄付で2人分の食事が届けられます」とある=シドニー、小暮哲夫撮影

 無料のスーパーは、シドニー南部の「オズハーベストマーケット」。約200平方メートルの店内に果物や野菜、パンやコーンフレーク、ビスケットなどが並ぶ。値札はなく、レジもない。客は買い物かご一つまで品物を手にできる。

 開店時間は平日の午前10時から午後2時まで。毎日150人ほどが来店し、約2千点の品物の大半はなくなる。小売業者などから譲り受けた食品を売るスーパーはデンマークにもあるが、「無料」なのは「世界初」という。

 運営するのは、2004年以来、国内各地で支援が必要な人に計6500万食を提供してきた市民団体「オズハーベスト」。スーパーの客には代わりに寄付をお願いしており、開店から5週間で2万豪ドル(約170万円)が集まった。

 寄付は団体の食事提供事業の費用にあてられる。客のジェニー・モーガンさん(42)は野菜やビスケットを手に「十分食べられる。困った人たちの手助けもしたい」と話した。

by めい (2017-07-08 15:00) 

めい

「善意のエコノミー」「“お互いさま”の文化」
《このエコノミーシステムにうまく参加できる人は、みんなで豊かさを高めていくコツをつかんでいます。》まさに、これ!

   *   *   *   *   *

田舎の「タダ」は「無料」ではない 値段のない"お互いさまエコノミー"(PRESIDENT)
http://www.asyura2.com/17/hasan122/msg/574.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 7 月 16 日 16:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
   
田舎の「タダ」は「無料」ではない 値段のない"お互いさまエコノミー"
http://president.jp/articles/-/22561
2017.7.13 慶應義塾大学特任准教授/NewYouth代表取締役 若新 雄純 PRESIDENT Online

若者が都会から田舎へ移住すると、地元の人から「タダ」でさまざまなモノをもらえることがあります。野菜や米だけでなく、バイクや家をもらった人もいるそうです。しかし、慶應義塾大学特任准教授の若新雄純さんは「田舎のタダは、“無料”ではない」といいます。その理由とは。

地方では、いまも近所の人同士でいろいろなモノを分け合う文化が残っています。都会から田舎に移住した人が、「ご近所さんから野菜をタダでもらって、助かっている」という話などもよく耳にします。

ただ、移住者の中には「田舎で受ける“タダ”を“無料サービス”と勘違いし、循環する善意を搾取してしまう人もいる」と、都会で生活していた若者など15人に福井県鯖江市に体験移住してもらうプロジェクト「ゆるい移住」(2015年)などを手がけた若新さんは指摘します。「田舎のタダは無料ではない」とはどういうことなのか? 詳しく聞いてみました。(聞き手は編集部)

田舎の「タダでもらえる」はなぜ?

――都会から地方の田舎に移住すると、ご近所さんに野菜やお米などをタダでもらえることがあるといった話を聞きます。若新さんが企画された移住プロジェクトでも、そのような例はありますか。

【若新】ありますね。全員ではありませんが、地域の方からいろんなモノを譲ってもらったり、無償でお借りしたりして、お金はあまり使わなくても充実した生活が送れるといことがあるようです。食べ物だけではなくて、空き家や、中には、アパート1棟を家賃なしで借りたり、おじいちゃんが乗れなくなった大型バイクを譲ってもらったりといった話も聞きます。

――アパート1棟を丸々ですか!? それはすごいですね。

【若新】もともと使っていなかったアパートだから、しばらく自由に使っていいよ、と。

――特に見返りはナシで、ですか?

【若新】具体的な見返りは求められていません。見返りが明確にされていたら、それは対価を支払うビジネスですからね。でも、それは単に「余っているし、要らないから、無料であげる」ということでもないのです。僕も田舎の山奥で生まれ育ったので、モノを分け合う文化にはなじみがありますが、「なんでも無料で手に入る」という感覚ではありませんでした。それよりも、もっと原始的で、人間社会ならではの独自の有機的なシステム(エコノミー)が機能しているんだということが分かってきました。それは、各々ができる範囲のことを提供し合う「善意のエコノミー」です。

移住者の「0円」という勘違い

――「善意のエコノミー」とは、具体的にはどういうものですか。

【若新】地域のコミュニティを構成する人たちが、それぞれ必要以上に持て余しているモノを提供することで、お互いに資源をうまく循環させるような仕組みです。これについて、移住政策を実施していく中で、いろいろわかってきたことがあります。

まず、お互いに提供するモノの値段や価値は、均等である必要がないということです。仕事や暮らしぶりによって、地域の人たちはそれぞれ持て余しているモノの量も中身も違います。売れば高い値段がつくようなモノを提供できる人もいるし、そのような余裕はないけれど、例えば誰かからもらったお土産の「おすそわけ」ならできる、という人はそれでいい。モノは提供できないけれど、時間ならあるという人は、近所の子どもの送り迎えを申し出たり、集会所を掃除したりと、自分ができる範囲内で、コミュニティに貢献するということです。

また必ずしも、何かをタダでくれた「その人」に直接、お返しをする必要もありません。モノが提供されている対象は個人ではなく、そのコミュニティ全体であり、誰かに何かを提供してもらった人は、今度は自分がコミュニティ内の誰かに、できる範囲のことを提供します。量も順番もタイミングもバラバラでOK。ちょうど誰かが持て余していたモノを、ちょうど欲しい人がいたならば、そのモノの価値はコミュニティ内で最大化します。

大切なのは、それぞれが善意を持ってこのシステムに貢献しようという気持ち。それがあれば、提供するモノの価値や順番が不均衡でも、誰も文句を言わない。これが、僕が考える「善意のエコノミー」です。

――なるほど、まさに「お互いさま」という気持ちで成り立っているわけですね。では、それらが「無料サービスではない」とは、どういうことでしょうか。

【若新】外から移住してくる人の一部は、これを「0円で販売されている無料商品」と勘違いしてしまうようなのです。都会で生活していると、0円でモノやサービスがやり取りされることは、あまりないですよね。すべてはお金で清算されます。その金額を払えば、誰でも契約は成立・完了です。それ以上は求められません。それと同じように、地域の人たちがエコノミーシステムへの貢献として提供したモノを、0円という市場価格で販売されている「無料のサービス」だと勘違いしてしまうんです。0円で購入するという契約が完了した、と。

もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまう

――それはつまり、人によっては「もらいっぱなし」ということ?

【若新】「0円」という価格で販売されていたわけではありませんから、もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまいます。彼らは、「善意のエコノミー」という特有のシステムに気づいていません。「タダでいいと言うから、もらったんだ」、「見返りが必要なら、最初から値段を言ってほしい、買うから」などと、売買契約を前提に考えてしまいます。でも、そういう話ではないんです。「善意のエコノミー」は、それぞれが可能な範囲で資源を分かち合う循環型のシステムです。タダだから「0円」という値札がつけられて無料販売されているわけではなく、言ってみれば「プライスレス」の相互扶助なんです。

――なるほど、「0円」での売買だったら毎回リセットされますが、この相互扶助システムはもっと長いタームで「もらう」「あげる」が続く。そこも違うのですね。……それにしても、誰かに何かをもらったり、してもらったりしたら、今度は自分にできることで返そうと思うものです。でも、そう思わない人もいると?

【若新】「0円」という対価を払った、売買契約が完了したと勘違いしてしまうから、そこで終了できるんです。ちなみに、そのように「もらうだけ」の人は、田舎の地域にもたまにいます。かといって、そういう人たちがその地域から追い出されるわけでもありません。別に、なにかの契約に違反したわけではありませんから、近所から回覧版もまわってくるし、地域のイベントにも誘われます。ただし、周りの人たちは「善意が搾取されている」と感じることでしょう。次第に、循環の輪からは外れていってしまうと思います。

大型バイクのお返しに、菜っぱ?

【若新】逆に、このエコノミーシステムにうまく参加できる人は、みんなで豊かさを高めていくコツをつかんでいます。もらうだけの搾取では終わりません。例えば、大型バイクをタダで譲ってもらったという若者ですが、バイクの所有者は年配の人で、うまく乗りこなせなくなったそうです。それで「自分が持っていてもムダだから、君にあげるよ」と。所有者が変わることで、バイクの価値は一気に上がりました。でも彼は、バイクを「0円」で買ったのだとは思っていません。自分に提供できるモノを、提供しようと考えているはずです。でも、バイクに見合ったお金やモノで返す、ということじゃないんです。バイクをくれた方やその周りの方に、なにか「手伝って」と言われれば、喜んで駆けつけるでしょうし、あるいは、庭で育てた菜っぱを差し入れにいくでしょう。

 大型バイクと菜っぱの交換が成り立つ?

――大型バイクのお返しに、菜っぱ、ですか?

【若新】“お互いさま”の善意が対等であれば、提供し合うモノは、できる範囲のモノで何でもいいんです。等価交換じゃなくていいのが、このエコノミーシステムの面白いところです。モノが人の手を渡り、価値が最大化するところに循環していくんです。

もちろん、このような“お互いさま”の文化を窮屈に感じる人もいるでしょう。確かに、お店に行って自分のお金で買えば済む話です。でも、モノがあふれていると言われる現代において、この「善意のエコノミー」はとても合理的に富の循環を行っていると思うのです。今風に言えば、「シェアリングエコノミー」の一種でしょうか。そこに参加するには、一定のリテラシーとセンスが求められます。搾取するだけの人間では、移住先のコミュニティに根付く本当の価値を体験できない。そういう人には、なりたくないものです。

by めい (2017-07-16 21:15) 

めい

《シェアリング・エコノミーの台頭は、経済全体の資本や労働を、より効率的に活用する「所有から利用へ」の流れを加速させる。無駄な生産を減らし環境に負荷を与えない新たな経済成長の可能性をもたらすことになる。結果的に社会的厚生を高めることになる。》
《シェアリング・エコノミーが回り続け、成長するかどうかのカギは「信頼」である。》
前コメント「善意のエコノミー」に通底するように思えます。


   *   *   *   *   *

ウーバーにドライバー流れ大手タクシー会社が倒産…遥かに便利なウーバーが選択される日(Business Journal)
http://www.asyura2.com/17/hasan122/msg/580.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 7 月 17 日 01:24:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU

ウーバーにドライバー流れ大手タクシー会社が倒産…遥かに便利なウーバーが選択される日
http://biz-journal.jp/2017/07/post_19802.html
2017.07.17 文=井手秀樹/慶應義塾大学名誉教授 ウーバー台頭で大手タクシー会社倒産 Business Journal


 車に対する価値観の変化に影響を与える動きがある。タクシー業界で話題のUber(ウーバー)の登場によって、欧米では車の購入を投資とみなし、投資による収益を得るために高品質で高額な車を購入するようになってきているといわれる。シェアリング・エコノミーは、欧米や東南アジア地域では急成長している。自家用車に他人を乗せるウーバー、Lyft(リフト)などが有名だ。日本では法律で認められていないため、タクシー会社がウーバー的なサービスをこまごまと展開し、LINEが配車アプリに参入するなど、類似サービスも登場している。

 また、不足する宿泊施設を補うため旅行者に自宅を宿泊施設として開放するAirbnb(エアビーアンドビー)は、利用者には利便性の高いサービスを提供し、所有者には副業の機会を提供する。スペースを借りるユーザー(ゲスト)と、宿泊物件を持つユーザー(ホスト)を接続するインターネット市場である。

 ウーバーもエアビーもネットの発達によって発生した新しいビジネスモデルである。利用者は「ホスト」「ゲスト」どちらもいろいろな手段でプラットフォームに登録する必要がある。

 最近では、「UberEATS」という都内のレストランメニューやスイーツを宅配するサービスまでも登場している。マクドナルドもこれを利用していて、東京都内で家だけでなく公園など希望する場所に配達してくれる。配達手数料は一律380円。配達するのは飲食店従業員ではなく、登録した配達員が空いている時間に配達するサービスなので、今まで宅配をしてこなかったレストランなどでも登録が多いという。

 これらのシェアリング・エコノミーの台頭は、経済全体の資本や労働を、より効率的に活用する「所有から利用へ」の流れを加速させる。無駄な生産を減らし環境に負荷を与えない新たな経済成長の可能性をもたらすことになる。結果的に社会的厚生を高めることになる。

■「市場の二面性」

 こうしたプラットフォームを形成し、支配するか否かが成功のカギといわれる。ユーザーがたくさん集まる場には、多くのホストが集まり、多くのホストが集まる場には、多くのユーザーが集まる。いわゆる「市場の二面性」(two-sided market)である。この言葉は、私の研究分野である産業組織論の研究者のなかで注目を浴び、先の「プラットフォーム」という言葉と対になって多数の論文が生まれ、新たな研究領域が急速に拡大している。

 アメリカではウーバーに登録しているドライバーは売上額の80%を収入として得られ、残り20%を仲介料としてウーバーに払う。ドライバーは最高9万ドルの収入を得られるという。ウーバーのドライバーの70%は副業で、自分の空き時間を活用しているといわれる。

 こうした状況下で2016年、サンフランシスコの最大タクシー会社が倒産した。原因は競争激化とドライバーがウーバーやリフトに流れてドライバーの確保が困難になったことだ。

 その便利さはタクシーをはるかに上回る。そもそもアメリカのタクシーは呼び出すのが面倒で、アテにならないところがある。日本のタクシーとはサービス精神が大違いなことを考えれば、ウーバーが台頭するのもうなずける。

 こうしたビジネスモデルは、IT技術が進化した結果可能となったサービスであり、スマートフォンを利用して、配車サービスという業態で事業を行い、タクシー業者に課される規制や要件を満たす必要がなく、料金表に縛られない。

 日本でウーバー等が普及するかどうか、シェアリング・エコノミーが回り続け、成長するかどうかのカギは「信頼」である。タクシー業界は法律の規制の想定外のサービスでアンフェアな競争であると主張する。欧米でも車やドライバーの安全性確保、利用者のプライバシーやドライバーや利用者による差別が問題視されている。

 タクシー業界はことさらこうした問題を誇張し、ウーバーの参入に抵抗する姿勢を見せているが、創意工夫により新しいサービスを提供し、柔軟な運賃設定や運賃競争が展開されなければ、欧米と同じように利用者によりウーバー等が選択される日が来るだろう。もちろんシェアリング・エコノミーの普及拡大のためには、阻害する制度や行政の見直しと同時に、安心、安全のためのセーフティーネットの確保が重要である。

(文=井手秀樹/慶應義塾大学名誉教授)
by めい (2017-07-17 04:26) 

めい

mespesadoさんも同じ記事(田舎の「タダ」は「無料」ではない 値段のない"お互いさまエコノミー")に着目しました。

   *   *   *   *   *

202 名前:mespesado 2017/07/17 (Mon) 09:13:57 host:*.itscom.jp

 「貧乏人」とか「富裕層」って、結局何でもオカネに換算して人間に序列を付けているだけに過ぎない。
 教育の世界でも、「偏差値」が幅を利かせていて、学力なんて、各人ごとに向き不向きがあって、それぞれが自分の得意分野をやりゃあいいのに、そんな多様性を無視して偏差値と言う一本の指標で比較するから暗くなる。オカネもまったく同じ。
 ただ、「偏差値」の場合は、まだ世の中が何でも偏差値で計ることの弊害に気が付きつつあるからまだマシで、「オカネ」の場合は、それが経済の世界で同じ「弊害」になっていることに気づいている人はほとんどいない。
 同じだろ?どこが違うん?言うてみいやw
 そんな中で、ちょっと面白い論考を見つけました↓

田舎の「タダ」は「無料」ではない
値段のない"お互いさまエコノミー"
http://president.jp/articles/-/22561

> 地方では、いまも近所の人同士でいろいろなモノを分け合う文化が残
> っています。都会から田舎に移住した人が、「ご近所さんから野菜を
> タダでもらって、助かっている」という話などもよく耳にします。

> ただ、移住者の中には「田舎で受ける“タダ”を“無料サービス”と
> 勘違いし、循環する善意を搾取してしまう人もいる」と、都会で生活
> していた若者など15人に福井県鯖江市に体験移住してもらうプロジェ
> クト「ゆるい移住」(2015年)などを手がけた若新さんは指摘します。

   (中略)

> 僕も田舎の山奥で生まれ育ったので、モノを分け合う文化にはなじみ
> がありますが、「なんでも無料で手に入る」という感覚ではありませ
> んでした。それよりも、もっと原始的で、人間社会ならではの独自の
> 有機的なシステム(エコノミー)が機能しているんだということが分
> かってきました。それは、各々ができる範囲のことを提供し合う「善
> 意のエコノミー」です。

   (中略)

> まず、お互いに提供するモノの値段や価値は、均等である必要がない
> ということです。仕事や暮らしぶりによって、地域の人たちはそれぞ
> れ持て余しているモノの量も中身も違います。

   (中略)

> 大切なのは、それぞれが善意を持ってこのシステムに貢献しようとい
> う気持ち。それがあれば、提供するモノの価値や順番が不均衡でも、
> 誰も文句を言わない。これが、僕が考える「善意のエコノミー」です。

   (中略)

> 「善意のエコノミー」は、それぞれが可能な範囲で資源を分かち合う
> 循環型のシステムです。タダだから「0円」という値札がつけられて
> 無料販売されているわけではなく、言ってみれば「プライスレス」の
> 相互扶助なんです。

   (中略)

> もちろん、このような“お互いさま”の文化を窮屈に感じる人もいる
> でしょう。確かに、お店に行って自分のお金で買えば済む話です。で
> も、モノがあふれていると言われる現代において、この「善意のエコ
> ノミー」はとても合理的に富の循環を行っていると思うのです。今風
> に言えば、「シェアリングエコノミー」の一種でしょうか。そこに参
> 加するには、一定のリテラシーとセンスが求められます。搾取するだ
> けの人間では、移住先のコミュニティに根付く本当の価値を体験でき
> ない。そういう人には、なりたくないものです。

 いやぁ、まさにわが意を得たり!です。
 一見すると、産業革命以前の「農本主義」の時代に逆戻りかよ、みたい
に見えるかもしれないが、とんでもない。
 そもその上記のような「お互いさまエコノミー」がどうして都市部じゃ
なくて農村でしかできないのかというと、「都市部では農産物が作れない
から」。逆に農村部では工業製品が簡単に手に入るのは、産業革命以降は
工業製品は数少ないベテランの匠ではなく機械が作ってくれるから(今の
3Dプリンターの技術が進めば工業製品は個人で作れてしまうとこまで来
ている!)。
 つまり「産業革命」とは、あくまで「工業」の革命であって、「農業」
の革命ではなかった。だから、もし農業で「革命」が起きれば、農村部だ
けでなく、都市部でも「お互いさまエコノミー」が可能になり、これはつ
まり、全国津々浦々で「オカネが必要の無い世の中」が実現する、という
こと。
 しかし、残念ながら、今までの産業革命の農業への応用と言えば、「遺
伝子組み換え」だとか、「工場で人工ライトで農産物を育てる」などとい
った「あさっての方向」を向いたエセ技術ばかりで、これでは農業を進歩
させるどころか破壊してしまうということが明らかになってきました。
 これは無理も無い話で、農業は植物と言う生き物の世界。科学もこの分
野ではまだ全然その緒に就いたばかり。農業が真に科学技術の恩恵を受け
て「農業の産業革命」を起こすのは、まさにこれから。
 今放知技で厚く議論されている「乳酸菌・アミノ酸農業」の話は、まさ
に正しい道を行くど真ん中の議論でしょう。これが花開いた暁には、真の
意味で農業の「産業革命」が成功するでしょう。
 放知技の農業の議論、ガンバレ!
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16049325

by めい (2017-07-17 11:31) 

めい

まさに「タダ・ネイティブ」(=無料で楽しむことが当たり前の世代)の時代!《「お金を使って何かを買ったり、新商品や流行りのものを追ったりしなくとも、高い幸福感と豊かさを感じて生きているのが今の子どもたちである」》

   *   *   *   *   *

無料が当たり前! 今の子どもは「タダ・ネイティブ」 20年で変化していた子供のお小遣いの使いみち
http://www.asyura2.com/17/hasan122/msg/889.html
投稿者 酢 日時 2017 年 8 月 07 日 11:41:30: JVuupfBNpkXsE kHw

無料が当たり前! 今の子どもは「タダ・ネイティブ」

博報堂生活総研の「トレンド定点」(第3回)
2017.8.7(月) 三矢 正浩
「タダ・ネイティブ」な子どもたちが未来の社会をつくる。

 私の在籍している博報堂生活総合研究所は、1981年の設立から現在に至るまで、「生活者発想」に基づいて生活者の行動や意識、価値観とその変化を見つめ、さまざまな研究活動を行ってきました。
 前回に引き続き、世の中で生じている事象に対して、研究所に蓄積された研究成果やそれらに基づく独自の視点により考察を加えてまいります。読者の皆様にとって、発想や視野を広げるひとつのきっかけ・刺激となれば幸いです。
 前回コラム「この20年で変化していた子供のお小遣いの使いみち」では、博報堂生活総合研究所が1997年から10年おきに、小4~中2の子どもたちを対象に実施している「子ども調査」の最新結果をご紹介しました。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50398

そのポイントをまとめると、

・調査結果を20年前と比較したとき、大きな変化が認められたのが「消費・お金」と「情報環境」に関する分野

・お小遣いをもらう子が過去最低となり、もらっても貯金するとの回答が過去最高に

・新商品や流行への関心も低下し過去最低に

・自分の暮らしの豊かさや幸福度の自己認識は上昇し、過去最高に

 つまり、「お金を使って何かを買ったり、新商品や流行りのものを追ったりしなくとも、高い幸福感と豊かさを感じて生きているのが今の子どもたちである」と、そんな結果が導かれたわけです。
 彼ら彼女らは10年もすれば大人になり、徐々にこの国の中核を占める生活者になっていきます。本稿では、上記調査結果の背景に何があるのか、そして我々がこの「未来の大人」たちとこれから先どう向き合っていくべきか、考察していこうと思います。

出典:「こども20年変化」 調査データ。
拡大画像表示
http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/7/6/-/img_769648704fb3e54bfeacac1a1d382dc2327841.png

新旧関係なくレコメン情報を楽しむ子どもたち
 1997年の子どもと2017年現在の子ども。置かれている環境で何が一番違うかと言えば、やはりインターネットの存在を抜きに語ることはできないでしょう。もちろん1997年にもインターネット技術はあったわけですが、現在の利用環境の便利さとは比べようもありません。各家庭では定額制で高速通信サービスを利用し、高性能なスマホ・タブレットなどのデバイスも普及しています。
 その中で子どもたちは、どのようにインターネットに向き合っているのか。私たちはアンケート調査と並行して、家庭訪問調査を実施し、子どもたちのネット利用実態についてヒアリングと行動観察を行いました。
写真は博報堂生活総合研究所「こども20年変化」家庭訪問調査より。(以下写真も同様)
 そこで目にしたのは、友達とオンライン上で会話をしながらそれぞれの家で同時にゲームをやっている子どもや、チャットアプリのグループ通話機能を使って30人近くをつなぎ、オンライン上の「クラス会議」を開催する子どもたちの姿。
 彼ら彼女らにとって、インターネットはもはや「便利な道具」というレベルを超え、「リアルと地続きの空間・居場所」と言って差し支えないくらい当たり前のものになっているようでした。

 端末の操作も素早く手慣れたもの。タブレットの処理速度が追いつかないくらいのスピードで指を動かしている子もいました。
 そんな子どもたちにとって、ネット上にあるさまざまな情報にアクセスすることはごくごく容易なこと。自分で検索して探し出すこともできますが、それ以上に「レコメン(recommend)機能」や友達からのオススメにより「情報は勝手にやってくるもの」との認識ができつつあるようです。
 例えば動画共有サイトでは、一度コンテンツにアクセスすれば、そのあとは関連するレコメン動画が芋づる式に次から次へと提示されます。子どもたちの目に映るそれらの情報は、新しいものも古いものも「並列」であり「等価」。面白いと感じたものは新旧を気にせず楽しんでいます。

 家庭訪問でも、自分が生まれるずっと以前に作られたドラマや音楽にのめりこんで視聴している子や、5年以上前にリリースされたゲームを今もなおやりこみ続けている子どもたちに出会いました。
 新旧関係なく情報がレコメンされる環境では「新しいもの=よいもの」という認識は形成されにくくなるでしょう。今の子どもたちが新商品や流行に対して関心を持ちにくいのは、このような状況が影響していると考えられます。

タダが当たり前の「タダ・ネイティブ」登場
 もうひとつインターネットの与えた大きな影響は、各種サービス・コンテンツが通信料を除けば基本的に「タダ」で利用できるということです。
 ネットの中には無料で楽しめるゲームやマンガ、イラスト、小説、音楽、映像などが、それこそ無限と言っていいくらい存在しています。子どもたちがお小遣いを握りしめてお店に行かなくとも、本当にいろいろなものが手に入るようになりました。
 前回のコラムで示したお小遣いの使いみちに関する調査結果では、貯金の増加と表裏を為すようにマンガやCDなどのコンテンツ系支出が減少していましたが、この状況はまさにコンテンツの「タダ化」の影響が端的に現れたものと言うことができます。
 むやみに流行や新しいものを追わなくなった今の子どもたちは、インターネットにより無料で手に入るものやレコメンされるものを楽しむことがスタンダードとなった新しい生活者たちです。博報堂生活総合研究所では、その特徴から「タダ・ネイティブ」(=無料で楽しむことが当たり前の世代)というキーワードで彼ら彼女らを呼称しています。

「タダ・ネイティブ」の支出は「好き」の態度表明
 冒頭でも書きましたが、今の子どもたちは10年先には大人。この国の中核を占める存在になっていきます。我々はこれから先、彼ら彼女ら「タダ・ネイティブ」たちとどう向き合っていくべきなのでしょうか。
「消費者」として捉えた「タダ・ネイティブ」たちは、いかにもお金を使うことにシビアで、財布を開かせるのは至難の技のようにも思えてきます。では、いったいどんな時に、積極的にお金を使いたいと思うのか。子どもたちへのインタビューなどから得られたヒントは、「ライブ」と「応援」です。

・普段は動画サイトで好きなアニメを視聴しているが、そのアニメが映画化されると毎回、「絶対に公開初日に観に行っている」と語ってくれた女の子。

・無料で遊んでいるゲームの中で流れている音楽にハマり、その音楽を生で聴くために、親の分も合わせて1万8000円もコンサートチケット代を支払ったという男の子。

・無料でマンガが読めるアプリを使っているものの、好きな作家の作品については「打ち切りになったら嫌だから、作者への感謝をこめて課金をしたい」と語る男の子。

・マンガ雑誌の人気キャラクター投票で、自分の好きなキャラ3人全員に投票したいがために、同じ雑誌を3冊買ったという女の子(1冊に1つ投票用紙が付いている)。

 これらのエピソードを、実に生き生きとした表情で語ってくれた子どもたち。その様子を見ていると、どうも彼ら彼女らにとってお金を払うという行為は、「対価の獲得」というよりも、「好きなものに対する応援」や「好きなものへの接近」という「『好き』の態度表明」に近い感覚があるようにも思えてきます。
 前述したお小遣いの使いみちの調査について、ひとつ興味深い結果があります。多くの支出項目が横ばいないし低下している中で、唯一、「映画、コンサートなどの入場券」だけは1997年から右肩上がりに伸び続けています。「自分の好きなものに近づく、生で触れるためには支出を惜しまない」。そんな意識の高まりが読みとれる結果です。

出典:「こども20年変化」 調査データ。
http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/7/3/540/img_737dd6c168e3739b2e639739a823acf173578.png
http://seikatsusoken.jp/kodomo20data

「タダ・ネイティブ」が働き方改革の急先鋒に?
 もうひとつ、「働き手」として捉えた「タダ・ネイティブ」たちはどうでしょうか。
「リアルと地続きの空間」としてネットに接している子どもたちは、「これはリアルでやらなければいけない」などの固定観念が我々と比べて薄い分、仕事でも効率性を重視してネットとリアルを使い分けることでしょう。組織の中でこれまでなんとなく続けてきた非効率なルールや行動を打ち壊し、「働き方改革」を進める急先鋒の役割を担ってくれるのは、実は「タダ・ネイティブ」たちなのかもしれません。
 また、新旧を気にすることなく情報・コンテンツに接してきた彼ら彼女らは「新しいもの=よいもの」と考えない代わりに「古いもの=ダサい」という感覚もあまり持っていません。
 組織の中で「過去のもの」として見過ごされてきた製品や技術、コンテンツなども、「タダ・ネイティブ」たちの手にかかることで意外な魅力が再発見される。そんなふうに「温故知新の目利き」として力を発揮してもらうことだって十分に考えられるでしょう。
 言うまでもなく、子どもの存在はこの国の未来そのものです。「消費者」「働き手」をはじめとして、生活者の持つさまざまな側面や役割から、彼ら彼女らを見つめること。その上で、子どもたちが主役となる社会の姿を大胆に想像すること。それらのことが、この国の将来像を考える上でとても重要なポイントであるように思います。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50682
by めい (2017-08-08 06:54) 

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