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キリスト教では「天地の結婚」 [イハトビラキ]

1-DSCF7384.JPGこども園に届いていた年賀状の中に「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。」(ヨハネ黙示録216)の言葉を見た。かつて学校法人の理事として共に過した懐かしい佐々木牧師からの賀状だった。当時は山形市の本町教会、今は武蔵野教会におられる。(写真→ やまべ幼稚園の後藤和枝先生と佐々木潤牧師) 日々の聖句を記載したローズンゲン』という刊行物があり、今年1年の言葉として冒頭に掲げられているとのこと。

 

園長先生が「ローズンゲンというのはもともと『籤(くじ)』の意味で、今年当たったのがこの言葉」と教えてくれた。なんというタイミング、この時期にこの言葉が選ばれたということは、まさにキリスト教側におけるイハトビラキの啓示ではないか!と咄嗟に思えた。というのも「価なし」という言葉に「限界費用ゼロ社会」を思い、それがそのまま私の中ではイハトビラキにつながるからだ。

 

かつてこども園の卒業記念誌にこう書いた。《オカネ中心に未来を考えると決して明るくはありません。でも、人類の未来はその方向を向いているとは思えません。/ 文明評論家リフキンが『限界費用ゼロ社会』という本の中で「幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出される」と言っています。これから世の中は、カネ本位の資本主義社会から、「共感に満ちたかかわり」本位の「社会関係」資本主義に変わってゆくといいます。それが文明化のゆきつくところです。富の偏りを均せば、人類が生きてゆける生産能力は十分達成しています。これからはひとりひとりにとって何が幸せかを大事にしてゆけばいい。リフキンは言います。「最高に幸せな瞬間とはつねに、最も大きな共感を覚える瞬間にほかならない」。/ まずは身近なところから共感の輪を広げてゆくことです。》私のイメージするイハトビラキはこの方向にある。

 

ヨハネ黙示録について知りたくなって良いサイトに行きあたった。その名も「どこかに泉がわくように」(太字引用者)

聖書という書物は、創世記の冒頭に記された天と地の創造に始まり、ヨハネの黙示録の最後に記されている新しい天と新しい地の創造に終わる、人間に対する神様の永遠の愛のストーリーです。創世記11節「初めに神が、天と地を創造した」という御言葉に始まり、ヨハネの黙示録211節「また私は、新しい天と地とを見た」という御言葉に終わる、終わるというより、そこからまたまったく新しく始まる「果てしない愛のストーリー」、それが聖書なのです。》《ヨハネの黙示録2112節の御言葉をよく読みましょう。/ 「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。」/ キリストが再臨されるとき、花嫁である教会は、花婿であるイエス様と一緒に、空中から麗しき星の彼方の国に上るのではなく、まったく新しくされたこの地に下るのです。父なる神様と御子イエス様がおられる栄光の天が愛に満ちて下り、人が住む地と結婚してひとつになります。ちょうど、神の御子が人となられて天から地にくだり、甦って永遠に栄光のからだをまとわれて神であり人である方となられたように、天と地は神様の恵みに溶け合ってひとつになります。私たちもキリストと同じ栄光のからだをいただきます。そこが「新しい天と新しい地」です。「まったく新しい」「これまで誰にも知られていない」という言葉が使われています。この新天新地がどんなに素晴らしいものかが、黙示録2122章に象徴的に描かれています。》《ヨハネの黙示録を読むとき、私は、CS・ルイスのこの言葉を心に刻みます。「もっともよきものは、わたしたちのもっとも理解におよばぬものなのだ。」——地上のイメージや願望で考えるようなことではない。口寄せや宗教家がおしゃべりするようなことでもない。私たちには想像すらできない、畏れと喜びに満ちたことが、終わりの日に神様の側から起きるのです。天と地が結婚する出来事です。

神道で言う「イハトビラキ」は、ここでは「天と地の結婚」だ。

「見よ。わたしは、すべてを新しくする」という御言葉は黙示録全体の頂点であり、創世記から黙示録までの聖書全体のメッセージのクライマックスだとも言えます。そこですぐに「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である」と命令されます。「これらのことば」というのは、黙示録全体のことですが、ここでは 34節の「御座から出る大きな声」に焦点があてられています。/ ・・・「すべてを新しくする」とは、神様が本当に近くにおられるという新しさです。新天新地は、私たちをおおう神様の癒しの幕屋、神様の愛のふところの中にあります。そこで一人ひとりの死別の悲しみ、いのちの叫びや苦しみから流れ出た涙を、すっかりぬぐい取って下さる。そういう神様の愛に満ちた新しさが、創世記に始まり、黙示録で終わる神様の救いのストーリーの完成であることを、聖書は私たちに伝えているのであります。/ 「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」

 

たまたま「価なし」に反応した結果、思いがけず黙示録の世界に誘われ、図らずも「イハトビラキ」に対応してキリスト教の「天地の結婚」があることを教えられた。私にはすごい発見の体験だった。

 

  大空にそびえて見ゆる高嶺にも登ればのぼる道はありけり (明治天皇御製)


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