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「東大紛争秘録 ~45年目の真実~」(クローズアップ現代)を視た [大学紛争]

夕べ7時半過ぎ、今日のクローズアップ現代は何かと思って番組表を見てあわててテレビをつけた。


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「東大紛争秘録 ~45年目の真実~」


1960年代後半、「政治の季節」と呼ばれた時代を象徴する「東大紛争」。今回、NHKは昭和史に残るこの大事件にまつわる第一級の資料を独自に入手した。45年前の安田講堂陥落の直後、当時の大学執行部が紛争の顛末を極秘裏に語り合った座談会の600頁におよぶ議事録である。東大紛争に関してはこれまで学生側の証言や資料は多く刊行されてきたが、紛争の収束に向けて大学側は何を考え、どう行動したかについては全くわかっていなかった。発見された資料からは、大学側が学生だけでなく、機動隊導入や入試実施の是非をめぐって国とも激しく対峙し、そして「敗北」していったことが初めて明らかになってきた。その後の日本の大学のあり方を決定づけたとも言われる「東大紛争」。これは、戦後史の空白を埋めるスクープドキュメントである。


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安藤孝行教授のことなど(承前) [大学紛争]

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もう少し、あの時代を掘り起こしたい。

安藤教授はたしかに大きな存在としてわれわれの前に現れた。大所高所に立ってご高説を垂れたもう大先生としてではない。アリストテレスに関しては世界的に著名な学者とは聞くが、高々10数人の学生を前に語る安藤教授からその権威を感じ取ることはできない。感じ取るにはこちらにもそれだけの学識が必要なのだったのだろうがその持ち合わせがあるわけではない。私が共感したのは、何かの手違いで4人の学生しか集まらなかったとき、当時上梓されたばかりの『エピクロスの園』なる自著をめぐって、教授の死生観を語られたことに対してだった。教授の本来の業績である存在論のなんやらかんやらに対してあれこれ言えるはずはなくとも、高校の倫理社会の教科書にも快楽主義者として出てくるエピクロスであれば、それなりの感想も持ちうるわけで、そのとき何を思ったかを当時のノートから書き写すのはこっぱずかしいのでやらないが、そのレベルで教授の「思想的雰囲気」に共感したのだった。今思えば「こっぱずかしい」。振り返って言えば、安藤教授は私にとって、こっぱずかしい時代の最後に出会った大きな人だった。正直なことを言うと、『当世畸人伝』に出会うまでは安藤教授のことはすっかり私の頭の中から消えていた。この本であらためて、わたしが当時ふれた安藤教授は、大きな氷山の一角でしかなかったことを知らされたのだ。 
 

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全共闘挽歌/安藤孝行 [大学紛争]

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全共闘挽歌(1969.8.25)

おろか者め
お前はまだ目がさめぬのか
はじめて口にした一杯の酒に酔いしれて
お前のわめきちらしていることばの
あさましさに気づいたら
お前は恥づかしさに髪をかきむしるだろう

お前はうすぎたない居酒屋の片すみで
安酒と大言壮語にあけくれるだろう
お前の耀かしい星は
永久に去って帰らない

お前は人類のくず歴史の汚辱だ
子供たちはお前を見てはやし立てる
”あのぢぢ 昔は大学生
大学行って何なろた
石なげ火つけひとごろし
ABCさえおぼえちゃいない”

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昭和40年代(1960年代末)大学紛争の時代を生きて [大学紛争]

いまから40年前、日本全国で大学紛争の嵐が吹き荒れた。当時大学生活を送った世代は「全共闘世代」とも言われる。菅総理や仙谷副長官もその中に括られる。

新ベンチャー革命の中にこうあった。

 (引用はじめ)

菅総理は、江田三郎氏や市川房枝氏など左翼政治家(ただし、反・日本共産党)を利用してのし上がった“成り上がり政治家”に過ぎないことが、日本の核武装派によって暴露されつつあります。
 
 そのような菅総理の出自から、かつて市民運動家を装った菅総理は、同世代の日本赤軍の北朝鮮亡命組との因縁が取り沙汰されています。これが表沙汰となれば、前原氏のケースより対・国民インパクトは大きいでしょう。
 
 菅総理は東工大を卒業後、企業に就職せず、左翼運動家として活動していたわけで、その当時、日本赤軍の連中と交流があった可能性は高いでしょう。
 
 ところで彼は筆者と同学年世代であり、筆者は山口県徳山高校出身、菅総理は山口県宇部高校出身(高校時代に都立小山台高校に編入)です。菅総理の父(江田三郎と同じ岡山県生まれ)は東工大卒業後、宇部興産グループ企業の宇部曹達(現セントラル硝子)に入社しているので、同じく東工大を卒業した菅総理が、大企業に就職せず、左翼政治運動にのめり込んだことに菅総理の父は猛反対したはずです。

昨今、四面楚歌状態で、内外から追い詰められた菅総理の一連の行動パターンから、彼は組織リーダーとしては最悪の人格のようで、精神年齢は70年代のままかもしれません。96年、運よく橋本内閣の厚生大臣になったとき、薬害エイズ問題を利用してパフォーマンスで名を挙げたのですが、ホンモノの政治家としての修練はできていなかったわけです。

(引用おわり)

あの時代を日本の戦後史に明確に位置付けた論を私はまだ知らない。ややもすると、とりわけあの時代「闘争」として体験した人たちにとっては、青春の思い出のように美化され郷愁の対象になってしまったりしているのではないだろうか。菅、仙谷といったいま権力の中枢にある方々にとってあの時代はどう自分の中で「総括」されて今に至っているのだろう。「精神年齢は70年代のままかもしれません。」の指摘が当を得ているように思えてならない。

そんな折、「2年留年釈明書」が古い記録の中に挟み込んであったのを見つけた。就職にあたって自主的に書いたのか、書かされたのか。以下転載しておきます。

 

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