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「2018年,世界は,大きく変ってゆく」―熊野大社の霊験あらたか? [熊野大社]

目を見張るばかりの金正恩の一連の動きを「自然の摂理」と見た虻農〇さんに「なるほど」。きっと。金正恩は、本来日本人的なのです。先に書いたように、着実に戦うべき戦いに勝利しつつある金正恩は、「本来の天皇」を体現しているのです(「天皇本来」を体現する金正恩)。思いがけない展開が実は自然の摂理であった、そんな感じの世界の動き、神々のお計らい、イハトビラキの進行。暗闇がどんどん狭まっていく感じです。虻農〇さんを受けた飯山氏の発言をメモしておきたくて書きはじめました。金正恩は「冷戦終結の発想」,トランプは「軍事優先から内政優先」,プーチンは「圧倒的な軍事力で米軍を駆逐」,習近平は「自由貿易主義」.安倍晋三は「外交力と資金力で東西南北の融和」≫の指導者評価によって、今の世界の動きが整理されます。

*   *   *   *   * 

366:虻農〇 : 2018/04/21 (Sat) 15:18:00 host:*.enabler.ne.jp
御大 どうも ・・・・・リリシズム的表現になるやもですが
かの 北のお兄様わ あらゆる面において気鋭のHybridでわないかと
外交戦略 云々といった次元を超越した 時代のHybridでわないかと
良からぬ勢力からすれば DQN認定すべき存在であろうが
ZQN化した Hybridな北のお兄様に 世界が翻弄されるのわ
もはや・・・・・・自然の摂理でわないかと思てみたりします.

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北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(3) 本来日本の「政(まつりごと)」 [熊野大社]

北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(2)で思金神のお働きについて記し、≪高天原的存在としての思金神の十全なはたらきを担保するのは「無私」にほかならない。≫という一文で締めました。このことが「シラスとウシハク」の問題にリンクしました。いいサイトがありました。「シラスとウシハク -シラスと日本人と天皇- なぜ天皇陛下は大切なのか?」です。「国譲り」についての説明です。抄出転載させていただきます。(太字 転載者)

大国主の治政のやり方は、国の主人となる、すなわち領土領民を私的に支配してその上に君臨する、という統治形態であったとわかります。
この統治手法、すなわち「領土領民を私的に支配する」という方法を、「ウシハク」といいます。
「主人(うし)」が「履く(はく=所有する)」
つまり、主人が自分のものにする、という統治手法です。
ですからこの「ウシハク」は、「国の主人となって領土領民を私的に支配すること」、
つまり西洋や大陸のかつての王国で行われたことや、国家による他民族の奴隷的支配構造などにおける統治手法を示す言葉です。
大国主はこの統治手法で出雲の国を治めた神でした。

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北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(2) 思金(オモイカネ)の神様のこと [熊野大社]

02-_K503670.jpg昨年12月1日熊野大社月例祭、北野宮司による思金神についての講話は、「これまでなんとなく思金の神様は非常に大事な神様だと思っていたが、それがなぜなのかはよくわからなかった。それがこのほど核心と思えるところがわかったのでお話しします。」という前置きではじまった。ちょうどその頃書き上げられた論文がもとになっている。米沢女子短大国語国文学会発行「米澤國語國文」第46号(2018.1)掲載の「アメノイハヤ神話のヨミ―八百万神とオモヒカネの神―」。26ページに亘るその論文、素人には理解に余る詳細な議論の展開があるが、以下、「六、結び」の全文。2段に分ける。

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北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(1) [熊野大社]

1-DSCF8095.JPG2月3日、米沢女子短大国文学教授でもある北野達熊野大社宮司の退官最終講義を聴いてきた。テーマは「古事記が目指したもの」。

そもそも教授の専門は「万葉集」。ところが「万葉集」はなかなかまとまりがつかない。そんなところから「古事記」にのめりこむようになった。その力になったのが熱心に聴いてくれる学生たち。学生にわかってもらうには自分がよくわかっていなければならない。「古事記」がわかったという手応えを感じるようになったのが5、6年前。そのいちばんの手がかりが本居宣長の『古事記伝』。しかしこれまでの学者の研究の95%は宣長批判で、だれも宣長の水準に追い付いていない。「高天原を疑ってはだめ」という宣長を現代の研究者は理解できない。いったん「古事記」の世界に入ってみないとわからないのに。まっとうな研究者といえるのは山田孝雄(よしお 1873-1958)のみ。古事記研究者以外では小林秀雄『本居宣長』津田左右吉はというと、「古事記」と「日本書紀」を併せて、そこからひとつの世界を読み取ろうとした。しかしそれは誤り。「古事記」には「古事記」の、「日本書紀」には「日本書紀」の世界がある。

4-DSCF8102.JPGでは「古事記」の世界とはどういう世界か。

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熊野大社が登場した「ゆく年くる年」 [熊野大社]

5-DSCN0882.JPG「ゆく年くる年」をyoutubeで見ることができました。https://www.youtube.com/watch?v=Qd2JX2jjJQM

紅白が終わって最初が白川郷、2分40秒あたりから熊野大社。石段を上るカップルに始まり、新春祈祷を待つ拝殿内や熊野大社で結婚式を挙げたカップルの参拝の様子、齊藤喜一獅子冠事務所頭取はじめかがり火を囲む5人の顔等々。「この地域は古くからの農業地帯。人口減少がつづいています。南陽市の特産はぶどうやラフランス。自慢の果物づくりを若者達に受け継いでほしい。農家の切実な願いです。」で篤農家の片平文男くんアップ。ついでカップルの祈りが写し出されて「若い人の良縁がさらに増えることに、町の人は大きな期待を寄せています。」で川崎大師へ移っていった。それから22分30秒ぐらいにあらためて年が明けた熊野大社。「山形県南陽市。縁結びの神社として知られる熊野大社です。新しい年を迎え神事大祓えが行われています。一年の始めに心身を浄める儀式です。」実はこの時の御神事は「元旦一番祈祷」で、大祓詞奏上は熊野大社の正式祈祷にはつきもの。大祓式は年が明ける前、午後2時から行われていたから、この説明にはちょっと違和感。ただこう説明されたことで、熊野大社で奏上された大祓詞の響きが日本全体の歳の始まりを清めることになったように思えたことでした。

ほんとうはかがり火要員のひとりとしてリハーサルにも参加していたのですが、総代は拝殿の御祈祷に参列ということでかがり火要員から外れ、その代わり拝殿内で後からの頭がしっかり映っていました。今年33歳厄年の娘の希望でその亭主と、下の娘もカップルで三重から駆けつけ、息子も良縁祈願ということで、兄妹揃って「元旦一番祈祷」に参列することになり、後ろ姿ですが一族6人チラッと画面をかすめることになりました。

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宮内熊野大社が舞台の一大ドラマ [熊野大社]

初雪の熊野大社.jpgこれから大晦日にかけて、われらの産土(うぶすな)神社「おくまんさま」を舞台にした一大ドラマが展開されて、全国に発信されることになりそうです。「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」がフィナーレです。もう幕は開いています。「林部智史紅白出場祈願」がプロローグでした。じっくり(ゾクゾクしながら)ドラマの展開を見守りましょう。まさにイハトビラキを観るようです。

 

←松田直二さんの絵です。毎年の年賀状に一枚一枚書き続けているとのことです。松田さんは芳武茂介さんの甥です。

 

 

 

 


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土社神社(宮内熊野大社末社) [熊野大社]

土社神社 山形新聞.jpg

昨日の山形新聞の「ふるさとの文化財」は、27ある宮内熊野大社末社のひとつ土社神社でした。土社神社というと昭和8年に賀川豊彦先生が宮内にお出でになった折、土社神社前で撮った記念写真が残っています。この写真が昭和8年にまちがいないとすると、宮内来訪2度目のときです。というのは、犬養毅首相が暗殺された五一五事件の起きた昭和7年、多分5月の16日か18日の間に宮内に来られて「春すぎて緑の山に小鳥なく世のさわがしさ気にとめぬごと」の歌を残しておられるからです(『賀川豊彦全集 第23巻』)。私には当時の宮内がよみがえるかけがえのない歌です。

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第5回宮内七夕(8月7日) [熊野大社]

28-DSCF7091.JPG平成25年から始まった「宮内七夕」、今年で5回目になります。その最初から関わったので、詳しい経緯について「宮内七夕の復活」と題して『置賜の民俗』(置賜民俗学会誌)第20号に寄稿し、このブログに転載しています。


現存する獅子頭から明治になってからと考えられますが、新暦になってからは8月6日、獅子頭を持つ宮内の旧家では戸外に獅子頭を祀ってする七夕の風習がありました。大正末期から昭和初期の様子について、三須良助さんがすばらしい文章にして残されています。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-12-10-1

宮内七夕(毎日新聞8.11).jpg今から60年以上前、私が子供の頃は子供会の行事として、やはり獅子頭を飾って七夕をしたものです。しかしそれも途絶えてしまって、各家のお獅子様も暗いところにしまいっぱなしになったままだったのです。そのお獅子様たちを熊野大社に集めてお祭りしようと始まったのが「宮内七夕」でした。今年は約50体が飾られました。宮内にはまだまだ眠ったままのお獅子さまがあるはずです。日本人の魂を揺さぶるいいお祭りです。神社の若い人たちががんばっています。今年は毎日新聞さんが取材に来てくれて、今朝の山形版の記事になっています。

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オミコクづくり [熊野大社]

08-DSCF6936.JPG今年のハコバヨイ、80歳(72781歳になる)の頭取が十数年ぶりに箱を負った。そして私が、納所長の片平仁君とともに箱添(ハコゾエ)の役を務めた。本来は屈強な納所(ナッショ)の役割だ。片平君にしても60歳。彼は代々獅子冠事務所員の家柄で、若い頃は農青会員として参加、親が病いを得た十年ぐらい前から親に代わって事務所に入った。空白期間はあるが、獅子冠事務所のかつての形についてだれよりも知っている。屈強とは言えないが、農業と長距離選手としてならした体をもち、頼りになる。それにしても二人あわせて130歳のハコゾエ出現をだれが予想し得たか。箱を負う頭取とあわせると210歳。そこに至るにはそれなりのドラマ(葛藤)があったのだが、それにはふれない。

 

ハコゾエには若水汲みという重要な役割がある。ハコゾエはかつて23回務めたことがあったが、屈強でもなんでもない私には遠い役割だったので、25日早朝の若水汲み、そしてその若水を使ってのオミコク(黒豆フカシ)づくりについてもほとんど経験がない。それを今年はつぶさに経験(観察)、記録できたのがありがたかった。

 

以下、黒江太郎著『宮内熊野大社史』(昭和51年)の「オミコク」の項。

 

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北条郷熊野の夏まつり「若衆熱気、雨飛ばす」 [熊野大社]

神輿御下り(山新).jpg24日は朝から土砂降り、「こんなお祭り経験ない」と雨の中での準備開始。24日の天気予報90%、25日は80%の降水確率。かつてない雨のお祭りを覚悟した。しかし結果は、肝腎なところではほとんど雨にあたることもなく、ほんとうにほんとうに無事終了することができました。今日は総社祭がありますが、全県晴れマークです。昨日の山形新聞見出し「若衆熱気、雨飛ばす」でしたが、われわれも若衆のひとりでした。

今回NHKから取材に入っていただきました。今日夕方6時10分から7時までの県内ニュースの時間に10〜15分間放映なるそうです。そのほか、8月9日以降のいつになるかわかりませんが、同じ時間帯に東北六県に向けて放映なるそうです。

それにしても、昨年のダイドードリンコ「日本の祭り」、それに熊野大社総代で獅子冠事務所の川合さんが題材の写真が、県写真展で最高賞の県知事賞ということもあって、カメラマンの多かったことに驚きました。たしかに絵になるお祭りなのでしょう。そして、その背景にはいろんなドラマもあるわけです。「あー、無事終ったなあ」、とりわけ今回はその感慨ひとしおのおまつりでした。


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