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宮内熊野大社が舞台の一大ドラマ [熊野大社]

初雪の熊野大社.jpgこれから大晦日にかけて、われらの産土(うぶすな)神社「おくまんさま」を舞台にした一大ドラマが展開されて、全国に発信されることになりそうです。「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」がフィナーレです。もう幕は開いています。「林部智史紅白出場祈願」がプロローグでした。じっくり(ゾクゾクしながら)ドラマの展開を見守りましょう。まさにイハトビラキを観るようです。

 

←松田直二さんの絵です。毎年の年賀状に一枚一枚書き続けているとのことです。松田さんは芳武茂介さんの甥です。

 

 

 

 


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土社神社(宮内熊野大社末社) [熊野大社]

土社神社 山形新聞.jpg

昨日の山形新聞の「ふるさとの文化財」は、27ある宮内熊野大社末社のひとつ土社神社でした。土社神社というと昭和8年に賀川豊彦先生が宮内にお出でになった折、土社神社前で撮った記念写真が残っています。この写真が昭和8年にまちがいないとすると、宮内来訪2度目のときです。というのは、犬養毅首相が暗殺された五一五事件の起きた昭和7年、多分5月の16日か18日の間に宮内に来られて「春すぎて緑の山に小鳥なく世のさわがしさ気にとめぬごと」の歌を残しておられるからです(『賀川豊彦全集 第23巻』)。私には当時の宮内がよみがえるかけがえのない歌です。

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第5回宮内七夕(8月7日) [熊野大社]

28-DSCF7091.JPG平成25年から始まった「宮内七夕」、今年で5回目になります。その最初から関わったので、詳しい経緯について「宮内七夕の復活」と題して『置賜の民俗』(置賜民俗学会誌)第20号に寄稿し、このブログに転載しています。


現存する獅子頭から明治になってからと考えられますが、新暦になってからは8月6日、獅子頭を持つ宮内の旧家では戸外に獅子頭を祀ってする七夕の風習がありました。大正末期から昭和初期の様子について、三須良助さんがすばらしい文章にして残されています。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2013-12-10-1

宮内七夕(毎日新聞8.11).jpg今から60年以上前、私が子供の頃は子供会の行事として、やはり獅子頭を飾って七夕をしたものです。しかしそれも途絶えてしまって、各家のお獅子様も暗いところにしまいっぱなしになったままだったのです。そのお獅子様たちを熊野大社に集めてお祭りしようと始まったのが「宮内七夕」でした。今年は約50体が飾られました。宮内にはまだまだ眠ったままのお獅子さまがあるはずです。日本人の魂を揺さぶるいいお祭りです。神社の若い人たちががんばっています。今年は毎日新聞さんが取材に来てくれて、今朝の山形版の記事になっています。

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オミコクづくり [熊野大社]

08-DSCF6936.JPG今年のハコバヨイ、80歳(72781歳になる)の頭取が十数年ぶりに箱を負った。そして私が、納所長の片平仁君とともに箱添(ハコゾエ)の役を務めた。本来は屈強な納所(ナッショ)の役割だ。片平君にしても60歳。彼は代々獅子冠事務所員の家柄で、若い頃は農青会員として参加、親が病いを得た十年ぐらい前から親に代わって事務所に入った。空白期間はあるが、獅子冠事務所のかつての形についてだれよりも知っている。屈強とは言えないが、農業と長距離選手としてならした体をもち、頼りになる。それにしても二人あわせて130歳のハコゾエ出現をだれが予想し得たか。箱を負う頭取とあわせると210歳。そこに至るにはそれなりのドラマ(葛藤)があったのだが、それにはふれない。

 

ハコゾエには若水汲みという重要な役割がある。ハコゾエはかつて23回務めたことがあったが、屈強でもなんでもない私には遠い役割だったので、25日早朝の若水汲み、そしてその若水を使ってのオミコク(黒豆フカシ)づくりについてもほとんど経験がない。それを今年はつぶさに経験(観察)、記録できたのがありがたかった。

 

以下、黒江太郎著『宮内熊野大社史』(昭和51年)の「オミコク」の項。

 

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北条郷熊野の夏まつり「若衆熱気、雨飛ばす」 [熊野大社]

神輿御下り(山新).jpg24日は朝から土砂降り、「こんなお祭り経験ない」と雨の中での準備開始。24日の天気予報90%、25日は80%の降水確率。かつてない雨のお祭りを覚悟した。しかし結果は、肝腎なところではほとんど雨にあたることもなく、ほんとうにほんとうに無事終了することができました。今日は総社祭がありますが、全県晴れマークです。昨日の山形新聞見出し「若衆熱気、雨飛ばす」でしたが、われわれも若衆のひとりでした。

今回NHKから取材に入っていただきました。今日夕方6時10分から7時までの県内ニュースの時間に10〜15分間放映なるそうです。そのほか、8月9日以降のいつになるかわかりませんが、同じ時間帯に東北六県に向けて放映なるそうです。

それにしても、昨年のダイドードリンコ「日本の祭り」、それに熊野大社総代で獅子冠事務所の川合さんが題材の写真が、県写真展で最高賞の県知事賞ということもあって、カメラマンの多かったことに驚きました。たしかに絵になるお祭りなのでしょう。そして、その背景にはいろんなドラマもあるわけです。「あー、無事終ったなあ」、とりわけ今回はその感慨ひとしおのおまつりでした。


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埼玉県白岡市の獅子博物館から [熊野大社]

獅子表紙.jpg3月30日のこと、獅子宿の渋谷さんが、埼玉県白岡市の獅子博物館の高橋裕一館長とフランス国立ケ・ブランリー美術館のジュリアン・ルソーさんと共に、熊野大社の獅子頭を見せて欲しいということでおいでになった。齊藤喜一頭取と鈴木信一総取締役と私とでご案内した。獅子博物館については10年以上前になるが、南陽市教育委員会の吉野一郎文化係長(当時)から聞いていた。ネパールに熊野大社の御獅子様のように頭に鏡が入ったものがあったということで、その写真をいただいたのだった。そこの館長さんということで、吉野さんのことを覚えておられ、私も初めてではないような親しみを感じた。その館長さんが作製された詳細な報告書が一昨日届いた。熊野大社についても多くのページが割かれてあり、貴重に思え転載させていただく。

「はじめに」で、今回の経緯がよくわかる。

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祝!県知事賞「出番前」 [熊野大社]

「出番前」.jpg今朝の山形新聞にびっくり。第51回県写真展の最高賞、山形市の須藤佐重さんの「出番前」、モデルが熊野大社総代で獅子冠事務所員の川合嘉雄さん(76)でした。まさに「一幅の絵」といっていいできばえ。「たしかに絵になる人だなあ」とあらためて思ったところです。歴史と伝統を背負った人です。川合さんは太々神楽100周年記念事業の副実行委員長、事業に弾みがつきそうです。神様のおはたらきを感じました。




2017年02月12日 20:53
解説を交えながら入賞作品などを選ぶ大西みつぐさん=山形市・山形美術館
解説を交えながら入賞作品などを選ぶ大西みつぐさん=山形市・山形美術館
 第51回県写真展の公開審査が12日、前日に続き山形市の山形美術館で行われた。写真家大西みつぐさん(東京都)が審査し入賞・入選作を決定。最高賞の県知事賞に須藤佐重(さじゅう)さん(74)=山形市深町3丁目=の「出番前」が選ばれた。

 須藤さんの作品は薄暗い屋内で祭りに出る支度をしている男性に窓から一筋の光が差した場面。大西さんは「自然の光が晴れの舞台に出る人を美しく照らした瞬間を生き生きと捉えた。静かな空間だがプリントの隅々から情感があふれている」と評価した。

 大西さんは出品者が詰め掛けた2日間の公開審査について「山形の写真熱をうれしく思う」とし、作品レベルを向上させる要点として「写真の絵作りがパターン化しているようだ。技術だけではなく、自らの感性、個性をさらに掘り起こす努力が必要。名作を数多く見て学んでほしい」と話した。

 県内の21~90歳の愛好家584人(昨年比41人減)が出品した計2444点(同100点減)から入賞12点、準入賞と努力賞各10点、入選466点が選ばれた。審査員と無鑑査認定者などの作品を加えた計523点を23日~3月20日、山形美術館で展示する(月曜休館、最終日20日は開館)。入賞・入選者名簿は20日付、入賞作品は3月初めの本紙で紹介する予定。須藤さん以外の入賞者は次の通り。

 県写真連盟会長賞=江部誠吉(米沢)▽山形新聞社長賞=芳賀長悦(寒河江)▽山形放送社長賞=斎藤妙子(上山)▽山形美術館長賞=冨樫馨(酒田)▽県議会議長賞=早坂武弘(尾花沢)▽県教育委員会賞=須貝国男(山形)▽県生涯学習文化財団賞=石垣弘一(遊佐)▽山形市長賞=冨樫美穂(鶴岡)▽山形市議会議長賞=黒田清美(米沢)▽山形市教育委員会賞=高橋克巳(天童)▽県写真材料商組合長賞=小田原光穂(酒田)

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『宮内熊野に獅子が舞う』全国発信。本日午後6時〜 [熊野大社]

29年年賀状抄.jpgダイドードリンコの「日本の祭り」2016年版のひとつとして、『宮内熊野に獅子が舞う』が、本日(25日)午後6時より全国に紹介されます。3月11日には関東圏のみの放映も予定されています。日程は下記の通りです。

BS12(トウェルビ) 2月25日(土) 18:00~18:55(全国放送)
東京MXテレビ     3月11日(土) 12:00~12:55(関東圏)


527回山形放送番組審議会でこの番組が取り上げられ大変好評だったということで、12月27日に山形県内YBCで再放送されました。今日の放映については今年の年賀状でも知らせたところでした。→

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527回 山形放送番組審議会

宮内熊野の獅子祭り放送チラシ.jpg1. 開催日時 平成28年9月21日(火)午後1時30分~
2. 開催場所 山形メディアタワー
3. 出席委員 長南博昭委員長 深山洋副委員長 大泉満佐子委員  田澤薫委員 髙橋勝幸委員 赤沼明男委員 松田道雄委員 井上智博委員
4. 議事
 テレビ番組 『ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り「宮内熊野に獅子が舞う」』
5. 議事の概要
  本間社長の挨拶のあと、社側からは「視聴率調査の結果」「視聴者からの声」「今後の自社制作番組と編成」「テレビ・ラジオの10月改編」などについて報告をしました。
 次にYBCのテレビ番組『ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り「宮内熊野に獅子が舞う』の制作担当者が番組の企画意図などについて説明の後、番組を視聴合評しました。
 委員からは、「冒頭の太鼓のBGMの迫力や活気と、神殿で行われる神聖で厳かな神事とのコントラストが良かった」「この祭りのことを知っている人も知らない人も興味をもって、来年には行きたくなるような作りだった」「30年前の映像を使うなど今と昔を対比させることで歴史の深さを知ることができ、説得力があった」「神事の行程を丹念に追うことで祭り全体の仕組みが分かった。貴重な映像資料にもなる」といった意見がありました。
 一方、「今後の推移も気になる。継続して報道していくことで番組が生きる」「それぞれの神事の名前がすべてカタカナ表記だったのはなぜかなと思った」「拝殿や石段の場所、みこしの出る場所など熊野大社の見取り図のようなものがあれば理解しやすかったと思うといった意見も出されました。



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日本最初の渡来仏像「善光寺如来」は置賜に在る!? [熊野大社]

善光寺五鈷杵.jpg

山形新聞毎週月曜日連載の「ふるさとの文化財」、今週(1/30)は米沢市・法音寺の「金銅五鈷杵・金銅五鈷鈴」だった。《米沢市御廟I丁目にある法音寺は上杉家の菩提(ぼだい)寺で信州善光寺(長野市)から伝わったという善光寺如来を秘仏として祭る。如来尊善光寺の本尊とされた貴重仏像だが、上杉謙信と武田信玄による川中島の合戦(1564年)の際、戦火を避けるために謙信が保護、後に上杉景勝が米沢に移したとされる。この如来尊と一緒に伝来した善光寺如来尊付属宝物があり、その一部が密教法具の金銅五鈷杵と金銅五鈷鈴。》とある。この機に「善光寺如来を秘仏として祭る」ことの重大さをあらためて認識すべき時であると思う。なぜなら、6世紀(BC552)、百済の聖明王より欽明天皇(539-571)に仏像や教典などが贈られた事実をもって日本への仏教伝来とされるが、その時の仏像がその「善光寺如来」なのである。「貴重仏像」その極みである。その後仏教受容をめぐって蘇我対物部の争いが起り、物部氏ら廃仏派によって難波の堀江に捨てられていたのを、信濃の本田(多)善光(若麻績東人とも)によって拾われた。信濃に運ばれて自宅に安置していたが、後に皇極天皇(女帝/642-645)によって善光寺が建立され、その御本尊として安置されるようになったと伝えられる。『善光寺縁起』に皇極天皇が地獄に堕ちていたのを善光が現世に呼び戻したという話があります。善光とは善光寺を創建した人です。/蘇我氏と物部氏が仏教導入で争い、難波の堀江に捨てられた仏像を信濃に持ち帰ったのが本田善光です。ところが、善光の長男の善佐が突然亡くなります。悲嘆にくれる本田夫妻を、阿弥陀如来(難波の堀江から連れ帰った仏像)が不憫に思い、地獄の閻魔に命令して、善佐を蘇らせることになりました。/善佐は「この世」へ戻る道すがら、“鬼に引き立てられて地獄へ堕ちていく高貴な女性”とすれ違います。尋ねると、なんとそれは皇極天皇でした。生き返った善佐から話を聞いた善光は、阿弥陀如来に女帝の助命を願います。そしてめでたく女帝は蘇生されました。皇極天皇は善光・善佐の手柄を褒め称え、善光の家の場所に、立派な如来堂を建立する詔を発せられました。これが「善光寺」の始まりです。http://blog.livedoor.jp/mappkakr-kaikatudo/archives/67441112.html


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謹賀新年 [熊野大社]

なんとか改めねばと思いつつ、大晦日ギリギリまで仕事に追いまくられていた頃の名残りで、年賀状は大晦日の晩から書き始めて年が明けてから投函するのが通例だった。今年は熊野大社の総代ということで2時からの大祓式、夜中の除夜の鐘、新年参拝参列があることから、3031日に投函を終えていた。これで実に清々しい気持ちで新年を迎えることができた。「本来年賀状は年が明けてから」というのが屁理屈であったことをあらためて認識させられた次第。

2時からの大祓式、参列者50名ほど、われわれ総代以外地元の人は誰もいない。みんな遠くからの方々とのこと、神社のがんばりの成果でもありありがたいことだが、地元の人にも大祓の意義を知ってもらう努力も必要と思う。茅の輪くぐりをやるようになって何年経つだろうか。6月と12月、大晦日のこの行事も定着した。

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夜の11時半頃神社へ向う。宮町通りの通行規制で粡町を通る車が一年でいちばん多くなる。粡町通りのイルミネーションはこの日だけは夜通し輝く。167年前「雪洞(ぼんぼり)まつり」の時につくった「粡町商店街」の幟12本を久しぶりに引っ張り出して通りをかざった。複数の型でつくったスクリーン捺染の幟。デジタル化した今となっては記念碑的アナログ製品。当時を思って感慨深い。

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まだ通りを歩く人はほとんどないが、石段まで行くともうゾロゾロ。太々神楽100年祭に向けた幟が立つ。30日の夕方納めたものだ。仕事納めとなった製品。

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除夜の鐘を撞くのは初めての経験。順番を待つ列が続いている。「宮内熊野に獅子が舞う」の主役佐藤秀一君、毎年108番目の札をもらって、納めの鐘を撞いているという。私は総代ということで、10番札をもらって待つ。

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午前0時と同時に今年の一番鐘は近藤洋介代議士だった。近く(南陽市金山)に住む鈴木憲和代議士の姿もあって、山形二区の両代議士が揃って熊野大社で新年を迎えた。当社の霊験あらたかの象徴か。初めて鐘を撞いたが、いい音を出すにはコツが要るようで、満足した出来ではありませんでした。それにしてもこの音で宮内じゅうに響くのだから、その威力を思い感銘。

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