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『宮内熊野に獅子が舞う』放映 [熊野大社]


宮内熊野の獅子祭り放送チラシ.jpg

827日午後3時から山形放送(YBC)テレビで、『宮内熊野に獅子が舞う』が放映された。昨年から準備が進められ、今年はいろんな場で密着取材を受けてきた宮内のお祭りが1時間番組にまとめられたものだ。山又さんの葬儀の時間と重なってリアルタイムでは観れなかったが、その日の晩、葬儀の檀払いさらにその後證誠殿での「宥明上人顕彰の集い」で、かなり酔っ払った状態で竹さんに行ってビデオを見た。そして28日、獅子冠事務所(百花園)に行ってあらためてじっくり、頭取、副取締役の舩山昭ちゃんと一緒に見た。


昨年のお祭り以来、総撮影時間はどれだけになるだろう。今年になってからは、冬の参宮に始まり、水林熊野のお祭り、荻熊野のお祭り、頭取の養女愛ちゃんの結婚式も、ディレクターさん一人のこともあったが、だいたいカメラマンとマイク担当さんの3人で、カメラが回っていることをほとんど意識せずにいられるくらい長い時間、われわれの側にいていただいた。その膨大な内容がどう1時間(実質46分)にまとめられるのか、興味津々であったが見事な番組に仕上がっていて感動した。


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家庭に眠るお獅子さま、ご参集下さい!(8月7日「宮内七夕獅子祭」) [熊野大社]

_K509115.JPG8月7日、熊野大社で「宮内七夕獅子祭」が行なわれます。2013年から開催され今年で4回目。

もう60年も前のことですが、私が小学生の頃、たしかに町内の子供会の夏の行事としての七夕がありました。中央に獅子を置いた両側に短冊を付けた竹飾り、広場にむしろを敷いてそこに子ども達が集まって変わりご飯をみんなで食べた、そんな遠い記憶があります。夏休みの一夜、舞台をつくってそこで演芸会が繰り広げられた、あれも七夕の行事だったような気がします。昭和10年代生れの人は、翌朝竹を吉野川に流しにいった記憶をもつ人もいます。戦後は子供会の行事になったのですが、戦前は獅子頭をもつ家庭ごとに行なわれていました。

そんなわけで、宮内の家々には獅子頭がたくさん眠っているはずです。それらの獅子頭に8月7日に熊野大社に集まっていただきお祀りしようというのが「宮内七夕獅子祭」です。昨年は約50体集まりました。まだまだ眠っておられるはずです。8月7日午後7時の斎行です。それまでに神社山上事務所までお運び下さい。御初穂は任意です。

◉熊野大社年中行事 七夕祭
◉「日本古来の魂文化の復興を!」宮内七夕祭
◉宮内七夕祭2014
◉宮内七夕の復興(1)〜(6) 

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祭り納め(宮内熊野の夏祭り) [熊野大社]

獅子冠事務所の慰労会で祭り納めです。2時過ぎに家に戻りました。仕事も大分たまっています。しかし今日はバタンキューでした。


26日、毎年朝6時からの獅子冠事務所片付けに始まります。事務所に向った6時前、公民館の前を通りかかったら館長から「鳥居の場に朝清掃の人たちが集まってるから挨拶して来てくれ。」各地区の衛生組合長さんや子どもみこし等の若い人が集まっていました。こういう蔭の支えもあってのお祭りです。以前掃除に参加した頃に比べゴミの数も少なくなっているように思えました。


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精進明けの朝の食事。10年位前から餅が恒例になっています。ゆで卵にネギ納豆。お雑煮には鴨肉が入るのも恒例です。今日も朝から酒付です。取材陣にも餅を食べていただきました。


9時からの総社祭に氏子総代として参列せねばなりません。遠くからは見ていましたが参加は初めてです。拝殿での祭始めの神事の後、石段を下りて水神社からひとつひとつのお社毎に宮司による祝詞奏上、総代による玉串拝礼があります。順に数えてみます。水神様、道祖神様、土社神社、古峯神社、山神社、青麻(あおそ)神社、大宮子易神社、幸神社、大社神社、湯殿山神社、月山神社、八幡神社、愛宕神社、保呂羽神社、羽黒神社、菅原神社、融通神社、稲荷神社、千手観音、雷神様、三宮神社、二宮神社、皇大神社、厳島神社、白山神社、義家神社、景政神社、和光神社、そして最後が招魂社。29社あります。以前招魂社は入っていなかったそうですが、先々代の猛宮司が「いつかだれも参拝する人がなくなる時が来る。年に一度はお参りするように」と総社祭に含めるようになったのだそうです。全部回ってまた拝殿に登って奉告の神事で終ります。たっぷり1時間半はかかったでしょうか。そのあと證誠殿で、朝の餅がまだ消化し切れていない状態での直会です。さらにその後事務所の慰労会。半日で3日分の宴会でした。

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「無事生還」(宮内熊野の夏祭り) [熊野大社]

山形新聞280725.jpg私にとって祭りのメインイベントとなるのが「箱バヨイ」です。まずどこまで関わることができるかから問題です。そして途中リタイアすることなく無事御旅所までたどりつくことができるか。一時離れていた時期もありましたが、ここ数年は箱にしっかり張り付いてがんばってきました。今年も「これが最後」のつもりでがんばりました。「無事生還」の感慨があります。お精進(「一般行者の心得」参照)の賜物です。

氏子総代日程表.jpg
今年は地区長会長の宛職で「氏子総代」の役が与えられ、これまでとはちょっとちがった視点からのお祭りへの関わりがあります。詳細な日程表がありがたいです。

23日の祭り始め、神事の後のオサンコトも初めての経験でした。拝殿向って左の奥まった部屋で稚児連とともに神官からスルメとキュウリと共に御神酒をいただくのです。三個の盃で三回まわし呑みというシキタリで伝えられているようです。オサンコトは御餐事かと思っていましたが、御三事という意味もあるのでしょうか。
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お祭り(宮内熊野大社例大祭/宮内熊野の夏まつり)がはじまります! [熊野大社]

熊野の獅子祭.jpg今日(23日)午後8時祭り初め・稚児舞(チゴタゴ)。いよいよです。

北野猛宮司m_2-E58C97E9878EE78C9B.jpg
たまたま一昨日、北野猛先々代宮司が書かれた『熊野の獅子祭』というガリ版刷冊子のコピーが目にとまり、読んでみると大事なことがいっぱい書いてありました。昭和37年(1962)ですから、黒江先生の『東北の熊野』(昭和49年)よりだいぶ前、今では全く忘れ去られていることも書いてありました。とりあえず獅子冠事務所に関わる部分をデータ化しました。

   *   *   *   *   *

宮内文化史資料第二集別冊  宮内文化史研究会 昭和三十七年(1962)九月十日発行


     『熊野の獅子祭』 北野猛  


        十一 箱ばよい


 シシ祭りは、夜祭りのシシお下り、即ち箱バヨイから始まる。シシやミコシの出御をオクダリ、還御をオノボリと申し上げている。箱ばよいとはシシのお下りのことで、この時はシシが箱に納まったままでお下りになるのでこう呼んでいる。


 夜祭りの日の午前八時ごろ、シシ冠り世話方が本殿につめかけて、シシの幕つけが始まる。神庫にお納めしてあるシシを本殿に移し、本殿の殿内で幕をつけるのである。これをお幕付けといっている。初めに御髪(オシダ)という生紙(キガミ)で作ったものを毛髪のかわりにつけ、幕をぬい、シデという紙で作ったものをお幕全体につける。体毛の意味かもしれない。全部つけ終わると、径一尺もある底深い古びた盃に神酒がなみなみに盛られ、シシをお清め申し上げて桐箱に納める。この箱の上をさらに紙を幾枚も張ってつくった丈夫な箱に入れ、その上をシシの幕で作った袋に納め、本殿の案上に安置して天津祝詞を奏する。


 三番鐘が鳴り渡り、夜まつりの儀式もすみ稚児舞が奏され、オミコシは山を下って枡形に安置される。次に六番鐘が鳴ると箱ばよいがはじまる。

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本日午後11時15分 熊野大社がSmaSTATION で紹介されるそうです [熊野大社]

南陽市役所さんが写真2件を追加しました。

商工観光課観光ブランド係です。

熊野大社 SmaSTATION 放映決定!!

「熊野大社」が、香取慎吾のスマステーションで放映されます。

番組名:SmaSTATION(スマステーション)

放映日時:4月23日(土) PM11:15~

番組内容
「ゴールデンウィークに行きたい人気バスツアーベストセレクション」の中で、3羽のうさぎ伝説・縁結びの神様として「熊野大社」が紹介される予定です。

是非ご覧ください!

南陽市役所さんの写真
南陽市役所さんの写真
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Mituo Sasahara
Mituo Sasahara 全国的でいいですね。楽しみにしています。
目黒 照代
目黒 照代 シェアさせて頂きます。

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宮内熊野の獅子祭がダイドードリンコの「日本の祭り」で紹介 [熊野大社]

今年、ダイドードリンコの「日本の祭り」に宮内熊野の獅子祭がとりあげられます。2月に電話インタビューを受けていたのですが、それがアップなりました。?のところもないではありませんが、大変よくまとめてくれています。

人がつながる。 地域がつながる。ダイドードリンコは日本の祭りを応援しています。
DYDO-MATSURI.COM
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高岡亮一
高岡亮一 《行者たちに担がれた神輿は、もみあいながら石段を勢いよく下り、参道を抜け、神社門前を練り歩きます。翌日の御上りは、夕方4時に御旅所を出発し、30分ほどかけて拝殿に戻ってきます。慣わしでは、神輿は神社の神域から出ないことになっているのですが、近年は、行者の若者たちが張り切って遠方まで足を伸ばすので、私たちのような年配の人間は、拝殿で神輿が戻ってくるのを今か今かと待っていなければなりません(笑)。》とありますが、ほんとうは(笑)でなくて(怒)です。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02

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北条郷熊野の夏まつり(承前) [熊野大社]

(山形新聞 2015.7.25)
夏まつり 山形新聞記事270725.jpg

この地が「北条郷」と呼ばれるようになったことについて、よもやま絵巻の「『北条郷』の由来」にこう書いた。


《宮町佐野家に伝わる文書(蓮蔵院由緒手控)や小松の「南善院由緒書」には、北条時政〈保延元年1138ー建保三年1215〉の妾腹(沼田氏)の子北条相模坊臨空が、この地三十三ヵ村を四百人からの羽黒修験者の大先達として仕切るようになっていつしか時政の子であることが知られ、だれからともなくこの地を「北条郷」とよぶようになったと記されています。》


このたび■■国際派日本人養成講座 ■■、の「北条氏の仁政」を読んで、「北条郷」を称するその気持ちには、「誇らしい思い」が多分に加味されているのでは、と思えるようになった。「矜恃」という言葉がふさわしい。この地にはたしかにこれがある。その源をたどれば、縄文以来の歴史の蓄積、熊野宮と共にあった歴史、明治期以降の製糸業の隆盛等々考えることができるが、「北条郷」という呼称そのものに、そのミーム(文化遺伝子)が込められていることに気づかされたのだ。このことがなんともうれしい。


それにつけても書いておかねばならないのは、このたびのお祭りが決して「いいお祭りだった」とはいえないことだった。ずっと危惧していたことだったが、その心配がもろに出てしまったのだ。正さねばならないことなので経緯を明らかにしておく。


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宮内熊野に探る「祭り」の意味 (8) [熊野大社]

「熊野大社年中行事」を通して考える「祭り」の意味

 おくまんさまの年中行事について具体的にみてきましたが、「祭り」とは何かについてあためて考えてみます。宇野正人著「祭りと日本人」(青春出版社 平14)が参考になりました。
  以下、三つの視点に分けて整理してみます。

一、神とのかかわり

 まず、神様とのかかわりということで言うと、人知を超えた大いなる威力をもつ神の存在を前提に「祭り」は行われるということです。祭りの基本は、神様がおられる、その前提があってお祭りがある。これがいちばんの基本で、これを抜いてしまったら、「祭りイコール賑わい」になってしまうわけです。それは本来の「祭り」ではない。神社、そしてそこに奉仕する神主は、神と人とをつなぐ役割を果たします。そういうことを通して神様と通い合うことがまずもって「祭り」の本義です。
一般参加者の心得(獅子冠事務所).jpg 神様と通い合えるための必須条件が清浄さです。そこで禊祓いがあり精進潔斎があります。獅子冠事務所では祭りを迎えるにあたって精進潔斎が定められています。七月十五日、大清水神社の清掃、祭りに向けた諸準備の後、その日は刺身も出て酒酌み交わす「精進固め」で、それ以降祭りの終る二十五日まで「おしょうじん」が始まります。いわゆるなまぐさものは食しない、同衾しない、殺生しない、事を荒立てない、それらを守って体を清浄にして行衣を着し祭りに臨むということが今も獅子冠事務所では大事なしきたりとして守られています。それは仲間内での約束事というのではなくて神様への礼儀のようなものです。そうしてはじめて熊野の神の御顕現であるお獅子様にも触れることができるのです。思う存分神様と通い合うことができるのです。
 では通い合うということはどういうことかというと、波長が合う、一体感、もっと別な言い方をすれば神懸りということです。言葉で言うと大仰になってしまいますが、少なからずその事を求めてわれわれは祭りに参加する、入ってゆくんではないかと思います。それが本来祭りの焦点であるべきはずなのに焦点がすっかりぼけてしまっている、あるいはずれてしまっている。もとを糾せばその因は「合理的人間主義」にある。そのことを鋭く指摘したのが葦津珍彦(明治42-平4/1909-1992)でした。 

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宮内熊野に探る「祭り」の意味 (7) [熊野大社]

十八、招魂祭

6 招魂碑-DSCF9265.jpg《大戦末期の戦局が苛烈となり金属回収が強行され、神社では青銅鉋金併せて九百八十貫が回収に応じて献納した。・・・このとき双松公園の郡招魂碑二基も応召することになり、その除魂式が行なわれた。岡井宮内町長はじめ各町長と各町村の事務職など大勢参列し、浄暗のなかで神霊は神璽に移された。・・・それから例年の大祭はこの神璽を奉持して旧忠魂碑に祭壇を作り、盛大な郡招魂祭が行なわれていた。のち神璽は熊野社内に移され奉安されていた。

 終戦後マッカーサーの神道指令が発令されて政教分離となり、護国の英霊の祭祀も容易でなかった。このとき熊野大社は神璽を社内にお祀りしてある責任上、また英霊の忠誠とその功績を憶い、社内に新しく招魂殿が建立された。・・・爾来九月二十三日を例祭日と定め、郡祭招魂祭の当日、神前で郡神職司祭の神祭が行なわれてから、当社の神璽を郡祭の祭場に奉持し、神霊は永久に神鎮りますのである。》

招魂社IMG_0028.jpg

 昭和三十年代までは東置賜郡の招魂祭が、秋のお彼岸中日の九月二十三日に、双松公園の招魂碑の前で盛大に行われていました。私の中学時代、椅子を会場まで運ばされたものでした。招魂碑は芳武茂介さんのデザインにとるもので、おそらく全国でもあのようにモダンな招魂碑はここだけではないでしょうか。誇っていい招魂碑と思います。昔の招魂碑に記された文字は宮内郷土資料館「時代(とき)の忘れ物」に保存されてます。それが戦時中の金属回収で供出されたことがわかりました。神社からだけで4トン近い量の金属が供出されたわけです。神社の洪鐘も供出されかかったのですが、下におろしたものの運びようなくてそのままになったと聞いております。現在の招魂祭は境内招魂社で毎年九月二十三日に行われています。

 

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