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「復活論」との出会い [イエス]

立て続けに「復活」についての二つの文章に行き当たった。2週間ほど前の夜とその翌朝のことだ。それぞれ単独なら読み過ごしたかもしれない。シンクロニシティ。以来、「復活」をリアルなこととしてイメージするようになっている。

まず前日の晩。

≪かつての私は「復活論は比喩だ」と言っていました。しかし、キリストの復活論が単なる比喩だとしたら、こんな馬鹿な作り話を創作する理由はどこにあったのか?もう一つは、キリストが十字架刑に処せられる時は逃げまくって腰抜けだった弟子たちは、イエスの復活を見たあと、なぜ死ぬ恐怖のないパワフルな伝道師に変わったのかというクエスチョンです。キリストが死ぬときにそばに残っていたのは女性だけでした。ではなぜ、その腰抜けの、イエスの教えが全然理解できていなかった連中から、2000年間も続いてきた、勇気とビジョン溢れるキリストの教えを説こうという情熱が生れたのか?そのように180度転換する何か特殊な体験があったのでしょう。

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共通テーマ:日記・雑感

イエスの実在について(2) [イエス]

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投稿日 20020708 0130

投稿者 アル中流・乱暴

タイトル Re: Re: Re: Re: Re: キリストの幕屋への期待と疑問

 

管理人様。とりあえずのお答えを申し上げます。

 

>>そもそも、キリスト教徒の言う、"New Testament"が事実を記したものだとでも仰るのですか。整合性も見られないというのに。

 

>「それを言っちゃあおしまいだよ」のように思えました。聖書の記述が2000年の歴史の中でどのような変遷をたどったかはわかりませんが、整合性は欠けていたとしても、おのずから浮かび上がるイエス像はあるわけです。それは知識で理解するものではない、またできるものではない、あたりまえの人間としての気持ちに訴えかけてくるものがある。その「あたりまえの人間としての気持ち」は、「知識」にとってはいい加減なものに思えるかもしれませんが、それが「知識」に先だつ「生きられた世界」の地平と思います。

 

「それを言っちゃあおしまいだよ」ではなく、『聖書』と呼ばれる宗教団体の教典をどう読むべきかについてのの考察は、まさに、この点からスタートする訳です。「聖書の記述が2000年の歴史の中でどのような変遷をたどった」かということが問題であるのではなく、『聖書』と題された文書は誰が、どんな意図を持って、どのようにして作ったものなのかを問わねばならないと思います。ヨーロッパで近代になって生まれたこの種の探求は、現在では、歴史に真剣に関わろうとする者にとっては、かつてキリスト教に支配された欧米においてさえ、いや寧ろ欧米においてこそ、避けては通れない問題になっています。そうしたことについての情報から遮断され、呑気な牧師さんの話などから『聖書』の読み方を教えられて、たわいもないイエス像を思い描く、素朴な、そして知的怠慢の譏りを免れ得ない人々─――欧米によりも、今では寧ろ日本に多いかも知れない人々は、今後ますます多くのアナクロニズム抱え込んでいくことになるであろうと推測致します。

 

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イエスの実在について(1) [イエス]

 イエスの実在について考えさせられる機会があり、正気煥発板での議論を思い起こし、ピラト文書を掘り出してきました。私ごときではとても消化しきれないアル中流さんの食いつきに辟易させられた思いが残っています。もったいないのでここに残しておきます。

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 投稿日 20020627 0120

投稿者 管理人

タイトル キリストの幕屋への期待と疑問

 

純也さんにご紹介いただいた「幕屋」のHPに行ってみました。「原始福音」について説かれていました。

 

≪ 原始福音とは、キリスト教の本質であり、キリストの生命の現象への呼称であって、キリスト教のアルパにしてオメガなるもの、これ原始福音であるといってよい。信仰は原始福音に学んで出発し、原始福音に終わるだけで充分である。もしキリスト教から原始福音を取り去れば、キリスト教たる所以(ゆえん)のものを失い、キリスト教は死物のミイラに化してしまうのである。原始福音はキリスト教の一派ではない、キリストの宗教そのものである。

 

たまたま手元に「イエスに会ったビラトの報告書」を抜粋したもののコピーがあったのを見つけました。2000年の歴史の中で神秘化され、程遠くわけのわからないイメージになっていたイエスという存在がにわかに身近に感ぜられました。また「原始福音」の目指すところもなんとなく理解できたようにも思いました。あまり出回っていないものかもしれませんのでコピーしておきます。

 

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