So-net無料ブログ作成
検索選択
上杉鷹山 ブログトップ
前の10件 | -

作谷沢まんだら(烏兎沼宏之)—「伝国の辞」碑の源流 [上杉鷹山]

やまがた再発見 烏兎沼宏之.jpg菊地和博先生の「やまがた再発見(366)烏兎沼宏之」(山形新聞日曜)は力作だった。3回にわたって掲載されたが、最終回(7/30)を読んで、「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」の前史が甦った。

キャロライン・ケネディ大使との交流バルバドスとの交流もそもそも「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」に発するのだが、その会は「白鷹山に『伝国の辞』碑を」という齊藤喜一会長の山形新聞への投書がきっかけだった。新聞投書の類いは普段それで終るのだが、それを読んだ作谷沢の樋口和男山辺町議が共鳴の声を寄せてきたことから思いがけない進展が始まった。実は当時すでに齋藤会長と樋口氏の間には「作谷沢まんだら」を介した交流があったのだった。

続きを読む


今汲み取るべき「鷹山公精神」は何か [上杉鷹山]

バルバドス山新290712.jpg今朝の山形新聞です。今後の展開が楽しみな、対バルバドスですが、出発点は「世界に届け!鷹山公精神」でした。では、その「鷹山公精神」とは何なのか。今汲み取るべき「鷹山公精神」は何か?そして思い到るのが、内村鑑三『代表的日本人』鷹山公の章の序文です。

《徳がありさえすれば、制度は助けになるどころか、むしろ妨げになるのだ。・・・代議制は改善された警察機構のようなものだ。ごろつきやならず者はそれで充分に抑えられるが、警察官がどんなに大勢集まっても、一人の聖人、一人の英雄に代わることはできない》《本質において、国は大きな家族だった。・・・封建制が完璧な形をとれば、これ以上理想的な政治形態はない》

内村が鷹山公から学び取っていたのは、一般に言われる鷹山公の民主主義精神ではなかった。投票箱に頼る立憲民主制でなく、徳ある君主を得た封建制にこそ、政治の理想のかたちが在る。鷹山公の治政はまさにそれを現実化したものだった、そう内村は評価したのです。

われわれ戦後世代、いわゆる「民主主義」絶対に馴された頭には、内村鑑三のこの件り、「えっ」と思わされたものでした。しかし時とともに納得させられています。現在の政治を考える上でも重要です。

ちなみに飯山一郎氏、トランプ/プーチン会談に際してこう書いていました。咄嗟に内村の序文を思い起こしたところでした。(太字 めい)http://grnba.jp/index.html#aa07081

• 「イルミナティが~」「ユダ金が~」「王族会議が~」とかと,隠れた陰謀勢力が世界や国家の在り様を決める!などと言うシトは,政治学を知らないワケワカメだ.
• 国家も,政府も,地域社会も,企業も,家も…,「長」(トップ)の意向・意志によってカタチや方向性が決まってくる!
• そら,プーチンやトランプや安倍晋三に対して,大きな影響力を持つ勢力や人物がゐないワケではない.
• しかし,国家社会の大きな枠組みを最終的に決めるのは,「長」(トップ)の意志と決断なのだ.このことは『政治過程論』という最先端の政治学の常識だ.
• そのようにして…,日本は,安倍晋三の意志と決断によって,「ロシアと協同しつつ極東地域を国家と経済のフロンティア」にする『脱米入露路線』を歩み始め…
• ロシアは,プーチンの主導で中東における覇権を握り,米国はトランプの意向で「国内のインフラと経済復興路線」を歩み始めている.
• アメリカ国内は,現在,“ロシアゲート”(ロシアとの友好関係は御法度!)をめぐり,ネオコン戦争屋とトランプ陣営が,“銃を撃たない内戦”という内乱状態にあるが…
• 今回のトランプ・プーチンの長時間に渡る首脳会談は,“ロシアゲート”を打ちのめす!というトランプの決断表明でもあった.
• 「おぅ,E~とも! 卑劣なネオコンとは一緒に闘おう蛇内科!」と,プーチンの目(視線)と手(握手)は,口ほどにモノを言ったハズだ.
• プーチン・トランプの首脳会談は完全な非公開だったが,その直後,プーチンは安倍晋三との会談で,“真相”をキチンと伝えている.このことは『スプートニク』が仄(ほの)めかしている.
• 日本国内は相変わらず些細な疑惑追求で紛糾しているが…
• 日本国と日本民族の未来は,国際政治のなかで決まる!と,断言しておきたい.
                            飯山 一郎 (71)》

これが現実の政治です。森友・加計での紛糾を「政治の現実」と勘違いしては、世の中を見誤ってしまいます。

以下、平成28年の『懐風』第41号に書いた鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい」の最終章「ケネディ大統領は鷹山公のどこに感動したか」です。


*   *   *   *   *

続きを読む


南陽市がバルバドスの「ホストタウン」に! [上杉鷹山]

5月17日の記事「バルバドスからの手紙」の最後を「『世界に届け!鷹山公精神』、今後どのような展開が待っているのだろうか。」と締めたのだが、2020年東京五輪・パラリンピックにおいて南陽市がバルバドスの「ホストタウン」になることが決定したとの報道。
ホストタウン決定(山形新聞290708).jpg今朝の山形新聞。
《丸川珠代五輪相は7日の閣議後の記者会見で、2020年東京五輪・パラリンピックに参加する海外選手らと自治体の交流を促す「ホストタウン」構想の第4次登録41件を発表、本県の申請4件全てが認定された。第1〜4次の登録件数は全国で179件、対象国・地域数74。本県の累計は登録件数‥11件、対象国・地域13で、都道府県別でともに全国トップとなった。/ 政府は今年中に第5次の申請受け付け、認定作業を実施する見通し。/ 本県で第4次登録されたのは▽米沢市(相手国・地域=香港)▽寒河江市・県(同=韓国)▽東根市(同=ドイツ)▽南陽市(同=バルバドス)。/・・・・・/ 南陽市は中米・カリブの島国バルバドスの陸上や水泳、射撃、トライアスロンなどの合宿誘致を目指している。現地日本大使館に村山市出身職員がいることなどがきっかけ。/ ホストタウン構想は、自治体が相手国・地域を狭め、政府から登録を受ける制度。合宿誘致や交流事業に対する国の財政支援がある。・・・》

続きを読む


バルバドスからの手紙 [上杉鷹山]

カリブ島から山新記事.jpgバルバドス日本大使館の南久恵さんからの手紙を川井榮助事務局長が持って来てくれたのは2月のはじめだった。早速メールで返信した。 

*   *   *   *   * 


バルバドス日本大使館


南 久恵様 


 思いがけないうれしいお手紙ありがとうございました。 


 「移ろうままに」というブログを書いている者です。「白鷹山に『伝国の辞』の碑をつくる会」の事務局をやっています。事務局長の川井榮助さんからお手紙を届けていただきました。早速齊藤喜一会長にも読んでいただいたところです。会長も「鷹山公精神が世界に届いた!」と大喜びでした。


 平成20年に齊藤会長が新聞投書という形で投じた一石が大きな波紋を巻き起こし、鷹山公という存在が、ケネディ駐日大使の心に深く刻み込まれることになるであろうことは、当初のわれわれは考えもつかないことでした。そしてこのたび南さんとの御縁をいただき、今後どのような展開になるのか、思うほどにゾクゾクしてまいります。昨年暮れのテレビで「江戸時代の2000藩主の中でぜひ大河ドラマに取り上げてほしい藩主」として鷹山公の名前が出されましたが(http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2016-12-22)、NHK大河ドラマに取り上げていただき、広く鷹山公の人となり、そしてその精神を世の中に知っていただきたいというのが、私たちの切なる思いです。経済万能が行き渡ったように思える現在の日本ですが、一歩心の中にふみこめばけっしてそうではないはずです。鷹山公精神には、そうした心を活性化させて時代を転回させるような起爆力が秘められているように思います。最近、藤沢周平さんの『漆の実のみのる国』を読んで強くそう思ったところでした。


 とりあえず、資料等お渡ししたいのですが、ご帰国の予定はおありでしょうか。もし近々はないようでしたらお送りするようにしたいと思います。お知らせ下さい。またご帰国の折りはぜひお父様とご一緒に白鷹山へ御登拝下さい。御案内させていただきます。 


 バルバドスという国、米沢市より小さい面積に人口25.6万人でカリブ海地域において最も裕福な国の一つとのこと等、今知りました。これまで考えたこともない地域です。これから身近に思える国になりそうです。今後ともよろしくお願い申し上げます。 


   201727 


*   *   *   *   * 


 

続きを読む


農家伍什組合掟書屏風 [上杉鷹山]

1-1-3-DSCF1604.JPG一昨日の記事、純米酒の事から高畠町夏刈の長谷川平内さんを思い起こし、鷹山公も訪れたという長谷川家のその座敷にあった「農家伍什組合掟書」屏風について書き留めておきたくなった。そもそも伊達政宗公両親の墓のある資福寺跡の荒れ様に驚いた鷹山公が幾許かの墓守料を長谷川家に給するようになった経緯があると聞いている。上杉による伊達遺風一掃政策の異様さは、他藩から米沢に入った鷹山公によってはじめて一部正されることになる。

さてこの屏風、廃家となった長谷川家にあってもはや廃棄寸前のところなんとか救い出したく、とはいえ大型六曲の上、表装もボロボロ、どうしたものかと(公財)農村文化研究所の遠藤宏三理事長に相談して引き受けてもらったのだった。今はきれいになって研究所内民俗資料館にある。大きいので直筆かと思っていたら、遠藤理事長の見立てで刷り物とわかった。どういう技術だったのだろうか。あらためて江戸期のレベルの高さを思う。古文書読解の格好の教材です。(写真上クリック拡大なります)

*   *   *   *   *

4-6-_K206368.JPG

百姓の天職は農桑にて候、其農桑を勤めて父母

妻子を養ひ貢を上に納て四民御世話の料となし候故、

人々安く家々さかへ候といへとも人一人立にてハ遂難きもの故、

其組合を立置互に助て其生涯を安く過す事に候、是迄も

組合ハ有之といへとも頼母しき申定も聞へす候付、

農民の天職は農(農作物を作る)と桑(蚕を育てる)にある。これに励んで父母妻子を養い、税を納めて藩からの世話を受けつことで人々は安心を得て家々も栄えつづけてゆく。とはいえそれは一人がんばってできるものではない。互いに助け合う組合があって生涯の安寧も可能となる。これまでも組合はあったが十分頼りになるものではなかったようである。


続きを読む


藤沢周平著「漆の実のみのる国」を読んで(承前) [上杉鷹山]

『漆の実のみのる国』を読み進める中、「開運なんでも鑑定団」に山田方谷の書が出たのを観た。本物だが傷みがひどいので5万円の評価だった。鑑定士の田中大さんは、「山田方谷が素晴らしいのは上杉鷹山が50年以上かかった改革をたった10年足らずで成し遂げたこと」とコメントした。鷹山公の名前が出たことをうれしく思いつつ、10年と50年の差を思った。考えるに山田方谷は、主君である備中松山藩主板倉勝静(かつきよ)に勘定奉行に任ぜられた財政家としての働きであった。対して鷹山公は、君の立場で臣を動かしての財政改革であった。藤沢周平が描こうとしたのは、「明君」としての成功物語ではない。臣とともに厳しい藩政に取組む等身大の鷹山公だった。行きつ戻りつ煩悶しつつの藩政改革であった。いつになっても到達点の見えない50年の歳月の一端だった。一方方谷はといえば、君板倉勝静は、鷹山公を「三百諸侯中随一の名君」評価した白河藩主松平定信の孫である。鷹山公と方谷はほぼ半世紀の年代差、方谷にとって鷹山公はたしかな指標として意識されていたにちがいない。方谷には到達点が見えていたのである。鷹山公の業績あっての方谷であったように思う。


続きを読む


藤沢周平著「漆の実のみのる国」を読んで [上杉鷹山]

漆の実のみのる国.jpg

上杉博物館で開催されている「上杉鷹山と学びの時代」展を見て、小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢』を読んだら、つぎにどうしても『漆の実のみのる国』が読みたくなって、まったく新品同様帯付函入布貼の単行本11円送料257円上下合わせて516円を購入して、読み終え、アマゾンにレビューしてきました。


*   *   *   *   *


鷹山公の実像に近づけた思いがする


一昨日(平成29126日)が没後ちょうど20年、亡くなったその年5月の刊行、藤沢周平さんの絶筆である。当時連載されていた「文藝春秋」の編集者に渡された原稿用紙6枚が最後の第37章。場面はまず、隠退していた莅戸(のぞき)善政の再起用によってようやく本格的な藩政改革がその緒につこうとしている時、いまだ改革ならぬ寛政3年(1791)、鷹山公41歳。そして迎える最後の段、時は一挙に文政5年(1822)、鷹山公最晩年の72歳。原稿用紙にして残り2枚足らず、著者渾身の力を振り絞るようにして、『漆の実のみのる国』の書名に込めた思いの一端が明かされる。決して成功したのではない漆の栽培がなぜ書名となったのか、不審に思いつつ読み進めてきた読者に、余韻を残して「(完)」となる。


続きを読む


小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢 (人をあるく) 』を読む [上杉鷹山]

上杉鷹山と米沢.jpg

小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢 (人をあるく) 』を昨年6月山形新聞の書評で知って求め、いい本と思いつつ全部読み切らないでいたのだが、12月17日に著者の小関悠一郎千葉大学准教授の講演「上杉鷹山の改革と学び—『富国安民』論とはなにか—」を聴いて最初から読み直した。かなりがんばった感想を書いていまアマゾンにレビューしてきたところです。


*   *   *   *   *



逞しい鷹山公に出会えた気がしてうれしい


 上杉鷹山公の実像に迫る好著です。私には以下二点、目からウロコでした。

 一つは、鷹山公がなぜ34歳にして隠退を決意したのかの問題。これまでは、対幕府負担の多い藩主の地位から離れることで藩内改革に専念するための説があった。それに対して新たな視点が示される。鷹山公の隠退は天明4年(1784)、その2年前公とともに殖産政策を推進してきた竹股当綱の失脚がある。著者はその背景に、竹股が中心になって推進してきた「国を富まし、民を安んずるのは、地の利を尽くすこと」とする政策への反発を見る。

《注目されるのは、藁科(松伯)の次のような批判だ。”先年お上にて田を耕作し、菜蔬を売り、陶器を焼いて、縮を仕入れ、火打石から蕨ゼンマイまで販売して、専ら「興利の政」を行われた。このため、公儀(米沢藩)ですら藩の増収・利益を追求しているではないかとして、金融・商業に携わって利益をあげようとする武士が続出し、公然として営利を恥じない事になってしまったというのである。・・・「地の利を尽くす」をスローガンに「聖人の道」の実践という位置づけのもとに殖産政策を実施した明和・安永改革も、早期の藩財政再建が不可能な中、社会秩序の混乱を増長する「興利の政」と見なされ、行き詰まることになったのだ。》57-58p)この風潮を改めるための統治体制・人事一新、《それを最も円滑に行いうるのは、藩主の代替わりだったであろう。》58p)そうして公は、《財政再建を進めながら「風俗」の改革を図るという難題》62p)に取組んでゆくことになる。

続きを読む


若き鷹山公の素顔が見えた! [上杉鷹山]

1213林修の今でしょ!講座で歴史学者の磯田道史氏が、大河ドラマにしたい偉人として、板垣退助と共に上杉鷹山公をあげたという。林さんが「江戸時代の2000藩主の中でぜひ大河ドラマに取り上げてほしい藩主が居ます・・・」と言ったところでCMになったので、ひょっとしたら鷹山公?と思いつつテレビを離れてしまったのだが、あとでやっぱり鷹山公だったことを知った。あらためてその番組について検索してみて、その中で、鷹山公の治世の成果の証しとしてイザベラバードを登場させていたことを知ってうれしかった。

 

鷹山公と学びの時代chirashi-1.jpg

いま米沢市上杉博物館で(1210日から212日まで)、開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」が開催されている。17日に小関悠一郎千葉大学准教授の講演会「上杉鷹山の改革と学び—『富国安民』論とはなにか—」を聴いてきた。お父さんが元山形大の英語学の教授で南陽市教育委員の小関文典さん。若い悠一郎先生、講演内容のすべて盛り込んだ資料を用意して下さって復習するのにありがたい。いろんなことを知ることができた。


内村鑑三の『代表的日本人』の種本が、明治26年(1893)発行の川村惇著『米沢鷹山公』であったことをはじめて知りました。川村は朝野新聞主筆、その前年米沢を訪れ、明治26323日から62日までの連載記事をまとめて10月に刊行したとのこと。「足ひとたび米沢の地を踏み、上杉鷹山の治蹟今猶ほ民心を感化するのを観るに及んで、想古の情、更に益々切なり」とし、田園はよく整備されて耕作が行き届き、蚕桑製糸業が大変盛んに行われており、明治維新を経て社会が大きく変貌したにも関わらず、米沢では鷹山の治績がいまなお地域の産業の基礎であり続けていると述べているという。イザベラバードが来たのが明治11年、それから15年経っていますが、二人の眼に映った置賜が同じに見えたようでうれしい。


高鍋藩の「存じ寄り」もはじめて知った。家中士に積極的に藩政に対して献言(意見の具申)、献策をさせる「下意上聞」の体制という。鷹山公が上杉家の養子となるにあたり、その心構えを説く高鍋藩の養育係三好善大夫が公に贈った訓戒書もその伝統があってのことだった。


その伝統は鷹山公とともに米沢藩にも引き継がれたのだろうか。講演後展示をゆっくり観て回ったが、23、4歳の鷹山公に対する莅戸(のぞき)善政による建言書案が展示されていた。年寄の苦言の対象であるごくあたりまえの青年の姿がそこに見えてくる。以下展示説明から写しておきます。


*   *   *   *   *


続きを読む


ケネディ大使からお礼状が届きました! [上杉鷹山]

大使に贈った写真.jpg

キャロライン・ケネディ駐日米大使に次の手紙を添えて「伝国の辞」碑の写真額を送ったのは、510日のことだった。


   *   *   *   *   *


キャロライン・ケネディ駐日米大使 様

 

謹啓

 若葉輝く躍動の季節になりました。大使におかれましてはますますご清祥のこととおよろこび申し上げます。熊本御視察やLGBTへの御参加等の報道に接し、日米親善友好、世界の平和と自由実現のための御尽力に対し深く敬意と感謝を表します。

 さて、白鷹山(Shiratakayama/大相撲幕下一枚目の白鷹山はHakuyohzanです。白鷹町Shiratakamachiの出身です。地元の期待を担っています。今後の活躍に御注目頂けましたらうれしいです。)山頂の、大使からのメッセージが添えられた上杉鷹山公の「伝国の辞」碑は、建立以来ちょうど2年になります。大使の御蔭をもちましてほんとうに多くの方からの注目を集めることになり、さらに時間が経つほどにその輝きを増しているように思われます。鷹山公もきっと喜んでおられるにちがいありません。冥界にあってケネディ大統領と鷹山公が語らっておられる様子が心に浮かびます。

 もっと早くお送りすべきだったのですが、建立後ちょうど2年経った記念として碑の写真をお送り致します。大使の御目の触れるところに飾っていただけましたらうれしいです。また「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」事務局の高岡亮一が「鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい」と題して米沢の年刊誌「懐風」に文章を寄せました。ケネディ大統領が鷹山公のどこに心を動かされたかについて、「伝国の辞」碑と大使との関わりの経緯をふりかえりつつ考えてみたエッセイです。お目通しいただければと思い同送させていただきます。

 ケネディ大統領の就任演説の中に次の一節がありました。

《今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。

Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are --but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.

 鷹山公は、われわれの小さな地域の中のことではありますが、まさにこの「闘い」に挑み、勝利した名君であったことを誇りに思っています。鷹山公のその実績とそれをなさしめた精神への評価が、キャロライン大使のお力添えを得て、広く世界の平和と自由の実現のために広がることを切に願っているところです。今後ともさらなる御理解と御支援、何卒よろしくお願い申し上げます。

 大使におかれましては、くれぐれも健康に留意され、日米両国はもとより、世界中の人々の幸福のためにご尽力されることを衷心よりお願いお祈り申し上げます。 

敬具


   平成282016)年510

白鷹山に上杉鷹山公「伝国の辞」碑をつくる会

会長 斎藤喜一

 


     *   *   *   *   *


キャロライン大使から280604.jpg

バタバタの毎日で送ったことも忘れかけていたのだが、昨日川井事務局長が「大使からの手紙が来た」と届けてくれた。全く思いがけないことだった。

 

実は昨秋の会の芋煮会で、ケネディ大統領の命日に合わせて送るようにと決まって写真額を用意はしたものの、なかなか手紙が書けなくてそのままになっていたのを、碑建立2周年を期して「この時を逃してはダメだ」との思いでがんばって書いたのだった。


《Thank you for sending me the framed picture of the monument for lord Uesugi Yozan in Mount Shiratake. I congratulate you on celebrating his legacy and I appreciate your thoughtfulness.(白鷹山の上杉鷹山公記念碑の写真額をお送りいただきありがとうございます。鷹山公が遺された業績を顕彰する皆様方を祝福するとともに、皆様方の御配慮をありがたく感謝申し上げます。)》


短いが、大使の心のこもったお礼状として読ませていただいた。


図らずも今日、齊藤喜一会長の娘さんの結婚式。この手紙のことはまだ知らせていない。会場で知らせることにする。大使からの手紙が花を添えてくれることになる。


続きを読む


前の10件 | - 上杉鷹山 ブログトップ