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鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい [上杉鷹山]

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米沢御堀端史跡保存会の年刊誌「懐風」第41号が届いた。20数年前、尾崎哲雄先生からいただいたのが最初だった。大正11年生れの尾崎先生は米沢のお住まいを離れ、奥さんと共に娘さんのおられる山形市の施設に移っておられたが昨年亡くなられた。そもそも直江兼続の実母探求にはまっていったのは先生の声がけがあってのことだった。今号には同じ尾崎一族の尾崎世一さんが「尾崎姓発祥の地を訪ねて」の稿を寄せておられる。今回「鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい」と題して書かせていただいた。6年前にも「和光神社が結ぶ歴史的奇遇 ― 兼続の母の実家、尾崎家との関わりの中で」と題して書かせていただいたことがある。今回は、ケネディ大統領が鷹山公のどこに心を動かされたかについて、「伝国の辞」碑とキャロライン大使との関わりの経緯をふりかえりつつ考えてみた。

 

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鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(5) 掲載文後半 [上杉鷹山]

◉ケネディ大統領は上杉鷹山公を知っていたか
 碑建立の目処も立った一昨年の秋頃、キャロラインさんが駐日大使の候補として報じられるとすぐ、齊藤会長が「キャロラインさんに除幕式に来てもらおう」と言い出した。米沢を中心に語られている「ケネディ大統領の鷹山公言及は都市伝説」説を十分知る私は慎重に構えざるを得なかった。そして昨秋来日御着任。会長の本気度はいよいよ高まり、ためらう私に「50周年の日に参列要請の手紙を」と文案を添え期限を切っての催促。その熱意に圧されて、かりに都市伝説であったとしてもそういう話が語られていること自体を知っていただくことも意味あること、そう思い直して手紙(日本文)を書いた。
《大使様がご存知かどうかですが、実はご父君ケネディ大統領が亡くなられて間もなくの頃から、「ケネディ大統領が最も尊敬する政治家として上杉鷹山公の名前をあげられていた」という話が広く語られるようになりました。キリスト教思想家内村鑑三(1861-1830)が英文で書いた「代表的日本人Representative Men of Japan」、あるいは国際連盟事務次長を務めた農学者にして教育者新渡戸稲造(1862-1933)の「武士道Bushido: The Soul of Japan」を通して鷹山公についてお知りになったということでした。(ただしそのことを実証するものはまだ見つかってはおりません。お父上の蔵書の中にいずれかが存在することを期待しています!)このことによって、私どもの郷土の偉人鷹山公の偉大さが一層輝きを増すことになったのは言うまでもありません。と同時に、ケネディ大統領が私どもにとってたいへん身近な存在となって現在に至っているのです。》
父は上杉鷹山を称賛.jpg ラ・フランスと共に送った手紙は大使のもとにまちがいなく届いたことと思う。11月27日ホテルオークラ、大使スピーチでの鷹山公言及のきっかけにはなったのかもしれない。演説の締めであっただけに聴く人に強い印象を与えたにちがいない。アメリカ大使館のサイトで読むことができる。
《My father admired Uesugi Yozan, an 18th century daimyo from the Tohoku area known for his good governance and sacrifice for the public good. Yozan introduced democratic-type reforms, encouraged people of different social classes to join and serve their communities together in new ways. He lived simply and invested in the future - building schools and starting businesses. In ways that resonate with President Kennedy's famous call to service, he wrote: "The domain is inherited from our ancestors, to be passed on to our descendants. It must not be thought of as our personal possession. If you put your mind to it, you can do it; if you do not, you cannot. That is true for all things. When something is not done, it is because someone has not done it."》

《 私の父は、優れた統治、そして公的利益のためには身をいとわなかったことで知られる、18世紀の東北の大名上杉鷹山を称賛していました。鷹山は、民主的な改革を導入し、いろんな新しいやり方で、異なる社会階級の人々が共に一緒になって自分たちのコミュニティに参加し奉仕することを奨励しました。彼は質素な生活を送り、将来に向けて学校をつくり、さまざまな産業を興しました。人々の奉仕を求めるケネディ大統領の有名な呼びかけにも共鳴しあうような言葉を残しています。「国家とはわれわれの先祖から受け継いだものであって、私たちの子孫に渡してやるべきものです。私たちの個人的な所有物であると考えてはなりません。(国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候) あなたがそう思ってそうやれば、そう成ります。何事もしようとしなければ成らないのです。ものごとが成らないのは、その人がそのことをやろうとしなかったからです。(為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり)」》
 

山形新聞251221.jpg

その後(12月20日)カート・トン首席公使が山形を訪問、大使の演説について《元大統領が1961(昭和36)年、記者に対して『尊敬ずる日本の政治家は上杉鷹山』と発言したとの情報はあるが、現段階で正式な記録は見つかっていない」と説明。ただ、元大統領の公の発言、手紙などは全て米国内に公文書として残されているとし、これらの文書を保管している米・ボストンのケネディ図書館で在日米大使館が調査を開始したことを明らかにした。文書量は膨大で、調査に要する日数は不明という。》(山形新聞)と報じられた。この限りでは大使発言の根拠はあいまいであり、その後の調査結果についての続報はまだない。

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鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(4) 掲載文前半 [上杉鷹山]

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◉はじめに 

 ひとかたならずお世話になった恩師である篠田先生と同級生である手塚会長との御縁で、例会で講話の機会を与えていただいた。私たちが「鷹山公精神の世界発信」という大それた思いを抱いて取組んできたことに注目していただいたことによる。英語などにまったく関わりのないくせに大きなことを言い出して四苦八苦している私たちにとって、置賜きってののいわば「英語のプロ」集団からの注目とあってはありがたい限りで張り切らざるを得ない。さらにこうして文章にまとめさせていただく機会まで与えていただいたことに心底感謝しつつ、語ってみてあらためてわかったことなどを書いてみます。


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鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(3) 米沢興譲館高校校歌 [上杉鷹山]

布川潤子先生の講話の中で、私がレジュメに書いていた《「わたしであることの執着」からはとことん自由で「器としての自己」に徹し尽くしていたのが鷹山公であった。》に触れていただき、先生が18年間在籍された米沢興譲館高校の校歌の三番に言及された。


  人みなの 命を あがめ

  わが力 わが誠

  世のために 尽くさん これぞ

  ああ 興譲 興譲の われらが心


まさに鷹山公精神の継承ではないかと。懐かしく思い起こし、またうれしかった。


その翌日、東京の従妹の息子(大学生)が春休みを利用して山形へやってきた。上杉神社、松岬神社、御廟、宮坂考古館を案内したあと、高畠の浜田広介記念館に連れて行った。「泣いた赤おに」のスライドを見せたかったのだが、もう最終上映時間が過ぎていてかなわなかった。正月に娘夫婦を連れて行ったときもだめだった。残念な思いでいたのだが、思いがけないものに出会った。これまで何回か行ったことがあったのに、この日はじめて気づいた。浜田広介さん作詞の興譲館校歌が話題になったその翌日である。これもシンクロニシティ体験に思えた。作詞の原稿と興譲館同窓会報に寄せられた浜田さんの文章が展示してあったのだ。「撮影禁止」とも書いていないようだし・・とカメラに収めてきました。

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鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(2) 時代がようやく鷹山公に追いついた [上杉鷹山]

鷹山公の歌というと次の二つはすぐ思い浮かぶ。吟じられもする。

  為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

  受継次ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母


鷹山公の和歌や漢詩は多くあるはずなのだが、ネットで調べてもそれについてまとまったものはない。鷹山公がどういう心を持つ人であったかが端的にわかると思うのだが、このテーマで研究した人はいないのだろうか。赤湯温泉の「上杉の宿 御殿守」に公直筆の気持ちのこもったいい和歌があった。記録していなかったのが残念。


『代表的日本人』にも歌がでてくる。鷹山公の孫にあたる参姫が嫁ぐに際して送った書状が紹介されているが、その最後は公の歌で締められる。


On My Beloved Daughter's Leaving for the Metropolis;


When SPring overtaketh theeAnd raiment of flowers thou puttest on,

        Forget not Winter thou hast hadln thy father's mountain-home.  Harunori.”


「武蔵野の江戸なる館に赴き給うはなむけに


     春を得て花すり衣重ぬともわが故郷の寒さ忘るな

(春が訪れ、花の衣装を身にまとう季節となっても、山里の父の家で過ごした冬を忘れるなよ) 治憲」》


今の季節にぴったりかなと思いつつ、こんなことも語ってしまっての時間超過だったわけです。


さて、結論として、以下の2点について語った、というより、語りたかった。

 

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鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(1) ケネディ大統領の心に鷹山公の名が深く刻まれたわけ [上杉鷹山]

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昨年1018日、米沢英語研究懇話会第88回例会で白鷹山「伝国の辞」碑建立経緯について語らせていただく機会がありました。その折、会の機関誌「Acorn(どんぐり/英懇)」への原稿が求められ、昨年暮れに張り切って書いて送っていました。その誌の完成配布を機に、寄稿した何人かに語る機会が与えられ、私もそのひとりとして一昨日(228日)の第89回例会に参加させていただきました。

 

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2030分という時間が与えられていたのですが、頭の中が「あれもこれも」状態でだいぶ時間超過してしまったようです。他にも超過された方が多く、終了時間は予定より1時間もオーバーしていました。それだけ熱のこもった会だったと言えますが、この日のメイン講師である布川潤子先生が、自らの時間を思いっきり短縮されて語られることになったのは、その内容からしてほんとうに残念で、又申し訳なくも思ったことでした。というのも、布川先生は昨年春まで米沢興譲館高に18年間勤務され、その間、英語教育と進路指導において目をみはる実績をあげた先生だったことが、レジュメと短いお話の中からビンビン伝わったからです。当日参加された方の中に、現役の先生が何人おられたでしょうか。布川先生の実践は現場においてどれだけ蓄積継承されているものなのか・・・。布川先生は南陽市民です。こういう先生が身近におられたことを心強く思ったことでした。そういえば、置賜自給圏推進機構のメンバーになっておられ、定年退職後の現在、長井高で非常勤講師の傍ら、東北大の農学部に通って農業政策を勉強しておられるとのことです。これからのご活躍、おおいに期待されます。


さて、ケネディ大統領が「尊敬する政治家」として鷹山公の名前を挙げたかどうかの真偽についての詮索はともかく、ケネディ大統領の心に鷹山公の名が深く刻まれたとするならばいったいどの点だったのだろうか、ということがテーマでした。広く伝わる「なせばなる」ではなかったと思えたのです。書き送った原稿ではこの点について、こう記しました。

 

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「世界に届け!鷹山公精神」展・「小田仁二郎と宮内」展チラシ [上杉鷹山]

月替わりで展示する宮内公民館「サロン銀杏」、同級生の館長に11月分頼むと言われていたのでやりだしたら結構力が入った展示になり、齊藤会長もなんとか宣伝しようと張り切りだしたこともあって急遽宣伝チラシを作成、今日宮内地区だけですが隣組回覧していただくことになりました。(クリック拡大)
世界に届け!鷹山公精神展チラシミニ.jpg小田仁二郎と宮内展チラシミニ.jpg

ご挨拶

皆様方には足をお運びいただき誠にありがとうございます。
鷹山公ゆかりの白鷹山の頂きに「伝国の辞」碑を建てようとの呼びかけは、
市内外から予想を超える御協賛を得ることができ、
当初は思いもしなかった
キャロライン・ケネディ大使からのメッセージ入り副碑までが建って、
見事に実を結ぶことができました。
ここに至るまでの多くのご協力に対し、あらためて深く感謝申し上げます。
碑建立、そしてケネディ大使米沢訪問に至る
これまでの経過を知っていただくと共に、
当会本来の趣旨である鷹山公精神の世界発信の一環としての展示です。
ゆっくりとご覧いただければ幸いです。
また、寂聴さんゆえの注目を超えて、
ようやくその文学世界への関心が高まりつつある小田仁二郎理解のために、
宮内との関連に焦点を当てて、
ささやかな展示を用意いたしました。
あわせてご覧下さい。
           
                                                                           白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会
                                         会長 齊 藤 喜 一

◉芳名簿にご記入下さい。
 展示終了後抽選で五名の方に記念品を贈らせていただきます。


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「南陽発信 世界に届け!鷹山公精神」展(11/1〜11/30 於 宮内公民館) [上杉鷹山]

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宮内公民館からの依頼で今日から11月いっぱい、「南陽発信 世界に届け!鷹山公精神」展をすることになり、夕べと今朝、齊藤会長と準備してきたところです。あわせて「小田仁二郎と宮内」のミニ展示もすることにしたのですが、こっちの準備はこれからです。
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予算も何もなくてやる展示ですのでそれなりですが、齊藤会長の山形新聞への投書からはじまり、キャロライン・ケネディ大使がわれわれが贈った手拭を首に掛けての米沢訪問まで、これまでの流れがわかるように工夫しました。鷹山公について学べるようにもなっているはずです。もちろん無料、時間はいつでも大丈夫です。誰もいない夜は電灯をつけねばなりませんが、スイッチはホールに入る手前左側です。もうひとつは見えにくいですが、ホールの東端、展示ボードのかげになっているところです。芳名簿が用意されていますのでぜひご署名を。
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ホール中央のテーブルに置いてありました、見事な折り紙です。受講者を募集していました。
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講師は山口千花子先生。長井の方でしょうか。すごいです。

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白鷹山「伝国の辞」碑清掃(10月28日) [上杉鷹山]

10月28日(火)のことです。白鷹山に登って「伝国の辞」碑をきれいにしてきました。蔵王に初冠雪のニュースが流れた日で、積るほどではありませんでしたが、山頂で初雪を体験しました。
04-DSCF2359.JPG05-DSCF2358.JPG6リットルの水を下から運びました。当初私が背負ってしばらく登ったものの、苦しくなって途中交代していただきました。(昨日まで心臓のあたりがおかしかったのが、今朝はもうほとんどなんでもないようです。入院も覚悟したほどでしたが、昨日ちょうどお医者さんに行く日で、「もうこれでコリて下さい。」と言われました。しかしもうなんでもないとしたら、「このくらいなら大丈夫」の自信もでてきそうです。)
03-DSCF2365.JPGとなりの「白鷹町民の火」採火記念碑もきれいに磨きました。ここで灯された火は経費削減の中で10年ほど前米沢に移り、いまはどうなっているかわからないとのことでした。
01-DSCF2369.JPG大蔵寺の小関住職がお供えを用意して下さいました。寒い中で手をかじかませながらごちそうになった白鷹名物の揚げまんじゅうの味は格別でした。御神酒「白鷹山」は、夜の反省会でいただきました。

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白鷹山「伝国の辞」碑建立経緯にについて語らせていただく機会がありました [上杉鷹山]

10月18日に米沢英語研究懇話会第88回例会で講話させていただきました。会の最長老篠田洲雄先生(昭和7年生)が、迷惑かけっぱなしお世話になりっぱなしでずっと気になっていた高校2年、3年時の担任の先生であり、さらに手塚宮雄現会長が同級生ということで依頼されたのでした。会場は米沢市すこやかセンター。部屋に入るなりスリムにはなったけれどももう50年前とまったく変わらぬ笑顔で迎えていただき、半世紀の隔たりを一挙にとびこえて当時の懐かしい先生方のお名前がつぎつぎ出ては話しがはずんだのでした。そのノリで講話も「50年経ってもう時効ということで・・・」と、生徒全員が集められ「興譲館始って以来の不祥事」(生徒指導主任 大井魁先生 大井先生には新しい歴史教科書をつくる会の顧問になっていただき何度も御一緒する機会があったのですが、そういえばこのことが話題になったことことは全くなかったことにいま気づきました。一度謝っておくべきだった・・・)と言われたという「無賃乗車停学事件」から語り始めることになりました。

 

奥羽線上りの汽車通はふつう米沢駅で降りて学校まで3キロ弱の距離を歩くか自転車で通うのですが、私と赤湯からの3人は米坂線の坂町行きに乗り換えて西米沢駅まで行ってそこから1キロ弱の距離を歩いて通うことにいつの頃からかなっていました。3年の時です。だれからともなく「このまま乗って海に行ってみたいね」という話が出ていて、たしか6月30日、蒸し暑くて学校になんか行きたくないという日に決行したのでした。坂町で羽越線に乗り換えて海をながめながら余目まで行き、そこで普通列車に乗ればなんのことはなかったのですが、いつもの帰宅時間に間に合うための準急乗車が運の尽き、あえなく車掌さんの検札にひっかかって御用。山形駅で鉄道公安に引き渡され、赤湯在住の伊賀仁教頭にお迎えにきていただき、そこから苦難の一週間が始ったのでした。親が学校に行って謝ってきたり、謝罪文を書かせられたり、見るからにおっかない庄司善助校長の前で頭を下げたり、せつない思い出ではありますが、反省会の名目で停学期間中4人一緒に私の家で合宿したり結構いい思い出にもなっています。停学期間を満了して学校に行ったらみんなに笑われたような記憶があります。それから20年も経った頃、「松野良寅先生があなた方のことを書いておられるよ」と、ご主人が松野先生と同じ海軍兵学校出身の近奈美子さんにそのコピーをいただき、恥ずかしいようなうれしいような気持ちになったことがありました。米沢の海軍志向の伝統とわれわれの他愛ない「学校さぼって海見に行こう」をむすびつけていただいた畏れ多い文章で、題はたしか「海への憧憬」といったものでした。松野先生がほかでもない、米沢英語研究懇話会の創設者で初代会長ということで、思わず恥ずかしい体験を話すことになった次第でした。

 

以下、当日用意したレジュメです。

 

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