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「宮内よもやま歴史絵巻」毎日新聞で紹介されました [宮内よもやま歴史絵巻]

よもやま歴史絵巻 毎日290815.jpg「宮内よもやま歴史絵巻」、米澤新聞、山形新聞につづいて、毎日新聞山形版で紹介されました。昨日は米沢の叔母に行ったところ、叔母の知人(米沢の方)が熱心に読んでくれて「おもしろかった」との感想を寄せてくれたとのことで、うれしかったです。書いた当事者がおもしろがって作っていますので、本気で読んでもらえば必ず興味が湧くはずです。「商店街」と言うにはおこがましいような通りですが、通りを歩く人も少しは増えつつあるかなと思えています。毎朝のラジオ体操、昨日でちょうど2ヶ月、多い時には15人ぐらいになります。平均年齢75歳ぐらい、散歩途中の他町内の方もまじっています。雨の日も雨を避けながらやっています。跳べない人は跳べないなりに、無理はしないで自分の判断でできるだけ、なんとなく体が幾分やわらかになったような気がします。毎朝6時半、決まった時間です。気軽にご参加下さい。

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新版「宮内よもやま歴史絵巻」が山形新聞で紹介されました [宮内よもやま歴史絵巻]

山形新聞290627よもやま歴史絵巻.jpg昨日(627日)の山形新聞で「宮内よもやま歴史絵巻」が紹介されました。会う人会う人に「記事見たよ」と言われました。さすが山形新聞です。

 

あらためて新版「宮内よもやま歴史絵巻」を紹介しておきます。

 

歴史篇

・鷹山公改革につながる北条郷青苧騒動

北条郷を揺るがした大事件が、鷹山公改革の布石となった!?

宮内、賑わいの記憶

日本の輸出最先端を担っていた頃の宮内を知ってほしい!   

場所(地理)篇

宮内四季のうた

宮内の四季の移ろいのすばらしさを和歌で体感!  

日本一の相生の松 

横山大観が描いていた宮内の相生の松!

人篇

宮内繁栄の祖 佐野元貞

この人こそ近代宮内発展のキーマンだ!

独立不覊の精神 須藤永次 

山崎るいとの出会いが永次を変えた!

「菊の宮内」の菊人形師 菊地熊吉

「くまぎっつぁ」あっての宮内の菊人形!

宮内熊野大社中興 北野猛宮司 

今も宮内人の心に生きる「北野さま」!

・日本ハム草創を担った宮内ゆかりの人々

宮内ゆかりの人々あっての一兆円企業スタート! 

・山口蓬春と小関賢一 

小関(おぜき)の画業に今こそ注目!

 

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米澤新聞記事「宮内よもやま歴史絵巻」 [宮内よもやま歴史絵巻]

6月17日、米澤新聞に紹介していただきました。(記事上クリック拡大)

米澤新聞290617.jpg

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「宮内よもやま歴史絵巻」取付けました(付 第一回ラジオ体操) [宮内よもやま歴史絵巻]

昨朝、粡町商店街の若手(平均年齢70歳)が出て「宮内よもやま歴史絵巻」28年度版10枚取付け完了しました。全部で32枚あるのですが、最初に作った「天地人」版5枚は残して27枚の展示です。本来なら3月中にしなければならなかったのですが遅れに遅れて昨日になりました。あわせて夜は粡町商店街29年度総会。イルミネーション充実に向けて盛り上がりました。寒くならないうちに設置しようと言うこと、足並み揃えて一斉点灯しようということ、参加家庭の増加を図ること等が確認されました。現在44戸(実質41戸)中22軒が参加しています。最後4人だけ残ったのですが、毎朝ラジオ体操をやろうということになりました。酔った勢いです。今朝目覚めて最初に思い出したのがこのことでした。ラジオ持参で出てみようと思います。とにかく丈夫でいることが何より、ということでだれからともなく出てきた提案です。 

次の10枚が追加なりました。

 ・「菊の宮内」の菊人形師 菊地熊吉

 ・宮内四季のうた

 ・日本一の相生の松

 ・宮内熊野大社中興 北野猛宮司

 ・宮内繁栄の祖 佐野元貞 

 ・独立不覊の精神 須藤永次

 ・山口蓬春と小関賢一

 ・宮内、賑わいの記憶

 ・日本ハム草創を担った宮内ゆかりの人々

 ・鷹山公改革につながる北条郷青苧騒動     

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「宮内よもやま歴史絵巻」28年度版 [宮内よもやま歴史絵巻]

◎「日本ハム」草創を担った宮内ゆかりの人々 

 

 いまや売上高(連結)一兆二千億円を越す日本ハム株式会社、創業者大社義規(おおこそよしのり 1911-2005)と共にその礎石となったのは宮内に縁ある人たちでした。

 日本ハムファイターズの初代オーナーで野球の殿堂入りも果している大社は、生家の没落により旧制高松高等商業学校を中退、叔父が経営する 徳島の養豚組合へ就職します。当時(昭和9年 1934)について日本経済新聞の「私の履歴書」(昭和59年 1984)にこう記しています。
《組合には、現在日本ハムの専務をしている鈴木茂雄君がいた。彼は私と同い年で、香川県から派遣されていた稲葉育男技師の甥だった。山形県の中学を出てから叔父を頼ってはるばる四国に来ていたもので、組合では私より二年先輩である。彼が、豚を気絶させるお手本をみせてくれた。さすがにうまいもので、必中である。彼とは誕生日が一日違いということもあり、すぐに仲良くなった。》

 稲葉育男は中川村中山の出身で宮内粡町稲葉亮三郎の兄、妻は粡町中山家の出。置賜農業を卒業後、ハムづくりの先駆者ローマイヤに学び、香川県でその技術を伝えていました。大社社長の右腕として副社長を務める鈴木茂雄は宮内菖蒲沢の出身、宮内高校鈴木隆一先生の弟です。昭和17年(1942)「徳島食肉加工場」が、大社が営業、鈴木が製造の責任を担ってスタートします。戦争による中断の時期を経て昭和23年再開、《工場再開には、鈴木君が、私のたっての願いを聞いてくれ、はせ参じてくれた。彼は故郷の山形で入隊したが、戦後はまた元の養豚組合に復職していた。製造技術に明るい彼が協力者として来てくれたのは、何よりも心強かった。》(同右)二人三脚での再スタートでした。

 昭和26年(1951)には「徳島ハム」となり、昭和29年(1954)大阪工場建設を皮切りに全国展開、飛躍の時代を迎えますが、その工場建設の先陣役が高畠泉岡出身の武田昭二郎。稲葉を頼って四国に渡り、戦後徳島工場再開時からの叩き上げ、大阪、下館(茨城県)、酒田、旭川、八戸等全国各工場の礎を築きました。粡町中山家に嫁いでいる姉の縁で稲葉につながります。妻は粡町高岡家の出です。

 なお、藤沢周平は「日本加工食品新聞」の編集長を十年も務め、日本ハムの成長をつぶさに見守ってきた人でした。大社が語った文章があります。《実は、藤沢さんとは、彼が作家になる前からの古い付き合いだ。1961年に、山形県のハム会社に資本参加した時に、食肉業界紙の記者五、六人を山形に招待したところ、山形出身で郷土の話を切々とされる記者がおられ、非常に強い印象を受けた。それが藤沢さんだった。・・・当時から作家になりたいと言っておられ、仕事の合間に小説を書いては、雑誌に投稿されていたことを覚えている。藤沢さんが初めて小説で賞を取った時も、直木賞をもらった時も音頭を取って祝いの会を開いた」〈談〉(「日経ビジネス」1994) 

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横山大観がモチーフにした「相生の松」 [宮内よもやま歴史絵巻]

1-相生の松.jpg

粡町商店街「歴史溢れて光り輝く街づくり」事業は、平成28年度南陽市商店街まちづくり活性化推進事業補助金をいただいての事業で、なんとか年度内完成を目指してがんばっている。「よもやま歴史絵巻」、今回も10枚作製に挑戦中。そのうちの一枚「日本一の相生の松」を作成中、大発見があった。その経緯。


「妹背の松 長部功」.jpg

《日本には男女和合のめでたい松としていくつかの「相生の松」がありますが、双松公園の相生の松は、姿においても大きさにおいても日本一と言っていいすばらしい松です。夫婦相生の松として「妹背(いもせ)の松」ともよばれ双松公園の名の由来となりました。


 昭和三十年代、当時東大名誉教授であった植物学の権威本田正次博士が枯れ死寸前のこの松を見て驚かれ、博士自らすぐ県に連絡して天然記念物に指定されたといわれます。その後婦人会や地元の方々の献身的な手入れによって今の姿に回復したのでした。


 この松にまつわる伝説もいくつか伝えられており、古来この松に願えば縁むすびに効験があると云われ、代々寺子屋を開き琴平神社の神主でもあった長部功が歌にしています。
  


  結ばんと思ふえにしはわが里の妹背の松に祈れ諸びと   


(この歌は宮内岳鷹会の持ち歌のひとつ。10年前、10周年記念での構成吟「美(うま)し地(くに)みやうち」の中にある。平岳謙先生に節調をつけていただいた。)


大観「相生の松」.jpg

このブログにも相生の松については何度か書いているので、それをまとめればいいと思ってここまで書いてきて、何の気なしに「相生の松」で画像検索したら、横山大観の「相生の松」を発見。なんとこれ、ここの相生の松ではないのか!?


ちなみに双松公園の「相生の松」は樹齢350年、たまたま大正8年発行の「宮内案内」口絵写真に、当時の相生の松の写真があった。大観の絵は東側から見た構図だが、写真は西側から。

相生の松 大正8年.jpg

宮内よもやま歴史絵巻にも、横山大観については「横山大観と多勢亀五郎」がある。横山大観は大正から昭和にかけてしばしば漆山の金上製糸に長逗留している。その間、漆山の金上の屋敷の中でじっとしていたわけではない。酒を飲むにも当時隆盛を極めた宮内の料亭が多かったにちがいない。双松公園まで足を運んで相生の松を目にしなかったはずがない。(それに当時公園に上るにはわが家の前を通るしかなかったはず。)あたりまえのこのことにあらためて気づかされて、にわかに大観が身近な人に感じられるようになった次第。


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「文学碑のある風景 佐佐木信綱」(山形新聞28.4.28) [宮内よもやま歴史絵巻]

佐佐木信綱 山新280428.jpg

やまがた 文学碑のある風景 佐佐木信綱

民間歌人初の宮中の歌会始選者

他界した弟子しのぶ


 南陽市宮内の双松(そうしょう)公園は、春に多くの桜が咲き、6、7月にはバラが来園者を楽しませる憩いの場だ。公園の坂道を車で上る。フロントガラスをピンクの花びらが彩る。広場に着き、木を見上げると、少なくなった花を目当てに大きなハチたちが飛び回っている。青空から降り注ぐ強い日差しに、手をかざした。


 山のうへに朝の光のてりみちて金色の水かがよひにほふ


 歌人・国文学者の佐佐木信綱(1872〜1963年)が、光あふれる穏やかな情景を詠んだ歌碑が、公園内の琴平神社にある。佐佐木は第1回文化勲章受章者。1947(昭和22)年に斎藤茂吉、窪田空穂らと民間歌人初の宮中の歌会始選者を務めた人物だ。佐佐木と宮内地区にどのような関係があったのだろうか。

 同地区の粡町商店街が作った「宮内よもやま歴史絵巻」などによると、佐佐木の弟子に宮内出身の須藤るい(1890〜1961年)がいた。るいは、吉野石膏の創業者須藤永次(1884〜1964年)の妻で佐佐木が主宰する短歌結社に入会、歌道に精進した。静岡県熱海市の佐佐木宅と須藤夫妻の住まいが近く、交流があったのだという。そうした縁で、宮内地区には須藤家別邸、長谷観音、琴平神社に計四つの歌碑が建てられた。

 琴平神社には、双松公園の環境整備など郷土の発展に多大な貢献を続けた須藤夫妻の胸像が立っている。その傍らに、他界したるいをしのぶ佐佐木のもう一つの歌碑。


 ありし世にわが背守リましきみづから乃よになき今も吾せまもる刀自


 宮内地区の街並みを望む神社の石段に桜が舞った。(報道部・鈴木悟)


   *   *   *   *   *


関連記事です。

宮内よもやま歴史絵巻「佐佐木信綱と須藤るい」

「新春宮内歌碑めぐり」

吟行「置賜の詩心を訪う」

 

5月4、5日が琴平神社、魚籃観音の祭禮日です。粡町、久保、足軽町、横町、仲ノ丁の五町内で行います。私が中学3年生の時(昭和38年)に始まった子供神輿も、今年は子供の数が少なくなって、とうとうトラックの荷台に載せての渡御になってしまいました。40年前に始まった粡町共栄会も平均年齢もう70歳。5月4日の夕方、今年も売店を出します。気分は40年前と変わりません。

1-DSCF2893.JPG2-DSCF2895.JPG3-DSCF2899.JPG

6-DSCF2915.JPG須藤るいさんの生家、山崎家。昨年解体されて今は更地。



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宮内よもやま歴史絵巻展 開催中 [宮内よもやま歴史絵巻]

2-DSCF3744.JPG1-DSCF3742.JPG宣伝が遅れてしまいましたが、11月1日から30日まで宮内公民館で「宮内よもやま歴史絵巻展」を開催しています。粡町通りに飾っているものを2/3に縮小したものです。22枚中18枚ぐらいですが、その場でほとんど全部見れます。さっと見るだけならそれだけですが、2時間ぐらいかけて熱心に読まれた方もあったそうです。公民館で芳名簿を用意してくれました。ぜひご記入下さい。3-DSCF3731.JPG26年版よもやま歴史絵巻チラシ表.jpg26年版よもやま歴史絵巻チラシ裏.jpg
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北条郷熊野の夏まつり [宮内よもやま歴史絵巻]

今日26日、朝6時からのの後片付けと慰労会とで、今年の夏まつり、獅子冠事務所全日程が終わった。夕食後一眠りしたのだがまだ身体にはアルコール分が残っている。とりあえずパソコンに向かうと、「『北条郷』熊野の夏まつり」の終了に合わせたかのように、今日届いていた■■ 国際派日本人養成講座 ■■が「北条氏の仁政」だった。この北条郷には、まさにその北条氏のミーム(文化遺伝子)が流れている。うれしくなって本気で読んだ。「宮内よもやま歴史絵巻」のひとつとして、「『北条郷』の由来」を今年つくったばかりだった。

1「北条郷」の由来.jpg 

 

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『羽前国置賜郡宮内村 金幣山照明寺縁起』 [宮内よもやま歴史絵巻]

照明寺縁起.jpg
菅野昭彦さんが照明寺様に依頼されて作成していた『照明寺縁起』が届きました。副題に「400年の歴史と地域の宝である秘仏を探る」とあります。以下、目次です。

巻頭言
写真特集 石仏石碑にみる照明寺の歴史
写真特集 照明寺の秘仏〜五十年ごとに開帳〜
第1章 歴史を紐とき照明寺の誕生を探る
第2章 二百年前の文書に「秘仏」が紹介
第3章 源信と平維盛の伝説の秘仏のご開帳
第4章 江戸初期の地図に載る照明寺
第5章 明治時代の照明寺再興の願い 
第6章 今後も宮内の寺であり続ける 
謝  辞

A4判フルカラー36ページ、写真が豊富に入っており、多くの人に照明寺に関心をもっていただくきっかけになります。何よりも物証のある平維盛伝説というのがすごいです。本格的な歴史的検証に発展してゆくことを期待したいです。その土台となる本の誕生を喜びたいと思います。

「宮内よもやま歴史絵巻」に『平維盛伝説』として取り上げています。『照明寺縁起』はそれをさらに詳しく掘り下げています。

以下が「よもやま歴史絵巻」の『平維盛伝説』です。

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