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明るい未来へ(『光の子ども』寄稿) [こども園]

28年度「光の子ども」表紙.jpg

毎年この時期恒例です。今年で12回目になります。その時々いちばん頭にあることを書くようにしています。一年間でいちばん力が入る文章です。

今年ははじめに提出した文章の一部を数日後急遽差し替えました。最後の方の大きく時代が動き出しています。・・・若い世代の思いがけない思いが時代を切開いてくれると信じています。》のところ、はじめは私とは同世代トランプ大統領の出現によって、思いがけないほど世の中が明るくなりそうな気がしています。「正義」とか「民主主義」とかのきれいな言葉の裏で「経済第一」金まみれ、陰謀渦巻いていた世界が、思いっきりあけっぴろげになってきつつあります。一体これまでの世界は何だったんだ。どんどん霧が晴れて太陽がくっきり現れてきます。若い人に期待します。》だったのです。その経緯は「遠のいた?イハトビラキ」に書いた通りです。

「後生畏るべし、いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや」『文殊菩薩』ブログからです。


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地元の幼児教育 支えて ■南陽市 井上達也 62歳 [こども園]

宮内こども園の井上園長先生の投書が今朝の山形新聞に掲載されました。幼稚園教諭、保育士がなかなか集まらない現場からの切実な叫びです。給料は安くとも成長する子どもと共にある喜びが何より、教職員のそうした思いに支えられて存続してきた私たちの園ですが、ようやく待遇改善の方向も見えています。いつの時代にあっても変わらぬ「いい職業」と自信を持って言える仕事だと思います。「夢を求めてもらいたい」、それが可能な職場です。

 

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地元の幼児教育 支えて

                      ■南陽市 井上達也 62


 4月から就任した「こども園」は、幼稚園と保育園が一つ屋根の下で営まれている。目まぐるしく感じられるが「助かるな!」という保護者たちの声に支えられている。

 人口の漸減に対する労働人口の確保のため、結婚や出産でも退職せずに済む対策としてこども園はそれに応えた制度だろう。入園希望者が増加しているということは、正しく現況を捉えた政策だといえる。

 ところが、まだ不足していた。現実は深刻だ。人が足りないのだ。養成校の先生の話では、卒業生たちは都会に流出しているという。都会の学校に行った者はそのまま都会に残り、地方の学校に入った者も都会に流れる。これが収まらなければ、せっかくのこども園も存立できない。

 6月にハローワーク主催の面接会に参加した。しかし、私のブースは完全に孤島化した。何十とある企業のブースは面接者が途切れることなく立ち寄っているというのに、私のブースは、1人も近づく者がいなかった。騒然とした会場で、私のところだけは森閑としていた。8月にもイベントが2度ある。訪問者が現れることを願う。

 テレビで人気の出た職業が中高生たちの進路希望になることがある。「金八先生」が典型だ。ぜひ、地方の幼稚園などで働く者もテレビの舞台に上げてもらいたいと思う。

 地元の養成校に在籍する学生たちには、ぜひとも地元の園に夢を求めてもらいたいと願うのである。

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松倉とし子さんコンサート、よかった! [こども園]

無料の催しはどのくらいの方においでいただけるか全く見当がつかず、2-DSCF4101.JPG当日を迎えていよいよ不安。結果は用意した椅子にちょうどぴったりの人数、お見事でした。開始1時間半前になってピアノのキーがひとつ上がりっ放しのところがあって大騒ぎ、調律師の方に連絡とりながらいろいろ手立てを講じたのですが、松倉さんにはほんとうに申し訳なかったけど、がまんしていただくよりしょうがありませんでした。事前調律は不可欠という教訓、肝に命じさせられました。

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近藤国親先生がここに赴任されたのが平成18年3月29日のこと。その年は寒い冬で、その日も雪が散らついていました。それからちょうど10年のこの日、陽気はポカポカ、空はぬけるような見事な青空、「近藤先生、いい10年間だったね、ありがとう」と天が祝福してくれているように思われました。

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「春よこい」に始まる春の歌メドレーから、金子みすゞ、そして「花は咲く」まで、間には中田喜直先生作曲の園歌も松倉さんのピアノ、松倉さん応援スタッフのひとり卒園生多勢さんの主導で子どもたちも元気よく歌いました。今から30年以上前、当時の理事長石黒龍一郎さんが明治大学文科での恩師岸田国士の御縁で岸田衿子さんと懇意、その縁で中田氏につながったと聞いています。

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松倉とし子さんコンサート [こども園]

近藤先生ありがとうコンサート.jpg松倉とし子コンサート裏面 [更新済み].jpg

近藤国親先生ありがとうコンサート

松倉とし子さんとともに

日時 平成28329日(火)午前1030

会場 宮内認定こども園ホール

入場無料 


 近藤国親先生には、宮内幼稚園から宮内こども園へと発展する大切な時期に園長としての重責を果たしていただきました。日清製粉を定年退職後、神学大学・大学院で学ばれ、宮内に赴任されたのが65歳のとき。「先生、10年間はお願いね。」その約束を果たされ、今年3月をもって退任されます。 


 宮内こども園々歌の作曲者は、「雪の降る街を」や「小さい秋みつけた」の中田喜直さんです。中田さんは、松倉とし子さんを「日本歌曲を歌うのに大切なものを全て具える」と高く評価され、金子みすゞの詩に作曲して松倉さんに送りました。


 近藤先生は、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」の言葉が大好きです。そんな近藤先生のために、感謝をこめて松倉とし子さんのコンサートを開催したいと思います。


 近藤先生との思い出をお持ちの方、子どもさんからおとなの方まで、どなたでもお出で下さい。


学校法人 南陽学園

宮内認定こども園


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平成27年度『光の子ども』 「共感」の輪 [こども園]

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卒園記念親子文集「光の子ども」が届きました。卒園児の親子と教職員全員の文集です。私も毎年、その時々いちばん頭にあることを書かせてもらっています。今年で11回目になります。1回目分からずっとここにアップしているはずです。11年前、思ったこともなかった理事長の役でしたが、この文集は、幼稚園からこども園へ、その園との関わりの私なりの歴史が刻まれています。人生、自分の意志通りに事が運ぶことなどごく一部の枝葉であり、大もとは何かに動かされている、園との関わりはほんとうにそんな感じがして今に至っています。まさに「移ろうままに」、その象徴が園との関わりです。


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「ブランド力」を高める (年頭講話資料) [こども園]

職員会議の前40分間、「年頭講話」の時間をもらって語ってきました。予定の2/3しか語れませんでした。職員数、園長以下25名、幼稚園時代に比べて倍増。なかなか全体が顔を揃える機会もなく、全体職員会議は今日が2回目。当初「『祈り』を通して『心』を考える」という題を考えていたのですが、「新春なんよう49」でO副市長と語った「ブランド力」について考えてみました。O副市長は、幼稚園が耐震診断を経て改築事業が俎上に上った時の福祉課長、彼なくしての現在はありません。その後議会事務局長になってからもいろいろご配慮いただきました。今後の園経営を考えるときの「ブランド力」の重要性は、当初から指摘されていたことでした。「ブランド力」を高めるということはどういうことか、自分なりに整理してみたところです。なお、教育機関に於ける「ブランド力」は、要するに職員ひとりひとりが子どもに向き合うことに喜びをもち、子ども達ひとりひとりの成長に関わりつづけるというかたちで教育機関としての使命を果たしていれば自ずと生まれてくるものです。これから述べることは、その方向性についてどう考えてゆけばということ、と語って本題に入りました。

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保育士不足問題を「経済第一」で割り切らせてはならない [こども園]

124日に政府が「小学校や幼稚園の教諭などを、保育士の代わりに働けるようにする」などの緊急対策を出したことから、保育士処遇の問題があちこちで議論されるようになっている。19日にはNHK土曜の朝番組「週間ニュース深読み」のテーマが「どうする?保育士不足 働く親を支えられるか?」だった。昨晩、阿修羅経世済民103板で「≪酷すぎ≫半数が年収200万以下!7割が転職や退職を希望!2030代の保育士・幼稚園教員アンケート結果。」の記事を読んだ。いずれも問題は、「保育士の給料が安い、だから保育士になりたがらない」という結論のまわりをぐるぐる廻っているようなのだが、このことに違和感をおぼえる。すべてをカネに還元して考えてしまう世の中、そうではない大事な視点があることを忘れてはならない。そんな思いで、阿修羅の記事にコメントしてきました。まだ反応はないようです。


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かつて教育職は「聖職」と言われたものだった。その言葉が死語になったのは田中角栄首相の時代、昭和48年の人材確保法が出来てからだ。「人材確保法」とは、教員の給与を一般の公務員より優遇することを定め、教員に優れた人材を確保し、もって義務教育水準の維持向上を図ることを目的とするというものだった。しかし皮肉なことに、この法律の結果するところ、教育の現場から本来の教育は次第に影を潜めてゆくようになった。教育職自体に生きがいを求める人間よりも、いい給料を求めて教育職を選ぶ人間が多く集まる場になってしまったのだ。人材確保法が日本の教育をダメにした。「経済第一」を掲げる安倍政権下、同じことが保育の現場に仕掛けられようとしていると私には思えてならない。仕事が楽しくてしょうがない、総じてそう言える仕事など世の中にどれだけあるだろうか。日々子どもとふれあいその成長の手助けをする保育の仕事とは、今の世の中では数少ないそういう仕事なのだ。「人材確保法」が教育の現場にあった教育への情熱を冷まし、教師という仕事の「聖職」性を失わせたように、経済的視点からのみの議論は、本来の「保育の仕事」に内在するかけがえのなさを見失わせる危うさがある。


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認定こども園東北地区地区活性化研修会参加報告(2) [こども園]

○認定こども園の意義について(承前)

(里見)

・幼保連携型認定こども園について、認可・指導監督を一本化し、学校及び児童福祉施設としての法的に位置づけることになった『子ども・子育て支援新制度』によって、認定こども園の財政措置が「施設型給付」に一本化されることになった。このことは、就学前の子育てのしくみへの社会資本の投下が、社会保障と同等の義務的経費となったことを意味する。このことによって、お母さんの負担が軽減されるようになった。→就学前「教育」への関心が公的に明確になったことはたしか。その背景には「女性を職場へ」があるし、また子育てを家庭だけにまかせておけなくなった時代の現実もある。


(古渡)

・平成18年に「認定こども園」が登場して今年でちょうど10年。今回の会合が開かれるようになって6回目。「地区活性化研修会」であることに着目してほしい。認定こども園は「子どもを中心にした社会づくり」の核たらんことを目指す。したがって地域とのリンクが不可欠。→ここは「忘れてならない大事なこと」と思った。

 

人口減少地域としての地方と、人口増あるいは微増地域の中央都市部のレベルのちがいにどういう対応をしているのか。

(小野)

・「交付税」制度によって地方の自由裁量を可能にしている。またお金だけでなく、「一緒に悩む人」をという考えに立った人材派遣も行う。情報支援も当然の事。ただ、県庁レベルだと対応できるが、市町村レベルではその対応に差がある。それらを支えて一緒にやって行こうという思いを持っている。→国は地方からの働きかけを待っている。地域地域で独自な課題を見つけることができるかどうかが鍵。市町村行政の質が問われる。


(里見)

・地方からの情報発信が欲しい。地方版「子ども子育て会議」をおねがいしたい。認定こども園を核にした地域の子育てを。→認定こども園の重要な役割と理解しました。


(古渡)

・施設型給付制度の重要さをあらためて思う。

・産前産後のお母さんにとお腹の中にいる子どもをどうみてゆくかも課題に組み込む必要がある。

・行政との連携が重要になる。

・地域全体に貢献するパブリックな施設に。

・「0号認定」、すなわちすべての子どもの家庭へのケアにも目を向ける必要。

→これまでの「私学」感覚から「公立」的感覚へ?その中で「私学」としての独自性をどうやって保ちつづけることができるか。そのことの意識化が重要です。「公的感覚」に埋没することのない「私学としての矜持」です。ただし、自己満足に陥ることのないプロとしての絶えざる検証が前提です。


若い世代への対応のポイント

(小野)

・若い人が都会から帰るにはどうするか、Uターン、Iターンの意見を聴く。

→若い人の都会離れ、地方志向はまちがいなくトレンドです。


人口減の進行を踏みとどまる地域はどういう仕事をしているのか。

(古渡)

・住宅、雇用を含めた子育て環境が整っていること。

・一定のレベルになれば自然の流れがでてくる。そこまでにどうやってもってゆくか。そういう地域は「伝え方」がうまい。そのことで外からの意見が聞けるようになる。そのことで自分たちの良さもわかってもらえるようになる。

3.11以降、福島県中通りでの子ども人口調査の結果、ほとんど変わらないのが本宮市と大玉村。ふたつに共通するのは行政マンが明るいこと。情報の共有がスムーズで、そういう地域での除染は教育機関が優先されていた。

→公的性格が高まったということは、行政への積極的提言が必要とされるようになったとも言えます。


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認定こども園東北地区地区活性化研修会参加報告(1) [こども園]

全国認定こども園協会主催の第6回東北地区地区活性化研修会に参加してきました。午後1時半から6時過ぎまで4時間半、席を立たずに坐りっぱなし、身のある話がいろいろ聞けたのでメモしておく事にします。会場は山形市山交ホールで園長先生と一緒でした。


  13301345  開会式

  13451515  講演会「地方の人口減少問題と地方創生」 

             講師 : 小野 太一 氏(国立社会保障・
人口問題研究所企画部長)

  15301630  行政説明「新制度施行後、実務情報について」
    

             講 師 : 里見 昭彦 氏

               (内閣府 子ども・子育て本部参事官補佐/認定こども園担当)

  16301800  パネルディスカッション


             「人口減少とこれからの地域における認定こども園のあり方」

             パネラー 小野太一 氏

                  里見昭彦 氏

                  古渡一秀 氏(全国認定こども園協会 副代表理事)

             ダブルコーディネーター

                  内田量樹 氏(認定こども園こばとこども園理事長)

                  齋藤正博 氏(福島学院大学認定こども園主幹保育教諭)


とりわけパネルディスカッションはコーディネーターのツッコミがなかなかで、多彩な内容になりました。メモを整理しておきます。

 

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「宮内こども園」の原点を考える [こども園]

昨日は2学期最初の朝礼の日でした。実はお盆前までに「こども園」としての出発報告と寄附のお願い文書を卒園生宛てに届けることを理事会で約束し、それに載せる文章を「宮内こども園の歴史と展望」と銘打って書きはじめたのですが、なかなか前に進むことができません。とうとうズルズル、タイムリミットを切ってしまいました。そうなってしまったのは、ひとつはお盆前の仕事の忙しさですが、それ以上にフクイチの問題でした。展望が湧かないのです。そのことは以下に書きました。

 

「幼稚園」の時は、2学期のスタートにあたって1時間ぐらい時間をもらって職員みんなに話す機会があったのですが、「こども園」になってからは。ゼロ歳児からの保育もあることから、全員集まる時間が取れません。そんなわけで、とりあえずいま時点まで考えてきたことをまとめて文書にしてみんなに読んでもらうことにしたのが以下の文章です。「通り一遍の文章でないので赤線でも引きながら読んで下さい」と言ったのですが、どこまで読んでもらえるか。A3でびっしり4枚になりました。

 

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「宮内こども園」の原点を考える

 

 300万人以上の日本人、世界中で2000万人を超える犠牲者を出した第二次世界大戦は、日本側の敗戦で終わりました。以後6年あまり、アメリカによる占領の時代が続きました。そしてようやく、日本の主権が認められることになる講和条約が調印されたのが195198日でした。(発効は翌年の428日です)「宮内こども園」の歴史は、それから間もないこの年の105日に始まります。この日、宮内熊野講堂(現 證誠殿)に満員の聴衆を集めて賀川豊彦先生講演会が開催されたのです。東西冷戦の時代と言われた当時の世界ですが、日本とは目と鼻の先、朝鮮半島では熱い戦争がくり広げられていた時代です。戦後の復興を経た日本はこれからどんな方向に進むことになるのか、まだまだ暗中模索の時代です。その後の経済の高度成長を予想した人など、どれだけあったでしょうか。そんな時、その国際的社会奉仕活動によって世界中に知られ、194510月東久邇宮内閣退陣のあと、総理大臣に推されたこともある賀川豊彦先生の講演会です。大きな注目が集まったにちがいありません。

 

お 賀川先生色紙.jpg

 賀川先生は、貧困からの解放、戦争のない平和な世の中を目指す社会運動に生涯を捧げたクリスチャンでした。若くして神戸の貧民街に暮らし、その体験から生まれた自伝小説「死線を越えて」は、大正時代、歴史的ベストセラーとなりました。その印税はすべて社会運動に注ぎ込みました。働く人の生活安定を目指す生活協同組合の運動を立ち上げたのも賀川先生でした。ノーベル文学賞の候補に2回、平和賞の候補に3回あげられています。


 賀川先生が宮内で何を語られたか。残念ながらその記録も記憶も見つかりません。ただ一つ確かなことがあります。講演会で集まった約8000円の献金をそっくり「50年後100年後の人材を育てるために幼稚園をつくりなさい」と宮内の人たちに託されたことです。「幼な児を我に来らせよ 天国に入るもの かくの如し」の色紙を添えて。


 賀川先生からの使命を受けた宮内の人たちは燃え上がりました。それから半年、195251日、13名の園児を集めて「宮内幼稚園」がスタートします。

 

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