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ブリヤート共和国の首都ウラン-ウデは山形市と姉妹都市 [シベリア]

《最近、「日本人のロシア移住説」が日本中を飛び交っている。「発信源は飯山一郎だ!」と言う人がいるが…、当たりだ!www》
このところ連日飯山一郎氏です。http://grnba.com/iiyama/index.html#ss09061

今読んできた記事↓は、今の私の関心事にとって超重要なので、そっくり貼らせていただきます。どのような移住の形になるのか考えていたのですが、地域共同体を基本にするというのがいちばん自然と思います。つい先日、ブリヤート共和国の首都ウラン-ウデは山形市と姉妹都市であることを知りました。山形が先鞭をつけるべきです。

https://www.youtube.com/watch?v=qVehAfOqwpM

マクソホン村 --- 日本人とそっくりなシベリアの人々


◆2015/09/06(日)  プーチンが放つ日本人向けの暗黙のサイン
ブリヤートにいらっしゃい!
 
ブリヤート共和国_①: このあとの②、③、④も観る価値があります。
「日本人は、2~3年うちにロシアに行くことになるんだって?」
「そうみたいね。シベリアにあるブリヤート共和国に行くみたい。」
「シベリア?! すげ~寒いんじゃない?」
「どの家も暖房完備で、天然ガスもタダ同然だし…、大丈夫!って、
飯山一郎という爺さんが言ってるみたいよ。」

最近、「日本人のロシア移住説」が日本中を飛び交っている。
「発信源は飯山一郎だ!」と言う人がいるが…、当たりだ!www

きょうは 「なぜロシアなのか?なぜブリヤートなのか?」ということを

改めて説明したい。

先ず、ブリヤート移住というシナリオ」は、飯山一郎の独自のシナリオではない!

ということ。

さて…、
ロシアが日本人向けに日本語で情報発信をするサイトである『ロシアの声』や『スプ

ートニク』。このサイトにブリヤート情報が載り始めたのは、2年間ほど前だった。

鷲が最初に「おや?」と思ったのは…、
奇跡を求めてブリヤート共和国へ』という記事だった。この記事は「ブリヤー

トと日本の信仰の類似性」が感じられる様々な場所にロシア側が日本人記者案

内する、という内容だ。

この記事以来、ロシアは「ブリヤートと日本の関係」を強調する記事を日本語で

発信し続けている。

最近のものでは 『息子らよ これがタイガだ ブリヤート』に載せたロシア発の

記事が重要だ。

「あきらかにロシアは、何らかのメッセージを発している!』と思える記事だからだ。

このように、ロシアが様々なサインやメッセージを日本人宛に日本語で送ってきてい

る事実。これはプーチンのロシアが、バイカル湖近辺のブリヤートあたりに日本民族

を巧妙に誘導するシナリオ(絵図)を描いている!ということだと、鷲は「深読み」して

いる。

ロシアの「誘導」(誘い)に乗るか? 乗らないか? はたまた強引に乗せられるか?

 乗らざるを得ない事態が来るか? …様々なシナリオが考えられる。

乗らざるを得ない事態が来る! と、鷲は予測している。

理由は、フクイチの臨界デブリが放つ“人類を滅亡させるほど大量の殺人ガス”だ。

フクイチの臨界デブリが放つ殺人ガスによって、日本列島の全域が居住には不適

切、あるいは居住不可能となってしまっている事実。

このことを日本人の大半は認識できないし、認めないだろうが…、ロシアは「ブリヤー

トにいらっしゃい!」とサインを出してくれている。

そうしたなか、プーチン大統領は去る9月4日、世界史を変えんばかりに重要なメッセ

ージを世界と日本に発信した!

それは、『露大統領:現在ロシアにおける主な発展の中心は極東』という記事に

載っている。 (記事)

プーチンのロシアは、極東開発=シベリア開発を最重要視する!というのだ。

そうして、日本人には「ブリヤートにいらっしゃい!」とサインを出している…。

このサインには、「その代わり、フクイチの臨界デブリは、ロシアが国家の総力を上
       げて鎮圧してあげます!」というウラのサインも含まれている、と。
 

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身近な方の戦争体験記二つ―「シベリア抑留記」と「満州からの逃避行」 [シベリア]

大正9年生れ、現在90歳で現役時計屋のHさん。奥さんからの頼まれごとで、家はそう遠くはないが雨模様なので車を運転して来られ、「お茶をどうぞ」と上がってもらって思いがけずシベリアでの体験談を聞くことになった。

国民年金のほかに恩給ももらっているとの話から戦争の話になり、4年間のシベリア抑留生活のことへ。「さぞ大変だったでしょう?」の問いの答えは思いがけないものだった。

満州奉天で終戦、武装解除でソ連に連れてゆかれることになった。それまでの日本兵の中国人たちに対する処遇から判断して、何をされるかわからないと覚悟してのシベリア行きだった。

連れてゆかれたところはウクライナのバスタロードというところ、忘れそうなのでメモしておいたのだが、今この地名を検索しても出てこない。「シベリア抑留日本人収容地区所在地図」によると、収容地区としてはウクライナは最も西。冬も雪は降らず気候は比較的温暖。従事した仕事は主に綿花を摘む仕事。朝は8時半から夕方の4時までの仕事で、きっちり始まりきっちり終わる。全然辛くはない。しかもロシア人女性と一緒。ロシア人女性は親切で気立てがよく、日本人捕虜を何かと気遣ってくれる。少しずつ言葉も通じるようになると、日本に残した家族のことなども話題にしてくれる。ロシアの新聞の情報から、日本への帰還見通しを探ってくれたのも女性たちであったとか。「女はどこの国でもおんなじだ」。いい奥さんと優しい娘さんに恵まれたHさんらしい述懐でした。

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