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これからどうなる?「南陽の菊まつり」 [菊まつり]

じっくり書こうと思っているうちにほとぼりが冷めてしまったりして書けなくなっている記事があります。11月30日に書き始めたこの記事もそうです。幹事会も実行委員会もいろんな意見が飛び交ういい会でした。そこからどう発展させるかじっくり考えねばと書き始めたのですが、そこで止まったままでした。16日に幹事会があるとのことで読み返してみて、出発点の確認として自分には大事なことが書いてあると思えたのでアップしておきます。中味のないただそれだけの記事ですが、言いたいことは要するに、「いま、可能性に満ち満ちた”南陽の菊まつり”」です。


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これからどうなる?「南陽の菊まつり」


一昨日(28日)の幹事会、昨日(1129日)菊まつり実行委員会を経て、あらためて今後の方向性を打ち出す必要に迫られることになっている。この際これまでの経過を踏まえつつ、自分なりのイメージを考えてみたい。


先ず言えることは、「これからの菊まつり」を「考える」上で、「いまわれわれは非常にいい環境にある」ということだ。それは、われわれの「立ち位置」がはっきりしていることによる。


その「立ち位置」とは、

1. 「104回の歴史」を誇るとはいえ、「現状」の菊まつりレベルは全国レベルからすればいかほどでもないことを認識させられている。これは「笠間の菊まつり」「二本松の菊まつり」視察によって決定的になった。


2. 新しい形を生み出すために、不要なものを切り捨てる覚悟ができている。(菊人形を一場面にした今年の決断は、その是否はともかく、よくできたと思う。入場料無料化もそう)


3. 以上によってわれわれは、「ゼロポイント」の位置を獲得している。「ゼロポイント」とは「無」ではなく「すべてが在る状態」です。あらゆるものが「拮抗し合っている状態」ですhttp://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12210725180.html(「ゼロ・ポイントとは、宇宙の中のすべての場所になり得る中心点、あるいは、すべての時間と空間を内包する中心点ということです。」http://waku2bashar.info/9670


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笠間・二本松の菊まつり視察報告(3) 二本松の菊まつり [菊まつり]

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二本松の菊まつりにはこれまで2回か3回行っています。二本松市の公式サイト二本松には、藩政時代から菊の愛好者が多く、昭和の初期から町に菊人形が飾られていました。昭和30年から「二本松の菊人形」として、霞ヶ城公園で開催されるようになり、現在の姿となっています。今年、「二本松の菊人形」は第62回を迎えます。/当市において本年は、「インバウンド元年」と位置づけし、二本松の菊人形では、日本の良さ、日本らしさをアピールする絶好の機会と捉え、テーマを「あっぱれ!ニッポン!世界に誇れる日本人」として、国内外を舞台に活躍してきた日本人を、菊人形で表現します。》とあります。(上の写真はいずれもこのサイトからお借りしました) 

宮内の菊まつりポスターE3808CE58D97E999BDE381AEE88F8AE381BEE381A4E3828AE3808DE799BEE5B9B4.1960E3839DE382B9E382BFE383BC-729ce.jpg
昭和30年といえば菊まつりの全国的な勃興期、昭和三十年代は全国的に菊まつりの最盛期。菊人形展を開催した都市は全国で一三〇都市、一五〇会場にも及んだ。山形県では昭和三十八、九年、少なくとも宮内のほか、赤湯、上山、西川(間沢)、米沢、天童、寒河江、新庄の八会場で開催されている。》「南陽の菊まつり100年」)と書いています。当時の宮内の菊まつりポスターには「東北一」を謳っています。「二本松の菊まつりは宮内が伝授した」との話を聞いたこともありました。その後淘汰の時代を経るわけですが、東北自動車道からすぐという地の利をもつ二本松の菊まつりは大きく成長を遂げ、昭和50年代には、「予算規模、観客数、宣伝費すべて南陽の10倍」と言われていたものでした。たしか南陽が3000万円の時代に二本松は3億円という記憶があります。

入場者数グラフE88F8AE381BEE381A4E3828AE585A5E5A0B4E88085E695B0E381AEE68EA8E7A7BB-747e3.png
南陽の場合は昭和62年の「独眼竜政宗」で入場者数6万5千人を超えたのをピークに低迷の時代に入る。数年前、二本松も菊まつりをやめたとの話を聞いたことがあったが、今回あらためてがんばっている様子を確認できたのが嬉しい。しかし現在の予算規模は現在約1億円、その中での必死の取組みぶりが見て取れました。

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笠間・二本松の菊まつり視察報告(2) 笠間の菊まつり(後) [菊まつり]

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菊人形の会場は神社の裏手になっています。表の賑わいに比べて静かな感じ。テーマはNHK大河ドラマ「真田丸」、定番で10場面。昨年の入場者数は18,830人ですから、昨年の南陽(16,000人)と比べてもちょっと多いだけです。(ただし昨年の入場料、南陽300円に対して笠間800円) 菊人形はここも苦戦なのでしょう。説明のパネルには人形を作る人と背景を描く人、双方の名前が記されています。(人形師 岩田健一 背景師 鎌田節郎) 書き割りに人物が多く描かれているのに驚きました。菊の着せ替えは女性6人体制、その他水かけ要員一人だそうです。菊人形のできるまでが音声でもていねいに説明されていました。菊人形の方は笠間稲荷神社による運営で、笠間市は菊まつり連絡協議会として宣伝部門やイベント部門に関わっているようです。(協議会予算869万円 うち市支出650万円)
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笠間・二本松の菊まつり視察報告(1) 笠間の菊まつり(前) [菊まつり]


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1119日、茨城県笠間と福島県二本松の菊まつり視察に行ってきました。二本松は何度か行っているが笠間は行ったことがない、歴史のある笠間の菊まつりはぜひ見てみたい、商工観光課の企画にすぐ飛びつきました。


見事に晴れわたった最高の一日でした。7時集合、齊藤喜一さんを迎えに向うと、色づいた大銀杏が朝日に輝いています。お月さんと大銀杏のツーショットを撮ることができました。


東北道、磐越道、常磐道を経て水戸インターで高速を降りて20分、笠間までちょうど4時間でした。

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笠間の町、店々に菊の鉢が飾られまさに町を挙げての「菊まつり」の雰囲気に圧倒されました。南陽でこの雰囲気を出すにはどうすればいいのか。笠間の賑わいが笠間稲荷を抜きに考えられないのと同様、宮内を会場にするとすれば、熊野大社を抜きには考えられないことは自明です。笠間稲荷への参拝客、上天気とはいえ、平日にしてこの賑わいはすごいです。

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第37回菊と市民のカーニバル、晴れた! [菊まつり]

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「菊と市民のカーニバル実行委員長」というのもまったく思いがけない宛職だった。実行委員長といっても飾りものだが、肝腎のお天気の責任だけは実行委員長にありそうな気がしていた。幼稚園の園児たち、せっかく準備したのに雨模様だったり寒かったりでパレードに参加できず、残念な思いをしたことが何度もある。31日(月)のこども園の朝礼で「3日の天気は?」と聞いたら「雨の予想みたいです。」それからずっと天気予報を気にしてきたがどうもよくない。「荒れる」との予想も出ている。


「晴れますように」と念じつつ迎えた当日の朝、しっかり降っている。今降るだけ降ればいい、昼には晴れてくれる。7時半、「カーニバルあります!」の合図、花火の音が鳴り響いた。外を見る。やはりしとしと降っている。


会場へは11時半ごろ行くことにしていた。遠来の客があったが、話しながら外が気になる。青空も見えたがまた降り出す。家の前まで雨にあたりながら客を送ってから、十分厚着して出陣。さらに防寒具と傘も持って家内に送ってもらったが、蔵楽に着いてから防寒具も傘も持って帰ってもらうことにした。天への信と不信に揺れつつも、「大丈夫、晴れる。」そこに賭けることにした。


ちょうどこども園のバスが着く。「こどもたちどうする?」と聞くと「オープニングセレモニーだけにします。」小降りだが寒いし、この空模様ではしょうがない。オープニングセレモニー、開会式の会場は蔵楽の中に設えてあった。


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秋たけなわ、10年前の菊まつりが思い出される [菊まつり]

01-DSCF5553.JPG2-DSCF5466.JPG秋たけなわ、今年の粡町通りの菊はひときわ見事です。「見に来て!」と声がけしたいくらいです。

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昨日(11月1日)から1ヶ月間、宮内公民館で「宮内よもやま歴史絵巻展」をやっています。粡町に飾ってある絵巻の縮小版を中心に、鷹山公の「伝国の辞」碑とケネディ大使関連、小田仁二郎関連等も展示しています。「宮内文化」をテーマに、田島賢亮先生を軸にした展示になっています。平日の午前9時から午後5時まで開いています。

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30日に菊まつり会場に行ってきました。平日の午前中ですがけっこう賑わっていました。無料効果が大きいようです。券がないので正確な入場者数は把握できませんが、昨年(16,000人)の3倍ぐらい、今年は5万人を超えるかもしれないとのことです。特に週末、いい天候に恵まれているのも幸いしています。花公園周辺、まつりの雰囲気、いい感じでした。



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南陽の菊まつり開園式 [菊まつり]

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104回の南陽菊まつりの開園式がすばらしい秋晴れの中、開園しました。10年振りに開園式に行ってきました。

(米沢日報デジタルが詳しく紹介してくれています。

http://www.yonezawa-np.jp/html/newsmovie/2016/20161014mov1.html )


今年は入場無料、ただし菊人形場面は1場面だけ。10年前、双松公園配水池工事のため公園から会場を移しての開催にあたり、宮内地区民に企画運営が任されたことがありました。われわれは張り切ってがんばったものでした。この年の菊人形制作予算が18,000,000円。今年の開催費総予算と同額です。今年の菊人形制作予算は2,800,000円。このまま次第詰まりか、それとも今年が底打ちなのか、正念場です。入場者数、昨年は16,500人でしたが、昭和62年には6万人を超えました。「独眼竜政宗」の年です。大河ドラマ史上最高の視聴率でもありました。大入り袋も出たというあの年の賑わいは、今も懐かしい語りぐさです。


希望の芽もあります。宮内に会場を戻すことを前提にワークショップが行われています。これまで二回、あと一回。2回とも参加しましたが非常に有意義です。10年前がんばって「もうくたびれた」とずっと思っていたのですが、ワークショップでは前向きに考えざるを得ません。それが何よりです。ここから何かが生まれてくるかもしれません。


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今日一つだけになった菊人形場面を前にして切に感じたのは、もう伝統の火が消えそうということです。ワークショップでもずっと思っていたことですが、もう南陽だけではこの伝統を維持しきれないのではないかということです。100年以上もつづいた菊人形、日本にとっても大事な伝統です。この伝統をなんとか維持してゆくことを全国によびかけてはどうかということです。菊人形予算に使うことに特定した「ふるさと納税」のよびかけです。幸い、菊人形制作を引き受ける美尚堂さんには後継者も育っています。今なら間に合います。


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「南陽の菊まつり」百年(4) [菊まつり]

十一、起死回生に向けて――平成十八年の実験

菊まつり宣伝チラシ ラスタライズ [更新済み].png

菊まつりが街に下りてくる」宣伝チラシ(平成18年)

 

 平成十八年(二〇〇六)と十九年、新配水池建設工事のため菊人形会場である双松公園が使えないことになり、三十八年ぶりに町中に降りて開催することになった。市役所、高校が移転し、大型店にも圧され、さらに不況の慢性化ですっかり元気をなくしていた宮内に、菊まつりの間だけでも賑わいをとり戻せるかもしれない、かつての繁栄を知る五十代六十代を中心に二十代の若手も加わり十数人の有志が立ち上がった。三月末から毎週木曜日を定例日と定め計画を練った。行政そして観光協会長をトップとする菊まつり検討委員会も有志たちの意向を汲み取る姿勢を示した。かつての会場だった鳥居の場はイベントの場とすることとし、菊花品評会も菊人形展も石黒電気跡地とすることにした。企画書が当時の意気込みを伝える。


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「南陽の菊まつり」百年(3) [菊まつり]

七、「南陽の菊まつり」へ


 昭和四十二年(一九六七)四月一日、南陽市が誕生した。翌年、昭和三十年代から赤湯烏帽子山公園を会場に開催していた「赤湯温泉菊まつり」と「宮内の菊まつり」が合流して南陽市観光協会主催「南陽の菊まつり」として新たなスタートを切ることになる。昭和四十四年には宮内会場が鳥居の場から双松公園に移る。この年宮内会場、赤湯会場それぞれ六場面ずつ、そのほか赤湯駅に一場面。前年入場料を大人五十円から七十円に上げていたがこの年からはさらに一〇〇円にアップ。十月十八日から十一月九日までの開催予定を一週間延長もしている。その布告にいわく「皆々様のお陰をもちまして南陽の菊まつり(宮内会場)も五〇数年を迎えました。本年は会場を双松公園に移し自然の美とバラ園の完成した公園は二本松をしのぐものと確信いたしております。・・・」昭和三十年にスタートし、地の利を得てぐんぐん勢いを増してきた福島県二本松の菊人形を意識しての会場変更であったのだろう。置賜盆地を一望する双松公園はロケーションとして申し分ない。しかし町中から公園に移ったことで宮内の賑わいが失われ、次第に菊まつりが地域の人々とのつながりを希薄にしていったのは否めない。

 宮内双松公園を第一会場、赤湯烏帽子山公園を第二会場としての開催は昭和五十五年まで続くが赤湯の第二会場での菊人形の本格展示は四十五年までで、その後赤湯は菊花のみまたは二場面程度の展示となった。

 

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「南陽の菊まつり」百年(2) [菊まつり]

四、宮内が生んだ菊人形師 菊地熊吉

「南陽の菊まつり」百年.熊吉と忠男.jpg熊吉と息子忠男

 

 江戸から明治へ、菊人形はソメイヨシノのふるさと東京駒込染井の植木職人や庭師達によって創られ伝えられていた。江戸以来の技術を受け継ぐ腕のいい職人伊藤市太郎の弟子が吉田銀次郎だった。市太郎は墨田河畔藤堂伯爵邸の菊人形を任されていたと言われる。また銀次郎の息子正吾は茶庭作家として一家を成している。そしてこの銀次郎の後を引き継いだのが菊地熊吉だった。後年銀次郎は「山形の宮内の菊地という人にはわたしが人形づくりを教えてやったが、器用な人で、わたしより上手になっちゃいました。」と語っている。ただし、熊吉には「銀次郎に教えてもらった」の認識はあまりなく、持ち前の探究心で技術を盗みとったのが事実のようだ。

 熊吉は明治二十七年(一八九四)宮内の小作農家に生まれた。若い時から町の祭りの飾り付けやおもちゃの彫刻でみんなに喜ばれていた。宮内の旧家には、熊吉が彫った獅子頭が相当数今も大切に所蔵されている。


《「山形連隊にとられるまで農業をやっていた。小学校時代から絵は好きだったし、まあ得意なほうでもあったな。しかし人形師になるとは思わなかったよ、あっはっはあ」・・・「兵隊時代の軍旗祭でまわりの者におだてられて王道という人形を余興に出したんだ。これが大変評判になってしまった。大正四年秋除隊になってまた農業をやっていると、例の王道をつくったときの腕をいかし菊人形をつくらないかとすすめられた。ちょうど宮内で頼んだ東京の人形師が有利な米沢に逃げてしまったその穴埋めにな。そこで引き受け予想以上に評判だった。しかし次の年に断ったよ。なんだか責任が重いようだったし、それに人形師になっても一生メシが食える訳でなし、やはりどこまでも農業をするつもりだったから。ところがネバラレてまた引き受けてしまった。そんな具合で人形をつくっているうちこんどはおれが人形にほれはじめたんだ。しかもぞっこんという具合にな。」・・・「ほれた以上は真剣になったよ。毎年のように国技館と浅草花屋敷の菊人形、それに当時の帝展を欠かさず見に上京した。・・・」・・・「なにも自慢することはないが、ただ宮内の菊の飾り付けは咲いた菊をくっつけるのではなく、ツボミの菊をとりつけて咲かせるところに値打ちがあると思う。この技術だけはほかで真似られないと思っている」》(昭和三十六年十一月七日山形新聞「この道ひとすじ」)


 熊吉は菊作りから、電動仕掛けも含めた場面構成、人形づくり、菊つけ、小道具、そして背景まで一手に引き受けた。すべて自分流に考えたものだった。「独創だからこそ一生懸命続けられたもので、ふり返ってみると、思う存分に菊人形づくりができた。私はその点幸福者だと思っている」と後年述懐している。熊吉は昭和四十九年に亡くなり、現在の菊人形は熊吉の四男忠男によって担われている。忠男は熊吉の流儀に従い、人形頭部制作から菊の着付けはもとより、さらに場面作りの一切をも取り仕切る日本でも希有の菊人形師として全国を駆け回っている。忠男の息子たち三人も同じ仕事に従事しているので伝統継承の展望は決して暗いものではない。


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