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天皇のお言葉(1) 「国体」と「政体」 [思想]

一昨日(8日)の天皇のお言葉をどう受けとめるか、どう受けとめたか、いろんな議論が交わされる中で、「放知技」板での議論をメモっておきます。飯山氏言われる如く、何度も読み返さねばならぬ「堺のおっさん」の天皇論です。

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159:堺のおっさん:
2016/08/09 (Tue) 10:46:31
host:*.ocn.ne.jp

昨日の玉音放送の何を受け止めるのかを考え、時間が過ぎた。

 

「国体衰弱すれど、いまだ健在なり。」これが一日考えた末の現時点での感想。


昭和64年、私は大喪の礼のど真ん中にいた。あの何とも言えない重たい空気は、フクイチのトリチウム水蒸気をも凌ぐ重さだったと記憶している。どんよりなどと言うものではない。とにもかくにも空気が重かった。今上陛下の天皇としてのスタートはここから始まる。あの大喪の礼は、国体としての祭祀ではなく、間違いなく政体の国威発揚だった。今上陛下が、今回あえて大喪の礼に触れたのは、現在の象徴天皇制が都合よく政体にゆがめられている現実を目の当たりにしたからだろう。


日本という国家は、世界的にも珍しい統治形態が連綿と続く。それは俗にいう「天皇制」ではない。まず国体があって、政体が時々の権力を行使するが、形式上は絶対に国体を上位に置く不文律。国体と政体の綱引きも連綿と続いてきた。


しかし、それが本格的に歪められたのは、明治維新にさかのぼる。明治の大日本帝国憲法は国体を政体の一部に取り込んだことが特徴だ。


それから70年、敗戦に至る歴史は不文律を犯したゆえの必然ともいえる。続く現在の憲法は、国体を取り込むのではなく、政体に幽閉する憲法。想像以上の抵抗を示した日本の力の源泉を国体であると見たマッカーサーが国体を占領政策上廃止はできないが、幽閉できれば利用しうると考えた憲法。


GHQ解散後も時の政体を通じて国体は利用され続けてきた。それを皇太子時代を通じ、肌で感じてきた今上陛下が昭和天皇以上に慰霊の巡業を続け、国体の維持に努められてきたのは、おそらく昭和天皇の遺言だろう。


さきの大戦の真の責任者は誰か? 間違いなく時の政体以外ありえない。昭和天皇が、国体と政体の関係を切り離した日本本来の姿に戻そうと努力されたと考えるのはあながち間違いではないだろう。悲惨な末路の原因こそ、国体が政体に取り込まれた国家体制にあると気付かれたと思う。


占領下では、切り離す代わりに「幽閉」されることを認めざるを得なかった。条件付きながら、政体のコントロール下に国体を置くということでもある。


親子二代にわたる執念の悲願こそ、日本本来の国体と政体の分離された国家のありようへの復帰だったのではないか。


言うまでもなく、国体のなすことはお言葉でも再三述べられていたように、「国家、国民の安寧を祈願すること」だけである。しかしながら、この当たり前のことが政体では絶対になしえないことである以上国体がやらねば誰がやるのか?違った表現をすれば、国民に誰が、この当たり前のことを導くのか?


国体とは、その核が今上陛下である。国体の総体は言うまでもなく国民だ。それは、政体のゆがみを正すとてつもないパワーを持つ。


長文陳謝。


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安倍総理的感覚がダメな理由 [思想]

最後の勝機.jpg

安倍総理の理論的支柱のひとりと思われる小川榮太郎氏の著救国政権の下で、日本国民は何を考え、どう戦うべきか 最後の勝機』2014.7 PHP)を手に取った。巻頭言にこうあった。


《・・・、しかし、なぜ僕たちは、大多数の者の思惑をそんなに気にしなければならないのかね。寧ろ当然僕たちが気遣うべきなのは、ごくまともな然るべき人たちの事だけではあるまいか。                   プラトン『クリトン』》


『日本会議の研究』「安倍首相の筆頭ブレーン」として紹介された伊藤哲夫氏にも共通する心性を思った。そして実はこの心性は、相模原事件の植松某の心性につながっていることを思った。行き着くところ「切り捨て御免」なのだ。なぜこれがダメなのか。そのダメな理由を見事に説明する奥深い文章に出会った。


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朝に出会った方への返信 [思想]

15日の朝に出会った方から「『愛国と信仰の構造』を読んで」に対して次のコメントをいただきました。
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興味深くよませていただきました。ヨーロッパ的価値に対峙するものとしての東洋的価値を挙げるのは、ある意味、尊王攘夷運動以来、日本人が持ち続けてきた、ある種の情念のごこときものかもしれません。それゆえ、ブログの内容には、共感を覚えるのですが、また、それゆえの危惧も覚えざるをえないのです。

日本会議と安倍晋三に対する評価は、私の興味からはまったく関係のないところにあります。私が危惧を覚えるのは、

「戦後教育」の結果へのアンチから出発した運動は、戦後を否定するあまり闇雲な戦前の肯定となり、必然、「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底する。の記述です。「闇雲な戦前の肯定」はなぜ「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底するのか。

こうした見通しを示したのは丸山真男であったと申し上げれば同意していただけるとおもいます。失礼ながら、時間の合間をぬってこの文章を書いていますので、確かめる余裕はなく、うろ覚えの記憶をたどれば、丸山は、戦前の日本を全体主義国家として定義しようとしましたが、日本にはヒトラーもムッソリーニもいませんでした。そこで、全体主義の責任を地方の知識人――教師・僧侶・神主――と天皇に押し付けたのではなかったのですか。そして、自らを含む一流の知識人は全体主義に抗した人間として免罪符を与えたのだとおもいます。

丸山の死後、丸山が徹底的に批判されたのは当然です。そもそも、丸山が全体主義と指摘したのは、戦時下にある特有な体制であり、それは、いわゆる民主主義国家といわれる国々でも同様であったことは、アメリカの日系人収容所一つをとっても明らかです。ありもしなかった全体主義を愛国やナショナリズムのせいにすれば、愛国やナショナリズムを見誤らせます。

お断りしますが、私は、ナショナリズムを全面的に肯定する立場には立ちません。愛国は人間としての素朴な感情としての愛国は誰もが否定できないでしょう。それに対してナショナリズムはイズムです。私は、主義というものに一種のいかがわしさを感じ続けています。

しかしながら、偏狭なナショナリズムが大東亜戦争の原因であったなどとする立場は、誤りというよりは、ほとんどねつ造でしょう。この戦争を理論的に指導した大川周明は疑いもなくインドに目を向けたアジア主義者であったではありませんか。北一輝が中国の革命に身を投じたことも疑いのない事実だったではありませんか。彼らが大東亜戦争に重大な責任があったことは誰も否定できないでしょう。ただし、彼らは、疑いもなく、アジア主義者であり、偏狭なナショナリストなどではなかったのです。彼らは東洋的価値を旗印に欧米に対抗して敗れ去っていったのではないのでしょうか。私の彼らへの批判は同情とともにあります。

中島岳志と島薗進の本は読んでいませんが、大川周明と北一輝とどこが違うのでしょうか?

by 朝に出会った者 (2016-06-16 12:06)

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返信です。
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『愛国と信仰の構造』を読んで [思想]

『愛国と信仰の構造』中島岳志/島薗進 集英社新書 2016.2)を読んで、「この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか、その処方」と題してレビューしてきました。

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この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか、その処方

「ナショナリズム」と「宗教」は、戦後日本の教育の中心から疎外された存在だった。戦後70年経った今、そうした教育で育った人間が日本人の大半を占める。


「ナショナリズムと宗教」は、ことを対象的(客観的)に見る言葉であるのに対して、「愛国と信仰」と言えば、それは実存(主体)に即している。『愛国と信仰の構造』は、「ナショナリズム」と「宗教」という戦後日本のいわば辺境を、実存の側から分け入って問題にした。


折しも「日本会議」が注目を集めている。話題の著『日本会議の研究』(菅野完 扶桑社新書)は、日本会議の起源が長崎大学にあったことを突き止めた。そこにはまず安東巌の存在があった。日本会議の草創は、大学に遅れて進んだ安東と大学では同期、年齢ではほぼ8歳下の人間たちによって主に担われた。彼らをつき動かしたのは安東巌のカリスマ性だった。そのカリスマ性を担保していたのは、年長者安東の稀な宗教的人生経験であり、それを称揚する「生長の家」創始者谷口雅春であった。


昭和40年代、大学は全共闘によって撹乱されていた。「民主主義教育」とも言われる戦後教育の洗礼の延長上に「全共闘的感覚」は在る。長崎大学を核とした彼らはその感覚に真っ向から対峙した。彼らの思想的拠点は、「全共闘的感覚」とは対極の「ナショナリズム」と「宗教性」だった。しかし不幸だったのは出発がまずもって「アンチ」であったことだ。ひとりひとり「愛国と信仰」を担う者としての実存性に真摯である前に、「アンチ」のレベルで徒党を組んだ。おのずと敵を想定してやまない「政治性」へと向う。「生長の家」からの離脱は必然であった。このたび安倍政権、ひいては鬼っ子「日本会議」を批判した宗教団体「生長の家」の声明は至極当然だ。日本会議の側にこの声明に耳を傾けうる自省のゆとり、そして権力の陶酔を抛(なげう)つ度量在りや無しや。日本会議の初心「日本再生」の如何はそこに在る。よもや宗主国アメリカ様(軍産勢力)の思うまま、「日本壊滅」への道を歩みつづけることなきことを切に冀(こいねが)う。

 

「戦後教育」の結果へのアンチから出発した運動は、戦後を否定するあまり闇雲な戦前の肯定となり、必然、「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底する。そこへと向う様をいま現実にわれわれは、日本会議の影響下に成立した安倍政権によって目の前に突きつけられている。この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか。この折、「ナショナリズムと宗教」に真っ正面から向き合い、「愛国と信仰」という実存のレベルまで分け入ってその処方を探ろうとした対談が『愛国と信仰の構造』と読んだ。その副題はいみじくも、「全体主義はよみがえるのか」。

 

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『文読む月日』 (トルストイ)(2) 「反戦平和」に向うロシア [思想]

先週(12/812/11)ロシアでは国を挙げて『戦争と平和』の音読リレーが行われたという。リレーにはメドヴェージェフ首相も加わった。


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これはもう、前代未聞の文学マラソンだ。ロシアの文豪レフ・トルストイの長編『戦争と平和』がこれで3日もテレビ、そしてラジオで流れ続けている。『戦争と平和』の音読に参加しているのは世界各国から参加する数百人。俳優あり、演奏家あり、スポーツマン、政治家、軍人、一般労働者、なんとトナカイ飼育者もこれに加わっている。その展開規模ではこの試みは世界でも前例がない。プロジェクト「戦争と平和。長編小説を読もう」を率いるのはモスクワ、シャボロフカ地区の全露国営テレビラジオ会社(VGTRK)

 

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国を挙げてのトルストイ評価は、ロシアがもうすっかり唯物史観から自由になった国であることを意味しよう。昨日(12/12)読んだ「一週間の読み物」にこうあった。


《人々の生活がよくなるための方法はただ一つ、人々自身の生活がよくなることです。もし人々がよくなれば、おのずからよき人々のよき社会が現出するでしょう。》《諸君およびすべての人々の救いは、罪深い、暴力的な社会革命のなかにはなく、精神革命のなかにこそあるのです。》(「互いに相愛せよ」)


一方日本はどうか。第一次安倍政権では「美しい国」と言っていたはずが、どう心変わりしたか第二次政権では、軍産勢力に言われるがまま「経済第一」にからめとられて戦争への道をひた走る。時代遅れの唯物史観にがんじがらめのまま、世界の潮流から取り残されつつある。


《世界は、いまや、アメリカの「戦争と破壊工作」から一転して、ロシアの「反戦・平和政策」へと大きく転換しようとしている。》飯山一郎)。これが時代の流れだ。ISIS(自称「イスラム国」)への本気なロシアの対応を見ればわかる。ロシアはISISに勝利しつつある。そしてその後、いよいよ争いの元凶、奥の院に攻め込む覚悟ありやなしや。私は「あり」と見る。注目したい。

 


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『文読む月日』 (トルストイ)(1) 愛国心 [思想]

九月末から、毎朝同じ場所で『文読む月日』(トルストイ/北御門二郎訳 ちくま文庫)を読んでいる。ほんとうにいい本にめぐりあった。その日その日、3ページ分ぐらい数項目にわたって同じテーマの文章が並ぶ。トルストイ自身の文章も交じるが先賢の書からの引用が主だ。その他一週間ごとに数十ページの「一週間の読み物」がはいっている。その日の分読み終えて「一週間の読み物」を少しずつ読み進む。一週間の日々のテーマに関連した内容で、これもほんとうに読ませてくれる。毎朝同じところに坐って読むのに実に都合がいい。上中下各500ページ超を1年かけて読み進むが、何回も何回も繰り返して読むことになりそうな気がする。

 

この書の魅力は訳者の北御門二郎氏に負うところが多い。隙なく行き届いている。トルストイへの心底からの共感のなせる技と思う。

 

北御門二郎氏にはある徴兵拒否者の歩み』(みすず書房)の著がある。5,229円でまだ読んでない。中古本でも安くはなっていない。大事に読まれているの本なのだ。置賜の図書館を調べたら川西町立図書館にだけあった。1983年の旧版(径書房)もあった。さすが遠藤三郎中将を生んだ町だ。(井上ひさしさんも忘れてはなるまい。)

 

十二月九日の項をそっくり引く。


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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(6) [思想]

7 歴史教育に求めるもの

 

 この一文の冒頭に、日本帝国とその大戦争とを体験しない純粋日本国民か育ちつつある、と述べた。かれらは”くに”の意識や国家感覚をもっていない。かれらに、日本人の生いたちの晴れがましさと不幸と汚辱とを語り伝えて追体験させるのは、そして”くに”の一員としての意識をもたせるのは、いまの四十代以上の、ほぼ成年として帝国臣民であったことのある世代の共同責任であると思う。われわれは、ナショナリズムという言葉から天皇制と天皇主義、ならびに右翼団体と右翼運動を想起することにならされている。しかしロシヤ革命にせよ、中国革命にせよ、最近のキューバ革命にせよ、いずれの左翼革命もナショナリズムと密接に結びついているのであって、ナショナリズムは右翼とのみ必然に結びつくのではない。今の日本において成立可能な、成立させることの緊要なのは、右翼ナショナリズムでないのはむろんのこと、革命的ナショナリズムでもあるまい。むしろ保守と革新の両政治勢力をして、国民的利益をめぐって、効率の高い政争を展開することを可能ならしめる舞台を用意することこそ、新しいナショナリズムの役割であろう。

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(5) [思想]

6 日本歴史における誇りと汚辱


 百年前、日本はヨーロでハ文明に接して驚きの目を見張り、封建日本の弱体を痛感し、そして先覚者は日本の国民的独立の課題に直面していた。日本はその独自な文化と生活様式において高度に熟していたとはいえ、それらは諸国家の対立と闘争の場に耐えて生きぬいてゆくのにふさわしい性質のものではなかった。明治維新の変革を通じて、われわれは近代国家の体制をあわただしく整えてゆく。そして急速に”近代化”と”西洋化”の過程を歩む。それが当時において日本の国家的独立維持の唯一の道であったことに、疑いはさしはさみ得ない。

 階級の歴史という枠に視野を限定すれば、明治日本は絶対主義体制であり、上からの資本主義は、社会の前近代的な要素を利用しつつ人民の犠牲の上に資本を蓄積してゆくことになる。維新の変革によっても解放されなかった小作農の呻吟があり、近代産業の下には前近代的労働関係が根づよく残った。自由民権運動の挫折があり、ようやくはじまった社会主義運動に対する苛酷で直接的な抑圧があった。そこに暗い日本の姿があったのは事実である。しかし同時に、その日本が諸国対立の世界のなかでは輝かしい前進を遂げた日本でもあることを認めねばなるまい。そして、その輝かしい日本をもちきたった原動力が明治ナショナリズムであった。日清戦争、日露戦争を経て、日本経済は飛躍的に発展し、ナショナリズムも成長してゆく。日露戦争には帝国主義的侵略戦争という性格があったのは事実であろう。しかし、当時の国際社会を前提として、強大な帝政ロシヤの、中国、朝鮮への進出に対抗して、日本はほかにどんな方途をとり得たか、という問いに対して、納得のゆく回答が与えられないとすれば、この両戦争を行なった当時の日本人を非難することができるであろうか。

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(4) [思想]

4 戦前戦後のニつの理論


 ナショナリズムに関する限り、今の日本国は旧日本帝国を継承していないことは、前に述べた。継承していないばかりでなく旧日本帝国を拒否し積極的にこれを拒絶することで、今の日本国は成立しているのである。

 ここに、日本国ナショナリズムの形成にあたって困難な問題がある。日本帝国と日本国と。日本人の背負った二つの国家は、たがいに異質なものである。しかし日本人あるいは、その共同体の”くに”は両国家の時期を通じて連続していることはいうをまたない。日本国民の多数は、時期の差と、したがって経験の質における差異はあっても、かつては日本帝国の臣民であった。明治日本を建設し、日清・日露の戦争を主体的に戦い、大正から昭和初期の混乱期をくぐり抜け、満州事変にはじまる侵略的ナショナリズムをその渦中で体験し、米・英を相手に自滅的戦争をいどむにいたったのは、今の日本人の父祖の庶代であり、そしてそれを受けついだ今の日本人自身であった。”大東亜戦争”にしかばねをさらしたのは、今の日本国の国民の夫であり、父であり、また祖父であった。ナショナリズムは一面伝統感情である。これらの過去の諸体験と断絶することによっては、それは成立し得ないはずのものである。

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大井魁先生の「ナショナリズム論」、その現在的意義(3) [思想]

2 敗戦とナショナリズムの喪失


 それでは、なぜ今の日本からナショナリズムが消えてしまったのか。第一に、一言でいえば、日本帝国のナショナリズムを拒否し、これと断絶するところで日本国が成立したからである。ナショナリズムの視点に立つかぎり、日本国は日本帝国を継承していない。そして、そういう断絶は、帝国政府がポツダム宣言を受諾した瞬間に開始され、占領時代六年八ヵ月を通じて完成された。

 周知のように、ポツダム宣言は、”大東亜戦争”を戦った日本人を二種類にわけた。その第一は、「無分別なる打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れたる我儘なる軍国主義的助言者(天皇への—筆者注)」、「日本国国民を欺瞞し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者」と呼ばれた戦争指導者たちであり、かれらが、満州事変以来の侵略戦争の全責任を人類に対して負うことになる。そして第二種の日本人は、この戦争指導者たちの「欺瞞」によって戦争に従事はしたが、その意志が「自由に表明」されるならば、「平和的傾向を有し、且つ責任ある政府」を樹立するであろう、と期待された一般国民である。ポツダム宣言においては、日本の戦争指導者と、一般国民とを結ぶ関係は「欺瞞」なのである。この両者の関係は、さらに一九四七年七月の極東委員会発表の「日本降伏後の基本力針」において、同委員会を構成する連合国十一ヵ国によって追認される。すなわち「日本降伏後の基本方針」には、「日本国民をあざむき、且つ誤らせて世界征服に乗り出させた徒輩ならびにそれに協力した徒輩の演じた役割を日本国民に十分わからせるために、あらゆる努力を傾倒しなければならない」と述べる。

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