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岩戸開き [メモがわり]

毎年1回、伊達政宗公を祀る仙台青葉神社の片倉重信宮司からお話をお聞きする機会がある。以下は一昨日お聞きしてきた話。

「3.11の地震で不思議なことがあった。本殿の扉は全部で3つある。正面の扉は外に錠がついているが、両脇の扉は内側から錠前を下ろすようになっている。外から両脇の扉を開けることはできない。その扉が、3.11の地震で錠前が下りたまま内側から開いてしまったのだ。この日はさらに、境内の灯篭一対が倒れ、8メートルの大鳥居が倒れた。灯篭が南側に倒れたのに、鳥居はどういうわけか北に、つまり神社の内側に倒れた。これらのことをどう解するか。実は政宗公から『結界を外したよ』との御神示があった。結界が解かれたことで、神様が本殿の外に出てこられたようだ。天照大神が岩戸からお出ましになられた時も、まず内側から開かれた。つまり「岩戸開き」が行われたのだ。一方、鳥居の倒壊は人間の側の結界が解かれたことを意味する。民の力が鳥居を倒すほどの勢いで神社へとなだれ込んだのかもしれない。神は人に近づき、人は神に近づいた。そして、神と人とが胸襟を開き合う。いよいよ岩戸が開かれたのです。」

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講演録でたどる「週刊置賜」30年のあゆみ [メモがわり]

ジャケット 外側.jpg

「講演録でたどる『週刊置賜』30年のあゆみ」というDVDをつくって当日参会者への記念品とした。15分のダイジェスト版を開会に先立って会場で見てもらった。

ジャケット 内.jpg

10周年のときはみんな若く燃えていた。その頃、衆議院議員になって一年、徳田虎雄理事長は政治的にも身体的にも苦しい時期だったと思う。講演活動などまったくない時期だった。そんな時期にたしか、高畠のNが理事長に会ったとき、「置賜に講演に行く」と言われて、われわれに伝えたのだった。「理事長が何か重大なことを言いたいらしい」という話だった。当時米沢で独自に理事長と交流のあったメンバーと合流することになったのがこの時だ。「南陽獅子の会」は「置賜獅子の会」になった。

講演は平成3年4月27日(土)午後6時から。会場はこの年、宮内高校と赤湯園芸高校が一緒になってできたばかりの南陽高校の体育館。体育館の柿(こけら)落としの触れ込みで、高校側も協力的だった。入場料1,000円。その時のパンフレットが残っている。「目醒めよ!置賜の地霊たち―21世紀は置賜から」と題してB5版27ページ。16ページは徳田語録などの理事長紹介。そのあとに「『世界の置賜』たらんとする根拠と徳田虎雄氏講演会の意味」と銘打つ文章を載せている。(このことについては、「徳友会新春交流会」で書いていた。)

その時の文章が元になって「美(うま)し国おいたま―21世紀、置賜は世界の中心になる」のテープができた。講演会で10万なにがしの収益金ができたので、5万円ぐらい払ってYBCかどこかのアナウンサーに吹き込みを頼んでできた、ほんとうに良くできたテープだった。それに写真を合わせて、10周年記念祝賀会でスライド上映しようという目論見だった。しかし、写真は手分けして取り集めた記憶はあるが、当日は間に合わず何か別のものでお茶を濁した。(今回、これを20年ぶりに完成させてDVDの中に入れることができた。何とか多くの人に見て欲しい。)

 という前史があって、今回の30周年。20周年の時は特に何の趣向の記憶もないのだが、私の中では20年前の思いがくすぶっていた。ただの飲んでペちゃペちゃしゃべるだけの祝賀会にはしたくない。何回目かの実行委員会で、「酔った勢いで言うけれど、『週刊置賜』の30年のあゆみのようなものをまとめてみたいと思っている」と口に出した。 

 199 24-F 3.11鳥居.jpgその時頭にあったのは、3月11日の夜、息子が停電で真っ暗な町にカメラを持って出て行って撮ってきた何枚かの写真を使って何かできるかもしれない、ということだけだった。それからどれだけたった頃か、ふと「週刊置賜」に掲載された講演録をたどることで一つの歴史の流れを見ることができるかもしれないことに思い至った。それからがたいへんだった。

創刊号から総てのページをめくることになった。しかしこれがほんとうに宝の山だった。それをまとめたのが、以下の文。

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大下一真師から山崎方代(ほうだい)について聴く [メモがわり]

このところ、「週刊置賜」創刊30周年を祝う会でいっぱいいっぱいだったが、一昨日無事終えた。

昨年の2月、加藤社長も気付かぬうちに1500号の節目を越えていた。「来年の30周年はなんとかすんべね」。そう言った以上、ずっと宿題になって頭の中を占めていた。

今年の1月、「宮内の歴史を語る会」の帰途、粟野収吉さんに持ちかけ、実行委員長は同じメンバーの長老格鈴木隆男さんにお願いすることにして、語る会のメンバーを中心に2月25日、実行委員会がスタート。それから間もなくの3月11日だったが、気持ちを立て直して進めてきた。実行委員会は5回を重ねた。話し合いは1時間くらいで終えて、そのあと1,000円会費で飲みながら何ということはなく語り合った和やかな会だった。(いつも料理を届けてくださったH.I.さん、ありがとうございました!)

200人の大目標だったが、ほぼ達成した。5、10、20周年の時よりもずっと多い。今回の実行委員の層の厚さによるところが大きい。それも30年蓄積の重みといえる。

記念講演を鎌倉瑞泉寺住職で歌人の大下一真さんにお願いした。

大下さんの亡くなった二人のお兄さんと加藤社長が学生時代の仲間同士で、その縁で大下さんは「週刊置賜」創刊当初から、原稿料なしで「短歌コラム」を一号も休むことなく書きつづけてくれている。10周年の時にもお出でいただいた。その時はスピーチだけだったので、今回はまともなお話を聴こうということだった。「この時代に思うこと」という演題でお願いしていた。

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「放射能とわれわれのこれから」 [メモがわり]

池の金魚や川の魚が死んでいる夢を見た。夢であったことに気づいて心底ホッとした。

4月Ⅰ日、辞令交付の後、講話をする1時間が与えられていた。今年はこれしかない、「放射能とわれわれのこれから」ということで整理してみた。前日の晩、副島重掲板で稲恭宏氏のような主張があることを知った。(その後、重掲板からは削除。TAKEのメタブログから見れます。

稲氏は東大医学博士、「低線量率放射線療法」の実践者ということで、「放射線は人間にとってごく身近なもので、食塩に例えていえば、Ⅰ日8グラムの食塩は人間にとって必要だが、そうかといって1日に100日分の800グラムを摂ったら浸透圧異常で体はおかしくなる。高い放射能は人間を害するが、低い放射能はむしろ人間を健康にする。福島原発レベルの放射能影響はプラスになりこそすれ、悪影響は全くない。」と断言する。

そこで、1999年の東海村JCO臨界事故での大内さんから話し始めて、最後は、「放射能で落ち込んでいる時ではない。こういう考えもある。放射能を味方につける、そんな前向きな気持ちで新学期を迎えよう」と、稲氏で締めくくることにしたのだった。

そうしたところでの夕べの夢は、夢と気づくまではほんとにショックだったのだ。

 

以下、当日話した内容。

 

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3.11地震 [メモがわり]

仙台にいる娘が電話をよこした。これからボランティアに行くという。朝8時から夕8時まで。「いま仙台に居る者の役目。やれるだけのことをやるようにがんばれ。こちらで何かできることがあったら何でも言ってよこせ。」と言った。
地震前日、卒業式で家内と一緒に参列してきたばかりだった。鍼灸の専門学校なのだが、いろんな人に助けられながら、がんばってがんばっての卒業だったので、何としても卒業式には行きたかったのだ。
そして翌日の地震。私は出先に居たのだが、揺れながら携帯で電話したがもうつながらなかった。息子のメールの呼びかけに、数時間後「大丈夫」と答えてきたときには心底ほっとした。
電話で話せたのは昨日12日の昼だった。娘は11日、同級生同士で結婚する友人の結婚式の会場に向かう途中で地震に遭ったとのこと。4時からの披露宴で、受付を頼まれ、3時までに会場に入るつもりだったらしい。結婚式のご馳走をあてにして昼はサラダぐらいしか食べていなかったとのこと、当然結婚式は中止で、そのあと友人たち5人ほどで行動を共にしていたが、腹が減っているところにおそらくは興奮状態も重なって気持ちが悪くなり、みんなに迷惑をかけてはとアパートに帰って何とか快復しての、公衆電話からの連絡だった。頼りない声だったのは心細さだけではなく体調のせいもあったのだ。その時は無理に「がんばってこい」とは言えない様子だったので、声を聞けたことだけを喜んで電話を家内に渡したのだった。それだけに今の「ボランティアに行ってくる」の電話はうれしかった。

飯山一郎さんが言っておられる

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入園式祝辞(賀川豊彦先生) [メモがわり]

宮内幼稚園に入園のみなさん、そして保護者の皆さん、おめでとうございます。そして一緒にお祝いしてくださるご来賓のみなさん、ほんとうにありがとうございます。

宮内幼稚園は、再来年で満六十歳になります。今から五十九年前の昭和二十六年、宮内で講演された賀川豊彦先生のよびかけがきっかけとなって開園されました。賀川先生はノーベル平和賞の候補にも推薦された社会運動家でしたが、その活動は、三十代から四十代に、当時「貧民窟」と言われた神戸のスラム街に十年以上も住みつづけることから始まりました。ここ数年来の日本の厳しい経済環境の下で、賀川先生への注目、再評価の気運が生れているようです。

環境が大変になればなるほど、みんな自分のことで精一杯になってしまうと考えがちですが、本来人間の心はそうではなくて、かえってお互い思いやりの心が育ってくるものです。賀川先生は貧民窟でのくらしを出発点にして、協同組合づくりなどの助け合い運動を世界に広めることに生涯を捧げました。

この宮内幼稚園には、開園以来の賀川先生の思いが脈々と流れつづけています。友だちや先生方と心通わせあい、お互いが助け支え合う幼稚園での体験は生涯の力となって人生を支えてくれるはずです。きっと、いい幼稚園を選んでよかったと思ってもらえるはずです。

今日入園したみんな、明日からひとりでお家を離れても大丈夫です。宮内幼稚園の先生方はみんな一人一人を大事に大事にしてくれます。お友だちもいっぱいできます。安心してひとりで幼稚園に来てください。そしてみんなとお友だちになってください。

希望あふれるこの日、理事役員を代表して歓迎のあいさつとさせていただきます。

 

平成二十二年四月十日


大恐慌への入口 [メモがわり]

 先ほどオリンピック報道の合い間に「いよいよか」と思わされるニュースがあった。ネットでさがして下記の記事を読んだ。

   *   *   *   *   *

4─6月GDPで景気後退局面入り再確認、世界経済の減速度合いがカギ
2008年 08月 13日 16:55

 [東京 13日 ロイター] 内閣府が13日発表した2008年4─6月期実質国内総生産(GDP)は前期比マイナス0.6%、年率換算でマイナス2.4%と、07年4─6月期以来4四半期ぶりのマイナス成長となった。

 高騰する原油価格は交易条件を一段と悪化させ、物価高が個人消費を抑制している。日本経済が実質的に景気後退局面入りしたことを示す数値となった。今後の見通しについては秋以降の世界経済の減速度合いが焦点となる。

 4─6月期のマイナス幅は、今景気拡大局面が始まる以前の01年7─9月期(前期比マイナス1.1%)以来の大幅なもの。政府は7日、8月の月例経済報告を発表し、景気の基調判断を「このところ弱含んでいる」に下方修正。これを受けて内閣府では「景気は後退局面入りした可能性がある」と認めている。今回の数字は、02年2月以降、輸出主導で続いてきた景気拡大が終わったことを示唆し、市場関係者からも「景気後退局面入りと整合的なマイナス成長」(アール・ビー・エス証券)と評価されている。

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「かつて平和な時代があった」 [メモがわり]

一昨日、太田龍氏が「平成十八年から平成十九年にかけて、日本の政治は激変し、激動を開始した!!」と題して書かれた。

   *   *   *   *   *

(更新 平成19年08月10日22時27分 )

平成十九年(二〇〇七年)八月十日(金)
(第二千百四十一回)

○平成十八年から十九年にかけて、明らかに日本人の人心に、
 大きな変動が生じた!!

○それは、自民党が安倍首相をたて、

○民主党が、党代表を、前原から小沢に変えた。

○そのあとの変化である。

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介護保険のこと [メモがわり]

2期目だったから平成8年の3月の市議選挙のとき、当時検討され始めていた介護保険について、家族の絆を断ち切る方向への疑義を訴えたことがあった。しかしその後着々と事は運び、平成12年には介護保険制度が始まり、その恩恵は身近なものとなって、あのときの自分の主張は結果的にはおかしかったのか、と反省の思いをもつようになっていた。そうしたところでのコムスン問題。それについて、以前正気煥発掲示板にもおいでいただいたことがあったアルルの男さんこと、中田安彦氏がとりあげておられる。亀井静香氏が同じ思いでおられたことも知らなかったし、わが意を得た論なのでコピーさせていただきます。

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ご無沙汰申し訳ありませんでした [メモがわり]

特にトモケンさんには申し訳ないと思いつつ、ずっとほったらかしのままでした。2日の朝に20分ほど話さなければならない必要から、メモ書きでもと思いつつ久しぶりにここに来たら、たまたま3/30付で機械計算課長さんがコメントを寄せて下さっておりました。http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-06-24「日本型SOX法対応」とはどういうことかと検索して「日本版SOX法対応」が企業を潰すhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061207/256302/?ST=biz2&P=1を読むことになりました。課長さんの「正直がおかしいと思われる世界に明治の人間がしたいとは思っていなかったでしょうけど。」という言葉を噛みしめつつ。

しかし最近、元気の出る発言にも出会っていました。「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」http://www.soejima.to/での団塊君の発言です。

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