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『神になりたかった男 徳田虎雄』(1)政治の世界での空回り [徳田虎雄]

神になりたかった男.jpg読むほどに口惜しくてならない場面が記されていた。平成2年2月、3度目の挑戦で「保徳戦争」を制し衆議院初当選を果たした時についての記述だ。おそらくその頃だったと思う。「文藝春秋」だったか「週刊文春」だったかに徳田さんが「天中殺にあたっている人」のひとりとして取り上げられた。階段に登っている姿の1ページグラビア写真で記憶する。政治家としての徳田さんを見てきて、何度もその記事を思い出した。そしてこのたび、徳田虎雄の政治家としての最初の躓きを知った。おそらくこれ以降「ムリ、ムダ、ムチャ」に拍車がかかった。それが躓きから立ち直るひとつの方途だったのかもしれないが、政治家としては、本来政治の流れには乗ることができないまま、ルサンチマン政治家の道を歩まざるを得なかった。無念に思う。

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吉里吉里忌(5)置賜人 井上ひさし [井上ひさし]

きらめく星座is.jpg以前書いた「きらめく星座」観劇記のコメント欄に、東北芸工大教授の経歴ももつ田島正樹千葉大教授による容赦ない酷評がメモってあった。いわく人物造形はやりきれないほど類型的で、紙芝居のようにどれも薄っぺらく、ウソくさい。社会的背景もげんなりするくらいステレオタイプ的な描き方で、リアリティも生活臭もまるでない。》《私は当時が実際どうであったかを語る資格はないが、こんなものではなかったということは、はっきり断言できる。》《井上ひさしの劇が〈嘘〉なのは、それが〈今〉を感じさせない点にはっきり現れる。》《井上ひさしは、観客の知性を見くびっているとしか思えない。》《要するに、井上ひさしは人生を見くびっているのだ。》概ね私が先に吉里吉里忌(2)で書いた「つくりもの」説に対応する批判でわからないでもないが、それはそれ、七転八倒から生まれる井上戯曲の趣向のそれなりを楽しめばいいわけで、サヨク感覚が気に入らないと言えば言えるが、いずれ過去の遺物になるにしても、それも時代のひとつのあり方、時代の証言、何と言っても私にとって井上ひさしは「置賜人」としての共通感覚ゆえの共感によって井上ひさしなのだと思う。井上作品が古典になりえず、時代とともに忘れ去られるとしても、井上ひさし氏の置賜愛のゆえに、置賜人にとっての井上ひさしは永遠なのです、と思いたい。「週刊置賜」連載の井上ひさし南陽講演録の表題は「世界の中の置賜人」でした。

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吉里吉里忌(4)『組曲虐殺』  [井上ひさし]

組曲虐殺』61dtbVgIo0L._SY445_.jpg吉里吉里忌(1)で《平成3年に「しみじみ日本・乃木大将」の舞台を観て以来、もう井上ひさしの芝居は観なくていいと思いこんできたのだが、あるいは栗山氏との二人三脚の結果か、井上芝居は新たな地平が切り拓かれていたのかもしれない。不明を恥ず。栗山氏の思いの極みにふれて、切に栗山氏演出の舞台を観たいと思った。》と言いながら、(2)で《「私」という言葉へのこだわりが耳に障ったことと「記憶」へのこだわりに白けることとの感覚の共通性を思った。共に容易に「つくりもの」に転化する。こだわればこだわるほど「実存」から離れてゆく。勘ぐれば、井上ひさしという人の根源の苦悩がその辺にあったのではないだろうか》と言う、私にとっての井上ひさしに対する思いの振幅は何なのか。そう思いつつ最後の作品、小林多喜二の『組曲虐殺』を読んで、納得したような気がした。きっと井上作品にはどの作品にも、その場面のために他の場面があるというような場面があるのではないか。そこにたどり着くための七転八倒、それは所詮「つくりもの」なのだが、肝心の「その場面」は作者にとってのまごうことなき「真実」の世界。つくられた「私」も「記憶」も超えた、たしかな感動がある。以下、それを思った場面。

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吉里吉里忌(3) 井上ひさしにとっての宮内 [井上ひさし]

前回思いがけなく、小松生まれの井上ひさし(昭和9年生)と宮内生まれの小田仁二郎(明治43年生)の対照性に思い到った。そうしてみると、その風貌から始まって、世の中に作品がどう受け入れられたかまで、たしかに何から何まで正反対。果たしてそれが、小松と宮内という地域性に起因するところがあるのかどうか。そんなことを思いつつ、井上ひさし氏へのインタビュー記事を引っ張り出してみた。昭和58年に井上氏が南陽で講演され、終わってから私と「週刊置賜」の加藤社長とで上山葉山温泉の古窯まで私の車でお送りした。「司馬遼太郎氏が盆地の風景が目に飛び込んだ瞬間『あっ』と声を上げた」と誇らしげに語ってくれたのがこの時、鳥上坂にさしかかった時のことだった。別れ際に、翌朝のインタビューをお願いし、それが記事になって残っていた。その第5回で、われわれへのリップサービスもあったかもしれないが「僕の小さな時の印象ですが、置賜盆地で一番アカ抜けしている所は、宮内ですね。」と語られている。井上氏が生まれた昭和9年頃からは隆盛を極めた宮内の製糸業にも翳りが出てはいるが、中央の歌舞伎役者や浪曲師が宮内には頻繁に訪れていた。月なきみそらの天坊一座』は宮内の松風座「昭和15年度松風座入場者数」がモデルとなっており、昭和61年に川谷拓三主演でNHK銀河テレビ小説化された時のロケ地は宮内だった。58年の時点では小松のフレンドリープラザの構想はまだなくて、宮内が先駆けるならば必ずしも小松にこだわらなくてもいいという井上氏の思いを確認した記憶がある。「こまつ座」が始動しはじめた頃、置賜への深い思いが語られた貴重なインタビューなので貼付けておきます。(当時市職員の鈴木孝一さんが撮影した講演のビデオが「時代(とき)のわすれもの」に保存されています。「週刊置賜」連載の講演録コピーも残っています。)(つづく)

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吉里吉里忌(2)井上ひさしと小田仁二郎 [井上ひさし]

「吉里吉里忌」のフィナーレは、地元の朗読の会「星座」による「子どもにつたえる日本国憲法」(井上ひさし作)の群読。「子どもにつたえる日本国憲法」はyoutubeでも聴くことができた。前文と9条を井上流に書き換えたものだが、5分ぐらいの中に「私たち」が数えたら18回出てきて、私にはそれが耳に障った。その前の栗山氏の話の中で、日本人の「主語喪失」について語られていた。
「私はだれでしょう」という題名そのものだって、記憶が無くなってしまったんですよね。で、もひとつ井上さんがこだわってるのは「主語」っていう問題ですね。「主語」イコール「主体」なんですね。夢シリーズの中でひとつ、「日本語には主語がない」っていう仮説を披露する場面があるんですけれども、それにとてもこだわって、「では、私は誰なんだ」っていう、・・・》
(戦争責任をテーマにした「夢の痂(かさぶた)」の中にある「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だから」というセリフ
もう30年も前のことだが、「花よりタンゴ」の観劇記にこう書いたのを思い出した。

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「祭り」「学問」、その本義(付 アカシックレコード・メモ) [イハトビラキ]

昨日の放知技板で飯山御大とmespesadoさん、それぞれ重要な発言がありました。かねての私の思いに通ずるところがあって、うれしくなりました。「イハトビラキ」、岩戸が開きつつあるのを感じます。
◎飯山御大:「祭り」について(907)「祭りの本義」
たしか熊野大社の例大祭を7月25日から海の日の20日に変えようという動きに抗して書いた文章です。何年か20日でやったものの、海の日が第3月曜になったので、例大祭は25日に戻りました。
◎mespesadoさん:「学問」について(908)「世の中のため」
平成8年度に小学校PTAで広報委員長になり、「なんで勉強すんなねなや?」をテーマに3回シリーズの記事をつくったことがありました。3回目に「天皇をいただく日本のありがたさを思わずにはいられませんでした。」と書いたのが、校長の忖度か、まずいということで出先まで電話が来て学校に呼び出され、なんとか押し切ったのを思い出します。20年前、まだそういう時代でした。(参照:「自衛隊アレルギー」と「天皇アレルギー」の解消→日本人の共通意思形成
 

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黒川伊保子著『 英雄の書』を読む [メモがわり]

「英雄の書」.jpg

阿修羅板で知った『 英雄の書』(黒川伊保子 ポプラ新書 1918.4)、アマゾンレビューしてきました。知りませんでしたが、2015年9月発行して好評だったという同名本のリニュアル版です。

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mespesadoさんによる1億人のための経済講座Ⅲ(最終回) よくわかる「mes理論」の基本 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

これまで『「アベノミクス」の真相』(浜矩子 日経新書 2013)、『この経済政策が民主主義を救う』松尾匡 大月書店 2016)、『アベノミクスによろしく』(明石順平 インターナショナル新書 2017)の書評として展開されてきた「mes理論」のいちばんの基本・眼目・エキス・アルファでありオメガが、初めての人にもわかるように語られる「1億人のための経済講座」にふさわしい最終回です。mespesadoさん、ありがとうございました。(あとで読み返す時のために、傍線感覚で太字にさせていただいています。ご了承下さい)

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899:mespesado : 2018/05/03 (Thu) 21:00:16 host:*.itscom.jp
>>799
 さて、『アベノミクスによろしく』第7章すなわち財務省の洗脳ストーリーへの反論の「回答」です。もう答なんか知ってるからもういいよ、という方も多いと思いますが、実はこの連載を『アベノミクスによろしく』のレビューで参照してもらおうと思っているので、初めての人にもわかるように一応説明しておきます。

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mespesadoさんによる1億人のための経済講座Ⅲ 番外編(6)文部科学委員会質疑(30.2.28)  [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

「衆議院議員 安藤ひろし 平成30年3月28日 文部科学委員会質疑」見終えて思わず拍手。必見です。
まず前半は、文科省との間で「世界大学ランキングを上げるために外国人教員を増やす、そのために日本人研究者の教員枠が削減されるというのは本末転倒」「研究者の研究に充てる時間、2002年46.5%が2013年には35%に減少」「安定的研究資金の確保がないために、若手中堅研究者に短期の成果が求められ、長期的展望に立った独立した研究ができない」といった問題点を指摘し、鈴鹿医療科学大学 豊田長康学長 による「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」 から、「各大学とも外部資金の獲得等に努力してきたが、運営費交付金削 減の法人化による代償効果は、附属病院を除いては限界に達し、 交付金削減がそのまま教育・研究機能や組織の縮小として反映さ れるフェーズに入っている。」等の指摘を引用して、20:30からいよいよ財務省官僚との問答。財政破綻の定義を問うことから始まりますが、財務省の逃げ腰明らかな早口、まるで答えになってない。昨年8月南陽市に於ける財務省による国民洗脳研修会」を思い出しました。財務省自身「日本経済の強固なファンダメンタルズを考えると既に低過ぎ、更なる格下げは根拠を欠く」「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」とする「外国格付け会社宛意見書」(平14.4.30)に基づく質疑です。

「放知技」板、以下のやり取りを通してこの質疑を知りました。
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激動を読む一本の線(堺のおっさん) [現状把握]

「放知技」板の議論の流れがすごいです。在宅中はほとんど1時間ごとに追っています。(そんな中での30000000ゲットでした!)一日ごとの「文殊菩薩」ともダイナミックに絡み合いつつの展開、「激動の今」を生きている実感が味わえます。それだけでなく、「今」に密着しつつ、そこから「時代を超えた真実」が浮かび上がらせるのも「放知技」板のすごさです。それを実感したのが771774787788789790795797を経て以下の結論にいたる議論でした。
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