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mespesadoさんの経済談義(15)「主柱」と「枝葉」を取り違えるな [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

信頼おける人から「仮想通貨についての話があるので来て」と言われて、昨日聴いてきました。説明してくれたのは30代の若く魅力的な女性でした。何もわからない人向けの話し方で、仮想通貨(=暗号通貨→ビットコイン)についての大枠の理解が得られました。2時間ほどの話の結論は、100万円分が1年後に400万円分になる話でした。ビットコインというのは無限に発行できるのではなく、地球上の金(GOLD)の総量2100万トンに相当する2100万単位を上限に発行することになっているので値上がりするという説明でした。「もしビットコインの価値が揺らいで0になる可能性は?」と聞くと「ないとはいえない」との答えでした。ただたしかに「金と時間の余裕があれば、ゲームとして乗ってみるのはおもしろそう」という気分にはなりました。金と時間、共に無いので聞いただけになりそうです。私には「枝葉」の部分だったようです。

*   *   *   *   *

857 名前:mespesado 2018/06/20 (Wed) 23:22:40 host:*.itscom.jp
>>840 >>841 >>842 >>846 >>850 >>852 >>855
 みなさま、私の >>831 のやや舌足らずな投稿を巡ってフォローありがとうございます。
 実は >>831 の投稿をした後、今までの私の議論を読んでない人がいたら、少なからず誤解する人がいるんじゃないかな、とは思っていたのですが、実際に >>838 でムーの風さんが、私の懸念していた通りの誤解をしておられたので、みなさんにフォローしていただくだけでは申し訳ないので、私自身の反論というか、弁明をさせていただきたいと思います。

>  貯蓄だ勤労だと精々説いておいて今度は0金利ですよ投資の時代です
> よ、とオカミがいうのはまあ
>  敢えて我慢するとして問題はマクロで糞味噌包み込む経済論ではなく
> ミクロでの家庭の経済行動だろう。
>   収入の対価の労働に固執せず投資で楽に生きていけば? などとい
> う謳い文句をそのまま踏襲する
>  メスペの論法にかく乱されては非常に危険だ。

 確かに竹中某などが、かつて「これからは海外の低賃金労働者との競争で賃金収入が下がった分は投資で補えばよい」旨の意見を述べていたので、私の「消費のための収入はすべてが労働の対価として得るオカネだけである必要はない」という主張も同じ意味に違いない、と誤解されたのも仕方ないことだとは思います。
 ですが、私のこの主張の趣旨はそういう意味ではありません。
 私は「投資」「労働の対価として得るオカネ」の一つだと思っているのです。だって、会社(特に金融機関)で資金運用部門で働いている人は、日々投資のお仕事をしているわけで、彼らのやっていることはれっきとした労働(頭脳労働)であり、その労働の対価として賃金を受け取っていますよね。
 そもそも「投資」が「労働」ではない、などという考え方は、昔の(古くは産業革命以前からの)労働というのがほぼ100%肉体労働であったということから来る先入観ですね。産業革命以降における投資とは、消費に使っ
てなお余ったオカネを持っている人が、企業の生産のための設備投資のために起業家に自分のオカネを渡して、利益が出たら、見返りに配当をもらうというシステムなわけで、このような投資なしには起業家は生産できないんですから、この投資という行動は立派に生産活動に参加しているわけです。加えて、投資家は「どの起業家に投資したらきちんと消費者に受け入れられるような生産活動をしてくれるか」を様々な情報や相手の力量を見極めて判断する、という頭脳労働をちゃんとしているわけです。だから「投資」による利益は立派に「労働の対価として得られるオカネ」の一つです。
 では私が「消費のための収入はすべてが労働の対価として得るオカネだけである必要はない」と述べたのはどういう意味か?
 私は今までの議論で、供給過多の世の中では生産量が頭打ちになるので企業の利益は不安定になり、企業も家計も将来が不安になるので貯蓄や内部留保の確保に躍起になり、その結果消費を控えるようになるからどうしても経
済が縮小再生産(つまりデフレ経済)になる、ということを何度も説明してきました。そして、これを防ぐには、内部留保や貯蓄によって減少した市中に出回るオカネを補うように、何らかの形でオカネを刷って市中に供給する必要がある、と述べたわけです。この市中に供給する方法ですが、もちろん財政出動であれば、国が労働する場を提供してその報酬として刷ったオカネが支払われるわけですが、今のように人手不足の場合、財政出動だけに依存すると、他方で人手不足を加速することになるので、必ずしも労働の対価としてオカネをバラマくことに固執する必要はなく、ただ単にオカネをバラマく、という方法も考えられます。その一例が「ベーシックインカム」であり、これだと不労所得の度が過ぎて国民の倫理意識が付いて行けない、というんであれば、別の方法として「負の消費税」すなわちお客が店で100円支払ったら、国が10円補助して店は110円を得ることができる、という制度も考えられます(企業から労働者への賃金も同じように国が一部補填すればよいでしょう)。
 つまり、私が言いたいのは、労働の目的は、世の中で必要なモノやサービスが消費者に行き渡るだけ生産できるようにすることであり、その目的が達成されさえすれば、縮小経済で消費者が消費したくてもオカネが足りないという欠点を補うために、消費者が労働に対する対価以外の「刷ったオカネ」を得る方式を導入してもいいじゃないか、ということなのです。
 さて、>>838 の残りの部分は「投資」における「情報格差」のことを頻りに批判しておられるようですが、ムーの風さんは、私の先述の「労働の対価ではないオカネ」を「投資」のことだと誤解したから特に集中的に論じて
おられると思うのですが、この問題は経済の問題としては副次的なもので、本質ではないと思います。なぜなら情報格差がいやなら投資行動に参加しなければよいからです。
 さて、猿都瑠さんが >>852 で、私の >>831 の発言の根幹にある哲学のようなものを私より上手に説明していただいていて恐縮です。
 経済における「主柱」とは、「消費者が満足できるだけのモノやサービスがきちんと生産され続けることが保証されること」です。今までの「供給不足」の時代には「働かざる者食うへからず」の掟(これは倫理というよりは、現在の経済の仕組み自体が人々に否応なしにそう行動することを強いている)がこの目的のために非常に良く機能したのですが、供給過多の時代になって、このスキームが機能しなくなって来た。だから新しい経済のルールによって、上記の「主柱」が維持できるように出来さえすればよい。そのための具体的な方法は何でもいいから、とにかくこの事実にまず気付くことが大切だ、ということであって、それ以外の「投資における情報の非対称性」やら何やらは「枝葉」の問題に過ぎない。「主柱」と「枝葉」を取り違えるな、ということです。
 さて、ムーの風さんが、>>847 で

>  ともかく貧困問題をメスペが真剣に考えるならローンや投資を始め病
> 気事故、家庭問題等、個人の経済社会生活上の諸問題にかかる法的整備
> の必要性にも触れないと単なる精神論で終わりマス。

と書いていますが、これも誤解を恐れずに言えば、「枝葉」です。
 なぜなら、国民の大多数が「今のオカネにまつわる倫理(例えば『財政健全化』)そのものに問題がある」という根幹の「主柱」に気が付かなければ、「福祉の方による整備は確かに必要だけど、財政赤字で財源が無いから仕方が無いね」で納得してしまって、このような、解決には必ずオカネの給付が必要となる問題について、法整備によって(無から刷った)オカネを使うことを許容する、ということでコンセンサスを得ることができないからです。
 一たび人々が時代遅れのオカネの倫理の呪縛から解き放たれた時、すべての「貧困問題」は勝手に解消されるべく、法整備、倫理、教育を含め、すべての人がその方向に一丸となって動いていくはずです。

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