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『AI時代の新・ベーシックインカム論』 「労働」観の転倒 [イハトビラキ]

新・ベーシックインカム論.jpgmespesado理論の先に見えてくるのはベーッシックインカム(BI)、そんな思いがあって『AI時代の新・ベーシックインカム論』(井上智洋著 光文社新書 2018.5)を読んだ。最終第5章も終わり近く、そこに著者の思いが集約されていた。いわく、《社会保障制度を変革せずにAIのみが高度に進歩した未来の経済はディストピアになるが、BIを導入し、これを反転させてユートピアにすることも可能だ。/ そもそもユートピアとは、資本家による搾取がない社会というよりも、労働が必要なくなった社会であると考えられる。労働こそが人間に疎外をもたらす根本要因だからである。》(272p) 前章まででベーシックインカムが制度的財政的に、それこそ「やる気次第」で十分可能であると納得させられるのだが、BI実現には制度整備と並行して意識改革を伴わねばならない。すなわち、「労働」観の転倒である。

人間の営みを「労働」「仕事」「活動」に分けて考えたというハンナ・アーレントの説が紹介されるが、よくわかる。マルクスによって極みまで高められた商品生産のための「労働」を高みから引きずり下し、永続性あるものの制作を目指す「仕事」と、人間としての正体を明らかにした社会的営みとしての「活動」の価値こそ上位に位置づけるべきというのだ。そうして開けるのがユートピアへの道である。

しきしま霊界訪問記.jpg実はそこで思い起こしたのが「しきしま霊界」であった。手元の『しきしま霊界訪問記』(神道天行居 平成6年)をあらためて繙いた。昭和9年4月に(1934)に友清歓眞先生が「石城島(しきしま)霊界」を訪問した記録で、《縁あって此の霊界に居住して居られる高井氏(仮名)を訪問することが許されて、高井氏から説明を聴いたことが六分、私が見たことが四分、それが此界における私の知識の内容である。仮に此界を『石城島霊界』と名づけておく。》(2p)とある。「労働」「仕事」「活動」に関わる箇所を抜き出してみる。

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(友清)『みんなどんな仕事をしてるのですか。』
(高井)『それも色々ですが、この界では、如何なる人もIケ月三十時間位ゐしか働かないことになってるのです。大概一ケ月に十日、一日三時同位ゐの勤務です。 みな其れぞれ各自興味をもってる方面の仕事であり、それが僅かに其れ位ゐな時間なのですから仕事に苦痛を感ずるやうなものは一人もなく、仕事が足らんので困ってる位ゐです。私は整理部のやうなところへ出て居るのですが若い元気な連中が私の仕事を盗むやうにして片づけて呉れますので、まるで遊びに行くやうなものです。どうも私なんぞは何処に居ても役に立たず甚だ恐縮して居ります。隣りの黄老人なんかは何もやって居ません。又た婦人は志望者だけが女紅苑で勤務 して居ます。裁縫やら手芸やらが主たるものですが其処もIケ月三十時間です。』
(友清)『余りの時間では何をしてるのですか。』
(高井)『修養やら研究やら娯楽やらです。』
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(友清)『自動車なんかは何処で造ってるのですか。』
(高井)『隣りの区からの輸入品です。』
(友清)『隣りの区といふのは工業国ですか。』
(高井)『さういふわけでもありますまいが……。』
 私は此界の生活物資の生産加工配給方法等について問答したことがメモに書いてあるが記憶が不明瞭だから此処には書かぬ。品物によっては他の霊界や支那の仙界からの輸入品もあるらしかった。此界の婦人でも衣裳は矢張り大切なものと見えて箪笥の一本位ゐ持たぬ婦人は居らぬといふやうな話もせられた。調度寮から 種々のものを配給せられ、又た希望によって貰はれもするが其れも無制限といふわけでなく一般的制限もあり個人的の制限もあると云はれた。それで此界の居住 者相互の中にも贈答品といふやうなことも意義があり、又た各自の財産的意識もあると云はれた。これらのことは私の従来の霊界生活に就ての知識の一部を修正せしむるものであった。高井氏はアメリカの経済学者クラークの限界生産力説などを論ぜられ、富の内容といふものは分析の出来るものでない。世の中の富のど こ迄が資本の生産であってどこ迄が労働の生産であるといふやうなことは計算の出来るものでないといふ風に言はれたやうに記憶する。
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神道天行居信条(十)私どもは人々が死後なほ現世の如く人格的に生活することを原則として確知し、現世の如くに弥栄(いやさか)の道、天行(かむながら)の道に精進し修養努力するものであることを信じて疑ふ余地がありませぬ(原則外の変態現象もあります)」。友清先生は、この世界を体験せられたのであった。記録されたその世界は実に長閑な春風駘蕩の世界、いつしれず私にとってのユートピアであった。ハンナ・アーレントが思い描く世界もそんな世界ではなかったか。「しきしま霊界」は、幾層からもなる「神界」の、われわれ現世の人間にとって最も身近な界である。現界が神界に近づいてゆきつつある。このところの世界の大転換に加え、ベーシックインカムに向かう世の動き、これもまたイハトビラキの一側面。
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以下、上記で言及した『AI時代の新・ベーシックインカム論』からの転載です。(272-275p)・
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  5・6 人が人であるために
  人間は奴隷の支配によってのみ自由を得る

 前章で述べたように、社会保障制度を変革せずにAIのみが高度に進歩した未来の経済はディストピアになるが、BIを導入し、これを反転させてユートピアにすることも可能だ。
 そもそもユートピアとは、資本家による搾取がない社会というよりも、労働が必要なくなった社会であると考えられる。労働こそが人間に疎外をもたらす根本要因だからである。
 ハンナ・アーレントは『人間の条件』で、人間の営みを「労働」「仕事」「活動」の三つに分けて分析し、「労働」が優位になった近世・近代以降の社会を批判した。
 私たちは生命を維持するために、米や肉を消費しなければならない。そうした消費される商品を生産することこそが「労働」である。つまり、労働は生きるための営みに他ならず、労働しているさなかの人間は、シマウマを狩るライオンと同様で、動物として生きている。人間は、もし労働と消費のみを営むとするならば、生まれて生きて死ぬという動物的な生命過程をただ辿っているに過ぎない。
 「仕事」はすぐに消費されてしまうものではなく、永続的な構築物を作る営みである。「仕事」によって作られる具体物は、詩や音楽、家具などであり、こうしたものは製作者の死後も残る可能性がある。つまり、仕事は死すべき人間の慰みになるような永遠性を有したものの制作を意味している。
 「活動」は多様で平等な人間同士の対話を意味しており、具体的には政治的な活動がこれに相当している。アーレントは、活動こそが孤立しては成し得ない最も人間的な営みであるとしてその優位性を説いている。「活動だけが人間の排他的特権であり、野獣も神も活動の能力をもたない」のである。
 活動はまた、一人一人ユニークであるところの人間の正体を明らかにし、彼・彼女が何者であるかを暴露する役割を果たす。その際、活動する人間自身は自分が何者か分からないままである。
 人間の正体は、守護霊(ダイモン)のようなもので、相対した他人には当人の肩越しに見えるが、自分自身には見えない。これはまさに、活動が他者との関わりの中で生まれる社会的な営みであることを示している。
 アーレントは特に[活動」を重視しており、その点に限れば、彼女の思想はコミュニタリアニズムと重なっている。
 これら三つの活動的生活のうち、「労働」は古代ギリシャで「蔑まれた最低の地位」にあったが、近世にはルターによって人々の神聖な義務となり、近代にはジョン・ロックによって「すべての財産の源泉」として評価され、遂にはマルクスによって「最も人間的で最大の力」という高みにまで引き上げられた。
 アーレントは、こうした近代における価値転倒をさらに転倒させ、労働をその地位から引きずり下ろすとともに、仕事と特に活動の復権を企図している。彼女は、古代ギリシャの労働観について、

労働することは必然(必要)によって奴隷化されることであり、この奴隷化は人間の生活の条件に固有のものであった。人間は生命の必要物によって支配されている。だからこそ、必然(必要)に屈服せざるをえなかった奴隷を支配することによってのみ自由を得ることができたのであった。

 と述べている。これは人間が人間であり続けるには奴隷を所有する必要があるという戦慄的な考えを示している。
 逆に、労働を担う奴隷に転落することは、人間から家畜になるようなものであり、死より悪い境遇とさえ考えられた。プラトンは、奴隷が自殺もせずにのうのうと服従的な地位に甘んじていることを軽蔑していたという。
 勤労道徳に染まり過ぎた今の日本人には、そこまで徹底して労働を蔑む古代ギリシャの労働観には同調し難いものの、労働によって自分の自由な時間が奪われることくらいは理解できるだろう。

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