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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(64)「新しい金融理論」(2)  [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

「なんとなく」そう思ってわかったつもり、それを「すっきり」わからせてくれるのがmespesadoさんのすごさです。頭のスッキリ度が試されます。

以前『お金の秘密』(安西正鷹著)を読んでアマゾンレビューにこう書きました。《お金の仕組みのいかがわしさは「信用創造」において極まる。銀行から借金して通帳に書き込まれる数字には原価も何もない。しかしその数字が記入されるやいなや、その対価として、その数字に利息を加えて「稼ぎ」によって小さくしてゆかねばならない義務が生ずる。こうして国も企業も個人もこの幻に過ぎない数字に追いまくられた日々を強いられる世の中になってしまっている。》

しかし、mespesadoさんによってスッキリわかるようになったのは、「企業も個人も」はそうであっても、外国から借金しているわけではない「国」はそうではないということです。その機序についての、見事な解明です。


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421:mespesado:
2019/04/28 (Sun) 01:00:48

 そろそろ >>261 新しい金融理論」の続きとしてMMTに関する記事を書こうと思います。
 人によってはMMTに「漏れなく付いている」ということになっているのが「貨幣負債論」「租税貨幣論」なのですが、今回は前者についてです。
 「貨幣負債論」とは、管理貨幣制度において、貨幣というものが金貨のような「現物」ではなく、「単なる貸し借りの記録」に過ぎない、と主張するものです。
  多くの人が、今でもオカネというものを、金塊そのものではないが、それに近い、何か実体のある「モノ」であるように考えています。確かに「硬貨」とか「日本銀行券」とかは金属や紙でできた「実態のあるモノ」ですが、多くの人は、それだけが「真の」オカネであり、それ以外の、例えば銀行の預金口座の数字など は、オカネそのものではなく、必要な時に「実態のあるオカネ」である硬貨や紙幣に交換してくれるからこそ価値があるのであって、この「預金口座の数字」そ のものはオカネではない、と考えている節があります。だからこそ街中至る所にATMが設置してあって、みなサイフが空になると、ATMで「預金」という 「単なる数字」を、硬貨や日本銀行券という「実体のあるオカネ」と「交換」して安心するわけですね。
 しかし、この感覚だと、「誰かが銀行から借金するとオカネが増える」という「信用創造」は理解できないでしょう。実際、この信用創造の話を初めて聞いた人は、一様に「えっ?!」とびっくりしたような顔をします。でもこれは不思議でも何でもなく、「銀行預金」もオカネだと見做すからこそ誰かの銀行からの借金により全体のオカネが増えるわけです。
 この仕組みはオカネを「現物」だと思ってしまう直感に邪魔されて、間違った理解を引き起こしやすいので厄介です。
 例えば政府の行う「財政出動」について考えてみましょう。
 政府が例えば1億円の国債を発行して得たオカネで1億円の事業を企業Xに発注したとします。
 このとき、「オカネ=現物」というイメージを持つ人は次のようなオカネの流れをイメージすると思います。

① 政府が1億円の国債を発行し、銀行Aが購入し、現金で政府に1億円を 渡す。
② 政府は得た1億円を事業を発注した企業Xに支払う。

  つまり、このイメージだと、国債を発行すればするだけ銀行の所有する現金が無くなっていくため、国債の発行額には限度があるように見えます。その限度と は、すべての銀行が所有している現金の合計です。しかも各銀行は民間の企業にオカネを貸していますから、そのための現金を確保しておく必要があるように見 えるので、この「国債の発行限度」は更に低くなるように見えます。
 ところが、実際の「財政出動」では、上で説明したオカネの流れとは全く違います。実際のプロセスは以下のとおりです↓

(1) 政府が1億円の国債を発行し、銀行Aが購入すると、銀行Aが持つ日銀当座預金から政府が持つ日銀当座預金に、1億円が振り替えられる。
(2) 政府は企業Xに事業を発注すると、政府から企業Xに1億円の「政府小切手」が渡される。
(3) 企業Xは、この「政府小切手」を取引銀行の銀行Bに持ち込むと、銀行Bは企業Xの銀行B預金口座に1億円を振り込む。
(4) 銀行Bは、日銀にこの「政府小切手」を持ち込み、日銀は、政府が持つ日銀当座預金から銀行Bが持つ日銀当座預金に、1億円が振り替えられる。

 この一連のプロセスが終了したとき、結果として何が変化したかを確かめると、まず政府が持つ日銀当座預金は1億円増えて1億円減ったので、差し引き残高に変更はありません。ただ単に1億円の国債が銀行Aに渡った(つまり政府が銀行Aに1億円の借金をしている形)だけです。
 次に、企業Xは、自分が持つ取引銀行Bの預金口座が1億円増えています。
 次に市中銀行ですが、銀行Aの日銀当座預金は1億円減り、銀行Bの日銀当座預金は逆に1億円増えています。つまり、銀行Aと銀行Bを合わせ考えると、日銀当座預金は増減ナシとなります。そのかわり、彼らは1億円の国債を所有し、「客」である企業Xの預金口座に1億円振り込んでいます
 最後に日銀で すが、それぞれの「客」の当座預金口座について、「政府」に対しては(1)で1億円増やし、(4)で1億円減らしたので差し引きゼロです。また、銀行Aに 対しては1億円減らし、銀行Bに対しては1億円増やしたので、これまた銀行Aと銀行Bを併せ考えれば差し引きゼロです。なお企業Xとは直接取引がありませ ん。結局日銀はこのプロセスでオカネの増減は無かったことになります。
 つまり、このプロセスで、

 政府:オカネの増減ナシ。ただし国債発行により1億円の借金を負う。
 日銀:オカネの増減ナシ。
 銀行A+銀行B:1億円の国債を所有し、客である企業Xの預金口座には1億円振り込んだ。なお日銀当座預金上のオカネの増減はナシ。
 企業X:銀行預金の形で1億円増加。

ということになり、登場人物(ただし銀行Aと銀行Bは併せ考える)の誰もが「現金」も「預金口座の残高」も何も「減らして」いません。ですからこの一連の「財政出動」は制限無くいくらでも繰り返すことができます
(注:銀行Aと銀行Bを分ければ増減はありますが、一方がもう国債を買えなくなったときは必ずもう一方が国債を買えます)。
 そうなんです!現実のやり取りでは、最初の誤ったイメージによる取引のときのような意味での「国債の発行限度」というものは存在しないのです!
  ですから、よくありがちな「財政出動を過度に行うと、国債の発行により主な購入先である市中銀行の現金を吸収しすぎて預金者からの預金が枯渇するから、市 中銀行はそれ以上国債が買えなくなり、国債は売れなくなるから価格が暴落する。」などという俗説はウソであることがわかるのです。 
 長くなったので、ここで一旦切ります。     (続く)

422:mespesado:
2019/04/28 (Sun) 02:39:50

>>421
 さて、以前に「財政出動」と「金融緩和」を同時に行うと、オカネを無から作ったのと同じことになる、という話をしました。
 これを >>421 で取り上げた例で考えてみましょう。
 「金融緩和」というのは日銀が市中銀行などが持つ国債を買い上げて、その代金を当該銀行が持つ日銀当座預金に振り込むことを 言いますが、今回の例の場合で考えると、日銀が銀行Aが持つ1億円の国債を買い上げて、代金を銀行Aの日銀当座預金に振り込むことになります。する と、>>421 のプロセスに加えて、この処理を最後に付け加えますから、各「登場人物」は、この「財政出動」と「金融緩和」のプロセスにより、以下のようになります:

 政府:オカネの増減ナシ。ただし国債発行により1億円の借金を負う。
 日銀:1億円の国債を保持し、銀行A+銀行Bの日銀当座預金に1億円振り込んだ銀行A+銀行B:日銀当座預金に1億円振り込まれ、客である企業Xの預金口座には1億円振り込んだ。
 企業X:銀行預金の形で1億円増加。

  さて、「銀行A+銀行B」は、自身には日銀から1億円振り込まれ、客である企業Xには逆に1億円振り込んだのですから損得はありません。しかし、「自身の 日銀当座預金」も「客の自社への預金」も共に1億円「増えている」わけです。損得が無いのに、残高の数字たちは増えたものばかりで減っているものが無 い!…オカネというのを何か「モノ」のように考える頭にはとても奇妙に思えますよね。なぜならモノの世界で損得が無ければ、増えたモノと減ったモノが必ず あるはずだからです。

 そこで「貨幣負債論」の登場です。
 「オカネとは現物ではなく、単なる貸し借りの記録に過ぎない」…つまり、オカネとは借りた側にとっては「負債」のことであり、逆に貸した側にとっては「資産」のことである。オカネというものをそのように考えよう、というわけです。
  この考え方で銀行預金を考えると、客の銀行預金口座に1億円が記されている場合、客が銀行に1億円貸しているので、銀行の負債が1億円、客の資産が1億 円、ということになります。そしてその資産や負債が現金の形でやり取りされているか単なる口座の数字の付け替えでなされているかは問わない、というわけで す。そして各人の資産と負債の差額がその人の「純資産」ということになるわけです。
 この考え方で、まず最初に >>421 で考えた「財政出動」のプロセスの最終結果:

 政府:オカネの増減ナシ。ただし国債発行により1億円の借金を負う。
 日銀:オカネの増減ナシ。
 銀行A+銀行B:1億円の国債を所有し、客である企業Xの預金口座には1億円振り込んだ。なお日銀当座預金上のオカネの増減はナシ。
 企業X:銀行預金の形で1億円増加。

を再解釈すると、以下のようになります:

 政府:1億円の負債がある。つまり純資産はマイナス1億円。
 日銀:資産・負債ナシ。つまり純資産は0円。
 銀行A+銀行B:1億円の負債と1億円の資産を持つので、純資産は0円。
 企業X:1億円の資産を持つので純資産は1億円。

 損得が無いのに増えたものばかりでアレレ、というようなこともなく、素直にスッキリ理解することができますね。
 さて、この「貨幣負債論」、すんなりとうまく説明ができているように見えますが、それでは今回新たに考察した「財政出動」と「金融緩和」を併せ考えた場合についてはどうなるでしょう。つまり先述の

 政府:オカネの増減ナシ。ただし国債発行により1億円の借金を負う。
 日銀:1億円の国債を保持し、銀行A+銀行Bの日銀当座預金に1億円振り込んだ
 銀行A+銀行B:日銀当座預金に1億円振り込まれ、客である企業Xの預金口座には1億円振り込んだ。
 企業X:銀行預金の形で1億円増加。

を「貨幣負債論」で再解釈すると、以下のようになります:

 政府:1億円の負債がある。つまり純資産はマイナス1億円。
 日銀:資産が1億円、負債も1億円なので純資産は0円。
 銀行A+銀行B:1億円の負債と1億円の資産を持つので、純資産は0円。
 企業X:1億円の資産を持つので純資産は1億円。

 はい。「財政出動」のみのときと全く変わりません。では登場人物間の権利義務関係も「財政出動」のみのときと変わらないのか?
 以前に私は「財政出動と金融緩和を同規模で同時に行うと、市場を通じて国債の日銀直接引き受けと同じことになる」と言いました。そして更に言いました:「日銀による国債の直接引き受けは、政府と日銀を併せた『統合政府』として考えれば、その国債はこの世から消滅したも同じだから考えなくてよい」と。
 では、上の再解釈結果における「政府」と「日銀」を実際に統合してみましょう。すると次のようになりますね↓

 統合政府:純資産はマイナス1億円と0円の合計でマイナス1億円。つまり1億円の負債がある。

 あれれ???「この世から消滅」したはずなのに、しっかり1億円の負債が残っているではありませんか?どういうこと??
 実はこの「負債」という言葉がクセモノなんですね。確かに「負債」というのは、その定義からして「借りた金」のことです。ですが、「借りた」からといって「返す必要がある」とは限りません!
  この場合、政府は日銀から1億円を借りています。しかしその実体がどのような内容の「借金」であるかを明らかにしなければ話が進まないのです。この政府の 日銀からの借金とは「日銀が政府発行の1億円の国債を保有している」というのがその実体です。普通は国債に限らず償還期限を持つ有価証券は、償還日以降一 定の年数が経過すると「時効」になり、引き換えできなくなることがありますが、それは法的な証明等の困難やあまりに長期間経過後の経済事情の変化のことを 考えた便宜的な約束に過ぎず、本来なら「償還日以降はいつでも換金できる」はずのものです。
  一方で「政府」と「統合」する前の「日銀」は、1億円の国債を保有するので1億円の資産を持っていたわけですから、「時効」がなければ未来永劫1億円の資 産を持ったままです。つまり、未来永劫資産も負債も1億円で純資産は0なのですから、そしてこれは政府が日銀に「勝手に押しつけた」国債なので「使う必要 があるオカネ」でもないのですから、あえてこの「国債」を政府に持って行って「換金」する必要は無いわけで、つまり「借金を返してもらう必要が無い」こと になります。つまり、「政府」の持つ1億円の負債は「返す必要が無い借金」なのです。(これに対し、企業の預金としての銀行の「借金」は、企業がいつでも現金化したいという要求に応えなければならないので「返す必要がある借金」です)。
 つまり、「返す必要がある借金」と「返す必要が無い借金」の違いは本質的で、これらを区別しないで同じく「負債」という言葉でまとめてしまうのは貨幣の本質を見えなくしてしまうことになります。
 この違いをわざと利用してMMTを間違った理論であると主張するのが一橋大学の斉藤誠氏による次の記事です↓
「紙幣や国債は返済する必要がない」は本当か「返済される」からこそ守られる大切なこと
https://toyokeizai.net/articles/-/163330

> 「財布に入っている1万円札が日本銀行の借用証書であり、お札の持ち主
> が日銀に1万円を貸している」と考えている人はほとんどいないのかもし
> れない。しかし「実はそうなのである」ということをここであらためて
> 考えたい。

 はい。ここまでは「貨幣負債論」によればそのとおりの主張です。ところが、これに続けて著者は次のように主張します↓

> 最初から注意を促しておきたいのであるが、1万円札は「日銀がいつまで
> も返済する必要のない借金」などではなくて、「日銀がいつでも返済す
> ることを期待されている借金」なのである。

 これはお笑いです。「日本銀行券」を日銀の負債と考えるのはよいのですが、じゃあ「日本銀行券」を持っている人がこれを借用証だと考えて日銀に「返して欲しい」と出かけて行ったとして、この人は、その「日本銀行券」で「何を」返して欲しいのでしょうかw?
 しかし、このどう考えてもバカげていると思われる問に対して、著者は後の方で次のような「答」を用意しています↓

> 日銀は民間銀行に対して1万円をどうやって返済するのであろうか。実の
> ところ今の日銀は「確実に返済を期待できる証書」である国債と交換す
> ることで民間銀行に対して当座預金を返済しているのである。

  これはまたまたお笑いです。「国債」は日銀にとっては「資産」ですが、政府にとっては「負債」です。つまり民間銀行は「日銀」の負債である「日本銀行券」 を「政府」の負債である「国債」に交換しただけであって、ある人の負債を別の人の負債に交換しただけですから、これじゃ負債を「返してもらった」ことには ならないじゃないでしょうかねw。
 この著者は最後の方で

> 現在、盛んに議論されている金融政策提言の中でも、アデア・ターナー
> 氏(英金融サービス機構・元長官)やジョセフ・スティグリッツ教授
> (米コロンビア大学)が主張する大胆な提言では、日銀が保有する国債
> について「いつまでも返済する必要がない」のであるから「ないもの」
> とすれば、日本の公的債務問題はずいぶんと解消されるというものであ
> る。いったん日銀が保有する国債が無効とされれば、日銀は紙幣や当座
> 預金を返済する原資を永遠に失ってしまう。

> 一方、クリストファー・シムズ教授(米プリンストン大学)が主張して
> いる慎重な提言では、国債の「返済されない度合い」を政策的に微調整
> できるとして、「当面、返済されない」国債や紙幣が実質価値を下げて
> 物価が上昇することを期待している。

> しかし、これら2つの考えは、国債と紙幣が「返済される」という大前
> 提によって1つ1つの通貨取引が守られているこの仕組みを、根底から殺
> (あや)めてしまう点ではまったく同じである。

などと言って「返さなくてよい借金」というものの存在を必死で否定しています。しかし、この中の最後の段落にある

> これら2つの考えは、国債と紙幣が「返済される」という大前提によって
> 1つ1つの通貨取引が守られている

という主張がそもそもおかしい。この「通貨取引が守られている」、つまり本位貨幣制度のような「別の価値」で守られているわけではない「管理通貨」が何ゆえに「取引が守られているか」というのは確かに一見謎です。
  しかしそれが「返済されるという大前提があるからだ」というのは明らかにウソです。だって、我々が「日本銀行券」を使うとき、これが何かによって「返済さ れる」と思って取引に使う人はいないでしょう?だって普通の人は「日銀の借金の借用書」であるはずの「日本銀行券」それ自体を「価値のあるモノ」のように 思ってますからね。
 じゃあ、この「日銀の借用証に過ぎない紙きれ」をなぜ人は安心して「取引」に使っているのか?その本当の理由は何か?
 それに対する(一部の)MMT論者による一つの答、というか一仮説が、次回から説明する「租税貨幣論」なのです。    (続く)

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