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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(100)(番外編)人間とAIの根本的違い [IT社会]

前回《私のいい加減な頭では追っていくのがしんどい「法律脳」世界》と書きましたが、mespesadoさん、別スレ(しとりごと5)で「数学脳」世界を垣間見せてくれました。私には、「人間とAIの根本的違い」の指摘と読めました。

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165:猿都瑠 :2019/06/29 (Sat) 18:54:19

地球人が未知なる宇宙人(地球外生命体)と出会ったとする。
共通の言語は数学となるだろう。
誰かが言った受け売りですがねw

166:mespesado:2019/06/29 (Sat) 21:59:17

>>165
 ところが「数学」ですら、異星人と地球人で異なる前提で作られている可能性があるという…。具体的には、いわゆる「排中律」を正しいと認めるか認めないか。「排中律」とは、命題 P が与えられた時、P は「真であるか偽であるかどちらかである」という主張のこと。
 地球人は、これを長い間自明だと思ってきたが、近代になって、実は自明ではないことに気が付いた。いわゆる「直観主義論理」という論理だ。これに基づいて構成した数学を「構成主義数学」という。だが、今更排中律に疑問を持たれても、今までそれを前提にして積み上げた数学はの成果はハンパ無い、というよりも、ほとんどすべてが排中律を仮定して得られた成果なので、数学者は今更排中律を捨てることができない。その結果、地球では今でも排中律を前提にした数学が主流派をしめていて、学校で習う数学もすべて排中律を前提にした数学が教えられている。
 だから、この排中律が自明でないことに早い段階で気が付いた宇宙人がいてもおかしくない。そのような宇宙人と地球人では、たとえ数学を共通語にしても話が通じないことになるだろう。

168:mespesado:2019/06/29 (Sat) 23:36:36

>>166 
 「排中律」の意味がわからない人も多いと思うので補足。
 これは例えば「今日は暑い」みたいに人によって正しいと思う人と正しくないと思う人がいて曖昧な命題のような場合を想定しているのではない。
 数学の、必要であれば論理式ですべて記述可能な命題についての話をしているのである。
 例えば、現在未解決の数学の命題に、ゴールドバッハ予想と言って、「4以上の偶数は必ず2個の素数の和として表すことができる」という命題があるが、この意味は、例えば 4 は偶数だが、これは素数 2 を使って 2+2と表すことができ、次の偶数 6 も素数 3 を使って 3+3 と表すことができて、次の偶数 8 も素数 3 と 5 を使って 3+5 と表すことができて…というわけで、今ではかなりデカい偶数についても2つの素数の和として表すことができることがコンピューターを使って確かめられている。
 しかし、「すべての偶数が2個の素数の和として表される」ことを確かめることを実際にしらみつぶしによって確かめるわけにはいかない。なぜなら「4以上の偶数」は無限個有るからだ。そこで、しらみつぶしではなく、数学的な「証明」によって確かめるしかないのだが、現在のところ、この命題が「正しい」ことを証明することにも「誤りである」ことを証明することにも、誰も成功していない。でも、大半の数学者は「正しいこと、あるいは正しくないことのどちらかを『証明』することには誰も成功していないが、しかし『正しい』か『正しくない』か、ということは決まっていて、ただ人間がそのどちらであるかを知る術がないだけだ」と思っている。
 ところが近世になって登場した「直観主義」というのは、「正しいことの証明も正しくないことの証明もできていないのなら、どうして『正しい』か『正しくない』か、ということは決まっているなどと言えるのか?」と疑問を呈するのである。
 これが例えば、「4以上で『1の後に0が1兆個並ぶ数』以下のすべての偶数は2個の素数の和として表される」という命題なら、これが正しいか正しくないかを、たとえ現在の最強のコンピューターを使っても確かめることはできないかもしれないけれど、確かめるべき対象は、個数としては天文学的に多いけれど、有限個ではあるのだから、「原理的には」しらみつぶしに確かめることによって、正しいか正しくないかを判定することはできる。だからこの命題であれば「正しい」のか「正しくない」のかどちらかである、という排中律はこの場合なら成り立っている、ということができる。
 ところが「『1の後に0が1兆個並ぶ数』以下」という上限を撤廃して、「4以上の『すべての』偶数は…」と主張したとたんに、たとえ将来どんなに計算速度の速いコンピューターができたとしても、確かめるべき対象が、文字通り無限個有るのだから、これらをしらみつぶしに確かめることは、もはや「原理的にも不可能」である。
 ということは、そもそもこのゴールドバッハ予想というのは正しいか正しくないかを確かめることは原理的にもできない、というよりも、そもそもの問題として、「この命題が『正しい』とはどういう意味か?」というところに立ち返らなければならない。
 つまり、人間のような「連想によって未知の概念を理解する機能」を持たない人工知能にゴールドバッハ予想が「正しい」とはどういう意味か、ということを教えようとした場合、「4以上で『1の後に0が1兆個並ぶ数』以下のすべての偶数は2個の素数の和として表される」という命題が「正しい」とはどういう意味か、ということを教えることは可能で、例えば「4から出発して順に2を加えながら、『1の後に0が1兆個並ぶ数』に達するまで、その数が2個の素数の和として表されるかどうかを確かめ、答えがどの場合でも Yes だったら『正しい』と判断し、一つでも No の場合があれば『正しくない』と判断するのだぞ」と教えればよい。つまりプログラムを組んで『正しい』又は『正しくない』という答を出力する方法があれば、この人工知能に『正しい』とか『正しくない』という“意味”を教えることができる。
 ところがゴールドバッハ予想の場合は確かめる対象が無限個あるため、このような『正しい』又は『正しくない』のいずれかを出力するプログラムを組むことは原理的に不可能である。ということは、つまり、このゴールドバッハ予想というのは、それが『正しい』とはどういう意味であるかということ自体が実は「定義できない」ということを意味するわけである。
 この事実に気が付いたのが「直観主義」論者であるが、人類がそれまでこの事実に気が付かなかった理由は、人間というものが「類推」や「連想」によって、本当は定義できていないものでも、あたかも定義できているかのように錯覚するという「特技」を持っているからである。実際、何も知らない生まれたばかりの赤ん坊が母国語をマスターするというプロセスを考えてみよう。例えば大人の日本人が英語を習得する場合なら、『英和辞典』があるから、英語を聞いたり読んだりしても、それを自分が知っている日本語に結び付けて理解することができるが、生まれたばかりの赤ん坊は初めて聞く母国語を何らかの既知の言語に「翻訳」することによって理解する、という手段を取ることができない。彼ら赤ん坊にとって、未知なる母国語を理解する方法は、類推や連想を駆使してその言葉の意味を理解する、そういう戦略しか取ることができない。人類は、この「類推」と「連想」の能力を、あまりにも自然に身に着けているため、ゴールドバッハ予想のように、「無限の対象」について述べられた「命題」を、本当ならその「正しさ」というものを「定義」することさえできないのに、対象となるデータの個数がものすごくデカいけれども有限ではある場合であれば「正しい」とはどういう意味かを「定義」することできるという事実の類推と連想によって、範囲が無限の場合でも同様に「正しい」とはどういう意味であるかを定義できていると「錯覚」してきた、というのが「排中律」を無条件で正しいと錯覚し続けてきた真の原因であると思われるのである。
 ちょっとシリアスでコムツカシイ話を、酒を飲みながら、どこまで尻 メツレツにならずに文章が書けるかという試行を、この場違いなスレッ ドでやってみた。ちょっとシリアスでコムツカシイ話を、酒を飲みながら、どこまで尻メツレツにならずにこの場違いなスレッドでやってみた。迷言多謝。

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