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長白山行(10)白頭山天池⑧ 豊受大神のこと [神道天行居]

なぜ豊受姫神なのか。『古道神髄』より。《豊受姫神は愛の女神であり、仁慈の女神であり、平和の女神である。この大神を天行居で地上霊的気線の要点の一たる白頭山天地に奉斎したのは天行居の大理想が皇道の大義に基く世界恒久平和にあるからである》。さらに、《人間世界に於て極めて尊いものの一つに愛といふものがある。その愛の中でも母の愛ほど純真で崇高なものはあるまい。母の愛は全く犠牲的な愛であり無条件の愛である。それを詳しく語れば一大冊子を成すであらうが実に母の愛といふものは底の知れないものである。/ 私は其の母の愛を考へる毎に、必ず畏れながら豊受姫神様の犠牲的な、無条件な大きな神愛を思はざるを得ぬ。豊受姫神様の愛が、地上の人々の母の愛としてあらはれて居るのではないかと考へる。》そして伊勢の内宮、外宮を鑑み、《畏れながら天祖天照大御神の思召しによって豊受姫神の御宮を皇大神宮に並べて造営せしめられ、祭儀の如きも殆ど皇大神宮同様に奉仕せしめるやう神勅を下し給へる神慮は吾吾如きものが彼れ此れ評議すべきことではないが、天祖の大神徳の愛の方面の御表現が豊受姫神の愛の御神徳で地上の生類みな其の洪大なる恩頼を蒙らざるものはない。》 さらにその後につづく文が《内宮と外宮との或る霊的交渉が太古神法の根幹をなせるものであるが、そのことは其のことの輪郭だけでも到底語るわけには行かない。》で、要するに豊受姫神様は、地上に於いて母の愛として顕現する愛の女神である、ということであろう。そしてなぜそうなのかは、太古神法に関わるのでそれ以上の詮索は無用ということなのだろう。正直なところ、隔靴掻痒感がぬぐえない。そこを補強してくれるのが『秀真伝(ほつまつたえ)』と、私には思えている。

馬野周二著『人類文明の秘宝「日本」』から引く。《「秀真』『三笠』から得られる情報から判断すると、三千年前の日本列島は、すでに十分政治的に組織され、通信、交通手段も整備されていた。天照神の父伊佐諾は北陸から出て列島の西半部の君となった。この尊は伊佐と結婚するのだが、その父高皇産霊は、本貫が日高見の国で、これは現在の仙台地方であろう。/ 後に述べるように、当時の東北は縄文晩期の最盛時を過ぎ、下り坂に向かう時期にあった。東北の君高皇産霊尊が娘を列島中央部の王家に嫁がせることは、大いに政治的意味があったと見るべきだろう。この高皇産霊尊は五代目で、伝世したすべての教学を孫天照神に伝えているし、晩年には白人、胡久美の乱で荒れた山陰地方を治めるために宮津に留まり、今日の元伊勢外宮(京都府加佐郡大江町)の地で崩御した。今日では伊勢皇大神宮の外宮にられている。豊受というのはこの人の諱(いみな)である。今日でも天皇、勅使が伊勢神宮に参拝する時に、外宮から先にする理由は、豊受が天照神の外祖父であり、師父であったからだと思われる。そして、日本の政治、社会の根元律の伝持者であったところからきていよう。》(93-94p)《『秀真伝』および『三笠紀』は神代以来の皇室の原典であり、 代々の天皇と廷臣たちの修養書として作られている。そしてその背骨をなす思想は〈天なる道〉である。では天なる道とは何なのか。/ 天照神は十六歳まで富士山麓酒折の宮で成長されたが、以後三十年間日高見の高皇産霊尊の下で勉強された。その場所は山手宮と言い、これは現在の仙台(多賀城か)に当るであろうことはすでに述べた。高皇産霊=豊受神は代々東北に住した高皇産霊の五代目で、タニハ(現在の丹波)の朝日宮(京都府加佐郡大江町の元伊勢外宮か)で崩御された。/・・・・当時の東北、奥羽は先進文明地域で、洗練された縄文晩期土器を出して、その影響は中部以西にまで及んでいると考えられ、思想的にも高度に達していた筈である。おそらく豊受神は、当時の最高の祭司、学者、霊格者だったのであろう。 山手宮に若き天照神を迎えた彼は、 威儀を正してこの客殿に通い、熱心に教授したと『秀真伝』に伝えている。》(102-103p)
つまり『秀真伝』によれば、「豊受神(トヨケ)ー伊佐冉神(イサナミ)ー天照神(アマテル)」の系譜があり、天照神の外祖父豊受神の本貫は日高見(多賀城辺)であるが、その行動は全国に及び、終焉の地は元伊勢であった。戦後『秀真伝』を世に広めるのに中心的役割を果たした松本善之助(1919-2003)は、その本霊の鎮まる場所を出羽三山に比定しておられる。それを承けて次のように書いたことがある。私にとって最大のロマンである。
「ほつまつたゑ」によれば、当時の日高見の国、すなわち仙台多賀城を中心にしたこの東北地方こそが日本の中心でした。そしてイサナミノ神とは代々東北を治めてきたタカミムスピノ神の五代目にあたるトヨケ神の娘、つまりイサナミノ神のふるさとはこの東北なのです。そもそもイサナミの父トヨケ神とは今の伊勢外宮の御祭神豊受大神で、晩年裏日本の乱を鎮めるため東北から丹後宮津に出向き、今も元伊勢の地名の残るその地で崩御、その後東北の何処かに祀られたと「ほつまつたゑ」には記されています。そこで松本氏は、トヨケ神の御本霊が祀られたその有力候補地は出羽三山はなかったかとの考えを提示されました。というのは今から千四百年前、崇峻天皇の第三皇子蜂子皇子が出羽三山を開山したのは、古来豊受大神と同神とされる倉稲魂神(うがのみたまのかみ)の導きによってであると伝えられるからです。つまり、蜂子皇子による三山開山以前に豊受大神はその地に祀られていたことになる。さらにこのことから、トヨケ神の娘であるイサナミも、その御霊代はふるさと陸奥に帰っていると考えることはできまいか。そしてその地が他ならぬわが熊野大社であると考えることはできまいか。「紀州熊野有馬村峯ノ神社ヲ遷シ玉フ」実にこの一文は、熊野大社が伊奘冉尊の御本霊の鎮まり賜う場所であることを告げているのだ、と。》「宮内熊野に探る「祭り」の意味」

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