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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(25) ボランティア頼みでいいのか [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

8年間岡山に住みました。災害のない地域だなあとずっと思っていました。このたびの豪雨災害でその思いは覆えされました。知合いの住む場所は大丈夫そうだと思っていたのですが、白桃を送ってくれた友人へお礼の電話をして奥さんと話したら、職場の同僚の家が真備町で2階まで水が上がってかける言葉もない、ということでした。昨日届いた暑中見舞いには、同級生の何人かが被害に遭ったと書いてありました。真備町の惨状は津波の被害と同等に思えます。それにつけてもこのクソ暑い中でのボランティアの様子が報道されるたび、ほんとうに頭が下がります。

南陽市地域福祉計画.jpg昨年度、南陽市地域福祉計画策定委員を務め何回かの会合に出席しました。眼目は【共助・公助】から住民主体による【自助・互助】重視へ、ということでした。異和感があって発言しました。地域福祉計画策定委員会最終会合の後こう書きました。

《この計画の眼目は、行政・社協による【共助・公助】よりも、住民主体による【自助・互助】への傾斜。いわく《少子高齢化や財政状況から、「共助」「公助」 の大幅な拡充を期待することは難しく、「自助」「互助」の果たす役割が大きくなることを意識した地域づくりが必要となります。》(2p)そうして打ち出さ れた〈基本理念〉が、『市民一人ひとりの取り組みと住民相互の支え合いの町 南陽』。このことに関連して第二回会合でこう発言した。「市職員の姿勢が問われる、その視点がなければ市民の共感は得られない。これまでの『公助』『共助』頼みから、ボランティアをあてにする『自助』『互助』に比重をおくと言っても、市民は簡単には納得しない。」この発言が計画の中にどう反映されたかたよりないが、今回は長く民生委員を務めた委員から「福祉人材の 育成・確保」の項の〈地域支援推進員(支援員)の育成〉が問題にされた。「そう簡単なことではない」と。「いつもいつもボランティア頼みでなんとかなると 思っては困る。」》

このたびのmesさんの問題提起に共感しました。ボランティア頼みの根底にあるのは「財政赤字で金がない」という財務省感覚であることに気づかされました。今頃遅いのですが、そのことを問題にすべきでした。(いつも気づくのが遅い)

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飯山一郎さん追悼集成 [飯山一郎]

23日夜の「祭はじめ」に始まり、26日の「総社祭」と獅子冠事務所の反省会で今年のお祭り終了。その最中で知った飯山さんの訃報でした。心筋梗塞経験者として他人事でない思いでしたが、私は私なりの「自灯明」感覚(明石原人さん)で生きています。医者の言う通りに生きていたら神社の石段を上ることもできません。今年は志願したわけではないけれども昨年に引き続き「箱添」役を務めました。頭取がお獅子の入った箱を負い、その脇を固める役です。3年前大動脈解離で生死の間をさまよった82歳の頭取共々無事生還です。頭取はむしろ病気の前より元気です。拝殿前でお獅子を舞いました。私も第三立場(タテバ)の鏡池前で舞わせていただきました。大丈夫、生かされている、この感覚を今年も得ることができました。

「放知技」板では飯山さんへの追悼の言葉が引きも切りません。それぞれに胸打たれる思いです。とりわけ読み返したい文章をメモっておきました。転載させていただきます。

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故飯山一郎氏による、日本人の希望と力強い生き方を発信し続けた功績に感謝する。

                                    ・
1:堺のおっさん :2018/07/24 (Tue) 17:58:18
host:*.ocn.ne.jp
平成30年7月20日の未明に、飯山一郎先生が急性心不全にて永眠されました。享年72歳でした。
飯山一郎先生は以前にも心筋梗塞で入院されたことがあり、今回は三回目の発作でした。
2005年に心臓発作で倒れた時は生死の境を彷徨いましたが、病を強い意志で克服してきた13年間でした。

7月23日、ご遺族のご意向により家族葬にて葬儀がしめやかに執り行われました。
ファンの皆様からのご要望により、「飯山一郎先生を偲ぶ会」の開催を検討しております。
場所や時間などの詳細は後日改めて発表させていただきますのでご了承ください。
皆さまのご理解とこれまでのご支援に、心より深く感謝を申し上げます。

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訃報 飯山一郎さん [飯山一郎]

ほんとうに驚きました。「放知技」板に書いてきたところです。

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まさかの報せでした。
堺のおっさん、野崎博士とともに、
パソコンに向かう隙もないほどの濃密な時間を過ごしておられるものとばかり思っておりました。

夕べ7時すぎ、9年前に心筋梗塞を患った私にとっては命懸けの祭りの大役を果たし終え、
ヘトヘトヘロヘロになって家に戻って最初に開いた「てげてげ」、
やはり更新されていないことを確認して「文殊菩薩」へ。
あまりに突然のこと、信じられないまま「放知技」板へ。
少しずつ現実が自分のものになってきました。
すぐにも何か書きたい、書かねばと思いつつ、そのまま寝入って今朝を迎えました。
その後の「放知技」板を読みながら、
私にとっての飯山一郎さん、飯山さんなかりせばに思いを致しました。
そうして今朝最初に開いた本(『ハンナ・アーレント』矢野久美子著 中公新書)で
目に飛び込んだのが「死者との交わり」、
カール・ヤスパース追悼式典でのアーレントの言葉です。
ヤスパースに飯山さんを重ねつつ読ませられました。
今朝この文章に出会ったのも意味あることのように思え、
僭越ながら転載させていただきます。

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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(24) 若者のカジノ法案評価 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]


【10・20代男性の期待値大】FNN世論調査。カジノ解禁を含むIR実施法案による経済効果について、期待するが31.3%で、期待しないが62.0%。 10代、20代の男性に限ると期待するが63.4%で、期待しないのダブルスコアで上回る。 非常に興味深い…。

 

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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外8) KYふたり(小泉&山崎)のKY性 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

大きく様変わりした時代についてゆけない古い世代の政治家として、小泉氏と山崎氏が浮き彫りになります。《「経済の仕組み」とか「外交の手練手管」とかの重要性》が理解できないKYふたりのKY性の指摘です。(もっとも小泉氏は《何らかの原発以外のエネルギー利権の代弁者だからわかっててああいう主張をしてるのかもしれ》ない)

われわれ世代までの感覚が、それ以降の若い世代になるにつれてどう変わっていったか、そのことを象徴する議論がありました。山崎氏の言い分に対するmesさんの批判です。

>  昔は学生運動が盛んだったが、今はないから。昔は自由主義だ資本主
> 義だ民主主義だ、共産主義だ社会主義だとそれぞれイデオロギーを信奉
> して学生運動にまい進した人が多かったのですよ。

>  今はイデオロギーがない。あなた(記者)は何主義ですか?って聞か
> れて答えられないでしょう。ありません、ただ生きているだけ。飯を食
> わなくてはいけないからこういう仕事をしています、と。

 わっはっは。この人、イデオロギーを持つ方がエライと未だに思ってるわけですな。イデオロギーを持つということはイコール特定の思想に洗脳されることだ、というのは、1980年代以降、世界で共産主義や新自由主義といったイデオロギーが次々に失敗するのを見ている今や若い人には常識。彼らは一つ一つの政治案件に、そんなイデオロギーによらないで、是々非々で判断しているだけでしょ。

昨日ちょうどそこを読んでたまらなく共感したハンナ・アーレントの考えに通じ、私なりのシンクロニシティ体験でした。

《アーレントは、複数の人びとか距離をもって共有する世界を媒介とせずに人びとか直接に結びつく同胞愛や親交の温かさのなかでは、人びとは論争を避け、可能なかぎり対立を避けると語る。彼女はこうした同胞愛や温かさが不必要だと宵っているのではない,それか政治的領域を支配してしまうとき、複数の視点から見るという世界の特徴が失われ、奇妙な非現実性か生まれると言うのである。複数の視点が存在する領域の外部にある真理は、善いものであろうと悪いものであろうと、非人間的なものだ、と彼女は言い切る。なぜなら、それは突如として人間を一枚岩の単一の意見にまとめ、単数の人間、一つの種族だけか地上に佐むかのような事態を生じさせる恐れがあるからである。世界喪失への危惧はこうしたところにも存在していた。》(179-180p)
ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)

ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)

  • 作者: 矢野 久美子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/03/24
  • メディア: 新書
中公新書 2014)

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訃報 流政之さん [小田仁二郎]

JIN No.3.jpg5日前に知った訃報です。小田仁二郎関連でメモっておきます。仁二郎没後間もなく寂聴さんによって発刊された「JiN」全三巻の表紙が流政之作品でした。手元に第3巻があります。小田が中心の同人誌「Z」の表紙も流作品でした。寂聴さんの『場所』(新潮社 2001)「西荻窪」の章にこのことが書いてありました。
《私は小田仁二郎を中心にして、新しい同人雑誌を始めた。「文学者」の中で、吉村昭、北原節子(津村節子)の夫妻が入り、吉村さんの学習院時代の友人で「赤絵」の同人だった鈴木晴夫と、小学館の編集者で私と親しかった田木敏智が参加した。他にも何人か呼びかけに応じてくれたが、最後に残ったのはこれだけだった。/ 編集会議のため、同人たちが、小俣家の離れを屡々訪れるようになった。きん女は訪問者が多くなったのを景気がよくなったと勘ちがいして喜んでくれた。/ この下宿に移ってほどなく、ある日私は近所の質屋叶屋の人口で、質種の蚊帳を肩にかついだ長身の男と出会った。それは京都油小路三条の大翠書院時代、常務だった吉田政之輔だった。会社がつぶれて以来、彼も上京して、本来の望みだった彫刻家への途を志している。名前も流政之と改めていた。どんな場所や境遇にいても、性来の美貌と姿の好さは際立っていて、何気なく着ているものも、垢ぬけて人目を引いた。/ 上京以来、すぐこの近所に下宿しているという、奇遇に喜んで、それぞれ質屋で用を果した後、つれだって私の下宿へ帰った。/ それ以来、流政之は度々立ち寄るようになり、仁とすっかり意気投合して、夜遅くまで話しこむこともあった。「文学者」では煙たがられ、友人もない小田仁二郎は、非社交的な性格とばかり思いこんでいたが、小説家以外の人々にはすぐ好かれ、信頼されるという一面があったのに、その頃私はようやく気づいてきた。/ 新しい雑誌の構想がまとまり、誌名は終りから始めるという意味で「Z」とつけた。表紙は流政之のオブジエを村井修の撮影したもので飾らせてもらうことに決った。》(176-177p)
小田と流の関係が、小田と井筒俊彦との関係に重なります。(→井筒俊彦夫妻と小田仁二郎・瀬戸内寂聴さんとの交流
訃報記事の中で寂聴さんが語っていました。
将来語り合う仲 お互い、無名だった頃からの知り合いで、「いつか世界的になる」と将来を語り合った仲でした。いつかまた会えると思っていたけれど……。流さん、待っててね。》毎日新聞
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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外7) 変化の兆し [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

舟山やすえレポート5018,5,15.jpg「舟山やすえレポート」をもらった。国対委員長拝命の記事の下に、「これからの地方の使命を考えるフォーラム」が発足したとの記事。「左右の対立を超えた組織」との説明だった。PDF版の「これからの地方の使命を考えるフォーラムの設立について」があった。すっと気持ちに入ってくるいい文章、やすえちゃんにちがいない。《保守対革新、右対左といった漠然とした空気の中で、地域の声を伝えるべき議員は、中央による政治の党利党略に巻き込まれ、地域の真の代弁者となり得ていないのではないか。また、各政党の目指す方向と、地方が望む方向は果たして一致しているのだろうか。/だからこそ、党派の枠を超えて大同団結し、この地に生きる個々人として地域のために結束する必要がある。》そう思う。「保守対革新、右対左といった漠然とした空気」がもたらす「事実」からの乖離。アーレントの言う「リアリティの喪失」。それこそが「全体主義」への導入口。私を「安倍批判」から「安倍評価」へ変えたのは、『総理』(山口敬之 著)だった。総理の間近にあって「事実」に即して描かれている。「安倍総理はバカではなかった!」・・・今になってみれば、頭ごなしの安倍批判側にこそ「全体主義」を感じ取る。そんなところでのmesさん、kojitaken氏の引用。「ルサンチマン左翼」であっても見える人には見えてくる。

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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(23) 見栄や虚栄から自由になれた時代 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

20代後半、当時就いていた仕事への自分の適性に疑問を持つようになっていたとき、祖父の夢を見せられて家に戻り今の仕事になりました。祖父の仕事は印染でした。ハンナ・アーレントの言う「仕事(work)」そのものでした。次男に生まれながら、幼くして亡くなった長男の代わりをやむなく引き継ぐことになった父は、祖父に対して批判的でした。時代も味方して、商家から嫁いだ母とともにキモノ商売で一時代をつくりました。私が戻った時もその時代がつづいていました。しかし私は何の疑問もなく、家に戻る以上祖父の仕事を継がねばならないと思い、半年そこそこでしたが大漁旗が中心の染物屋で一応一通り仕事を覚えさせてもらって家に戻りました。大漁旗を染める筒描きというやり方は印染のいわば原点だったのですが、その後何段階かのイノベーションを経て今のデジタル化に至ります。その変遷については5年前に自分なりにたどってみたことがあります。(→3Dプリンター革命) それはそれ、なぜこんなことを書き出したかというと、今みんなどうしていいかわからなくなっているキモノのことを思ったからでした。軸足は印染に置いていましたが、金額的には断然キモノでした。キモノに関しては母親の助手的役割でしたが、おかげでいい思いもさせてもらいました。あの当時、あんなによく売れたものだと思いますが、あれから30年、40年、一度も袖を通されることのなかったような高価なキモノが行き場を失ってうめき声をあげているのが聞こえてくるのです。いい思いをさせてもらった分、つらいです。《必需品でないものにはいつまでも付き合えるほど消費者は余裕がない》、その「必需品でないもの」の代表例として、自分も関わったキモノを思ったのでした。必要なものと必要でないものとがきっちり峻別される時代、豊かな時代なのだと思います。貧しさと裏腹の見栄や虚栄から自由になれたのです。

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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外6) 憲法について [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

前半と後半に分かれます。前半は猿都留さんのとりあげた憲法学者小林節教授と平野貞夫元参院議員批判へのコメント、後半は「国民の三大義務」についてどう考えるかということです。

小林教授の講演は、「安倍批判から安倍評価へ」変る前の時代に聴いたことがあります。小林節平和講演会舟山やすえちゃんのスピーチ(南陽総決起集会)やすえちゃんの前回選挙、総決起集会に併せた開催でした。要するに「憲法は事実上の権力者である政府に守らせることを規定したものだ」以外、あまり印象に残らなかったようです。

平野貞夫氏にはいろんな思い入れがあります。2年前に『田中角栄を葬ったのは誰だ』を読むを書いていますが、実は私のアマゾンレビュー処女作が平野さんの
昭和天皇の「極秘指令」

昭和天皇の「極秘指令」

  • 作者: 平野 貞夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/04/11
  • メディア: 単行本
でした。14年前です。「中曽根感覚跋扈への警鐘」と題して《著者の切迫した思いをひしひしと感じつつ、一気に読み終えた。/とりわけ9.11以降、本来日本の保守の立脚点が忘れ去られ、アメリカに付くが得策の功利の感覚が保守の本流となったかにも見えるいま、それと対置される精神の在り処を日本の政治の中に確認できたことがうれしい。/正しきに拠りて滅ぶる国あらば滅ぶともよしかならず滅びず 副島種臣》。どういう経緯だったか、平野さんから「御理解の通り」の趣旨のメールをいただき感激したものでした。「その平野氏にして」の思いです。溝を埋める手立てはないのでしょうか。

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 「活動(action)」「仕事(work)」「労働(labor)」(ハンナ・アーレント) [思想]

ハンナアーレントindex.jpg昨日、こども園の賞与支給日。急に思い立ってハンナ・アーレントについて話してきました。(手の離せない保育の合間を縫っての支給になるので、みんなに聞いてほしい時は文章にして渡すしかない↓)

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 最近読んだ本でハンナ・アーレントという女性の思想家を知って、保育の仕事について考えさせられました。
 ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日) は、ドイツ出身ユダヤ人の哲学者、思想家です。ユダヤ人ゆえのナチによる弾圧を身をもって体験し、「ナチも同じ人間なのに・・・人間がそうしたことをなし うる、そういう世界があったという言語を絶した恐れ」を出発点に、全体主義という政治現象、そしてその悪を人びとが積極的に担うことになった原因について 考え続けました。

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