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井上ひさし ブログトップ

吉里吉里忌(5)置賜人 井上ひさし [井上ひさし]

きらめく星座is.jpg以前書いた「きらめく星座」観劇記のコメント欄に、東北芸工大教授の経歴ももつ田島正樹千葉大教授による容赦ない酷評がメモってあった。いわく人物造形はやりきれないほど類型的で、紙芝居のようにどれも薄っぺらく、ウソくさい。社会的背景もげんなりするくらいステレオタイプ的な描き方で、リアリティも生活臭もまるでない。》《私は当時が実際どうであったかを語る資格はないが、こんなものではなかったということは、はっきり断言できる。》《井上ひさしの劇が〈嘘〉なのは、それが〈今〉を感じさせない点にはっきり現れる。》《井上ひさしは、観客の知性を見くびっているとしか思えない。》《要するに、井上ひさしは人生を見くびっているのだ。》概ね私が先に吉里吉里忌(2)で書いた「つくりもの」説に対応する批判でわからないでもないが、それはそれ、七転八倒から生まれる井上戯曲の趣向のそれなりを楽しめばいいわけで、サヨク感覚が気に入らないと言えば言えるが、いずれ過去の遺物になるにしても、それも時代のひとつのあり方、時代の証言、何と言っても私にとって井上ひさしは「置賜人」としての共通感覚ゆえの共感によって井上ひさしなのだと思う。井上作品が古典になりえず、時代とともに忘れ去られるとしても、井上ひさし氏の置賜愛のゆえに、置賜人にとっての井上ひさしは永遠なのです、と思いたい。「週刊置賜」連載の井上ひさし南陽講演録の表題は「世界の中の置賜人」でした。

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吉里吉里忌(4)『組曲虐殺』  [井上ひさし]

組曲虐殺』61dtbVgIo0L._SY445_.jpg吉里吉里忌(1)で《平成3年に「しみじみ日本・乃木大将」の舞台を観て以来、もう井上ひさしの芝居は観なくていいと思いこんできたのだが、あるいは栗山氏との二人三脚の結果か、井上芝居は新たな地平が切り拓かれていたのかもしれない。不明を恥ず。栗山氏の思いの極みにふれて、切に栗山氏演出の舞台を観たいと思った。》と言いながら、(2)で《「私」という言葉へのこだわりが耳に障ったことと「記憶」へのこだわりに白けることとの感覚の共通性を思った。共に容易に「つくりもの」に転化する。こだわればこだわるほど「実存」から離れてゆく。勘ぐれば、井上ひさしという人の根源の苦悩がその辺にあったのではないだろうか》と言う、私にとっての井上ひさしに対する思いの振幅は何なのか。そう思いつつ最後の作品、小林多喜二の『組曲虐殺』を読んで、納得したような気がした。きっと井上作品にはどの作品にも、その場面のために他の場面があるというような場面があるのではないか。そこにたどり着くための七転八倒、それは所詮「つくりもの」なのだが、肝心の「その場面」は作者にとってのまごうことなき「真実」の世界。つくられた「私」も「記憶」も超えた、たしかな感動がある。以下、それを思った場面。

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吉里吉里忌(3) 井上ひさしにとっての宮内 [井上ひさし]

前回思いがけなく、小松生まれの井上ひさし(昭和9年生)と宮内生まれの小田仁二郎(明治43年生)の対照性に思い到った。そうしてみると、その風貌から始まって、世の中に作品がどう受け入れられたかまで、たしかに何から何まで正反対。果たしてそれが、小松と宮内という地域性に起因するところがあるのかどうか。そんなことを思いつつ、井上ひさし氏へのインタビュー記事を引っ張り出してみた。昭和58年に井上氏が南陽で講演され、終わってから私と「週刊置賜」の加藤社長とで上山葉山温泉の古窯まで私の車でお送りした。「司馬遼太郎氏が盆地の風景が目に飛び込んだ瞬間『あっ』と声を上げた」と誇らしげに語ってくれたのがこの時、鳥上坂にさしかかった時のことだった。別れ際に、翌朝のインタビューをお願いし、それが記事になって残っていた。その第5回で、われわれへのリップサービスもあったかもしれないが「僕の小さな時の印象ですが、置賜盆地で一番アカ抜けしている所は、宮内ですね。」と語られている。井上氏が生まれた昭和9年頃からは隆盛を極めた宮内の製糸業にも翳りが出てはいるが、中央の歌舞伎役者や浪曲師が宮内には頻繁に訪れていた。月なきみそらの天坊一座』は宮内の松風座「昭和15年度松風座入場者数」がモデルとなっており、昭和61年に川谷拓三主演でNHK銀河テレビ小説化された時のロケ地は宮内だった。58年の時点では小松のフレンドリープラザの構想はまだなくて、宮内が先駆けるならば必ずしも小松にこだわらなくてもいいという井上氏の思いを確認した記憶がある。「こまつ座」が始動しはじめた頃、置賜への深い思いが語られた貴重なインタビューなので貼付けておきます。(当時市職員の鈴木孝一さんが撮影した講演のビデオが「時代(とき)のわすれもの」に保存されています。「週刊置賜」連載の講演録コピーも残っています。)(つづく)

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吉里吉里忌(2)井上ひさしと小田仁二郎 [井上ひさし]

「吉里吉里忌」のフィナーレは、地元の朗読の会「星座」による「子どもにつたえる日本国憲法」(井上ひさし作)の群読。「子どもにつたえる日本国憲法」はyoutubeでも聴くことができた。前文と9条を井上流に書き換えたものだが、5分ぐらいの中に「私たち」が数えたら18回出てきて、私にはそれが耳に障った。その前の栗山氏の話の中で、日本人の「主語喪失」について語られていた。
「私はだれでしょう」という題名そのものだって、記憶が無くなってしまったんですよね。で、もひとつ井上さんがこだわってるのは「主語」っていう問題ですね。「主語」イコール「主体」なんですね。夢シリーズの中でひとつ、「日本語には主語がない」っていう仮説を披露する場面があるんですけれども、それにとてもこだわって、「では、私は誰なんだ」っていう、・・・》
(戦争責任をテーマにした「夢の痂(かさぶた)」の中にある「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だから」というセリフ
もう30年も前のことだが、「花よりタンゴ」の観劇記にこう書いたのを思い出した。

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「吉里吉里忌」(1) 栗山民也氏の思いの極み [井上ひさし]

吉里吉里忌-3.jpg井上ひさしさんが亡くなって8年になるという。ずーっと御無沙汰だったが、遅筆堂文庫からの案内に惹かれてフレンドリープラザに足を運んだ。行ってよかった。栗山民也さんの話に、井上ひさしという人の戯曲への大事な視点、その仕事のすごさを教えられた。

(4月15日のことだから、もう10日になる。この記事は翌日に書き始めた。)

胸ポケットに入れたレコーダーを席に着いてすぐセットしておいた。案の定「撮影、録音禁止」のアナウンス。迷ったがそのままにしておいた。栗山さんが、こみ上げてきて言葉が途切れる場面があった。そこをよく聴いてみたくて再生した。よく録れていた。どうして「撮影、録音禁止」なのか。何度も何度も聴くことで理解できるということがある。年齢を重ねるごとに呑み込みが悪くなって切実に思う。栗山さんの話はそういう内容に満ちていた。発せられた情報は正しく理解されることを求めているはずだ。聴き返すことができなかったら、なんとはなしの「よかった」で終わってしまうところだった。なぜ「撮影、録音禁止」なのか。

山口宏子氏との対談の最後のところ、その場面を再現してみる。

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追悼(3) 置賜人・井上ひさしさん [井上ひさし]

「週刊置賜」に寄せた追悼文です。

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 井上ひさしさんが小松の生れであることを知ったのは、まだ学生の頃『手鎖心中』を他人事ではない思いで読んでから大分経ってからだった。隣町生れであることを知ったときの驚きは、当時畏敬すべき思想家であった吉本隆明という人が米沢で学生時代を送っていたことを知ったときの驚きに比肩しうる驚きだった。いずれも、マイナーな地域と思って育ってきた置賜を、まんざら捨てたものでもないと思うようになるきっかけとなった。

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<追悼 井上ひさしさん(2)>「花よりタンゴ」「しみじみ日本・乃木大将」観劇記  [井上ひさし]

 観劇記を2つ。
 
「週刊置賜」昭和61年12月13日号掲載の「花よりタンゴ」と平成3年11月の「しみじみ日本・乃木大将」です。たしか「乃木大将」を最後に井上さんの劇は観ていません。

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「花よりタンゴ」観劇記 無念!!不発
 
昨年の『きらめく星座』では、作者でもあり、演出家でもあった井上ひさし氏と、傷夷軍人小笠原源次郎を演じる名古屋章との間に成立した見事な緊張が、井上氏の意図(軍国主義の戯画化)を超えて、井上氏の中にある意図せざる本質(宮沢賢治的生真面目さ)を引き出す結果を生み、われわれは素晴らしい舞台に酔いしれることができたのだった。

そして今年は『花よりタンゴ』。昨年の興奮の再現を信じて足を運んだのだが、井上氏の上澄み的思いだけが空回りして、今以って渦中の人(当時、好子前夫人との離婚問題真っ只中)でありつづける井上ひさしという人への、なぜかいとおしさだけが後味として残る舞台であった。
 

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<追悼 井上ひさしさん> 「きらめく星座」観劇記  「生真面目」の復権 [井上ひさし]

井上ひさしさんが亡くなりました。昭和57年の夏、小松の学校の体育館で講演された時からのご縁があります。いや、さかのぼれば学生時代「手鎖心中」を読んだときからといえるかもしれません。その時、井上さんが小松生れであることはまったく知りませんでしたが。


井上さん関わりでいろいろ書いていました。

まず、昭和60年11月16日の「週刊置賜」に書いた「きらめく星座」の観劇記です。


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「きらめく星座」観劇記

「生真面目」の復権

        

開幕の十数分前、劇の舞台となる昭和15年当時の流行歌のメロディが静かに流れ出した。この音楽に誘われて、会場の中にまでひきずりこんでいた普段の暮しの気分が、演劇を観てるのだという気分へと変わっていくのを感じた。そのとき、これが「文化」というものか、ふとそんな気がした。「文化」を「東京」と言い換えてもよかったかもしれない、そんな雰囲気が漂った。子供の頃、東京からの汽車を見て、この線路がず-つと東京まで続いているんだなあと思った時の感慨に似ていたといえなくもない。そして、われわれ置賜人のために井上ひさし氏が果たしてくれつつある役割といったことも頭をかすめたのだった。さて、幕が開く。

 

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