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「上杉鷹山公を大河ドラマに」 [上杉鷹山]

白根沢投書.jpg齊藤投書.jpg山形市の白根沢良徹さんという方が「上杉鷹山公を大河ドラマに」とがんばっておられる。御自身は山形市生れだが、お父さんは米沢出身。米沢市粡町の白根沢家は鷹山公提唱の米沢織を最初に手がけた家で、白根沢家には鷹山公手植えの松があるという。その白根沢さんが「鷹山公を大河ドラマに」を思いたち、米澤新聞に投書したのが一昨年の9月。その投書コピーを独力で全国発信しておられた。そうした折、昨年6月、「白鷹山に伝国の辞の碑をつくる会」会長齊藤喜一さんの「鷹山公の精神を世界に」の投書が山形新聞に掲載なった。それを見ておおいに力を得た白根沢さん、宮内を訪ねて齊藤さんと会うことになったのが昨年夏だったか。白根沢さんはかつて「新しい歴史教科書をつくる会」等で旧知ということもあって、私も関わることになった。「齊藤さんを一度家にお連れして」とのたっての願いで14日、齊藤白根沢家を訪問、その熱意にあらためて触れてきた。私自身は、鷹山公は大河ドラマにはどうかという思いがあり、いまいち積極的になれないでいたのだが、そのための時間を割いて山形まで行くにはそれなりのインセンティブが必要なわけで、山形美術館の「長谷川コレクション展」に行ってきた。

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「秋月種茂→上杉鷹山→黒田長舒」が思わせてくれたこと [上杉鷹山]

秋月三名君フォーラム米沢.jpg秋月三名君系図.jpg10月27日、「秋月三名君フォーラム米沢大会」への誘いがあって、南陽市民大学で小形芳美氏の「鉱山とともに歩んだ吉野地区」を聴き終えてすぐ、米沢「伝国の杜」に駆けつけた。安部三十郎前市長の基調講演がちょうど終わったところだった。九州からの参加もあったようで大会議室ぎっしり満員。200名近いか。

鷹山公(1751-1822)は高鍋藩主秋月種茂(1744-1819)の弟、黒田長舒(ながのぶ 1765-1807)は種茂の次男で秋月藩主(福岡県朝倉市)。鷹山公にとって7歳年上の兄は幼少時より敬愛おく能わざる存在であり、後年「自分は大藩である上杉藩に入って世に知られる存在となったが、兄は高鍋藩という小藩のため、自分より勝れているのに、世に知られることもないままの生涯だった。そのことを申し訳なく思う」と語っていたという。また、秋月藩主となった黒田長舒は叔父である鷹山公を誇りに思い、叔父を手本に仁政を心がけた。その伝統は現在の朝倉市立秋月中学校に流れ、パネラー佐々木氏は元校長。共に参加の現校長の発言もあった。学校紹介パンフがすごい。「藩校稽古館の教育方針や内容を要約した『稽古館の教え』を生かした教育活動を構想し、社会に開かれた教育課程を編成・実施し、教育活動のブランド化を推進する。」として、見開きページに「稽古館の教え」が載る。

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作谷沢まんだら(烏兎沼宏之)—「伝国の辞」碑の源流 [上杉鷹山]

やまがた再発見 烏兎沼宏之.jpg菊地和博先生の「やまがた再発見(366)烏兎沼宏之」(山形新聞日曜)は力作だった。3回にわたって掲載されたが、最終回(7/30)を読んで、「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」の前史が甦った。

キャロライン・ケネディ大使との交流バルバドスとの交流もそもそも「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」に発するのだが、その会は「白鷹山に『伝国の辞』碑を」という齊藤喜一会長の山形新聞への投書がきっかけだった。新聞投書の類いは普段それで終るのだが、それを読んだ作谷沢の樋口和男山辺町議が共鳴の声を寄せてきたことから思いがけない進展が始まった。実は当時すでに齋藤会長と樋口氏の間には「作谷沢まんだら」を介した交流があったのだった。

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農家伍什組合掟書屏風 [上杉鷹山]

1-1-3-DSCF1604.JPG一昨日の記事、純米酒の事から高畠町夏刈の長谷川平内さんを思い起こし、鷹山公も訪れたという長谷川家のその座敷にあった「農家伍什組合掟書」屏風について書き留めておきたくなった。そもそも伊達政宗公両親の墓のある資福寺跡の荒れ様に驚いた鷹山公が幾許かの墓守料を長谷川家に給するようになった経緯があると聞いている。上杉による伊達遺風一掃政策の異様さは、他藩から米沢に入った鷹山公によってはじめて一部正されることになる。

さてこの屏風、廃家となった長谷川家にあってもはや廃棄寸前のところなんとか救い出したく、とはいえ大型六曲の上、表装もボロボロ、どうしたものかと(公財)農村文化研究所の遠藤宏三理事長に相談して引き受けてもらったのだった。今はきれいになって研究所内民俗資料館にある。大きいので直筆かと思っていたら、遠藤理事長の見立てで刷り物とわかった。どういう技術だったのだろうか。あらためて江戸期のレベルの高さを思う。古文書読解の格好の教材です。(写真上クリック拡大なります)

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4-6-_K206368.JPG

百姓の天職は農桑にて候、其農桑を勤めて父母

妻子を養ひ貢を上に納て四民御世話の料となし候故、

人々安く家々さかへ候といへとも人一人立にてハ遂難きもの故、

其組合を立置互に助て其生涯を安く過す事に候、是迄も

組合ハ有之といへとも頼母しき申定も聞へす候付、

農民の天職は農(農作物を作る)と桑(蚕を育てる)にある。これに励んで父母妻子を養い、税を納めて藩からの世話を受けつことで人々は安心を得て家々も栄えつづけてゆく。とはいえそれは一人がんばってできるものではない。互いに助け合う組合があって生涯の安寧も可能となる。これまでも組合はあったが十分頼りになるものではなかったようである。


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藤沢周平著「漆の実のみのる国」を読んで(承前) [上杉鷹山]

『漆の実のみのる国』を読み進める中、「開運なんでも鑑定団」に山田方谷の書が出たのを観た。本物だが傷みがひどいので5万円の評価だった。鑑定士の田中大さんは、「山田方谷が素晴らしいのは上杉鷹山が50年以上かかった改革をたった10年足らずで成し遂げたこと」とコメントした。鷹山公の名前が出たことをうれしく思いつつ、10年と50年の差を思った。考えるに山田方谷は、主君である備中松山藩主板倉勝静(かつきよ)に勘定奉行に任ぜられた財政家としての働きであった。対して鷹山公は、君の立場で臣を動かしての財政改革であった。藤沢周平が描こうとしたのは、「明君」としての成功物語ではない。臣とともに厳しい藩政に取組む等身大の鷹山公だった。行きつ戻りつ煩悶しつつの藩政改革であった。いつになっても到達点の見えない50年の歳月の一端だった。一方方谷はといえば、君板倉勝静は、鷹山公を「三百諸侯中随一の名君」評価した白河藩主松平定信の孫である。鷹山公と方谷はほぼ半世紀の年代差、方谷にとって鷹山公はたしかな指標として意識されていたにちがいない。方谷には到達点が見えていたのである。鷹山公の業績あっての方谷であったように思う。


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藤沢周平著「漆の実のみのる国」を読んで [上杉鷹山]

漆の実のみのる国.jpg

上杉博物館で開催されている「上杉鷹山と学びの時代」展を見て、小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢』を読んだら、つぎにどうしても『漆の実のみのる国』が読みたくなって、まったく新品同様帯付函入布貼の単行本11円送料257円上下合わせて516円を購入して、読み終え、アマゾンにレビューしてきました。


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鷹山公の実像に近づけた思いがする


一昨日(平成29126日)が没後ちょうど20年、亡くなったその年5月の刊行、藤沢周平さんの絶筆である。当時連載されていた「文藝春秋」の編集者に渡された原稿用紙6枚が最後の第37章。場面はまず、隠退していた莅戸(のぞき)善政の再起用によってようやく本格的な藩政改革がその緒につこうとしている時、いまだ改革ならぬ寛政3年(1791)、鷹山公41歳。そして迎える最後の段、時は一挙に文政5年(1822)、鷹山公最晩年の72歳。原稿用紙にして残り2枚足らず、著者渾身の力を振り絞るようにして、『漆の実のみのる国』の書名に込めた思いの一端が明かされる。決して成功したのではない漆の栽培がなぜ書名となったのか、不審に思いつつ読み進めてきた読者に、余韻を残して「(完)」となる。


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小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢 (人をあるく) 』を読む [上杉鷹山]

上杉鷹山と米沢.jpg

小関悠一郎著『上杉鷹山と米沢 (人をあるく) 』を昨年6月山形新聞の書評で知って求め、いい本と思いつつ全部読み切らないでいたのだが、12月17日に著者の小関悠一郎千葉大学准教授の講演「上杉鷹山の改革と学び—『富国安民』論とはなにか—」を聴いて最初から読み直した。かなりがんばった感想を書いていまアマゾンにレビューしてきたところです。


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逞しい鷹山公に出会えた気がしてうれしい


 上杉鷹山公の実像に迫る好著です。私には以下二点、目からウロコでした。

 一つは、鷹山公がなぜ34歳にして隠退を決意したのかの問題。これまでは、対幕府負担の多い藩主の地位から離れることで藩内改革に専念するための説があった。それに対して新たな視点が示される。鷹山公の隠退は天明4年(1784)、その2年前公とともに殖産政策を推進してきた竹股当綱の失脚がある。著者はその背景に、竹股が中心になって推進してきた「国を富まし、民を安んずるのは、地の利を尽くすこと」とする政策への反発を見る。

《注目されるのは、藁科(松伯)の次のような批判だ。”先年お上にて田を耕作し、菜蔬を売り、陶器を焼いて、縮を仕入れ、火打石から蕨ゼンマイまで販売して、専ら「興利の政」を行われた。このため、公儀(米沢藩)ですら藩の増収・利益を追求しているではないかとして、金融・商業に携わって利益をあげようとする武士が続出し、公然として営利を恥じない事になってしまったというのである。・・・「地の利を尽くす」をスローガンに「聖人の道」の実践という位置づけのもとに殖産政策を実施した明和・安永改革も、早期の藩財政再建が不可能な中、社会秩序の混乱を増長する「興利の政」と見なされ、行き詰まることになったのだ。》57-58p)この風潮を改めるための統治体制・人事一新、《それを最も円滑に行いうるのは、藩主の代替わりだったであろう。》58p)そうして公は、《財政再建を進めながら「風俗」の改革を図るという難題》62p)に取組んでゆくことになる。

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若き鷹山公の素顔が見えた! [上杉鷹山]

1213林修の今でしょ!講座で歴史学者の磯田道史氏が、大河ドラマにしたい偉人として、板垣退助と共に上杉鷹山公をあげたという。林さんが「江戸時代の2000藩主の中でぜひ大河ドラマに取り上げてほしい藩主が居ます・・・」と言ったところでCMになったので、ひょっとしたら鷹山公?と思いつつテレビを離れてしまったのだが、あとでやっぱり鷹山公だったことを知った。あらためてその番組について検索してみて、その中で、鷹山公の治世の成果の証しとしてイザベラバードを登場させていたことを知ってうれしかった。

 

鷹山公と学びの時代chirashi-1.jpg

いま米沢市上杉博物館で(1210日から212日まで)、開館15周年記念コレクション展「上杉鷹山と学びの時代」が開催されている。17日に小関悠一郎千葉大学准教授の講演会「上杉鷹山の改革と学び—『富国安民』論とはなにか—」を聴いてきた。お父さんが元山形大の英語学の教授で南陽市教育委員の小関文典さん。若い悠一郎先生、講演内容のすべて盛り込んだ資料を用意して下さって復習するのにありがたい。いろんなことを知ることができた。


内村鑑三の『代表的日本人』の種本が、明治26年(1893)発行の川村惇著『米沢鷹山公』であったことをはじめて知りました。川村は朝野新聞主筆、その前年米沢を訪れ、明治26323日から62日までの連載記事をまとめて10月に刊行したとのこと。「足ひとたび米沢の地を踏み、上杉鷹山の治蹟今猶ほ民心を感化するのを観るに及んで、想古の情、更に益々切なり」とし、田園はよく整備されて耕作が行き届き、蚕桑製糸業が大変盛んに行われており、明治維新を経て社会が大きく変貌したにも関わらず、米沢では鷹山の治績がいまなお地域の産業の基礎であり続けていると述べているという。イザベラバードが来たのが明治11年、それから15年経っていますが、二人の眼に映った置賜が同じに見えたようでうれしい。


高鍋藩の「存じ寄り」もはじめて知った。家中士に積極的に藩政に対して献言(意見の具申)、献策をさせる「下意上聞」の体制という。鷹山公が上杉家の養子となるにあたり、その心構えを説く高鍋藩の養育係三好善大夫が公に贈った訓戒書もその伝統があってのことだった。


その伝統は鷹山公とともに米沢藩にも引き継がれたのだろうか。講演後展示をゆっくり観て回ったが、23、4歳の鷹山公に対する莅戸(のぞき)善政による建言書案が展示されていた。年寄の苦言の対象であるごくあたりまえの青年の姿がそこに見えてくる。以下展示説明から写しておきます。


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ケネディ大使からお礼状が届きました! [上杉鷹山]

大使に贈った写真.jpg

キャロライン・ケネディ駐日米大使に次の手紙を添えて「伝国の辞」碑の写真額を送ったのは、510日のことだった。


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キャロライン・ケネディ駐日米大使 様

 

謹啓

 若葉輝く躍動の季節になりました。大使におかれましてはますますご清祥のこととおよろこび申し上げます。熊本御視察やLGBTへの御参加等の報道に接し、日米親善友好、世界の平和と自由実現のための御尽力に対し深く敬意と感謝を表します。

 さて、白鷹山(Shiratakayama/大相撲幕下一枚目の白鷹山はHakuyohzanです。白鷹町Shiratakamachiの出身です。地元の期待を担っています。今後の活躍に御注目頂けましたらうれしいです。)山頂の、大使からのメッセージが添えられた上杉鷹山公の「伝国の辞」碑は、建立以来ちょうど2年になります。大使の御蔭をもちましてほんとうに多くの方からの注目を集めることになり、さらに時間が経つほどにその輝きを増しているように思われます。鷹山公もきっと喜んでおられるにちがいありません。冥界にあってケネディ大統領と鷹山公が語らっておられる様子が心に浮かびます。

 もっと早くお送りすべきだったのですが、建立後ちょうど2年経った記念として碑の写真をお送り致します。大使の御目の触れるところに飾っていただけましたらうれしいです。また「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」事務局の高岡亮一が「鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい」と題して米沢の年刊誌「懐風」に文章を寄せました。ケネディ大統領が鷹山公のどこに心を動かされたかについて、「伝国の辞」碑と大使との関わりの経緯をふりかえりつつ考えてみたエッセイです。お目通しいただければと思い同送させていただきます。

 ケネディ大統領の就任演説の中に次の一節がありました。

《今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。

Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are --but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.

 鷹山公は、われわれの小さな地域の中のことではありますが、まさにこの「闘い」に挑み、勝利した名君であったことを誇りに思っています。鷹山公のその実績とそれをなさしめた精神への評価が、キャロライン大使のお力添えを得て、広く世界の平和と自由の実現のために広がることを切に願っているところです。今後ともさらなる御理解と御支援、何卒よろしくお願い申し上げます。

 大使におかれましては、くれぐれも健康に留意され、日米両国はもとより、世界中の人々の幸福のためにご尽力されることを衷心よりお願いお祈り申し上げます。 

敬具


   平成282016)年510

白鷹山に上杉鷹山公「伝国の辞」碑をつくる会

会長 斎藤喜一

 


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キャロライン大使から280604.jpg

バタバタの毎日で送ったことも忘れかけていたのだが、昨日川井事務局長が「大使からの手紙が来た」と届けてくれた。全く思いがけないことだった。

 

実は昨秋の会の芋煮会で、ケネディ大統領の命日に合わせて送るようにと決まって写真額を用意はしたものの、なかなか手紙が書けなくてそのままになっていたのを、碑建立2周年を期して「この時を逃してはダメだ」との思いでがんばって書いたのだった。


《Thank you for sending me the framed picture of the monument for lord Uesugi Yozan in Mount Shiratake. I congratulate you on celebrating his legacy and I appreciate your thoughtfulness.(白鷹山の上杉鷹山公記念碑の写真額をお送りいただきありがとうございます。鷹山公が遺された業績を顕彰する皆様方を祝福するとともに、皆様方の御配慮をありがたく感謝申し上げます。)》


短いが、大使の心のこもったお礼状として読ませていただいた。


図らずも今日、齊藤喜一会長の娘さんの結婚式。この手紙のことはまだ知らせていない。会場で知らせることにする。大使からの手紙が花を添えてくれることになる。


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鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい [上杉鷹山]

懐風第41号.jpg懐風第41号目次.jpg

米沢御堀端史跡保存会の年刊誌「懐風」第41号が届いた。20数年前、尾崎哲雄先生からいただいたのが最初だった。大正11年生れの尾崎先生は米沢のお住まいを離れ、奥さんと共に娘さんのおられる山形市の施設に移っておられたが昨年亡くなられた。そもそも直江兼続の実母探求にはまっていったのは先生の声がけがあってのことだった。今号には同じ尾崎一族の尾崎世一さんが「尾崎姓発祥の地を訪ねて」の稿を寄せておられる。今回「鷹山公とケネディ大統領、魂の響きあい」と題して書かせていただいた。6年前にも「和光神社が結ぶ歴史的奇遇 ― 兼続の母の実家、尾崎家との関わりの中で」と題して書かせていただいたことがある。今回は、ケネディ大統領が鷹山公のどこに心を動かされたかについて、「伝国の辞」碑とキャロライン大使との関わりの経緯をふりかえりつつ考えてみた。

 

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